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2011年12月29日

ああ、ぼくもニュルを走りたい!~WEC1000㎞/決勝レポートから~

ああ、ぼくもニュルを走りたい!~WEC1000㎞/決勝レポートから~  1982年5月30日午前9時30分、サーキット着。10;00、パドックへ。ランチャマルティニに人気が集中。前日のクラッシュと打撲にも負けないでパトレーゼが出ている。
 ロンドーのロルフ・シュトメレンはこの国の英雄、前日、バスでこのコースのガイドをしてくれたドライバー。

 11;00、第28回ADAC1000キロ耐久戦がスタートした。フォーメーションラップは1周22,8キロのコースだから、正面スタンド前のストレ―トから第1コーナーをクルリと回り、ピット裏を抜け、第2コーナーを入るところで右に大きくショートカットし、高速道の流入口のようなバンクを小さくターンして、再び正面前に戻ってくる。
 
 ぼくはピット前にいた。あっという間に青信号になっていた。あれ、あれ。レースは始まっていた。と、第1コーナーでアクシデント発生か。オフィシャルと救急車が慌ただしくコースに飛び出した。と思ったら、ド、ド、バ、バッ、ギューンとトップ集団が第2コーナーを今度は左へ折れ(註:そこからが現在の北コースというわけだ)、下りS字の高速コーナーへ消えた。










*ランチアを脅かした④ヨ―ストポルシェ


*その年の10月、FISCOで圧倒的な強さを発揮するようになるM1軍団  

 7分あまりの静寂。アナウンスの声だけがやたら大きく感じられた。なにやら喚きたてているのは フォードC100がトップにいるかららしい。管制塔の手前に電光掲示板があり、トップがいま、どこを走っているかを教えてくれる。そうでもしなければ、間延びる。豆電球が一つにつながりコース図が浮かび出たとき、轟音とともに先頭集団が還ってきた。ポールポジションを奪ったフォードC100にG6ランチア2台がぴったりくっつく。


*フォーメーションラップに入った先頭集団。ここが第1コーナーで、すぐに右に回り込み、ピット裏の短いストレートが待っている。最初の難所。


 全車が一周を終えた。打合せ通りに、ぼくらは正面スタンド右端の記者席へゾロゾロとし移動。(ここではプレスカードは万能。その発給ぶりも簡単そのもの。富士スピードウェイの勿体ぶったやり方に比べて、どうだ!)
 記者席にたどり着いたのと同時に、2周目を終えたトップグループが時速300キロをこすスピードで駆け抜けていく。この難易度ウルトラのコースに耐え抜いて帰ってくる彼らに「やあ、お帰り」と声をかけてやりたくなる。

 12時からFISAのバレストロス会長とADAC会長とのプレスコンファレンス。かれらは日本のモータースポーツ界を、なんとしても巻き込みたい意向を隠さない。ADACは会員700万人。数こそ、JAFとさほど違わないものの、その質といい、伝統、歴史となると勝負にならないのを、ぼくらははっきり知っている。香港の出資で中国にサーキットが建設されるというニュースの提供。欧州のレギュレーションをもとに汎太平洋、アメリカと一つにして新しい世界選手権を発足させるべく、彼らは走り出そうとしていた。

■第1コーナーのクラッシュに巻き込まれかけた「ふたり」

 先日のアウトバーンクルーズでパートナーとなって以来、すっかり打ち解けてくれたCG誌の笹目さんがただならぬ、青ざめた、ひき吊った表情でそばへ来た。
「死に損なったんです。バーンとラジエターがとんできて、すぐ隣のカメラマンがぶっ飛んで、ぼくは咄嗟に横に伏せていたんです」
「え!? あのスタート直後の第1コーナーに行っていたの!?」
「能登山君と一緒に。彼は金網をよじのぼって逃げました」
「みんなカメラマン?」
「そう、22番(BMW、地元で大人気)がバッと押し出されて、こっちに吹っ飛んできたんです」
彼の報告がグループに行き渡り、みんなが集まって来た。慄然。良助氏も「もし巻き込まれていたら!?」と、首をすくめる。

 一時の興奮が収まると、笹目さんがプレスカードをどこかで紛失しているのに気付く。レースに戻る。ランチアの51番が①フォードC100を抜いた。G6仕様のランチァ集団はレギュレーションの変更で、3年目の今年が最後。なんとしても、いまのうちに勝っておきたい。タイヤはP、ショックがB。今回のテーマにぴったりのマシンなのだ。良助青年が手を叩くわけだ。
「このままで行けば阿部商会は万々歳!」


*フォードC100の脱落でトップに立ったパトレーゼらのランチアマルティニ


*強烈な下り坂から右へターン。コース脇の観客はご覧の通り 

その途端、51番は白煙を吐いてピットIN。慌ただしくピットが動く。51番は一挙に6位まで順位を落とす。①のフォードC1000が逞しく周回を重ねる。局面はしばらく膠着状態に。

 午後1時、バスでコーナーの見える観覧席に移動。 最後の長いストレートに突入する直前の難関に狙いをつけたのだ。腕力だけでランチアを抑えこんでいたC100が、ぼくらの前をたよりないエキゾースト音で通過したとき、レースは決まった。パトレーゼがファビに替わってハンドルを握った。上半身を裸にして日向ぼっこの観衆は大拍手。その人気者が高速コーナーをホッピングしながら駆けおりてきた。たちまち先行車のIN側につき、強引にパスし、丘のむこうへ消えていく。

 見所となるコーナーにはパーキングが設けられていて、クルマと観客が溢れている。キャンピングカー、上半身を裸にした若者たち。思い思いにレースを楽しんでいた。多分、ルマンも同じ光景だろう。

 最初にへばりついたのは、左回りから急坂を駆け下り、谷底から右へ切れ込み、パトレーゼが吹っ飛んだいわくつきのジャンピングスポットが待ち受けるポイントだった。富士のグラチャンマシンに出てくるようなクローズドマシンは、バンバン跳ねながら、ドライバーが腕力でコーナーをクリアしていくのに較べ、サルーンクラスはテールを滑らせ、カウンターを当ててくぐり抜ける。タイヤのスキール音の合奏。

 お次は、少し戻って、最後のストレートに挑むちょいと手前の、左右に捩れ、しかも高低差のある高速ベント。サンドウィッチを齧りながら、熱い日差しをもろに浴びる。観客を掻き分け、叢の斜面に貼りついて、カメラのシャッターを押しまくる。

 300ミリの望遠レンズ。CANON。ドイツの若者の注目の的だった。ビールを飲めと金網越しに執拗に迫る、朗らかに。レース初日からこのポイントに座り、仲間とキャンプ暮らしをしているという。それは親父の世代から引き継がれ慣わしであつた。この辺の違いに衝撃をうけた。
「きみの家の伝統はわかったが、なぜこのポイントなの?」
「だって、ここが一番難しいコーナーでドライバーの腕とマシンが一体になっていないと吹っ飛ぶからさ」

 各車は丘の頂上から左に回り込む。このときマシンがホップする。ステアリングが真っ直ぐでないと、たいへんなことになるはずだ。下るとリアがばたつく。それをがっちりと抑えこんで、右、左のCPにきっちり車首を向けないといけない。それが終わると、アクセル全開で長い、長いストレートへ。C100で時速350Kmに達するという。そのC100がボッ、ボッと頼りない、鈍いエキゾースト音でぼくらの前を通り過ぎる。と、BMW320にあっさりパスされた。ピットにたどり着けるのかな。エムデ氏の話によれば、各車とも5周でピットインして、給油、タイヤ交換、ドライバー交替をやるらしい。

 やがてC100がリアアクスルのトラブルから息の根をとめた、と知る。
あとはランチァ50番の独壇場だった。51番はタイヤトラブルなどから20周目にリタイヤしている。そこで変だな、と気付いた。なんと51番をドライブしていたパトレーゼが、いまでは50番の方にも乗っているではないか。パトレーゼ、パトレーゼと絶叫する場内アナウンスとラジオの声。2カーエントリーの場合、ダブってエントリーできる仕組みだった。Xという名前で……。なるほど、そんなのアリとは面白い。

 そのパトレーゼが高速ベントを物凄い勢いで駆け降りてきた。オフィシャルが青旗を出す暇もないほどのスピードだった。あっという間に先行するアスコナのINについた。高低差が激しいから、アスコナのミラーに50番の姿は映らなかった。気がついたときはもう、右後方から50番はパスしようとしていた。ハンドル操作とブレーキング。タイヤがロックして左に流れる赤いアスコナ。やった! 身を竦めた瞬間、アスコナは体勢を立て直す。パトレーゼも右のタイヤをコースからはみ出させながら、懸命に耐える。耐えながら高速ベントをクリアする2車。アスコナは50番の強引なパスを許さなかった。

 旗を出し遅れたオフィシャルをよく見ると、20歳前後の可愛いコちゃんだった。
午後4時54分、パトレーゼはシルバーストーン、モナコにつづいて勝利のチェッカーをうけた。2位はすっかりぼくらとお馴染になったシュトメレンのロンドー。日本車ではただ1台決勝に進出したRX―7が大健闘、総合6位、クラス優勝。この耐久戦、やがて10月の富士で再現される。  


*総合6位、クラス優勝と大健闘のRX-7  
 
 フィニッシュはメインスタンドから見た。レンズで捉えた表彰台。ドライバーの真後ろでカメラを向ける山本浩道オーテク氏の姿があった。きっとどこかの世界のモータースポーツ誌面を飾るに違いないぞ。そして、ぼくは誓った。これから日本に帰ったら、もっとドライビング・スキルを磨いて、いつの日か、このコースを走ってみせるぞ、と。 多分、この日の仲間は全員、同じことを考えたに違いない。それがニュルブルクリンクの魔力かも知れない。    

Ps その秋、ロルフ・シュトメレンの哀しい訃報が届く。アメリカのツーリングカー戦で激突死したという。 


*ニュルのボス・エムデ(左)、シュトメレン(中央)とチーフメカの各氏

*ホームストレート前で。今ではグランプリコースに変身。 

(註:この一連の『ピレリ遣欧使節団の記録』は「ベストカーガイド」1982年8月~11月号に連載したぼくのレポート『欧州クルマ見聞録』に、現在の記憶と想いを加えて書き直したものです)    
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Posted at 2011/12/29 01:27:06

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この記事へのコメント

2011年12月29日 3:10
掲載当時、局長のレポートを読んだ人も。そして今このブログを読んだ人もがみな、「自分もニュルを走りたい」と思ったことだと思います。

こんな風景が、いつか日本にも現出してくれればと願ってやみませんが……さて、いつになることやら(笑)
コメントへの返答
2011年12月29日 6:58
正確にいえば、「ニュルを走りたい」より「ニュルが走れるようになりたい」でした。

それにむかって、いつも心を燃やし続けているうちに、気がついたら、新しい高みに到達できていた、そう実感できるといいですね。

ガンさんというぼくらの「マスター・オブ・リンク」は、こうした時代にニュルに取り組んでいったのを思うと、あなたのいう「こんな風景」は、それぞれの中でうまれていて、それをどうやって結集できるのか。う~ん。
2011年12月29日 19:01
今のニュル24hレースでのレイアウトとは、当時は大きく異なるようですね。

現代では、例えばグランツーリスモなどでニュルのコースレイアウトくらいはバッチリ覚えられる時代ですので、その点では自分は恵まれた世代だなぁ~っと実感します。

もっとも、もちろんそれで満足する事なく、やはりあのニュルを1度でいいから走ってみたい、クルマ好き(運転好き)として憧れの気持ちはとてもあります。その前に、基本的なドライビングスキルの向上が急務ですが…苦笑
コメントへの返答
2011年12月29日 20:03
ご存知のように1985年にグランプリコースができて、いまのレイアウトになっています。
たしかに、ぼくらの作ったガンさんのニュルを走る映像や、グランツーリスモで、コースそのものはすっかり有名になってしまいましたが、原像を伝えたかった、、、、そこからのスタートでした。今でも走りたいですね。
2012年1月1日 3:20
明けましておめでとうございます。

ポルシェの巻からじっくりと読ませてもらいましたが、局長が根っからの車好きだということが伝わってきて、同じ車好きとしてとても微笑ましいです

特にニュル1000キロ観戦時の局長の興奮は、やはり局長自らレースに出始めたことが大きいですよね。

僕もモトクロスのレースを生で見ていると、もう走りたくてしょうがなくなるんです。

一度レースに出ると、もう病みつきになりますよね。

僕もやはり、ポルシェターボでニュルを攻めてみたいです。

その前触れとして、ガンさんのドライビングメカニズムを紀伊国屋で注文したので、届いたらじっくり読んで修行してみます!本当にニュルを走れるかはともかくとして(笑)
コメントへの返答
2012年1月1日 8:28
この新しい年を稔りあるものにしましょうよ。

そうなんです。あのニュル観戦で、すっかり、本腰でフレッシュマンレースに取り組みました。パルサーから、EXA,その次がミラージュCUP。最後はCITYで菅生の耐久レース。

ニュルは結局、20周は実走したかしら。

ガンさんの「ドラメカ」。感想をきかせてください。

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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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