~みんカラ仲間との「筑前の小京都・秋月行」②~
「ミ~ン」と、高らかに歌いあげてから、小さく息継ぎをし、「ミン、ミン、ミン、ミン、ミン」と確実に5回、「ミン」を畳みかける。そして「ミィ」とトーンを落として、一小節を完結させる。
「ミ~ン、ミンミンミンミンミン、ミィ」「ミ~ン、ミンミンミンミンミン、ミィ」
ひとしきり、ぼくの耳を楽しませてくれる「夏の風物詩」。ことしなって、はじめてだ。蝉族のセレブ、ミンミン蝉は暑さに弱いことで知られる。だから午前6時半にはじまったこの「演奏」も、朝の太陽が東側の11階建マンション越しに顔を出した途端に、ピタリとやんでしまった。ぼくの住む練馬区も、連日、37度を越す炎暑の暴力に悩まされているが、今日もまた……!?
いや、いや。ミンミン蝉が、そろそろ夏も終わりますぞ、自然の摂理に則って、メッセージを送ってきたじゃないか、と思い直す。と、少しはこの夏にめぐりあった出来事の、ひとつ、ひとつを吟味する元気がよみがえってきた。
6月末から7月中旬にかけては、連日の国会図書館通い。4年に1回、発祥の地・松山市で開かれる「正岡祭り」の前夜祭でプレゼンテーションする予定の『全国正岡姓MAP』つくりに専念。その過程でいくつかの〈宝の山〉に遭遇している。その一つが、筑前の小京都と呼ばれる朝倉市秋月の郷土歴史資料館に秘蔵されてきた「島原の乱」を描いた屏風絵に、たいへんなヒントがあることを知る。
その資料集めの最終日、「平成生まれのベスモ育ち」の大学生と知り合う。「みんカラ」名が「FRマニア」。訊けば、大分の国立大学で自動車工学を専攻しているという。
7月中旬、「正岡祭り」で3日間の松山滞在。最終日、「歴史の闇」を追って、正岡氏の秘密基地「渡瀬城館址」へ。お、まだ、この続編は書き上げていないぞ。
8月中旬、九州へ。もっとも、新しい「みんカラ仲間」の「FRマニア」君に「秋月」まで一緒に行くかい?と。そこへ「TAKU V35」氏が愛車、スカイラインV35を駆って合流してくれるという。萩の「波田教官」にも声をかけたところ、生憎の事情があって、次の機会に。
8月18日、TAKU V35氏のドライビングで、大分駅南口のロータリーで「FRマニア」君と、彼の仲間2人をピックアップして、大分自動車道に入った。で、顔合わせのミーティングのため、ひとまず、別府湾サービスエリアでコーヒーブレーク。それからの、甘木IC経由の秋月までの車中での白熱した会話は、いやぁ、一昔前のクルマ野郎のおしゃべりに負けないレベルであった。
*左から「販促ビデオ育ち」「ベスモ育ち」「チューニング派」とバラバラのトリオ
秋月は坂の町だった。街並みの右側を野鳥川が走る。ぼくらのV35は、案内板に素直に従って、町営の駐車場に滑りこむ。容赦なく降り注ぐ真夏の日差し。なには置いても、お腹を満たしたい。すぐに目についたのが、どっしりとした蔵造りの蕎麦店。
その店のローカル色を生かしたメッセージがなかなかだった。
「秋月にこんね。ほーんによかとこばい。うまからーめんば、たべてみんない。美味しかつば、つくって待ってちょるけん」
すらすらと読めたら、あなたはたいしたものだ。
さっそく、自家製の手打ち「ちぢれ麺」を注文する。
「厳選した小麦粉を青竹で打ち、真心をこめた麺です」
ここのご主人の技が、そう言わせたのだろう。
「秋月の澄んだ美味しい井戸水でコトコトとチキンをベースに仕上げました。あっさりとした醤油スープは、最後の一滴までいただける。秋月らーめん本舗秘伝の味」
「FRマニア」君が「コメント」でこう反応している。「細麺派の私も無言ですすりたくなる一品で大変美味しく頂きました」と。
腹支度をすませたところで、「秋月郷土館」へ。野島橋を渡ると、桜並木がみごとな木蔭のアーチを設えて、ぼくらを導いてくれる。潜り門を抜けると、庭園越しに、茅葺きの武家屋敷が生き残っていた。代々、秋月藩の要職を務めた戸波家の屋敷跡で、そこに、この日の目的である『史料館』が『美術館』とともに併設されていた。
東京からの電話の問い合わせで対応いただいた館長が、運よく在席していて、気軽に案内してくれる。真っ直ぐに「島原陣図屏風」の前へ。まず、圧倒された。右に秋月藩主・黒田長興の率いる武者行列。その数2000人。それを丹念に、一人一人を書き上げている「出陣図。左は籠城する一揆勢への総攻撃の模様を描く「戦闘図」。血なまぐさい風が、むっとたちのぼる。原城本丸を攻めおとそうと、石垣を登る秋月藩の軍勢と、すでに武器弾薬も、食料も底をついたにもかかわらず、それでも抵抗をやめない民衆。

*「島原陣図屏風」の「戦闘図」の一部。この中に3人の「正岡」氏の戦う姿がある。(『絵で知る日本史』25(集英社刊)より)
ぼくらの目は、その中から、「正岡衆」の旗印を背負った戦士の姿を求めた。
いた! 「出陣図」からは、馬上で胸を張る「正岡孫左衛門」と「正岡太兵衛」。そして「戦闘図」に目を移すと、本丸を目の前にした石垣にとりついた「正岡権三郎」を発見した。サッカーでいえば、トップ下の役割だろうか。上から一揆勢の投じる石が直撃しそうな、相当に危うい状況にいる。
では、「孫左衛門」たちは!? こちらは戦上手らしい。石垣と土塁に間で、右手に生首を下げ、周囲を睨み付けている。「太兵衛」もいた。なんと彼は石垣を登りつめ、左手が「犬走り」と呼ばれる狭い隙間に手がかかっている。
この3人が、戦いが収まった時、無事、秋月へ帰れたのだろうか。気になるではないか。
帰り際、館長がコンピュータから刷り出した資料を一枚、手渡してくれた。「秋府諸士系譜」と見出しがつけてあり、そこには、秋月藩に召し抱えられていた「正岡氏」の名前が並んでいた。その中に「権三郎」があり、「亡家系譜」と添え書きされている。
「これは、どんな意味でしょうか?」
ぼくが問うと、館長が口を濁す。
「何かの不始末を起こして、お家断絶とか?」
「そんなところでしょうね」
消された男・権三郎。主家を亡くし、やっとたどりついた新天地でも、島原の乱で武勲を立てたにもかかわらず、結局は安住できなかったのか。またひとつ、テーマが増えたぞ。
史料館を辞して、帰路に着く。野鳥橋の袂の茶屋で、トコロテンをいただく。他の4人はラムネを選んだ。あの日も暑かったなぁ。秋月の町を出たところを小石原川が横切っていた。川辺にクルマが駐められ、子供たちが川遊びをしている。犬たちも嬉しげに水浴びを楽しんでいる。久しぶりに見る、のどかな田園風景。それが妙に心に残る。
この小さな旅を終えたところで、「FRマニア」君と「TAKU V35」との交流がふかまったようだ。「FRマニア」のもちかける「スカイラインV37像」に対し、小気味よく、欠けている視点を指摘する「TAKU V35」氏。この大学講師の実績に、若い「FRマニア」君が素直に頭を下げている。いいねぇ、こんなやりとり。
明日の朝、またミンミン蝉の歌が聴けるだろうか。耳を澄ますと、どこか遠くで、熊蝉が男性的な演奏をやっているのが、伝わってくる。
もうすぐ、9月1日。筑波のメディア対抗レースが楽しみだが、前回優勝の「みんカラチーム」は準備万端かい?。
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ルーツ探訪 | 日記
Posted at
2012/08/28 16:39:52