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2013年05月06日

『風になったプリンス』への鎮魂の1冊

『風になったプリンス』への鎮魂の1冊 ~『ベストカー』'86年5月26日号の不思議~

 なには措いても、約束通りにガンさんの追悼文『東北・菅生で萩原光(あきら)が風になった日』をつづけよう。1986年4月7日の朝、菅生サーキットのウィナーズサロンで、《レイトンハウス》のチームメイト、萩原光と冗談を言い合いながら、テスト走行の準備をしていたところまでは、紹介済みだった。

 着替えがすむと、ぼくたちはピットに入った。
 グループA第1戦(西日本サーキット)でスカイラインとデッドヒートを演じてくれた本番車と、4月5日に購入したばかりのニューカー、MB190-2・3が並んでいる。
「どっちに乗るんだ?」
 ぼくが訊くのに、光はすかさず、答えた。
「本番車でたのみます」


*’86年度GrA第1戦、西日本サーキットにて。ガンさんのドライブで7番手から出て、2位まで上がったのだが……。右端の光のソックリさんが任(まこと)マネジャー

 彼はチームのファーストドライバーだ。ニューカーのテストは「当然、ぼくの仕事です」と、その目が語っている。
「よっしゃ」
 ぼくはMBに乗りこむと、先にコースに出た。7、8周したろうか……。59秒台が出たのでいったんピットインすることにした。スプリングとギアのレシオがいまいちでもあったから。
 その間、光は走っていた。聞くところによると、彼は一度ピットインしたらしい。
 だが、その走りっぷりは攻撃的で、しかも、繊細。ニューカーとの入念な対話がうかがえて、テスターとしても満点だ。《本番車》の調整のために、メカニックが部品を探している。
 レイトンハウスの赤城社長が「部品が届くまで乗ってきたい」という。ギア比の問題点をちょっぴりレクチュアして、ぼくは赤城社長の乗る《本番車》をピットから送り出した。


*GrA第1戦、西日本サーキットを沸かせた、長谷見昌弘との大バトル

 コースでは光のMBとトッペイちゃん(都平)のスカイラインがテール・トゥ・ノーズで周回している。快調に飛ばしている。
「やるじゃないか」と、ぼくは思わずニンマリとしたものだ。
 光のタイムが上がってきた。トッペイちゃんのスカイラインを引き離していく。

 突然、サーキットからエクゾーストノートが消えた。しかも、全車とも戻ってこない。おかしいなあ……ピットで誰かれとなく、つぶやきはじめたとき、コースの管理者がすっ飛んできて叫んだ。
「誰か、赤旗を降ってくれ! たのみましたよ!」
 と、消火器をもって彼もピットを飛び出していった。メカニックの若者が赤旗をもってコースにでたもののそれはなんの意味もなかった。1車たりとも戻ってこないのだから……。クラッシュだな、いったい、誰だろう――。

 レイトンカラーの16番が全開でピットロードを突進してきた。赤城社長が運転する《本番車》だ。
「消火器! 消火器を出してくれ! 光らしい。光みたいだ」
 クソ! ちっぽけな台所用の消火器しかない。ぼくとメカニックはMB16番に飛び乗って《現場》に飛んだ。

 すごい風だ。吹き荒んでいる。
 火が舞い上がる。もう、恐ろしいほどの火だ。クルマの中の黒い陰影、あれが光なのかっ!
 はやく! はやく火を消せ!
――ところが、消火器程度で消えるシロモノじゃない。まったく、手がつけられない状態である。光を包みこんだ炎が風にあおられて、右へ、左へ!

……30分ほど経過しただろうか。やっと鎮火した。火は消えたが、光は、サーキットの風になった。

 つい先刻まで、満開の桜のように輝いていた青年が、炭化して、真っ黒な物体に変っている。狂ったような炎に包まれて光は悲鳴ひとつあげることもできず、コクピットの中で、孤独な最期を迎え、あげく、無残な遺体になった。
 ★      ★      ★      ★      ★

もっていきようのない怒りがこみ上げる。がンさんは心の中で光に、詫びながら、誓っていた。

「強風と、なんの役にも立たなかったちっぽけな消火器。光の若い命を救えなかった原因は多々ある。けれども、なによりも先に、光に詫びなければならない。プロフェッショナル・レーシング・ドライバーと呼ばれるぼくたちが、それを仕事としたときから実行しなかった安全対策、ドライバー間の相互連絡機構など、先輩としての《やり残し》が次から次に、ぼくの頭に浮かんでくる。光、聞いてくれるか。きみの死を無駄にしないためにも、モータースポーツ界の矛盾を掘り起し、まず第一に取り組まなければならないのは、レーシングドライバーの安全対策だ。せめて飛行場にある化学消防車を各サーキットに配置してもらうよう運動したい」

 ガンさんには、あの富士スピードウェイでの多重アクシデントをはじめ、不幸な過去がある。彼自身が死に直面したレーシング事故もある。星野一義、松本恵二らと語らって、それからのガンさんが精力的に動いたのを、わたしは記憶している……。

 その前後の記憶を確かめるために、ベストカーのバックナンバーを洗うことにした。そして、驚いた。1986年5月26日号(発売は4月26日)、この1冊に「風になったプリンス」にかかわる、確かめたかったものがゴッソリ、集約されて掲載されているではないか。
その時の編集関係の総責任者は、わたしだった。表紙は当時、カネボウのCMで売出し中だった浅香唯さん。



いきなり巻頭のカラーグラビア6ページを割いて『ニュルブルクリンク発 ポルシェ959世界初試乗』。ドライバーズシートには徳大寺有恒が……。締め切りの時点でフィルムと原稿はまだ空の上。担当の宇井副編集長が絶望の悲鳴を上げていたのを思い出す。

そんな綱渡りも日常茶飯事だった。そのポルシェ959に魅せられて映画まで創ってしまったのが「レイトンハウス」だったという絡み合い。



活版ページは51Pから始まる。そこは「目次」が当てられていて「萩原光炎上死、その時何が起こった!?……115P」というタイトルが、わたしを誘ってくれている。が、ペラペラとめくっていく途中、見覚えのあるページが待ち受けていた。

「FRI・フォーカス」としゃれた題をつけ、見開きで萩原光の告別式の模様を伝えたのは、このページだったのか。アキラ専用だったF2マシンに花々を供え、アキラのパネル写真が飾られている。この葬儀は、あたかも鈴鹿・富士のパドックを再現したかのようだった。

「光にレースを許したとき、いつか、この日のくることはわかっていた。覚悟はしていたけれども、親として、この子だけはと……。お世話になった皆さんにご恩返しもできないまま、光は死んでしまった。でも、恩返しは弟の任(まこと)が光に代わってやってくれるでしょう」



 4月12日、告別式のあいさつで父、萩原本之さんが痛恨の胸中をのぞかせていた。

そうだった、この記事は、葬儀に出席したわたしが書いたものだと、記憶が蘇えってきた。小田原市の小高い丘に並ぶ墓標のひとつに、若い石肌をみせる光の永眠の場がある。光を弟のように可愛がっていた星野一義は、その墓石に水をかけたとき、はじめて「光の死」を実感したと漏らす。そして、菅生の事故の前日にも、光は鈴鹿でマシンが燃えてしまうアクシデントに見舞われていて、不吉な予感がしてならなかったと明かしていた。



「信じる、信じないじゃなくて、いっぺん神社へ行った方が……」

 エエ、と光は肯き、弟の任もウンウンという具合に首を縦に振ったという。
 そんなくだりを、「連載・シリーズ闘う男」のなかで、触れている。そして、モノクロのグラビアページ(157P) で、鈴鹿のピットロードで燃えているニッサンR86 Vを見せている。もちろんドライバーは光である。

 115ページ。「闘う男」の中で、ドキュメント風にこう記されている。

*4月6日(日)=鈴鹿*朝のウォーミングアップでアクシデント発生。アキラの駆っている日産グループCカーが炎上した。ちょうどストレートのオーロラビジョンの前に並行するピットロードでストップ、火を噴いた。レース出場は断念。耐久レースのスタートを見送る。スタート直後、マネージャー役でもある弟の任くんの運転で小田原の自宅へ。PM1時着。PM10時、東京。任君のマンションで仮眠をとる。

*4月7日(月)=AM5時*白のMB500を駆って一路、菅生へ。レイトンハウス取締役の八島正人氏、レーシングドライバーの影山正彦くん、それに任君の3人が同乗、交替でハンドルを握る。

▼AM8時45分▼菅生着 モーニングコーヒーを飲みながら、スタッフと雑談。そこへ黒澤さんが仙台から到着。ウィナーズルームで、ふたりで着替える。

 ここでやっとガンさんの追悼文とドッキングできたわけだが、ふっと気がついた。4月7日の命日は過ぎてしまったが、近く、小田原の萩原光クンの眠るあの高台の墓標を訪れてみようと。

あの笑顔が、今でも鮮やかに甦ってくる――。

「シリーズ 闘う男」のMEMO風ドキュメントをもう少し、つづけよう。

▼AM10時▼コースイン ガンさん《本番車》で周回。アキラはMB190-2・3のニューカーに搭乗。
▼AM10時30分▼MB190-2・3、第2コーナー沿いの山肌に激突、炎上。テール・トゥ・ノーズでアキラを追っていた都平選手の目前で火花が散った。駆けつけたレイトンハウス社長、赤城氏はホイールの色でアキラのクルマと判断。3月末到着したばかりのニューカーはカラーリングも白のままだったが、ホイールだけはチーム用を履いていた。

*4月8日(火)*AM1時、遺体となったアキラ、小田原の実家に着く。
*4月9日(水)*火葬。
*4月11日(金)PM7時、通夜。戒名・曹洞宗=新帰元超雲光徹居士。レース関係者が続々詰めかけて、アキラの死を悼む。そこはまるでパドックの再現だ。1昨年事故死した高橋徹選手の母の姿も……。
*4月12日(土)*本葬。桜の花が散る中、アキラ天に昇る。
▼PM6時▼忌中祓いの席上、あいさつに立った星野、慟哭、無言。

 ベストカーの122P、出版したばかりの萩原光の「俺だけの運転テクニック」が遺稿のかたちで広告されていた。わたしたちが、どれほど彼に期待していたか、一緒に夢をみようとしていたか。それがうかがえる。

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Posted at 2013/05/06 02:29:37

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この記事へのコメント

2013年5月6日 7:45
お早うございます。
何かコメント書こうとしたのですが、言葉が出て来ません…申し訳けございません。
コメントへの返答
2013年5月6日 8:52
いいえ。気がおさまったら、またコメントください。お待ちしています。
2013年5月6日 8:20
今も昔も大ファンである星野さんと萩原光のコンビの颯爽とした姿が目に浮かびました…高橋徹もでしたがレーシングアクシデントで将来有望なドライバー二人の死は当時かなりの衝撃を受けました…今みたいになんでもすぐ手に入りなんでもすぐ調べればわかってしまう時代じゃなかったからかもしれませんが昔のレーサーには華やかさよりも凄味と孤独感が両方漂っていたように感じていましたし本当に凄いなと憧れました。そしてレーシングカーもあんな車を全開で操るんだと思わせる明らかに市販車じゃ考えられない性能にうきうきしていました。それが今ではAT(2ペダル)で免許取ればその日から400馬力500馬力それ以上の車さえどこでも運転出来てしまうなんて…結局サーキットとは縁が無いままのカーライフになりましたが僕の中では今でもあの頃と何ら変わらずレーサーは別次元だと思っています。もしかしたら山道を走りながら星野や長谷見、松本etcの影を追い掛けているのかもしれませんね…それは絶対に見ることも掴むことも出来ない影なのに…局長、GW最終日とても色々な事を考えたブログでした。ありがとうございました。
コメントへの返答
2013年5月6日 8:51
一度は触れなければと、わが胸に秘めていたテーマです。

ガンさんウォッチャーとして通過しなければならないことでした。

まだかきかけですが、この項の終わり、追加分があります。一読ください。

ありがとう。
2013年5月6日 10:46
おはようございます。安全対策、やはり大切ですね。その動きのおかげで国内サーキットの安全対策が上がったと思います。(サーキットに行くと違いを感じます。)車のメンテナンスや何かの異常を感じることも大切だと思っています。
がんさんは、厳しい体験をされているからこそ、新ドラテクでの一文があるのだと思います。私もその言葉を胸に安全な楽しいドライビングを続けていきます。
コメントへの返答
2013年5月6日 12:17
こんにちは。

アキラ君の不運は、菅生サーキットが今の国際規格に造りかえられる直前の出来事でした。

むき出しの岩肌。いまはもうレインボーカーブとなっています。そこから下りのストレートになります。
2013年5月6日 13:47
こんにちは。こちらは昨日に続き晴天です。

萩原光さんが夭折された日が今年のGT開幕戦、メルセデスで闘うガンさん、怖いくらいにリンクしており、胸に秘めたものを出すのはかなりの大変だったと察し致します。

私自身、学生時代に某国際規格のサーキットでオフィシャルをやっておりましたが、一度2輪の重大事故(単独転倒)が発生し、サーキット側で出来る対応・対策をオフィシャル皆で議論した覚えがあります。ドライバーやライダーの順位もですが、命を預かっているオフィシャルの判断、コンマ1秒も無駄には出来ません。
コメントへの返答
2013年5月6日 13:59
そうですか。オフィシャルの経験は、貴重ですね。

やっぱり、30年ほど前、はじめてニュルブルクリンクを訪れ、WEC第1戦を取材したのですが、あのとき、オフィシャルの人たちの、統率のとれた、それでいて、そのことを心の底から楽しんでいる姿に打たれました。

ああ、ヨーロッパのクルマ文化とは、こういうことなんだな、と納得したこと。

このような対話のできる「みんカラ」、気に入っています。
2013年5月6日 22:56
言葉が出ません、私の今の語彙力では表しきれないくらい胸が痛いです。
私でこの状態ですから、当時の星野さんやガンさんは尚更・・・でしょう。
萩原さんがもし救出されればきっとセナプロと争っていらっしゃったのかなと考えこんでしまいました。

今年の4月7日は絶対に忘れてはならないと改めて強く考えさせられました。

しかしこの安全性の問題、モータースポーツにおいて絶対避けては通れないのも事実です。
絶対に風化させてはならない問題です。

コメントへの返答
2013年5月7日 4:57
おはよう。

それぞれがおのれの与えられた命を全うさせる。

そのテーマに、改めて挑む朝が来ています。都の西北の、茜色の空。地平を這うように広がる低い山並み。5月7日の朝。

新しい「命を確かめる旅」が始まります。

「ナニシテル?」の特別版を送ります。
2013年5月7日 11:15
おはようございます。

当時、ハコが炎上するなんてありえないと思っておりましたので
この事故はとても衝撃的でした。
ご健在であれば、今のレース界をけん引するお一人になって
いらっしゃたことは間違いないのでしょう。

ブログを拝読して命の尊さとはかなさを改めて考えさせられました。

コメントへの返答
2013年5月8日 12:00
こんにちは。
いろいろあって、レスポンスが遅れました。

ハコのレースで炎上死亡事故が起こるなんて、あなたの言うようにありえません。小生も菅生の裏のダンロップコーナーの出口で亀の子になっていますが、あのころの菅生は今と違って、ハイスピード・サーキットで、とくに第2コーナーは危険でした。

命を守る万全の備えを、あの当時のレース界が怠っていたのは、事実です。
いまも悔しすぎる事故です。
2013年5月8日 19:46
大学生のころ後輩が、ラリーコースの下見に行き、運転を誤り崖から落ちて死亡したことを思いだしました。Dr.ヘリがあれば助かったかもしれません
コメントへの返答
2013年5月8日 21:51
そうした哀しい記憶が、誰にでもあるんですね。

お元気ですか?
2013年5月10日 0:57
こんばんは。読ませて頂いて、目頭が熱くなりました。とても貴重なエピソードを教えて頂いてありがとうございます。まだまだ私が3歳の頃の出来事で、全く存じ上げませんでした。
今、私たち現役でレースに挑戦でき、素晴らしい世界を堪能できるのも、光さん他多くの方の命と引き換えに成り立っている事だと思います。
私も今月19日のチャンピオンレースが控えております。練習も含めて、感謝の意と、そして後輩として輝かしい戦いを演じれるように邁進して参ります。
コメントへの返答
2013年5月10日 8:01
はじめまして。

ガンさんと同じ御殿場ですね。機会があったら、あなたのレースを見させていただきます。

高橋徹さんのアクシデントも、身近で体験しました。それらを乗り越えて、挑戦していく新しい人に期待しています。
2022年7月23日 17:13
この号。この表紙。この写真。今でもよく覚えています。数年前まで実家に置いてありました。
コメントへの返答
2022年7月24日 10:36
たぎっていたあのころの情熱。それなりに記憶に残る仕事ができていたこと。これからの元気の素になってくれるといいですね。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「突貫小僧の3番森下のまずい面が露呈して延長11回、2死満塁をものにできず巨人にしてやられた。勝負は8回裏の同点無死満塁で打席に立った森下が力みすぎて、自打球を左膝上にあて。なんとかで席に立ったのはいいが³三塁ゴロ併殺で好機の芽をつで9回で退場、その結果11回の逆転機に不在。残念!」
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