〜ちょっと気儘な『ぶらり、さんぽ旅』③〜
野郎(おとこ)って奴は、いくつになっても「サーキット」に足を踏み入れると、すぐに頭に血をのぼらせ、熱くなってしまう……そんな、まことにお目出度い存在であるらしい。
眼下に広がるF1グランプリの舞台が、たとえ、突然の雨で目隠しされようと、こころはすでにシンガポール市街地サーキットを走りはじめていた。が、実際のレースは真夏の夜間、1600の灯光器に照らし出されて開かれる。それに、現在は取り払われている観客席やコースの両脇をかためるガードフェンスも、イメージする必要があったが、なぜだか、初めて見ているはずなのに、既視感がある。
*スタート直後のターン1とターン2のS字シケインで始まるこのレイアウトは、アデレードと全く同じ仕掛けである。
シンガポールの中心地にある海沿いのプロムナード公園と、市街地を組み合わせた1周5キロ強のこのコースは、かつてオーストラリアGPの舞台となったアデレード市街地サーキットと同じ設計者の作品だという。
なるほど、と頷けるコース・レイアウトだった。グランドスタンド前のスターティング・グリット。最初に試されるのはS字シケインへの飛び込み。そこを抜けてからすぐに市街地ストリートを利用したストレート加速。そして待ち受ける直角コーナーの連続。
ここは反時計回り。アデレードとはマシンの荷重のかかり方のリズムは逆になるが、路面はフラットだし、MACAOやMONACOのような山側セクションもないので、概ね、よく似ている。
こんな風に、走ったこともない市街地特設サーキットを、さもわかったように、講釈できるのも、45歳で年甲斐もなく富士フレッシュマンレースに挑戦したことからはじまった「ハーベスト(収穫)」ではなかろうか。つまり、アデレードも、マカオも、実際にレースの競技者として、わたしが参加してきたからこそできる、このイメージの営みを、いまは誇らしく受け止めている。
特別に、わたしのなにかが優れていたわけではない。クルマメディアに関わって生きて行くからには、ある程度のドライビング・スキルを理解したい。単純にそれだけの動機ではじまったことなのだが、幸いにも、その「野郎のわがまま」を貫いて行ける環境を、いろんな人々にサポートしていただけたにすぎないのだが。
たとえば……1985年11月1日~3日の3日間、オーストラリア・アデレードで開催された「F1グランプリ」の前座レースに招待された夢のような記憶。なんでも三菱が冠スポンサーとなって、当時、オーストラリアを中心に製造・販売されていた「コルディア」のワンメークレースをやるから、ぜひエントリーしてほしいという要請があった。元プロのレーシング・ドライバーとアマチュア現役の有名人が二人一組となって、ジャック・ブラバムやバーン・シュパンといった世界的な名ドライバーと、新設された市街地コースで競うというのだ。
その時の日本人チームのプロ代表として招待されたのが、元いすゞのワークスでいまはモータージャーナリストで活躍中の「S・Asaoka」(註;浅岡重輝さん)と、富士フレッシュマンレースで奮闘中のクルマ雑誌の編集局長である「S・Masaoka」。「M」を削れば全く同じ名前じゃないか。
これでは現地TV実況アナウンサーが混線してしまうのも無理ない。帰国して見せられた中継録画で、いいポジションで、コーナーを綺麗に抜けていく日本人ドライバーを絶賛している。
「ジャパンから来たジャーナリストのエス・マサオカがファンタスティックなドライビングをしているぞ!これは速い!」と。
実はこのエピソード、「みんカラ」(2012年02月28日付けの『浅岡重輝さん、衝撃の証言』)で一度、紹介済みである。このときの詳細な記憶を、一度は纏めておきたい。なにしろ、予選9位(出走17台)からのスタートで、結構冷静にスターターの合図を待っていた。と、赤ランプが点灯した。慌ててエンジン・スイッチを切った瞬間、赤ランプが青に変わって、周りのマシンが一斉にスタート。え!?である。そのころの筑波や富士は競技長の振り下ろす旗を合図にスタートした(と、記憶しているが、実際はどうだったかな?)。迂闊にも、つい、その錯覚にはまったわけだが、よく後続車にお釜を掘られなかったものだ。それでも7位でフィニッシュしたのだから、お粗末なスタートのミスさえなければ、なんて強がった記憶がある。
MACAOは1987年、ミラージュで出走。その模様は「ベストモータリング」創刊第2号に収録されているが、どちらもサーキットを走りながらの「特設記者席」と解釈すれば、それなりの得心はいただけようか。
雨があがるのと歩調を合わせて、ゴンドラも1周を終えて、静かに停止した。
それからのわたしは、たちまち「カメラ小僧」に変身してしまう。ゴンドラに乗っている間にインプットしておいた、注目ポイントを目指して、真っ直ぐ駆け出す。この市街地F1サーキットの公道部分は別にして、ピットやパドックに用意されているゾーンには、いつでもウォーキングしながら、近づけるとわかったからだった。
さてそこからは、実際に撮ったショットで、スッピンの市街地サーキットをご紹介した方が、いいだろう。なにしろ、5月に入ると、シンガポールは9月の「F1グランプリ」にむけて、早々とお化粧の準備に入ってしまい、素顔を見ることができるのは「いま」だけだという。それでは、ご覧あれ。
*これが最終コーナーにアプローチするターン22.まっすぐ行けば、海が待っている。
ああ、今年の9月は、何は置いても、この目で「ホンモノ」を確かめたい。ひょっとして、それが「野郎の夢」の最後かもしれない。どうかな?
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78歳の挑戦 | 日記
Posted at
2014/04/01 01:04:19