〜あの将門の再来か? ドリキン、筑波に降臨す!そのⅢ〜
JAFの公認準国内競技となっている「ドリフトマッスル」という競技をナマで見るのははじめてだった。
Hot-Versionが全戦(6戦)をトレースしてくれるので、それなりの予備知識はあるものの、正直いって、どこでどういうふうな採点で優劣がきまっているのか、よくわかっていない。ちょうどいい機会だ。メディア対抗の決勝レースが始まる午後4時までの時間を使って、ぜひ覗いてみよう。そう決めて、独り、カメラをさげて第1ヘアピンをあとにした。
パドックのあちこちが共催イベントで華やかに盛り上がっている筑波サーキット。人波を掻き分けて、そのFゲートから一旦、外へ出てオーバルコースのフェンス沿いに「コース1000」を目指した。ふりそそぐ初秋の陽射しが眩(まばゆ)い。道の左側は遮るもののない田園風景。その向こうで、筑波の山塊が孤独な佇まいでこちらをみつめているのが、なぜかその時、印象的だった。
右手に本コースの第2ヘアピンからバックストレッチに伸びるフェンス。ダンロップブリッジがその向こうに……。二つのサーキットの位置関係がよくわかった。
ドリキン土屋圭市は、田舎芝居の舞台のように、一段高く組み立てられた審査席にいた。この競技は派手にドリフトする姿を競うのではなく、審査開始のポイントからゴールまでドリフト状態を維持していく技術とタイムを競うものなので、それを採点する審査委員の真剣さは格段だった。こちらから声をかけるのも憚れるピリピリした空気が張りつめている。土屋君と目が合った。「来てるよ」「うん、わかった」言葉のいらないコミュニケーションの成立がうれしい。彼との関わりについては、AE86 が復活した2012年4月に
『ドリドリ土屋圭市、降臨! ベスモDNAとHV115号』と題して紹介済みなので、ご参照のほどを。
「マッスルクラス」の勝ち抜き戦は、まだ続きそうだった。2台の競技車が、先行と追走の役割をお互いが入れ替えながら、三つの小さなコーナーを持つ助走区間を並走する。そして勝負の審査区間飛び込み、待ち受ける三つのコーナーを、ドリフト状態を保ちながら、白いタイヤスモークを残して駆け抜ける……なるほど。しばらく観戦したところで、「メディア対抗」の本舞台の方へ戻ることにした。
さてここからは、当稿のテーマとして謳っている「ドリキン土屋圭市、筑波に降臨」のシーンまでは、フォトストーリー風に、画像を柱にして進めようか。
再びパドック広場に戻り、ここは「carview/みんカラ」チームに挨拶を、とピットを探していると、お昼から別行動をとっている若手二人組に同じ「ベスモ同窓会」の常連メンバーの「moto’91」君が合流して、出迎えてくれた。決勝スタートのPM:4.00まで、まだ1時間近くはあるようだ。

ーー
特設イベントステージでは、決勝スタート前のセレモニーとして、壇上に出場チームを順に紹介し始める。サングラス姿の中谷明彦君がいる。むかって右端にカメラマンの北畠主税君のはしゃいだ姿も。
どうやら時間が押していて、すでに各車のコースインが始まっている。慌ててピットの屋上テラスへ。見下ろすと#86がすでに押しがけでピットロードに並んでいる。グリーンのヘルメット。ファースト・ドライバーは、本田編集長から秘かに聞き込んでいた通り、「ドリフトマッスル」の会場にいるはずのドリキンをぶっつけてきたのだ。ま、後のスケジュールとの兼ね合わせもあるだろうが、タイヤの温まらない序盤に、そんな状態ならお任せ!のドリキンの投入。これは面白いことになるぞ。
それにもう一つ。各チームがエースドライバーを投入するのは後半が多い。ところがもうその時にはライトON.。観客にはその走りはよく見えない。その点、第1走者ならその心配もないしHot-Version
のような映像媒体には夜間は禁物。本田君の遠慮深謀、なかなかなものだ。、
*「マッスルドリフト」会場から急行してきたドリキン、迎えの車の中でレーシングスーツに着替えていた。いよいよコースイン(Photo by MDi)

(photo by MDi)

(Photo by MDi)
ペースカー先導のフォーメーションLAPのあと、16時15分、27台がスタート。こちらはそれを見届けたところで、予選と同じように、第1ヘアピンに移動。金網の間から200mmレンズを突き出し、これと思うマシンを速写する。そして、唖然とする。5周目で予選3位から出てトップを行く実力派の#27(Tipo)と、予選1位の#55の背後に貼りついている#86。ドリキン土屋の筑波降臨のシーンがやってきた!
この項、ひとまずここで、小休止。インターバルをおいて継続します。ここからが、いいところ、書き込みたいところです。お了承あれ!
ここから再開!
第1ヘアピンから消えると、#86はきっかり1分12〜13 秒で戻ってくる。後続車はどんどん背後で小さくなっていった。場内向けのアナウンサーが一段と声を張り上げた。「土屋選手が到頭、遅れて前を行く集団の中に突っ込みました。あ! それもあっという間に追い抜いて、次の獲物を狙っています。ただ1台、12秒台で周回しています」
抜かれた側には、抜かれたという意識はなかったろう。何者かが近づいてきた、と気づいた瞬間に魔神か何かが、ひらりと抜けていった。そんな感じではなかったろうか。
このままヘアピンに頑張ることもなかった。それに助っ人ドライバーに与えられた40分も近くなった。そろそろ、Hot-Versionチームのピットに、こちらも戻るとするか。

*
*はやくもドリキン一人旅
*ご覧ください、このタワーの掲示板。20周が過ぎて、Hot-Versionがトップです、トップです。2位にはピストン西沢が上がってきています! 田部靖彦君なら、こう賑やかに解説してくれるだろう。
*ピットではリアルタイムで状況が把握できる。#86だけが1分12秒台で周回。あとは1秒以上のタイム差がある。
*車載カメラからの映像もバッチリ、リアルタイムで、ピットでキャッチできる、だからドリキンがどんな走りをしていたか、すっかり堪能できた。Hot-Version10月8日発売の号が待たれる所以だ。
*ピットでの2分STOPというハンディキャップを消化する土屋圭市。
*40分の走行を終わって、どんな走りを心がけたかを語るドリキン。
第2走者の仁礼義裕君がピットを出て行ったところで、パドック内にある多目的ブリーフィング室で一休み。
目の下が、S字カーブからブレーキングしてヘアピンに進入するポイントだった。ドライバーのステアリングワークがよく分かる。土屋君はこうしたコーナーを、新しいNDで攻めたか。ぜひ車載からの映像で確かめたいところだ。
一息ついた。そこで、後半のレース観戦はカットして、このまま東京へ帰る提案を、若手2人組にする。実は、土屋君の走りにあたかも鬼神が乗りうつったかのようなオーラを感じたわけを、もう一つ掘り下げたくなったのだ。
その夜は、結局、その探索は空振りに終わる。翌日……。
『湖水の疾風(かぜ)・平将門』の上・下巻を書棚の片隅でやっと探し当てた。
著者、童門冬二、学陽書房、1993(昭和68)年刊。
−−−−美しい湖水に囲まれた東国の地に、理想の王国を築こうとした男の夢と戦いの日々!
「うん、これだ!」
上下巻、それぞれの表紙カバーの絵の印象が、深く、記憶に残っていた。上巻は湖畔を疾駆する5頭の騎馬。馬上の武者は矢を背負い、左手に弓。下巻は台地から波立つ湖を睥睨(へいげい)する武将。多分、平将門を著したものだろう。なんとも叙情があって、しかも力強い。装画・榎俊幸とある。
早速、時間を見つけては読み返した。図らずも、メデイア対抗ロードスター4耐観戦のため筑波に向かう途中に見た「石下」と「豊田城」が、平将門を思い出させ、さらに数日後に鬼怒川決壊のニュース映像とひとつになった、不思議な記憶の融合はどこから来たのか。その原点らしきものにたどり着いたらしい。
そこで一つ、この作品の導入部分から、1100年ほど昔の「筑波サーキット」あたりの状況と将門との関わりのある描写を拾い出してみた。
★ ★ ★
都の朝廷の許しを得て故郷へ戻った滝ノ口守衛の武士・平将門が最初に手がけたのは、伯父たちに横領された父の遺領を取り返すことだった。
父の良将(よしまさ)が支配していたのは下総国の豊田郡四郷である。やがて将門が拠点とする猿島郡七郷はその西方に隣接し、鬼怒川と渡良瀬川にはさまれた地域で、古くから何度となく氾濫が起こる大沼沢地帯である。
しかも、この二つの大河川の間を、おびただしい小河川が南流し、一大湿地帯となっていた。その中に浮島のような地域がいくつもあった。稲を育てることには不向きなので馬を飼っていた。川や沼や池が自然の柵となっているからだ。鬼怒川は毛野(けぬ)川、絹川あるいは衣(絹)川と書いた。鬼が怒ると書いたのは洪水時の勢いがすさまじく、鬼のような暴れ川だったからだろう。
そんな、父の領地だから、いつも不安定で貧しかった。しかし、将門はそこに光明を感じ取っていた。この地帯の官牧(国有の牧場)で預かっている高句麗の馬は脚力に優れている。それを育て、思いっきり疾駆させ、馬上から矢を射るようなことができたなら……。
「馬が武器になる」
その発想こそ、やがて来る武士の時代幕開けの引き金となる。
五年後、東国の地を疾風のように駆け抜ける強力な騎馬軍団が出現する。その先頭にはいつも将門の姿があった……。たちまち将門は東国武士団の頂点にたつ。その噂は直ちに都に伝わった。
★ ★ ★
いつしか、馬がクルマにすり替わっていた。筑波を独走疾駆するドリキン土屋圭市を、鬼神となった「平将門の再来」と表現してしまった《源流》はこれだった。どこかで新しい情熱がブクブクと湧き上がってくる。そうだ、あれをなんとか創りあげよう。《土屋圭市ドリキン伝説》という、ある時代、若い世代が貪るように読んでくれた彼のレーシングドライバーとしての自叙伝。あれを電子BOOKとして再生したくなった。
土屋圭市君も「いいですよ」という。また、忙しくなりそうだ。
*ライトON! ひたすら、次の仲間ドライバーにバトンタッチするために周回を重ねる。耐久レースならではのこの光景。1000年も昔、この辺りを疾駆した騎馬軍団の幻が故地・筑波サーキットに出現しているぞ、といったら、キミは笑うか?。