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正岡貞雄のブログ一覧

2019年12月02日 イイね!

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係〜プライベートB L O G『新・正岡ワールド』へもどうぞ〜

 毎度のことながら、ブログアップが滞っていて、今回もまた月刊誌ペースとなってしまった。(この稿にとりかかったのは11月30日)
もう11月も終わってしまうじゃないか。それでも毎日、7〜800の「みんカラフレンズ」が無駄足と分かっていても訪れてくれているのに、そんなことでいいのかい?

 そんな風に己れを叱りつけてから、リビングにあるT Vのリモコンを取り上げようとして、ヒョイと目が止まるものがある。朱(あか)い南天の実だ。ほっそりと頼りなげに付き添う葉っぱと一緒に、白い一合徳利に投げ込まれていて「おっ、いいね」と家人の心遣いに、ちょいと頭を下げながら問う。

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「この南天はどこのものを?」
「十三重の塔から」
「あ、そうだった。この徳利は美濃だったっけ?」
「砥部焼じゃなかったかしら」
「そうだ。梅山窯に寄った時のだな」
「窯の名前だけは、ちゃんと出てくるのね」

  砥石屑から生まれた四国・松山南郊の砥部焼。白磁とはちょっと風味が違う、そのザックリした温かみが気に入っている一合徳利に、つい先日、東京から1200kmほど離れた九州・佐伯(大分県南部)の十三重塔を訪れたときに、その草叢の中から南天の実を枝につけたまま、上手に持ち帰っていたのを、今朝は挿してくれているのだ。

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この日は昼前に来客があることは家人に知らせてあった。お土産には長野の林檎でいいかしら? うん、そうしてくれ。
 
 南天の実を無断でいただいてきた不思議な歴史的遺造物・十三重塔のある佐伯は、海と山と川がうまく調和している人口6万の古い城下町で、家人の生まれ故郷でもある。11月18日から3日間、既に物故してしまったご両親の墓参を兼ねて、短い里帰りをしてきたばかりだった。

 佐伯のことを説明すると長くなる。ともかく大分空港でタイムズレンタカーの日産ノート(1.2ℓ)をピックアップし、その日は佐伯市内の新しいホテルに一泊。次の朝、そのホテルが戦国時代の末期まで豊後南部を支配していた佐伯氏の居城、栂牟礼(とがむれ)城址のすぐ傍だとわかって、両親の眠るお墓に向かう道すがら、これまで何度か踏査している、山が一つすっぽり城址となっている麓の集落に立ち寄った。その入り口にある十三重塔のあたりからの眺望が、わたしのお気に入りだったのだ。

 改めてその日のスナップショットをチェックしてみると、なるほど朱い色が一塊、栂牟礼の山陵を背景にして、映っている。間違いない。それにしても家人は手折った南天の枝を、どうやって持ち帰ったのだろう。

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 この佐伯のことを説明すると長くなる、と断っているが、実はその辺の事情を詳しく、わたしの個人的な作品を収録してあるブログ『新・正岡ワールド』の中の『幻のルーツ探訪譚 風早記』(どうぞクリックを)にぜひ、お訪ねいただけると嬉しい。

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 その中の「第1部」の「速吸ノ瀬戸」につづく「豊後御手洗一族」の項で、室町時代のこの地方を支配していた佐伯氏の古城址探訪記(どうぞクリックを)を掲載している。

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*大分空港からの小さな旅のお供を務めてくれた日産NOTE
     ☆ ☆ ☆

 その九州・佐伯に旅立つ直前の11月14日、ベストモータリング同窓会幹事の「CMO」さんからLINE連絡が入った。そのやりとり。

「局長、11/20のタイカン発表会には行かれるのですか?」
「いや。ちょっと家人のお供で旅に出ています。帰りが19日の夜なので根性があれば、行くでしょう」
すかさず、返信があった。
「左様でしたか。お疲れ様です。わたしのクルマもようやく仕上がりましたので、落ち着きましたらお披露目の日程を調整させてください」
「ありがとう。30日の午後はいかが?」
「30日の午後、大丈夫です。よろしくお願いします」

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*デビューしたPORSCHEタイカン
 テスラか。愛しんでいたB M W のアクティブ・ハイブリッド3を手放したCMOさんが、宣教師さながらに強烈にテスラSを布教しているオーナーと一緒にわたしの前に現れたのは、3ヶ月ほど前だったろうか。関越自動車道を川越から三芳のS Aまでステアリングを握って試乗させてもらったが、これは麻薬のようなクルマだな、と直感した。そのステラSをワンランク、コンパクトにしたNewカーがCMOさんのもとに届けられ、その時の約束を几帳面に守ってくれたわけだ。

 11月29 日の朝、LINEがコールする。
「おはようございます。急に寒くなってきましたね。明日は何時ごろお伺いすれば? あと、テスラ モデル3は下が低くなって腹下を擦りそうですので、マンションの駐車場をお借りせずに近くのタイムズに停めようと思います」
「おはよう、です。午後3時から、マンションのクリスマスツリーの飾り付けを子供たちとやります。そのため、あまり時間はありません。鎌倉パスタを予定していますので。午前11時半にこちらに来れますか?」
「早めに伺いましょうか? あと鎌倉でなく別のお店でもいいですか? あそこだと炭水化物を摂りすぎてしまうもので……笑」
「了解です。こちらも同じです」

 30日の朝はこちらからLINEした。
「おはよう、です。クルマはマンションの前につけ、そのままサンライフ練馬へ行きます。そこでランチしましょう」
「承知いたしました。これから伺います」
 
 約束の時間の5分前、ソロソロ迎えに出ようと4階のエレベーターの前に立っていると、ガラス窓越しの眼下に、ちょうど純白のモデル3が滑るようにアプローチするのが見えた。マンションの正面にある御神木、ユリの木はすっかり葉を落としてしまっていて、すらりと伸びた枝越しに見えるステラの姿態。期待感が疼き始めた。

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 モデル3に近づくと、すでに運転席から降り立っていたCMOさんが助手席側のドアに手をかけて、さあどうぞ、という感じで開いてくれる。うん!? ドアにはヒンジらしいものもなく、ブラックの太いラインがあるだけで、その右端にあるボタンを押す。と、レバーが突き出るように現れ、ドアが大きく開かれたのである。
そして……シートに腰を沈めると、コックピットにあるのは、大ぶりなステアリングとiPadの化け物のようなディスプレーが一つ、真ん中にドンと据えられているだけだった。なに、これ!?この異次元な世界への招待に、いささかわたしの腰は引けてしまっていなかっただろうか。
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 モデル3は音もなく滑り出した。すぐにレストラン『月と風』のあるサンライフ練馬に差し掛かった。銀杏並木に差し掛かった。
「お!!」 
CMOさんと同時に息をのんだ。晩秋の陽光は斜めに射しこんで、銀杏並木が黄金色に燃え立っていた!
「(食事の)あとで、あの並木の下でモデル3の走りを撮りましょう」
頷いてくれるCMOさんは、プロと言ってもいいほどの撮影技術の持ち主であった。                 (以下、次回へ)

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Posted at 2019/12/02 23:09:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年10月26日 イイね!

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

〜まるまる「4ヶ月の空白」をお詫びするためにも〜 


 令和天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に次いで夜の「饗宴の儀」が無事はじまったのをT V中継で見届けたところで、まるで遠足にでも行く気分で、出掛ける準備をはじめた‥‥‥と書き出したことで、わたしの体調と、それに呼応する気力がかなり、回復したのがお分かりいただけるでしょう。

さて、まず愛用のカメラを納戸から取り出し、バッテリーをNIKONの専用チャージャーに嵌め込み、充電コンセントに差しこむ。つづけてMICRO SDアダプターがチャンと入っているかどうかを確かめた。ま、レンズは300mmを持っていくほどのことはないだろうから、標準だけの一本にしよう。
そうだ、東京モーターショーの会場めぐりは資料をゴッソリいただくので、手提げのバッグより小ぶりなリュックの方がいいだろう。そして大事なPRESSパス手続き用のカードの入った封筒を確認する‥‥‥。これでO Kかな。

     ☆    ☆    ☆
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『第46回 東京モーターショー 2019』が一般公開される10月25日から11月4日までの日程で、東京ビッグサイトとお台場周辺エリアの複数会場で開催される。テーマは「OPEN FUTURE(クルマの未来を拓く)」とある。それに先立っての23日の『プレスデイ』と24日の『祝賀レセプション』だけは出席するのを、ワクワクしながら待ち受けていたのである。
 自動車メディアに長年関わってきた習性から、やっぱりこのお祭りと無縁ではいられない。想い起こしてみれば、わたしが講談社からの特命を受けて、創刊を志した『ベストカー』(1977年)も『ベストモータリング』(1987年)も、決まってその創刊発売日は「東京モーターショー」をターゲットに設定した。その頃は200万人のクルマファンが千葉の幕張メッセまで熱くなって押し掛けたものだったが‥‥‥。

 10月23日の朝の空は見事に晴れわたっていた。午前9時前にはわがマンションを後にした。臨海副都心へ向かって練馬から地下鉄大江戸線で汐留へ。そこからは「ゆりかもめ」で東京湾の景観を楽しみながらビッグサイトへ向かう肚つもりであった。
すでに午前10時。通勤時間から解放されているのか、大江戸線は「都庁前」からは座席に収まり、iPhoneを取り出すことができた。早速、face bookでベストモータリング同窓会の若手幹事の岩田和馬君(いまやWebマガジン=カーウオッチのスタッフ)が、3時間前の7:03にメッセージしているのを確認する。

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*この夏の「筑波メディア対抗4時間レース」で岩田和馬君と

「ビッグサイト、快晴! 今日は東京モーターショープレスデーです!」

 おお、早々とご苦労さん。そうか、現役は7時の受付開始時に行かないと、プレスルームに席が確保できないンだったな。往時を思い出す。で、早速、返信。

「ぼくもそちらに向かっています。よろしく」



 地下鉄大江戸線の汐留駅から「ゆりかもめ」に乗り換えるには、ビルの5階分を駆け登るタフな足を要求された。加えて迷路を抜けるような複雑なルート。もちろんエレベーターはあるものの、それがまた探すのも厄介だから、結局、衰えかけた脚に頑張ってもらうしかなかった。

 そのご褒美か、滑らかに走り出したモノレール「ゆりかもめ」からの東京湾に広がる眺望は、また一段と変貌していて、言葉を失うほどのものだった。竹芝、日の出、芝浦埠頭を過ぎると、お台場に繋がるレインボーブリッジに差しかかる。真向かいに豊洲から突き出した地帯にオリンピック選手村などの新しいビューポイントが‥‥‥。

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 慌ててリュックからNIKON D5200を取り出し、ピントを合わせるべくレンズを軽くひねってやる。おかしいな。ビューアーの捉えた景色が、どうも暗すぎないか。あっと気がついた。慌ててバッテリーがお収まっているはずの下側の蓋をプッシュしてみた。あ、ない! バッテリーを充電しようとして、そのままだったのだ。いまさら自分の迂闊さ、そそっかしさを責めてもはじまらない。即座にiPhoneのカメラにシフトチェンジするしかなかった。そんなこともあろうかと携帯バッテリーだけは忘れずに用意してあるから、会場に着いてからの撮影取材も、なんとかなるだろう

 10:45。東京ビッグサイト駅着。お馴染みの会場は目の前である。まずはプレス専用ルームのある会議棟6Fへ。素晴らしく長いエスカレーターで一気に2Fフロアーから登っていく。これでやっと「東京モーターショー」にたどり着いた気分になる。

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 登りは右のレーンで、視線はどうしても下りながら接近してくる左側に行ってしまう。そして顔見知りとすれ違うときには「やぁ、やぁ」と目で挨拶を交わす。こうやってモーターショーへ足を運ぶのも、日頃、ご無沙汰している知己と逢えるからで、今回も誰とどれだけ逢えるのか、それが大きな愉しみであったのを想い出す。

 にもかかわらず、この降(くだ)って来るエスカレートに向かって、だれ一人、挨拶を交わすこともなく、あっさり6Fに着いてしまった。初めてのことであった。
 6階フロワーは国内外のプレス、メディア関係者のワークスペースとして解放されていた。入口でプレスカードのQ Rコードをピッとやってもらった後、黒布地の大ぶりな、肩にかけられるトートバッグとモーターショー定番の『自動車ガイドブック』の交換券を受け取ることで、やっとプレス関係者の儀式をクリアした。

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 いや、忘れちゃいけないことが、まだ残っていた。ランチの箱入りサンドイッチをいただき、その後、珈琲をいただいたら、いよいよ今回の『東京モーターショー2019』をどう料理したものか、狙いを定める段取りだが、83歳の報告者も4月ぶりに取り組んだレポートである。ここらで一旦、小休止するのをお許しいただけるだろうか。

その代わり、この後、まず西棟から南棟を訪問した中身の予告がわりに、わたしの目を惹いた出展車の姿を紹介しておこう。では次回の更新を待たれよ。

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*西棟から入るとまず SDZDKIがこれで勝負してくる
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*NIssanのワールド・プレミアはこれ!
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*TOYOTAはいっさいブースにはNEW CARを展示してないが、これはいい!

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*え!? 大坂なおみとの2ショットとは? 次回はこのあたりからレポートを。
Posted at 2019/10/26 01:54:50 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年06月26日 イイね!

『みんカラ歴8年』をチョイと深掘りしてみようか

『みんカラ歴8年』をチョイと深掘りしてみようかその最中に「緊急ニュース」が飛び込んできた!  

 ご親切に、というべきか。いや、ありがとう、と叩頭(こうとう)すべきか。
6月に入るとときまって『みんカラ編集部』から「minkara Anniversary!」のロゴのついた祝い旗と一緒に、<この一年の、みんカラでの思い出を振り返ろう>とメッセージが送られてくる。

  それが今年も律儀に届けられてきた。にもかかわらず、ちょうどその頃は、5月末に撮影された《亡き巨匠・徳大寺有恒を改めて掘ってみよう》というファッション系WEBマガジン『Forza Style』での新しい仕事で、わが心、ここにあらずの状態にあった。いくら体調が回復しつつある、とあちこちに広報していても、どうにもPCに向かうエネルギーが集中してくれなかった。いかんなあ。

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*徳大寺さんが40歳代後半から住んだ世田谷区西郊の岡本地区。ぶらり散歩で好んで立ち寄った「古民家園」。濃い緑が心を安らげる歴史風致地区。

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*砧公園の外周を一回りし、東名高速道路をまたぐ高架橋を渡って岡本地区へ。
 お!そこに蹲るのはPORSCHE マカンではないか!

 それでもやっとのことで、6月16日になって、近況報告を兼ねて「頚椎症性脊髄症」手術後のリハビリの一環として、ストレッチ体操やランニングマシンに励む様子などを添え、「よくこれまで続けてこられたなあ」という率直な感想を、短くお伝えし、ホッと一息ついたところだ。

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 ところが、ここへきてあることに気がつき始めた。仮にカメラマンの北畠主税君に薦められて『みんカラ・Special Blog』で「つれづれなるままにクルマ一代」の連載を引き受けていなかったなら、それからのわたしの75歳からの日々は、全く異なったものになっていただろう。いや、もっとはっきりいって、心も体も別ものになっていたに違いない‥‥‥と。 
 
 それがなんなのか。その記念日をそれぞれの年から掘り出しながら、改めて確かめてみたくなったのである。

 こんな時、『みんカラ』は便利にできていて、右サイドに用意されている「過去のブログ」の該当年の該当月をクリックしてやればいい。
 まっすぐに最初の記念日に当たる「2012年」の「6月」から、踏査を始めた。2012年06月24日にアップされたもので、こんな一文が目を惹いた。タイトルは「懐かしの“同乗体験企画”」とあった。

         ☆     ☆            ☆

 雑誌メディアに携わって半世紀余……。
 創刊1周年、5周年、10周年……20周年、30周年と、それぞれの節目ごとに、そう謳ってメディアは心を奮い立たせ、あるいは読者・広告対策のイベントとして、アピールしてきたものだ。

 が、残念ながら近ごろのCARメディアの低迷は、恐ろしく速いスピードで進行し、いくつかの関わり深い、それなりの歴史を紡いできたはずのメディアも、あっさり退場させられている。わが「ベストモータリング」も、2011年の4月には消滅してしまった。

 その前後の複雑な心境をバネにして、新しくとりくんだのが、当BLOG『つれづれなるままにクルマ一代』。「ファーストラン」と題して、ブガッティまがいのブリキ自動車のステアリングに、両手を添えてカメラに収まった、ぼくのクルマ坊や時代の古い写真を披露したのがスタートだった。

 それが2011年6月15日。だから今回のエントリーがちょうどスタート1周年記念の回に当たるわけである。

 数えてみると、その間、なんと123回にわたってエントリーしている。つまり3日に1回は、何らかのテーマで「みんカラ」仲間にむかって発信しつづけた計算だ。テーマはその時々で入れ替わっているが、それにしても、それらの日々の交流が、なんとも充実していて、ぼくに新しいエネルギーを回生してくれた。この際にあらためて感謝したい。

      ☆      ☆               ☆

 1年間に、なんと123回ものエントリーしていたのか。改めて、あの頃の高揚感、モチベーションが思い出される。

 実は先日、「みんカラ」をスタートさせてから、全部で何回、エントリーさせているかをチェックしていた。こんな時「Special Blog」の執筆者は便利である。まず「マイページ」を開き、今度は左サイドに用意されている「PVレポート」を呼び出すと3ヶ月前までの「デイリー・アクセス数」が横棒グラフの形で把握できる。そこでさらに最上段に用意されている「トータル」に入っていくと、この8年間の「わたしの仕事」がPV数の多いものから、「タイトル」「登録日」の順に、見事に並んでいるのだ。

 1ページに50項目、ズラリと確認できる。それが9ページも。ただし最後のページが「43」で止まっているから、合計して「443」回も発信してきた、というわけだ。

 あれ!? 当初の勢いは見事に失速して、8年間の平均が55.4回か。ふ、ふ、ふ。週1ペース。でも最近は月刊誌ペースがいいところまで落ちてしまった。いかんなあ。

 続けて、第2回目の「創刊記念日」は? ありましたぞ。ちょっと丁寧に復元してみようか。

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 2013年6月15日。タイトルは《「ファーストラン」からの旅立ち》とあって、サブで《「みんカラBLOG」2回目の誕生記念日に誓う》とフォローする丁寧さだ。
「トータル」を選んでやる。するとBLOGがスタートしてから、どの「タイトル」にどれくらい「アクセス」があったか、一目で判る仕組みになっている。

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*みんカラ歴8周年でのPVランキング、なんといってもがんさんの「汚された英雄
 Partⅲ」が50693で断トツ。

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*1974.6.2 富士スピードウェイのこの未曾有のアクシデントは、まだ語り尽くされていない。

 トップは、最近になって、圧倒的に、2011年8月4日掲載の「汚された英雄・ガンさん」がのし上がってきて、8068をカウントしている。続いて「奇跡の生還/北野元と漆原徳光」が5648、「秘められた中継録画!」5146、「黒澤・北野『筑波バトル』共演秘話」に5053のコンタクトが記録されている。一連の「富士スピードウェイ多重炎上アクシデント」にかかわる記述に、大きな関心をいただいているわけだが、ひところは『ファースト ラン』が独走していた。それが現在は5位におさまっているものの、5015という、遜色のない数字で追従している。

 この『ファストラン』が当BLOGの第1号で、登録日は「2011/06/15 13:13:42」となっている。つまり、誕生した瞬間がその時刻ということだ。

 それから2年の間に、なんと187回の更新をかさねている。およそ。4日に1回の割合で、平均して1ヶ月で3万を超えるアクセス数が記録されている。つまり平均して1日に1000回をこえる「みんカラ」フレンズの訪問がある、という信じられない収穫に、身が震えてならない。みなさん、ありがとう。
さて、改めて『ファースト ラン』をクリックしてみる。


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*ファーストラン

「いきなり、古すぎる写真をひっぱりだして来て恐縮ですが、このクルマに乗った坊やの語りかけて来る声が、聴こえてきませんか」

 という語り出しで、昭和14年(1939)ごろ、なにかの記念に、街の写真スタジオで撮影されたと思われる、ブガッティもどきの「ブリキ製自動車」にのった坊やの紹介からはじまる一節。それが、それから70年の歳月を経て、その「くるま坊や」が、富士スピードウェイのパドックで、レクサスLFAの走行ロケに立ち会っている……という設定で、映像マガジン「ベストモータリング」の最後のロケ現場にからませていく。題して「ラスト ラン」と。


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*ベストモータリングの「ラストラン』

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 こうして「追憶」にハマるのが、最近の悪しき傾向だ。これだから、このところ、何本かの『みんカラ』原稿を書きかけたまま、ああだ、こうだといじり回しているうちに、本人が疲れてしまって、結局はPCに保管されたままになっている。
例えば〈なぜプログレと別れてしまったのか〉の舞台となった’18年のFSW、〈『屋上庭園のある脊椎専門病院』から解放されて〉駆けつけた椿山荘の週刊現代創刊60年記念パーティなど‥‥‥。

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*2018年11月18 日 『FISCO』にてベスも同窓会の若手と。この日、わがプログレとの別れを決めることになる‥‥‥なぜ?

 ま、ここは心の流れるままに、一つ一つに取り組んで仕上げていくしかないかな。と、ここまで書き上げたところで緊急ニュースが入ってきたので、一時中断。FORZA STYLEで進めていた『PORSCE 356で徳大寺有恒の思い出ドライブ』がやっと公開された。

https://forzastyle.com

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 ぜひ、お付き合いあれ。この新しいメディアの荒々しいエネルギー、凄く気に入っています。前ベストカーの編集局長、宇井弘明さんとたっぷり「出演」しておりますので‥‥‥。

 さて、やらなければならないことが、ドーンと襲いかかってきた。ああ、嬉しや。では書きかけの続編と、この件の細かい報告も「次回更新分」にて。

Posted at 2019/06/27 01:12:07 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年06月16日 イイね!

祝・みんカラ歴8年!

祝・みんカラ歴8年!6月9日でみんカラを始めて8年が経ちましたか。よく続けられたな、というのが率直な感想です。日記がわりのつもりが、絶好のエッセイ集であり、忘備録になってくれました。もう少し、頑張ばれそうです。
まだ、今日よりも、明日の天気を気遣う。その気分がある限り!

近く講談社が新分野開拓のため、力を注いでいるファッション系WEBマガジン『Forza Style』の「CAR」コーナーで、つい先日までベストカーの編集局長だった宇井弘明君と、秘蔵の愛車PORSCHE356を持ち出して、一仕事を楽しむところまで、体調も回復してくれました。

その予告を仕掛け人のチーフプロデューサーが掲載しています。ぜひこちらへもどうぞ。


これからも、よろしくお願いします!


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Posted at 2019/06/16 09:09:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年04月27日 イイね!

『週刊現代〈創刊60周年〉感謝の会』への招待

『週刊現代〈創刊60周年〉感謝の会』への招待〜その日だけは、なんとか出席させてください!〜

「小石川郵便局」が受付けて、消印2月28日、とスタンプされた1通の招待状が届いたのは3月1日であった。
角封筒の裏に《講談社 週刊現代編集部内「創刊六十周年感謝の会」事務局》のシールが貼り付けてあるのを確かめてから、いそいそと封を切る。

 型通りの季節の挨拶に続いて「さて」と前振りをして用件を伝えてくる。
「おかげさまで『週刊現代』が二〇一九年三月三十日をもちまして、創刊六十周年を迎えます。
 この長い歴史を紡いで来られましたのも、ひとえに先輩方の勤勉努力の賜物と深く感謝いたします。
 つきましては、左記のとおり、創刊六〇周年の感謝の会を催したいと存じます。
    
   ☆     ☆            ☆

 おお、なんと心に響く嬉しいお誘いではないか。
 その60年前の創刊号に、入社と同時にできたばかりの編集部へ配属されて3年半を関わり、さらに昭和47(1972)年から49年にかけて、週刊現代が130万部の発行部数を誇った時代に編集次長として、2度目のお勤めをし、それなりの役割を演じたと自負しているわたしにとって、これほど願ってもない特別な催しが他にあるだろうか。加えて、古くて懐かしい仲間たちにも逢えるではないか。

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*創刊1年目の週刊現代編集部

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 そして最後に「ご多用のところ誠に‥‥‥」とことわってから「ご出席を賜りたくご案内申し上げます。敬具」と結んであるが、その日付はいささか間の空いた「平成三十一年一月」となっているところで腑に落ちた。どうやら賞味期限ギリギリに慌ててわたしのもとへ発送されたものに違いなかった。

 なぜなら、発起人である「週刊現代編集長 鈴木崇之」その人に、実はこの招待状を受け取るわずか4日前に、講談社本社ビル6階にある週刊現代の編集室で、面談して来たばかりだからだ。

 それで読めた。すでに発送し終わった招待状のリストの中に、恐らく、わたしの名前はなかったはずである。無理もない。講談社からの特命プロジェクトだったとはいえ、昭和52(1977)年に除籍された形で関連会社を立ち上げ、新しくクルマ雑誌を創刊し、以後は「社友」という立場で遇されてきたのだから、こうしたフォーマルなケースでは、リストから漏れたとしても不思議はなかった。

 そうした催しがあるとは知る由もなく、平成という時代が慌しく幕を閉じようとする空気の中で、週刊現代というメディアの果たしている今の立ち位置と、この平成という時代の幕引きの「引き金」となった天皇、皇后両陛下の御成婚に合わせて創刊された、その頃の出来立てホヤホヤの週刊誌との有様を結ぶ一本の糸を求めて、ある申し出を現場責任者である編集長に伝えたところだった。 

 もちろん、こうした交渉ごとには、それなりのルールがある。いきなり先輩面をして直接に電話を入れたところで、何よ、この人、で反感を買うだけの話だ。一応、考え抜いた末、大昔、わたしが中心となって立ち上げた「ベストカー」」の編集・発行元である「講談社BC」の社長に仲介をお願いしたのである。

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*文京区音羽通りの講談社ビル。背後の27階建ての新ビルに、今は本社機構と各編集部が蝟集する

 すぐにレスポンスがあった。伝えられた電話番号をプッシュした月曜日の午後、若くてキビキビとした現役編集長の声を聴いた。希望されている編集現場の一日体験は無理です、その代わり1時間、わたしが時間を作りますのでどうぞ、それがお応えできるギリギリの線です、という。いいなあ、はっきりしているこの空気。約束のできた2月25日の午後が待ち遠しかった。

 さて当日、わざわざ受付まで出迎えにやってきてくれた鈴木編集長。わたしが「月刊現代」の編集長だった頃と同じ歳まわり。やや小柄だが、まあ中肉中背の部類。背筋がピンと伸びている。

 名刺の交換がすんだところで、6階の編集室へ案内された。60年もの歳月を、週刊誌づくりの荒波と闘い続けてきた聖域。胸を衝くものがあった。

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*1959年「週刊現代」と「週刊少年マガジン」が同居した当時の「週刊誌編集局」

 この「古巣訪問」の後、鈴木編集長の好意で「招待状」が発送されたに違いないが、さて出席できるかどうか、実はとても微妙な状況にあった。

 日々、悪化していく手足の状態。手術を決意して、懇意にしている整形外科医から「神の手」を持つと推薦された参宮橋脊椎外科医院・大堀靖夫院長の診察を受けられるのは3月11日に決まっていた。

 エイ!ままよ。4月12日の週刊現代『創刊60周年』感謝の会への「出席」の返事を投函してしまったのである。

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 ここでやっと、このところの現況を伝えてきた『屋上庭園から』『手術に踏み切った理由』『復活の狼煙が見えますか!?』との繋がりがはっきりしてきた。

 「参宮橋」でのいくつかの検査、診察の結果を受けて、入院は3月26日、手術は27日、1週間か10日もあれば退院できるでしょう、と大堀ドクター。
「よろしくお願いします。実はお願いがあるのです。一つは4月2日が早稲田大学の入学式で、新入生の孫娘と一緒に大隈重信の銅像の前で晴れ姿をカメラにおさめたいこと。もう一つは4月12日に椿山荘で開かれる大事なパーティ、これには這ってでも出席したいのですが‥‥‥可能でしょうか?」

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*屋上庭園

 この時のわたしの願いを大堀ドクターはしっかりと憶えてくれていたらしい。
頚椎の狭窄を切開し神経の流れを楽にしてやる手術を受けてから3日後、4Fの屋上庭園で朝のリハビリ・ウォークをすませて、3Fの自室に戻ると、大堀院長がほかの医師と看護師を従えて、朝の検診にやってきた。

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*左から2人目が大堀靖夫院長
 首筋の患部をチェックしたと思ったら、ビッとテープを剥がし、「うん、大丈夫です。4月3日には退院できそうです」と、ありがたいコメント。ついでに看護師さんに、まだ腕に装着したままだった点滴の針も、外すように指示してくれた。パッと明るい陽射しが差し込んできた。

 そして翌日。月末の日曜日だというのに、院長がいきなり単身でわたしの部屋にやってきて、ちょっと廊下を歩いてみろ、という。補助用の杖を持たずに、踏み出した。グラつかずに一歩、二歩。股関節から、膝にかけての脱力感がなくなっていた。
「うん、大丈夫。OKですよ。明日、退院しましょう」
「え、ほんとうですか。ありがとうございます。これで念願の‥‥‥」
「そうです。首のプロテクターもしなくて大丈夫。どうぞ入学式へ、行ってらっしゃい。早稲田でしたね。実はわたしの息子も今、早稲田に在学しています」
 そんなやりとりの締めに図々しくも、おねだりをした。
「先生の監修されたご本『脊柱管狭窄症』がお手元にあったら、一冊、お分けいただけますか」

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 30分後、再び大堀院長が来室した。どうぞと手渡されたその本には、ペン書きで「謹呈」と前置きして、わたしの名前が書きこまれているではないか。最後に力強い筆致で著者名が添えられていた‥‥‥。

「頚椎は背骨(脊椎)の一部です。一応退院していただきますが、近い機会に胸椎、腰椎の方もしっかり検査することを薦めます」
 しっかり釘を刺されてしまった。
 もちろん、こちらとしても異論はない。むしろ、渡りに舟ではないか。よろしくお願いします、と叩頭すると、院長先生の方が一枚上手だった。5月の連休中ですが、2日に予約を入れておきました、と。このご厚意に応えて、2年前に出版した『PORSCHE偏愛グラフィティ』を差し上げる約束をした。

「ポルシェですか。わたしはスーパーカー世代ですよ。楽しみにしています」
 スピーディなレスポンスを見せてくれる大堀院長だった。

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*4月1日、退院する日の屋上庭園に朝の日差しが溢れていた

 翌日は4月1日。午前10時、退院。用心のため、首巻きプロテクターは装着した。出迎えに来てくれた娘と孫の車に向かって、一歩を踏み出した。これまでにないしっかりした足取りに、大満足。調子に乗って、家人と娘に‥‥‥。
「明日の入学式に、行ってもいいかな」
「え!? 何言うの。ダメだよ。せっかく良くなりつつあるのに 」
 口を揃えて、跳ね返された。ごもっとも、である。

 正午前に帰宅。この日の『何シテル?』に、こう書き記していた。

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04/01 08:39
2019年4月1日の朝食がこれ!まっことシンプル。お粥にハムに乗っかった目玉焼き、味噌汁に玉ネギの和え物、デザートはヨーグルト。これを完食。晴れやかな朝。いよいよ平成が新しい元号に移行する朝。さあ、このあと、なんと入院7日目にして、わたしは退院できるのです。素晴らしい朝です!

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04/02 14:51
『恋の奴隷』が花言葉。新元号の制定のあったその日の正午、1週間ぶりに帰ったマンションの入り口で出迎えてくれたのが紅色の花びらを纏った『照手桃』には、邪気を祓う神聖な木、という役割もあるとか。ありがとう。適役だね。すぐ傍の桜名所はすでに下り坂、手足の痺れも気のせいか薄らいできたぞ。
                         (以下、次号更新)
Posted at 2019/04/27 22:55:19 | コメント(5) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
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何シテル?   08/26 00:57
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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