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毎度のことながら、ブログアップが滞っていて、今回もまた月刊誌ペースとなってしまった。(この稿にとりかかったのは11月30日)
もう11月も終わってしまうじゃないか。それでも毎日、7〜800の「みんカラフレンズ」が無駄足と分かっていても訪れてくれているのに、そんなことでいいのかい?
そんな風に己れを叱りつけてから、リビングにあるT Vのリモコンを取り上げようとして、ヒョイと目が止まるものがある。朱(あか)い南天の実だ。ほっそりと頼りなげに付き添う葉っぱと一緒に、白い一合徳利に投げ込まれていて「おっ、いいね」と家人の心遣いに、ちょいと頭を下げながら問う。
「この南天はどこのものを?」
「十三重の塔から」
「あ、そうだった。この徳利は美濃だったっけ?」
「砥部焼じゃなかったかしら」
「そうだ。梅山窯に寄った時のだな」
「窯の名前だけは、ちゃんと出てくるのね」
砥石屑から生まれた四国・松山南郊の砥部焼。白磁とはちょっと風味が違う、そのザックリした温かみが気に入っている一合徳利に、つい先日、東京から1200kmほど離れた九州・佐伯(大分県南部)の十三重塔を訪れたときに、その草叢の中から南天の実を枝につけたまま、上手に持ち帰っていたのを、今朝は挿してくれているのだ。
この日は昼前に来客があることは家人に知らせてあった。お土産には長野の林檎でいいかしら? うん、そうしてくれ。
南天の実を無断でいただいてきた不思議な歴史的遺造物・十三重塔のある佐伯は、海と山と川がうまく調和している人口6万の古い城下町で、家人の生まれ故郷でもある。11月18日から3日間、既に物故してしまったご両親の墓参を兼ねて、短い里帰りをしてきたばかりだった。
佐伯のことを説明すると長くなる。ともかく大分空港でタイムズレンタカーの日産ノート(1.2ℓ)をピックアップし、その日は佐伯市内の新しいホテルに一泊。次の朝、そのホテルが戦国時代の末期まで豊後南部を支配していた佐伯氏の居城、栂牟礼(とがむれ)城址のすぐ傍だとわかって、両親の眠るお墓に向かう道すがら、これまで何度か踏査している、山が一つすっぽり城址となっている麓の集落に立ち寄った。その入り口にある十三重塔のあたりからの眺望が、わたしのお気に入りだったのだ。
改めてその日のスナップショットをチェックしてみると、なるほど朱い色が一塊、栂牟礼の山陵を背景にして、映っている。間違いない。それにしても家人は手折った南天の枝を、どうやって持ち帰ったのだろう。
この佐伯のことを説明すると長くなる、と断っているが、実はその辺の事情を詳しく、わたしの個人的な作品を収録してあるブログ
『新・正岡ワールド』の中の『幻のルーツ探訪譚 風早記』(どうぞクリックを)にぜひ、お訪ねいただけると嬉しい。
その中の「第1部」の「速吸ノ瀬戸」につづく「豊後御手洗一族」の項で、室町時代のこの地方を支配していた
佐伯氏の古城址探訪記(どうぞクリックを)を掲載している。
*大分空港からの小さな旅のお供を務めてくれた日産NOTE
☆ ☆ ☆
その九州・佐伯に旅立つ直前の11月14日、ベストモータリング同窓会幹事の「CMO」さんからLINE連絡が入った。そのやりとり。
「局長、11/20のタイカン発表会には行かれるのですか?」
「いや。ちょっと家人のお供で旅に出ています。帰りが19日の夜なので根性があれば、行くでしょう」
すかさず、返信があった。
「左様でしたか。お疲れ様です。わたしのクルマもようやく仕上がりましたので、落ち着きましたらお披露目の日程を調整させてください」
「ありがとう。30日の午後はいかが?」
「30日の午後、大丈夫です。よろしくお願いします」
*デビューしたPORSCHEタイカン
テスラか。愛しんでいたB M W のアクティブ・ハイブリッド3を手放したCMOさんが、宣教師さながらに強烈にテスラSを布教しているオーナーと一緒にわたしの前に現れたのは、3ヶ月ほど前だったろうか。関越自動車道を川越から三芳のS Aまでステアリングを握って試乗させてもらったが、これは麻薬のようなクルマだな、と直感した。そのステラSをワンランク、コンパクトにしたNewカーがCMOさんのもとに届けられ、その時の約束を几帳面に守ってくれたわけだ。
11月29 日の朝、LINEがコールする。
「おはようございます。急に寒くなってきましたね。明日は何時ごろお伺いすれば? あと、テスラ モデル3は下が低くなって腹下を擦りそうですので、マンションの駐車場をお借りせずに近くのタイムズに停めようと思います」
「おはよう、です。午後3時から、マンションのクリスマスツリーの飾り付けを子供たちとやります。そのため、あまり時間はありません。鎌倉パスタを予定していますので。午前11時半にこちらに来れますか?」
「早めに伺いましょうか? あと鎌倉でなく別のお店でもいいですか? あそこだと炭水化物を摂りすぎてしまうもので……笑」
「了解です。こちらも同じです」
30日の朝はこちらからLINEした。
「おはよう、です。クルマはマンションの前につけ、そのままサンライフ練馬へ行きます。そこでランチしましょう」
「承知いたしました。これから伺います」
約束の時間の5分前、ソロソロ迎えに出ようと4階のエレベーターの前に立っていると、ガラス窓越しの眼下に、ちょうど純白のモデル3が滑るようにアプローチするのが見えた。マンションの正面にある御神木、ユリの木はすっかり葉を落としてしまっていて、すらりと伸びた枝越しに見えるステラの姿態。期待感が疼き始めた。
モデル3に近づくと、すでに運転席から降り立っていたCMOさんが助手席側のドアに手をかけて、さあどうぞ、という感じで開いてくれる。うん!? ドアにはヒンジらしいものもなく、ブラックの太いラインがあるだけで、その右端にあるボタンを押す。と、レバーが突き出るように現れ、ドアが大きく開かれたのである。
そして……シートに腰を沈めると、コックピットにあるのは、大ぶりなステアリングとiPadの化け物のようなディスプレーが一つ、真ん中にドンと据えられているだけだった。なに、これ!?この異次元な世界への招待に、いささかわたしの腰は引けてしまっていなかっただろうか。
モデル3は音もなく滑り出した。すぐにレストラン『月と風』のあるサンライフ練馬に差し掛かった。銀杏並木に差し掛かった。
「お!!」
CMOさんと同時に息をのんだ。晩秋の陽光は斜めに射しこんで、銀杏並木が黄金色に燃え立っていた!
「(食事の)あとで、あの並木の下でモデル3の走りを撮りましょう」
頷いてくれるCMOさんは、プロと言ってもいいほどの撮影技術の持ち主であった。 (以下、次回へ)

Posted at 2019/12/02 23:09:36 | |
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還暦+白秋期の23歳 | 日記