〜これで「退院&現場復帰」のレポートが送れます〜
【左は4月17日のVOLVO新型V60 Cross Countryのプレスカンファレンスの会場にて】
2019年を迎えてから体調の変異が顕著となった。両手が痺れ、上衣のボタンもうまく嵌められないし、PCのキーボードもまともに叩くこともできなくなる。足も真っ直ぐ伸びてくれなくなった。一歩ごとにグラリと来て、頼りなく迷走する感じだった。原因がなんだったのか、その時はまだ把握できていなかった。
それでも「ゴーン疑獄」の衝撃が、一旦は延期された「リーフE+(イープラス)」のプレス発表会にどう影響しているかを確かめたくて、渦中の横浜グローバル本社まで足を運んだのが1月9日。EV車として最長、1回の充電でガソリン車に引けを取らない570kmの走行が可能になったという触れ込みだった。
当日は西武池袋線から地下を走る副都心線を使って、渋谷経由で一度も乗り換えることなく横浜駅まで行けるルートを、初めて利用してみた。練馬の奥からジャスト1時間。そんな便利な時代になったことを実感した。
発表会は、いささか熱気にかけていた。これまでならゴーン会長の独壇場であったプレゼンテーションも、EV戦略の責任者であるダニエレ・スキラッチ副社長に委ねられ、後半を執行役員の星野朝子専務が締めに登壇したが、これまでのような鋭い切れ味は影を潜め、疲れを感じさせるものだった。
*「日産リーフ」は効率的で持続可能なモビリティ社会の実現に向けて‥‥‥とスピーチするスキラッチ副社長。先頃の株主総会のあと、退任を表明。
その試乗会は2月22日に設定されていて、ワンペダル・ドライブを楽しみにしていたが、もうその頃には『頚椎症性脊髄症』という病名まで確定されていて、とても足を運べる状態ではなかった。せっかく2月3日にテスラオーナーの好意で「テスラS」を試乗して、その日に備えていたというのに。
ここからは坂道を転がり落ちて行くように状況は悪化し、3月26日に『脊椎管狭窄症』(主婦の友社・刊)の著書を持つ大堀靖夫院長の参宮橋脊椎外科病院に入院し、その翌日には大堀ドクターのメスが首筋に‥‥‥。
*参宮橋脊椎外科病院
*「神の手」の持ち主、大堀靖夫院長
全身麻酔から覚めると、そこは地下のオペルームではなく2階のナースステーションから目の届く4人部屋のリカバリールームに移されていた。状態が落ち着くまでの観察や点滴などの関係で、ここに2泊しなければならないらしい。入院当初の3階個室ではないのは「止むを得ない」としても、3人が男性、カーテンで仕切られたわたしの隣には声の大きな、かなり我儘な老女が収容(?)されているのには参った。
一夜が明けて、朝食、昼食と順にスケジュールが消化されるたびに、顔の見えない隣の老女が怪物化してゆく。食事で「箸が使えない」と喚き出す。駆けつける看護師。床に落とした箸の替わりにグリップの大きい「自助棒」を持って来たらしいが、「こんなもので食事をさせるのか」と食ってかかる。それでも宥(なだ)められて、使ってみると都合がいいらしく「これ、いいわね。おいくら?あたし、買うわ」と豹変する。その挙句、自分の家柄自慢がはじまる。なんでも芝の旧家の出らしいが、それを何度も繰り返す。間違いなく認知症が進行している。
夕食が終わった。と、老女がいきなり帰る支度を始めたらしい。
「あら、6時を過ぎたのね。主人がゴルフの帰りに迎えに来る約束だから。わたし、帰ります」
慌てて看護師が二人、やって来て老女を宥めにかかる。
「ご主人が見えるのは明日でしょ。そこで先生とこれからどうするか相談することになっているでしょ?」
それでも老女は納得しない。家の方に電話をかけるといってきかない。そんなやりとりが何回か続いた。とうとう根負けした看護師がナースルームから老女の自宅に電話を入れ、ご主人を呼び出した様子で老女が車椅子に移されて部屋を離れる。
嫌でもご主人を責める老女の声が伝わってくる。点滴交換にやって来た看護師に訊ねてみた。あの老女がなぜこのリカバリー室に収容されているのか、と。
「転倒して腰を痛めたとかで、その検査があるまで、ここに入院したようです」
やがて午後10時の消灯時間が来た。少しは静かな気配に安心してウトウトしていると、いきなり老女の訴える声。蒲団が落ちたから、引き上げて、と。もう勘弁ならなくなった。と言って、認知症の老女に抗議しても始まらない。実はこちらもその時を待っていた。連絡ブザーをそっと押して、看護師さんに来てもらった。
「とてもじゃないが、こっちがおかしくなる。わかるでしょ? もし許されるなら3階の自分の部屋の方に帰りたいんだけど‥‥‥」と。
「点滴も終わっているからいいでしょ」
チーフ役らしい看護師さんが柔らかい笑顔でOKの返事。薄暗がりの中、移動用の車椅子に乗せられ、エレベーターを使って、やっと3階の個室への深夜の脱出に成功したのである。しかし、しばらく部屋を使ってないため、室温のコントロールがしてなかった。寒い!が、まだ点滴などのチューブがつけられたままで、自力でベッドを離れることのできる状況ではない。ぐっと我慢して浅い眠りのまま、朝を待つこととなった。
手術から3日目。
ソフトプロテクターはつけたままで、杖をつきながら歩行動作をチェックしたり、手の握力が回復しているかの検査が始まった。
右手、23。左手、25。これは手術前には13〜14に落ちていたのに比べると、拍手ものの回復だった。点滴も外した。身体中に間違いなくネルギーが復帰してくる実感に、急に「明日が見え始めた!」とノートにMEMOするほど、燥(はしゃ)いでしまった。
そして病院に持ち込んだiPadを使って、短い内容で近況を伝えられる「何シテル?」欄に、書き込みを始めた。例えばこんな風に。それはわたしからの、精一杯に打ち上げた《復活の狼煙》だったが、果たしてどのくらいのお仲間にみてもらえただろうか。
●03/30 16:28
脊椎管と呼ばれる背骨の中のトンネルが狭くなり、脊髄が圧迫されることによって上下肢機能障害、痺れ、膀胱直腸障害などの様々な症状が出現。これをどう排除していけるのか。1時間15分の手術から三日目。見事に成功。近く嬉しいご報告ができそうです。
●04/01 08:36
2019年4月1日の朝食がこれ!まっことシンプル。お粥にハムに乗っかった目玉焼き、味噌汁に玉ネギの和え物、デザートはヨーグルト。これを完食。晴れやかな朝。いよいよ平成が新しい元号に移行する朝。さあ、このあと、なんと入院
7日目にして、わたしは退院できるのです。素晴らしい朝です!
●04/02 14:51
『恋の奴隷』が花言葉。新元号の制定のあったその日の午後、1週間ぶりに帰ったマンションの入り口で出迎えてくれたのが紅色の花びらを纏った『照手桃』には、邪気を祓う神聖な木、という役割もあるとか。ありがとう。適役だね。すぐ傍の桜名所はすでに下り坂、手足の痺れも気のせいか薄らいできたぞ。
そんなわけで、今回はここで一服。
何しろ明日の午前7時前にはわがマンションを出て、この項の書き出し部分と同じコースで横浜へ向かい、新型デイズの試乗会に駆けつけなくてはならない。つまり、それほど復調して、いそいそと活動を開始したということかな。(この項、さらに続けたい)
Posted at 2019/04/22 02:12:13 | |
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還暦+白秋期の23歳 | 日記