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正岡貞雄のブログ一覧

2016年05月23日 イイね!

『海賊の島まで70km』の午後

『海賊の島まで70km』の午後トンネルを抜けると「ゆかりの場所」が待っていた!

【左のレリーフは『小説 村上海賊の娘=和田竜』の本屋大賞受賞を記念して地元特産の大島石で制作したもの】

 この7月16、17日の二日間にわたって、松山市で開かれる「第4回正岡祭」の最終準備・実行委員会は、さいわい午前中で抜け出すことができた。

 九州・秋月の取材で把握した「正岡一族」の意想外な展開を報告し、これから、その追跡調査で「越智大島」へ直行したい、まず「村上水軍博物館」に行って、そこの学芸員との面談を取り付けてあるから、と。


*実行委員会の面々、「まさおかサーン」と呼んだら、全員が「はい」と答える不思議な?グループです

 それなら、どうぞ、すぐにでも。「正岡一族二〇一六」の本の出来上がり、楽しみにしていますぞ。同じ正岡姓の会長も氣持ちよく送り出してくれる。

 挨拶もそこそこに、道後山の手ホテルからスイフトで「しまなみ海道」を目指した。道後湯月城に隣接する「正岡子規記念館」を右手に見ながら、温泉街を抜け、国道317線(以下、R317) に入ろうとして、にわかに空腹を覚える。そうか、朝からまともな食事を摂っていなかった。



 と、石手川を渡る石橋のたもとに、それらしい茶屋風の店構えが目に入った。
「水車」か。恐らく、かつてはこの旧街道を行く旅人たちの憩いの店があって、水車がまわっていたのではないだろか。「天ざるうどん」の「並み」を注文。讃岐うどんの流れを汲んだ麺はコシの強さで、ここはやっぱり四国だな、と喜ばせた。天婦羅のパリッとした揚げ方も悪くなかった。

 R317は松山市の中心部、勝山の交差点をスタートして道後の温泉街のそばをすり抜け、今治市へむかって山間部を抜けていくルートで、今治からは一旦、来島海峡に始まる海上部を「西瀬戸自動車道」(これが、有料)のしまなみ海道で大島、伯方島、大三島、生口島、因島、向島と瀬戸内海に浮かぶ島々をわたり、広島県尾道市に至る。松山道後から、「村上水軍博物館」のある大島・宮窪瀬戸までは、およそ70kmと見当をつけていた。



 改めてR317に入る。2車線の整備された登り一辺倒の路面が、段々と狭まり、荒れてきた。奥道後温泉ホテルを過ぎた。山の斜面に石を積み上げて、やっと暮らしのスペースを確保している幾つかの集落も現れなくなると、いよいよ本格的な山間部へ。
 
 走行距離5万kmオーバー、3代目スイフトの「K126」1.2ℓエンジンと副変速機付きのCVTの組み合わせは、結構、ちょっとした走りの気分を楽しませてくれた。これで「XSグレード」なら「マニュアルシフト」が選べるという意味も、よくわかった。シフトセエレクターは「D」と「L」でそれぞれに「OD」ではなく「S」と表示せれるボタンがついていて、シフトダウンに好適だった。
この秋頃にはモデルチェンジして、4代目の登場が取り沙汰され始めたが、インド生まれの「BALLENO」との兄弟喧嘩が楽しみだ。お互いのDNAがいい方向で競合しているのを、期待していいだろう。

 ついでながら、この辺の雰囲気を伝えるべく、過日、「RJC」のホームページに「SUZUKIバレーノ試乗記 『帰国子女』を乙女峠のワインディングに誘う」を掲載しているので、是非是非、タイトルをクリックして、ご一読を。

 松山市民のための水甕「石手川ダム・白鷺湖」の左岸をかすめると、いよいよ水ケ峠の真下を抜けるトンネルだった。
 全長、2800メートルあまり。四国では、寒風山トンネルに次ぐ長さである。 このトンネルが完成したのは20年ほど前の平成9年。それまではクルマだと、松山から今治へは海沿いの道で迂回した、という。たかだか標高700メートル程度の古い峠だったが、松山側からも、今治側からも、越すとなったら厄介で、その辺りがいわば「伊予の秘境」として、外敵の侵入を阻む、絶妙な地帯となっていた。
 
 ライトON。このトンネルがほとんど真っ直ぐに伸びているのが、よくわかる。不思議な霊気を、ここに入るたびに感じてしまう。キュッと身も心も引き締まる感じ。やがて光の束が大きくなって、トンネルを抜けた。

 R317は一気に下りはじめて、緑の世界がたっぷり視界を押し包んだ。右側を蒼社川が渓流となって元気良く、岩を噛んでいる。ここからは今治市玉川町。つい先日までは越智郡と呼ばれ、実は中世・戦国時代の終焉まで、この地方の領主・河野氏を補佐して「正岡氏」が首領となって治めていた「ゆかりの故地」であったのだ。

 時計を見る。まだ午後1時前か。「水軍博物館」には3時までに着けば大丈夫だと計算した。途端に、スイフトの車速をダウンさせる。



 この先は昭和45年(1970)に蒼社川を堰き止めてできあがった「玉川ダム」。その手前でちいさな石橋を渡った川の対岸に「渡瀬(わたぜ)」と呼ばれる特別の場所がある。戦国末期、正岡氏が野に下ったあとも、その支族が秘命を帯びて「再興の基地」とした城館址に、やっぱりご挨拶もしないで、通過するわけには行くまい、と。ここだけは辛うじて湖底に沈むのを免れ、「正岡氏の記憶」をわたしたちに伝えてくれる、大事な場所の一つである。

 はたして。虫が知らせたというべきか、「ゆかりの城館址」に、どなたかの手で窯場が出現し、煉瓦つくりの煙突がにょっきりと天をつく姿を目撃することになる。






 そそり立つ石垣の脇を、あわてて駆け上がる。無人の窯場が出現していた。     4年前に訪れた時、ここは栗林に雑草の広がる、何もない場所だったはずなのに。これでは、7月の「正岡祭」での「史跡めぐり」で案内するのは、いささかはばかれるのではないか。う〜ん。腕を組んで、しばらくその光景を眺めるしかなかった。

 さて「海賊の島」まで、まだ50km近くはあるだろう。ここは明日、松山の戻る際にもう一度、立ち寄ることにして、再びR317に復帰した。



 午後2時を少しばかり回ったところで、今治から来島海峡を渡り「しまなみ街道」大島南ICで降り立った。と、そこもまたR317の標識が。そうだった。この国道は海に分断されながら、西瀬戸の島々を渡りながら、尾道まで繋がっているのだった。





 あと、9キロ。「日本最大の海賊」能島村上氏に逢いに行く旅は、やっと目的地に近づいただけだった。なぜ能島村上氏にこだわるのか。その説明もまだできていない。もう少し、時間をお貸しいただきたい。

 それにしても、過日、現地で手にした《今治市 村上水軍博物館》のパンフレットの「解説」の出来のよさに感心している。この際、遠慮なく引用させていただくことにして参考に供したい。題して、「よみがえる村上海賊の記憶」。



 村上海賊(村上水軍)、は14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。後世には三島(さんとう)村上氏などと呼ばれ、能島(のしま)・来島(くるしま)、因島(いんのしま)に本拠をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識をもっていた。
 彼らは、海の難所である芸予諸島で育まれた海上機動力を背景に、戦国時代になると、瀬戸内海の広い海域を支配し、周辺の軍事・政治や経済の動向をも左右した。

 来島城を本拠とする来島村上氏は、伊予国守護の河野氏の重臣として活躍した。因島村上氏は、周防国の大内氏に仕え、のちに中国地方の覇権を握った毛利氏の有力な海の勢力となった。そして宮窪に本拠を構えた能島村上氏が独立性が高いとされ、とくに村上武吉の時代には、毛利・大友・三好・河野といった周辺の戦国大名たちと、時に友好関係、時に敵対・緊張関係となりながらも、独自の姿勢を貫いた。日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、能島村上氏を“日本最大の海賊”と称した。

 武吉および息子の元吉(もとよし)、景親(かげちか)の時代に全盛を謳歌する能島村上氏は、西は北部九州から東は塩飽(しあく)諸島に至る海上交通を掌握した。平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割りを果たした。戦時には船舶を巧みに操り、「ほうろく火矢」など火薬を用いた戦闘を得意とした。また茶や香を嗜み、連歌を嗜む文化人でもあった。(中略)
 
 一般に「海賊」と聞けば、理不尽に船を襲い金品を略奪する無法者、いわゆる「パイレーツ」がイメージされるかもしれない。しかし(当)展示室をめぐるとき。「海賊」と呼ばれた人々が、必ずしもマイナスイマージで語られなかった時代があったことに気づくだろう。





 ジャスト15時。宮窪瀬戸に着いた。海が光っていた。その向こうに小さな島影。あれが能島か。海沿いの道を少しばかり右へ。突き当たる。白い旗が爽やかにはためいている。「祝 日本遺産認定」の文字。一目でそれとわかる「村上水軍博物館」だった。甲冑をまとい、腰に刀をさした武将が腕を組んで、海に向かってに屹立した石像。しかし、全てが真新しく感じられたのが、気になった。ともかく、入館受付を済ませなくては……。 (以下次回更新へ」
Posted at 2016/05/23 17:03:36 | コメント(3) | トラックバック(0) | ルーツ探訪 | 日記
2016年05月19日 イイね!

日本最大の海賊衆『能島村上氏』の島へ!

日本最大の海賊衆『能島村上氏』の島へ!しまなみ海道と正岡氏最期の居城「幸門山」への「ご挨拶」旅

{左の陣羽織は能島村上氏の総帥、武吉、景親が着用したと伝えられる。村上博物館蔵}


 たとえば、急に思い立って、時間の都合もついたし、日曜日の羽田発の第1便で四国・松山に行き、しまなみ街道に点在する島に遺っている村上水軍の海城を見に行きたくなった、としよう。宿泊は「しまなみ海道」の四国側の玄関、今治にしよう。で、月曜日も一杯一杯使って、羽田へ戻る最終便にしなければならない、とする。火曜日はもう、所属する団体の総会に出席しなければならないという設定だ。


*能島と宮窪瀬戸の潮流。今回の取材ターゲットの一つ。

 さて、早速、ANAとJALの航空券の空席紹介と運賃をチェックする。どちらも午前7時25分に羽田を立ち、松山には8時50分ごろには着く。値段も優劣はなく、ANAの場合、最も安い「特割」で片道が26,490円。帰りは次の日の最終便、19時25分発で26,990円。合わせて航空運賃だけで53,480円という計算になった。

 これに宿泊代が1万円、レンタカーが二日分で、まあコンパクトクラスでも、1万円はだいたいかかる。ざっと加算しても、7万5000円か。う〜ん。高速通行料やもろもろの雑費で10万円コースは覚悟しなければならない。

 ところが、である。ま、そんな手もあったのか、という参考例として同じ検索ページから、ANA楽パック「格安航空券+宿泊パック+レンカー付き」(楽天トラベル)から、はいってみるといい。すでにあらかじめこちらで検索しているので、予定した日程で航空券が「予約OK」で表示されている。つぎに「レンタカー」もあわせて予約のチェックをいれ、宿泊地は愛媛県、1部屋ご利用人数を「1」とする。そして「検索」をポチっと捺す。



 現れたのは「宿泊する地域をお選びください」という「MAP」。今治の下に、温泉マークと一緒に「湯ノ浦」の誘惑的な文字が。よし、これだ! ダブルクリック。で、真っ先に登場したのが「ホテルアジュール 汐の丸」。スタンダード洋室、朝食・夕食ありの『四国巡礼お遍路プラン』が39,600円で用意されている……。そのギャップが歴然としている。

 実は、このやり方でこの2月はじめに筑前の「小京都」朝倉に赴いた。レンタカーとして登場したのがプリウスだったのと、ホテルのレベルも予想以上だったこともあって、5月15〜16日の「四国遠征」も、同じ手法を踏襲し、満足度も高かったので、旅をするときのヒントの一つとして、あえて紹介した次第である。このパッケージで4万円は有難い。で、すぐの予約をいれてしまった。加えてレンタカーでどんなクルマがお供をしてくれるのか、ホテルは温泉付きだという。それもまた、楽しみの一つであった。

 この前置きがあれば、『旅日記』がわりに「何シテル?」でMEMOと写真を意図的に綴り続けた意味も、おわかりいただけるのではないだろうか。改めて、その辺りをつないで見ると……。

05/05 20:01
あれ、あれ。いつの間にか、朝。ということは徹夜? 徳さんの【911偏愛学】に目を走らせながら【みんカラ】をアップしていたらAM7時に。午後からはTV桟敷で【阪神vs中日】戦を見ながら、7月の『正岡祭』に備えて【伊予河野氏と中世瀬戸内世界】を読む。しまなみの景色を思い浮かべながら。



05/09 17:56
GWは「働き過ぎ」の骨休み。とはいえ、心はすでに週末からの【四国遠征】。2月の福岡・秋月の取材から、ついにあぶり出した【島原の乱】出陣の『正岡衆』の故地探し。手掛かりはここ!瀬戸内しまなみ海道の宮窪瀬戸にある『能島水軍』の海城へ。『正岡一族2016』の中にこのルポを入れるために!

05/15 07:19
これより、四国松山へ。52番ゲート前のこのポイント。当然、一服してから、機内へ。



05/15 12:06
羽田を発ってから、ずっと雲海の上。折角の機会なのに、しまなみ海道の島々は見えなかったが、松山空港に向かって機首を下げた途端、忽那の島々がドーンと。ここも、いろいろと歴史の闇を抱いている。次の機会には!


*ANA584便が防予海峡側から機首を下げて松山空港へ向かって高度を下げる。怒和島、中島(忽那)、そして興居島。ここもいずれ足を踏み入れなければ……。その向こうが高縄半島。

 これらの「記述」はiPhoneから、手許の余裕を見計らって、「われ送信したものだが、15日の午前7時に羽田空港の出発ゲートで待機しているということは、練馬の自宅を出たのは少なくとも、2時間前には出ていなければならない。そう、実は午前4時に起床、5時にはノートパソコンを入れたリュックを背負い、資料を入れた小ぶりなキャリーカートを引きずりながら、羽田空港を目ざして西武池袋線に乗る。もちろん300mmレンズ付きのNIKONカメラ入りのバッグも肩に担いで……。

 こう書いていくと、4ヶ月前の「秋月行き」(2月10日アップの“ああ、「還暦+青春20歳」宣言はカラ元気か?”参照)と全く変わっていないのに驚く。ただ、その時より丸々1時間前倒しの行動である。それともう一つ、あの時は心身ともに最低の状況だったが、今回は「かなり好調」なのが、自分でもわかる。

 52番ゲートからの搭乗直前に「スタバ」でいつものカプチーノを味わったことを知らせる「何シテル?」を送信するのも元気の証か。

 松山空港、8時45分着。格安チケットだからといって、何一つ心配することはなかった。座席も窓側の『A17』を事前に予約できていた。さて、キャリーカートをピックアップして、空港からの出迎え小型バスで大型パーキング内の「平成レンタカー」へ。そして待ってくれていたのは黒いボディカラーのSUZUKIスイフト。



 逢った瞬間の印象はフロントグリルに装着された「S」マークが「VW」なら、POLOかな、いや踏ん張り具合いからいってGOLFかな、と錯覚したくなるくらい。この旅のお供、マル印じゃないかな。

 レンタルの手続きを済ませ、まず向かったのは、残念ながら「しまなみ海道」ではなく、松山市の中心部、道後温泉街のそばのホテルで午前10時から開かれる「正岡祭り」の準備実行委員会にひとまず出席しなければならなかった。これを済ませたら、まっすぐ「今治市村上水軍博物館」(大島宮窪)へ急行するスッケジュールを立てていた。なにしろ翌日は月曜日。こうした施設はすべて休館日に当たってしまう。それを踏まえた上での強行スケジュールであった。


*7月16,17日の2日間。4年に1度の「正岡祭」を記念して作成中の「正岡一族」。

 なぜ、戦国時代、海の大名と呼ばれ、海原を自在にかけめぐった海賊衆をテーマにした博物館に行きたがっているのか。その説明から、次回更新分はスタートしたい。
Posted at 2016/05/19 03:35:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | ルーツ探訪 | 日記
2016年05月13日 イイね!

初心を呼び覚ませてくれた『忘れ物』

初心を呼び覚ませてくれた『忘れ物』〜『蔵出し』『特別出品』ベスモDVD異聞〜 



「みんカラ」のメッセージ欄は結構、重用(ちょうよう)してきた。
 とくに「グループ」活動するのにひどく便利で有効なのだが、その保存期間が送受信してから60日間とは気づいていなかった。Outlookみたいに、こちらで削除しない限り、いつでも必要な「情報」を遡って確認できるというわけではなかった。こんなやり取りがあったはずだったが……とPCを開いても、2ヶ月経っていたら、もう諦めるしかない、と知ったきっかけから、今回ははじめたい。



 GWも終わりかかった5月7日。次のターゲットである4年に1度の『正岡祭』(愛媛県松山市の、正岡氏発祥の地で、全国の正岡さんが寄り集う)のための記念出版準備、それともうひとつ、徳さんの『ポルシェ911偏愛学』の電子書籍化の下工作打診のために、イワタカズマ君に拙宅まで足を運んでもらって打ち合わせをしたり、と……バタバタと1日を終えかかった時、部屋の片隅にある紙袋に気がついた。



 開けてみると、蔦屋書店でのトークショー用のMEMOと一緒に、透明なセロファン袋に入ったBest MOTORingのDVDが2本入ったのと、もう一袋、Best MOTORingとHot-Versionを詰め合わせたのと、2袋が出てきたのである。ご丁寧に手書きで赤く「特別賞」と書き込んんだシールまで貼り付けてある。

 2008年8月号 筑波DOUBLEぶっ跳びBATTLE
     9月号 特集・スポーツカーにAWDは必要か

 「BM・DVDバトルシリーズ」 ワンメイク世界一決定戦!!
Hot-Version Vol.91 R35GT-R vs.土屋圭市

 うん!? 記憶をまさぐる。4月の初めに『蔵出しDVD』として紹介し、「サイン本購入」のメンバーに特典として優先選択権を差し上げるから、第1志望、第2志望を「メッセージ欄」に銘記して、送信して欲しい、と呼びかけたものではないか。それがなぜ、志望者に渡されないまま、ここにあるのか。

 そういえば、トーク&サイン会が終わって、ステージを『ALOHA TABLE』に移してからの「プレゼント・イベント」で「特別賞」だから、これは最後の盛り上げ用に使おうと、チョイと横にはずしておいた気がする。どうやら、それをそのまま渡すことなく、すっかり失念して、もち帰ってしまったに違いない。「特別賞」に選んだ理由は、これだけ魅力のあるタイトルを、だれとも競合せずに、見事に4本も志望した「眼力」と「幸運」に「特別賞」を、というわけだった。





 それはそれとして、これは申し訳ないことをしてしまったものだ。早速、該当者を割り出すべく、誰が何を希望し、何を渡そうとしていたのか、それを記録した「基本台帳」をもとにチェックした。

 まず、DVDの2008年のリストから当たればいい。おお「ドライビングマニア」の「みんカラID」が記されている。こんな場合に備えて連絡先のアドレスと携帯電話の番号を記録してある。本名には記憶があるし、東京都内に在住か。ともかく電話を入れて様子を訊いて見ることにしよう。
 
 ところが、この電話は使われてないとのコールが虚しく帰って来るだけだった。これは面妖な! こちらの記載ミスか? そこで「メッセージ」の「受信」を開くと4月3日の段階で、「ドライビングマニア」氏は2日連続の参加とあって、第1志望から第4志望までを列記している。それがずばり、手元にある「特別賞」の中身、そのものだった。

 すぐに連絡を取りたくて、もう一度「メッセージ」欄を洗い直してみた。そしてこの時、この時点で遡れるのは60日前の4月8日までと思い知らされたわけだった。その先には進めない。やむを得ない。こちらから「問い合わせ」のメッセージを送信して、連絡を待つことにした。

 1時間後に、温和な人柄をしのばせる返信がはいっていた。
「先日は大変楽しませていただきました。個別で大井さんともお話しさせていただきましたが、ナチュラルな意見をお聞きでき貴重な体験でございました。
特別賞までいただけるとは大変光栄でございます! もしよろしければ、ご自宅近くまでお伺いさせて頂き、頂戴できればと思うのですがいかがでしょうか? 当方、週末であれば大丈夫です」

 こちらからも、即座に返信。翌8日、午後8時に同窓会メンバーとの定番となったファミレスで落ち合うことになった。

 当日、約束した時間の5分前に「ジョナサン」の駐車場へ。入り口までの短いアプローチ通路沿いのガラス窓の向こうから、つい先日知り合ったのに、もう随分と旧い仲でもあるような懐かしい顔が、ペコリと叩頭の挨拶を送ってくる。やっぱり彼だったか。イベント二日目、中央自動車道河口湖線の最初のPAで、午前11時からの30分間、休憩がてら待機しているので、できるだけそこで落ち合いましょう、という呼びかけで10台ほどが合流できたが、その時に、馴染みの「あど」「Aki23」両氏にまじって談笑したあの顔だった。


*第2ステージ、河口湖畔「富士カーム」へ向かう最初の合流場所、谷村PAにて。向かって右端が「ドライビングマニア」さん。そして「AKi23」「あど」の両氏。



 なんでも、ベストモータリングとの縁は、当時所有したばかりのインテRを貸与し、その謝礼がわりに筑波バトルの実戦見学に招待された、とのことだった。もうその頃のわたしは現役編集長を後進に託していたはずだ。

 コーヒーを飲みながらの1時間はあっという間であった。昭和47年、長崎の佐世保でうまれそだったという。そういえば彼の姓は九州西部に多く見られる。相当に熱く激しい気性の持ち主であるはずだが、それをうまく知性がコントロールしているに違いない。愛車のインテRを提供したことからも、その辺が読み取れる。

「特別賞」を用意しながら、渡し損ねた不手際を詫びたところで尋ねた。 
「自分の希望したのが貰えなかったのに、何を受け取ったのかな?」
「どれでも、みんな欲しいものばかりですから、ご心配なく。そして結局は、こうやって直接に逢えて、欲しかったものをいただけたのですから……」





 しばらくはこちらが持参したiPadから「みんカラBLOG」を呼び出し、彼が知りたがっていたベスモ最終号の「ファイナルロケ」の様子は、この辺から読んでいくといいよ、と2011年06月20日の『ファイナル・バトル』を開いてあげたが、その翌日から、彼の「イイネ!」登場が増え始めた。それも規則正しい一定のリズムで。

● 5/09 12:45 「青春」のメッカ FISCO
● 5/09 21:37 さらば 汚された英雄 ~元祖「不死鳥伝説」Part ⅳ
● 05/09 21:39 韋駄天の申し子、羽ばたく~元祖「不死鳥伝説」Part ⅴ
● 05/10 07:49 「30度バンク」を歩く〜9月11日のスーパーGT観戦 
● 05/10 08:52 痛恨のクラッシュ ~「あの事故」と同じ舞台で
● 05/10 11:38 五木作品に登場するクルマたちよ! テスタロッサ

嬉しくなって、5月10日の夜に「連帯と感謝のエール」をメッセージする。

——−こんばんは。その後「イイネ!」で、今何を読んでいただいているか、少し気にしながら、ニヤニヤしています。率直に言って、どうですか? そろそろ本気で単行本化しようと、ある人物と相談しているところです。
「長崎」のご出身とありました。どこですか? これから「島原の乱」に関わるはなしをまとめなければなりません。深夜の挨拶です。

 あたかも、そのわたしの「深夜の挨拶」を待っていたかのように、その想いを文章化して、彼のメッセージ欄からこう伝えてくる……。ご本人の承諾を得たところで、紹介したい。)

「(挨拶は省略:正岡)ブログは普通に読書をしているかのように魅入ってしまっています!
ガンさんの過去の歴史はサワリ程度に存じておりましたが、ご本人に話をうかがいに行かれているとは、出版社出身のジャーナリスト精神が掻き立てられるものでしょうか。私たちでは触れない、触れられない、いや触れる勇気がありません。

これまで歩んでこられた歴史にも魅せられています。そのパワーをひしひしと感じております。
あんな完成されていたベスモも産声を上げた時は苦労されたようで、何事も最初から恵まれた環境などありゃしないことを改めて感じました。





また私にとってベスモ最終回は、スタッフでも関係者でもございませんが、豪華絢爛の車両を用意されていることに感動して涙腺が緩みましたが、ブログでの辛口なコメントをされているところから推して、そんな単純な状況でなかったのだと思い知らされました。
(中略)
本題のブログの件ですが、ぜひ本として発行していただきたいと希望します。
私の様にベスモファンでありながら、車から離れてしまい、みんからも知らない方もたくさんいらっしゃると思いますので、発行される際は、ベストカーで告知していただけると、相当数の方が知る事となりますので、ファンにとってはありがたいとおもいます。是非ご検討いただけたらと思います。

今、ブログを読ませていただいていますが、iPhoneを置くと読みかけの本を置いたのと同様、次の展開を待ちわびる子供の心境となっております。
しかし、北野選手、高橋選手、ガンさんの時代のレース、また背景は非常にヘビーですね。現在の華やかなモータースポーツでは想像出来ないくらいシビアな時代だった事が理解できました。

ちょっと早いペースで読んでおりますので、少しslow-downして、引き続き読書させていただきます。ps メールありがたいです」

 そして、それからの「ドライビングマニア」さんの「イイネ!」は確実に、「つれづれなるままにクルマ一代」をトレースしてくれているという「報告書」となっている。

 CAR VIEWの「みんカラ」SPECIAL BLOGを引き受けてから、もうすぐ満5年になる。その間、どれだけのタイトルを書いてきたのか。日々の出来事と、おのれの想いとかを過去に創り上げてきたメディアの舞台裏と絡ませてきた記録の「玉手函」は、かなりのボリュームとなっている。ま、突然にこれらの記録が消滅することはないだろうが、そろそろ本格的に手をつけなければならない。実はそのことは、2年前に『局長の仕事』を本にするプロジェクト』として予告済みなのである。         
(以下、次回更新へ)
2016年05月05日 イイね!

徳さんの『ポルシェ911偏愛学』を復刻する願い!

徳さんの『ポルシェ911偏愛学』を復刻する願い!ドキュメント第5回ベスモ同窓会 Part③



 いよいよ、「5thベスモ同窓会」の第1ステージ、代官山編のオープニングが迫ってきた4月22日。
 約束の午後4時ぴったりに、同じ練馬区在住の「MDi」さんが迎えにやってきた。この日は駐車料金のことなどを配慮して、奥方に送ってもらい、恐らく12時近くにまで続くに違いない懇親ミーティングが終わる頃に、今度は代官山まで迎えに来てもらう、という。
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 引き続き、白のBMWアクティブハイブリッド 3 Mスポーツを駆って、埼玉県狭山在住のカリスマカメラマン、CMOも合流してきた。幹事役をお願いしているメンバーには、5時半には代官山に集合するよう、お願いしてあるからだ。
 あとの二人、「2315」と「イワタカズマ」の両君には現地で待ち合わせるスケジュールだった。

「行こうか」
 この日、会場で展示予定のサファイアブルーメタリックのMacan Turboを先頭に、2台で渋谷・代官山を目指す。が、その前に寄り道が一つあった。『PORSCHE
Pride & Progress 偏愛グラフィティ』の出版元である有峰書店新社に立ち寄って、蔦屋書店から土壇場になって追加注文を受けた「中谷明彦サイン入り」分15冊を、 担当の佐々木亮氏に渡さなければならなかった。これで先に渡した45冊と合わせると、60冊になる。それに、これからトークショーのあとのサイン会で、ガンさんに1冊1冊、サインペンを走らせてもらわなければならないのだ。

 もちろん、彼は待っていてくれた。そればかりか、蔦屋側に追加のサイン本を渡したあとは受付の手伝いだけでも、とボランティアを志願してくれたのだ。その裏側にはちょっぴり、助手席でもいいから、ポルシェMacanのフィーリングを体験したい、という好奇心があったのも確かだった。

 5時をちょっと回ったところで、Macan TurboとBMW—AH3の2台は代官山名物のパーキングエリアに入る。かつて名家の庭園であった名残が感じ取れるスペースにゆっくり120 台が、駐車できるゾーンの一番奥で、すでに到着している2315、イワタカズマの両君が手を振っている。911Turboも無事到着していた。

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 ようやく、前年の夏頃から始まった『偏愛グラフィティ』の編集活動と、その流れを汲んだ『同窓会』イベントも、ようやくゴールを迎えようとしていた。恐らく、期せずして勢揃いした4人のメンバーがここに集まったわけだが、実際のところ、彼らの献身的なサポートがなかったなら、この日は実現しなかっただろう。
そんな彼らのそれぞれの思い入れと、行動の軌跡は、それぞれのアップした「みんカラ」BLOGにきっちり、収められている。どうぞこの際、「ベスモ同窓会」編集部員たちの、それぞれの「作品」をご賞味いただきたい。順番はアップ順としようか。

イワタカズマ=第5回ベストモータリング同窓会、無事に終了!
MDi (動画担当)= ベスモ同窓会に行ってきた!(スタッフだけどね)
③ CMO(偏愛グラフィティでは下邑真樹)=第5回 ベストモータリング同窓会 レポート
④ 2315(偏愛グラフィティでは仁川一悟)= 
あれから1週間。怒涛の『裏』ベスモ同窓会を振り返る。準備編
同 本番編  同 最終回特別編『ターボ』に乗る
 
 これで、今回の「ベスモ同窓会」の様子はすっかり裸にされてしまった。したがって、ここからは、この同窓会イベントで、わたし自身がどうしても記録しておきたい、あるいは伝えたかったのはこのことだった、という部分のみをピックアップしていきたい。

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 午後8時、トークショーは予定通りに始めることができた。すでに定員を大幅に超えた来場者、それにカメラをもって駆けつけてくれたHOT-VERSIONチーム。本田編集長、仁禮義裕、小林学の両君。田部靖彦君、そしてCARTOPの野田航也。講談社でベストカーやベストモータリングの宣伝をプロデュースした斎藤尹克さんの懐かしい顔も。
 
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最初に挨拶にたった「クルマ・バイク」コーナーの責任者・清野さんから紹介されて、司会役としてマイクを渡された。うしろにガンさんと大井君が控えているから気は楽だ。それでも最初に伝えたいことがあった。忘れないようにと、しっかり携帯したバッグから、1冊の本を取り出す。徳大寺有恒著『ポルシェ911偏愛学』である。

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 実はこの本のことがずっと、気になっていたが、手元からいつの間にか消えていて、ベストカーに問い合わせても、やっぱりいつの間にか消失しているという。仕方がない。講談社の図書館なら間違いなくあるだろうが、借り出すワケにも行くまい。
 そこで一縷の望みを託して、直接、徳大寺未亡人の優子さんに電話を入れた。早速、書庫の方を探してみましょう、という返事。が、翌朝の電話で、どこを探しても見当たらない、と知らされる。ない、となると段々にムキになるのが悪い癖。ちなみにネットオークションをのぞいてみると、10,000円近い値がついている。
もう一度、ベストカーに電話を入れる。宇井編集局長が出て、近く徳さんの蔵書管理の打ち合わせで徳大寺家に伺う予定なので、そのときにもう一度探してみましょう。ないはずはないでしょうから、と心強い返答。これは待つしかない、と肚をきめた。

 二日後、宇井編集局長から電話が入った。お目当てのものが見つかって、いま手元にありますが、送りましょうか、と。逸る心を抑える。いや、本郷編集長に今回の「同窓会イベント」で協賛品を出してもらえることになっていて、これから頂戴に上がるところだから、こちらから伺うと答える。



『ポルシェ911偏愛学』の表紙はポルシェ・フリークで知られた佃公彦さんが書き上げてくれていた。いわゆるペーパーバックスと呼ばれる軽装版で、昭和58(1973)年7月31日の発行であった。ベストカーも月2回間にシフトチェンジするなど、好調の波に乗ったところだった。そこへ徳さんから「ポルシェ911」の本を書きたい、と申し入れがあった。もちろん異存はない。

 タイトルは「ポルシェ911盲愛・溺愛の記」。悪くはないが、そうベッタリしないで、自らの立ち位置は分かっているよ、という意味で「偏愛学」としませんか、と。

 それから33年が経って、今度は黒澤元治・中谷明彦の共同監修で「ポルシェ」の「誇りと進化」をテーマとした「グラフィティ」を出版するにあたって、もう一度「偏愛」という言葉を、タイトルの一部に採用した。

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 そのきっかけとなった徳さんの「旧著」に改めて目を通した。ブツブツと泡立っくるものがある。この本、なにか、わたしたちが忘れかけているクルマとの付き合い方を呼び覚ますものがある。その第1講は「魅力度」について、徳さんは吹き上げてくる想いを隠さない。告白しよう! 私はいま911に“ベタ惚れ”なのだ、と。
以下、「歴史的考察」「ボディスタイル」「メカニズム」と話が進み、その第5講「ドライブフィーリング」として、『全開のポテンシャルを引き出す911の乗り方、走り方』を精魂こめて書き込んでいる。そして、「箱根山中は911 にぴったりのフィールドだ」という小見出しをつけてしまう。

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 私の箱根のドライブには2つのルートがある。ひとつは東名高速道路を厚木IC で降りて、そこから厚木−小田原道路に入り、伊豆口にほうから箱根ターンパイクの入り口に来る。
 ここからのスタートで、大観山の頂上、そこから右に折れる。ここから少しの下りは狭くてリスキーだがとても面白い。再び別れ道があって、そこを直進、ここから100円払う(正岡註:今でも100円かな?)料金所までは、広い道でスピードも出る高速コーナー。

 料金所を過ぎてロータリーを1周し、国道1号線と交叉する十国峠を走る。その昔、学生時代によく攻めたワインディングロードも随分と荒れており、ブラインドコーナーの先にゆっくりと走るクルマなどいて、とても危険。
 国道1号線を直進すると、いよいよ箱根ターンパイクと並ぶ私の好きなコース、芦ノ湖スカイラインである。
 杓子(しゃくし)峠をこちらから行くと、この右ハンダーちょっとしたコーナーだし、いたるところにあるコーナーとコーナーが上手く連続したSベントが楽しい。

 やがて分かれ道を(正岡註:湖尻峠)右へ降りて仙石原へ出てハイランドホテルでお茶を飲むか、あるいは調子に乗っているときは真っすぐ走っていって長尾峠を下るかとなる。これがひとつのコース。

 もうひとつは基本的にこの逆で、逆に東名高速・御殿場ICから乙女峠(好調時はこれも右へ折れて長尾峠)、仙石原、芦ノ湖スカイラインというコースだ。
 時間があれば伊豆スカイラインなどこの周辺にも魅力的なコースが多いが、東京を発って5〜6時間でかえるというには、このコースが一番いい。

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 特にベストは秋口の早朝、春先もいいが、ことによると道が凍っていることもあるので神経をつかう。夏は早い連中が多く、これまた危険だ。冬はもう必ず凍っているので、箱根行きはやめるというわけだ。

 私が自分のポルシェ911SCSと最後のドライブをたのしんだのは1982年の春3月であった。コースは厚木で降り流なる、どちらかというとコンベンショナルなルートである。
 箱根ターンパイクの入り口でクルマを一度降り、タイヤを全部チェックした。途中、東名高速でブレーキ、その他をチェックしたが、車検整備でクラッチ、ブレーキ、エンジン調整をやっているので調子は文句ない。
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 ウィークデイの午前中とあって道は空いており、凍結もまったくなしという好条件だ。
 わたしはゆっくりゲートを通過し、チラッとバックミラーを見やってから愛馬にムチをくれるごとくスロットルを一気に踏みこんだ(このスロットルの全開は同じ速く踏みこむにしてもポンと蹴るのではなく、やや重々しげにグウーイとばかりふみこまねばならない)。
 ゲートから10%の勾配で続くストレートを3ℓ、フラット6は問題とせず一気に加速する。ゴォーッ‼︎ 6300回転でセカンドへシフトアップ。みるみるうちにゲートは遠くなり、ポルシェ911SCSは車速を上げる……。

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 と、こんな具合に「徳さんのポルシェ911SCS箱根ワールド」は、さらに10ページ以上も際限なく続き、やがてこの愛馬を手放すと決めたのを悔いはじめる。そして、この43歳(当時のこと)、まだやれるぞ!と舞い上がりはじめる。

 読み始めたらとまらない、とはこのことだろう。
 これはやっぱり、わたしが『復刻版』として「電子書籍」にアップするしかない。よし、決めた!          (この項、まだ続く)
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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
何シテル?   08/17 07:44
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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