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正岡貞雄のブログ一覧

2016年08月20日 イイね!

『峠の魔王』刺客としてのMine’s新倉通蔵!

『峠の魔王』刺客としてのMine’s新倉通蔵!〜『Hot-Version』大変革への兆しだろうか?〜


 届いたばかりのパッケージの封を切る瞬間が、たまらなく好きだ。
 iMacの PCに接続してある再生機に、新着のVOL.141のディスクを吸い込ませ、ルーティンのオープニングシーンを愉しむ。ヒュルルとスターターがまわり、エンジンが目を覚ます。続けてウィーン、ウィーンとレーシング音が……。そして、ナレーションが、凄みをきかせて、こちらの心の昂りに応える。「峠、最強伝説」と。



 軽妙なレギュラー3人のおしゃべりと「しもべGAL」とのじゃれあいで空気を軽くしたところで、画面は本題ヘと導かれる。
 
 磨き抜かれたマシンたちよ 峠を制せよ!
 あいつより踏み切れるか! あいつよりもっと先へ!
 
 奪うは その称号のみ 『峠の魔王』
  
 新たな幕を開ける TOUGE最強伝説
 その刺客が早くも登場!
 魔王狙いマシンテスト!
 限られたセッティング時間で 歴代の区間ベストに どれだけ迫れるのか!



 だれが書き上げたキャッチコピーか。ビートの効いたリズムと、テンポのいい映像と一つになって、おお、いつものように気分が盛り上がる。期待が膨れ上がる。そこへ、あの伝説のチューナーが、20インチのRE71タイヤを搭載するR35 GT—R(2011 Model)を投入して、峠に初挑戦するという企画だ!



 Mine’s代表、新倉通蔵! なんとも懐かしい顔とマシンである。1995年ころからBMを舞台として筑波サーキトでしのぎを削ったチューニングカーバトル。その時の正統派チューナーとして評価の高かったあの人が、登場してきたのだ。

 20年も経つと、すこしばかり頭頂部が薄くなったのは、お互いさまだろう。腕組みしたまま、ゆったりと語りかける。

「峠なんかを走る場合には、あまり大パワーだとやっぱり持て余してしまう。一般路のチューニングとしては、その手本みたいな感じで、ハイレスポンスのタイヤで、うちの3.8ℓのままのコンプリートエンジンを積んだGT—Rできましたが、どのくらい走れるか? 最初なので、ちょっとどうなるか、という心境です」
 と、素直に不安を隠さない。

 敬意を表して試走はドリキン土屋から。いきなり踏んでいる。疾い!
「怖いところがないね、このクルマ」
  それが最初の印象だった。ナレーションが呼応する。
「峠では、(それが)もっとも重要なファクターだ。怖さがあったままでは、ドライバーはタイムを削りにはいけない。GT-Rの歴代ベストは、MCRの出した25.682。これにどれだけマインズは迫れるか」







 初めての走行で、土屋が26.167秒をマークして帰ってきた。
 開口一番。
「これは、慣れれば攻め切れるよ、このクルマ。硬いんだけど、信用できるね」
 つまり、硬いけれどタイヤが路面から離れている時間が少ないから、安心して攻められるということだ。
「まだ様子見していっているけれど、乗りやすいよね。何回でも攻めたくなるクルマだね」



 そばで少し安堵の表情をみせる新倉代表。続けてマインズGT—Rでコースインする織戸学。さきごろ失態を演じた例のコーナーを抜ける。「よく曲がるね」とハンドリングのよさを認めながら、あっさりタイムを25秒台に入れてきた。



 3人目、谷口信輝の評価も、似たものになる。本質のしっかりしたものは、そうなってしまう。タイムはMCRに迫る25.732をあっさりマークする。
「速ェぞ、これ。いいね、これ。物凄くいい、これ」
 初めての群サイでこの走りだ。マインズ、恐るべし! ナレーションも絶叫する。GT—Rから降りてくると、興奮を隠さない。身振り手振りで、インプレッションを伝えようとする。
「どの領域でも、ともかく、走りながらでも、いまタイヤが、こういう風に荷重がかかって、いまこういう風に頑張っているというのが目に浮かぶ。とにかく35GT-Rなのに、すごく楽しく、群サイを走れる」
 群サイに新鮮な戦慄が駆け抜けていた。

 
 カメラが新倉代表に移って、締めくくる。
「(これまで群サイに)来たくなかったわけじゃないんだけど、ちょっと遠のいていて、はじめてになったんですね。今日は気温も高かったし、路面温度も高かった中でしたけど、それがよかったのかな、みんなに褒めてもらえたし、ま、峠というもののデビューというかたちで、ちょっと衝撃的でした。ありがとうございました」



 Mine’sと新倉通蔵さん、いい味をしているね。このところ、「峠の魔王」シリーズも過激な軽量化とパワーアップがヒートしてきて、この先の展開が憂慮されていた。そこへ登場したオーソドックスな正統派チューニングで、かつて頂点を極めたレジェンドのマシンが、このステージでどんなものだったか。

 答えは3人のドライバーが、声をそろえて「怖くない。安心して踏める。タイヤがいま、どんな状態なのか、目に浮かぶ」と絶賛しているこの情景。

 記憶力のいい「ベスモ・ファミリー」なら、すでにあの頃を想い出しているに違いない。1995 年6月号、そう「R33 GTR チューンドBATTLE」と銘打ち、頭から尻尾まで、黒澤元治を筆頭に、中谷明彦、土屋圭市、服部尚貴、黒澤琢弥、桂伸一、大井貴之の7人のキャスターが総出で、各チューニングショップから持ち込まれたR33 GTRを、徹底的に検証したあの号である。




 バトルでは結局、Mine’sの32GTRがガンさんのドライブで制し、桂コボちゃんのMine’s 33GTRが2位となったように記憶している。
 チェッカーフラッグ振りが私の役目だったあの時代……なぜ急にそこへ回帰しようとするのか。そうだ、それをもう一度鑑賞してから、次回にその意図するものを、お伝えしたい。
Posted at 2016/08/20 23:49:18 | コメント(7) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2016年08月19日 イイね!

「プリンスから変革者へ」柔道・井上康生の「お見事!」

「プリンスから変革者へ」柔道・井上康生の「お見事!」 〜再生プランは2004アテネ五輪での惨敗からスタートしていた〜

 メダルラッシュに日本列島が湧いている。なかでも、ひときわ活躍してくれたのは柔道ニッポンではなかったか。8月17日現在で7個の金メダルのうち、柔道が3個である。恐らく、8月15日に帰国したときの熱狂的な羽田空港での出迎えを、出発前に予測できた人はだれひとり、いなかったろう。





 リオ五輪のTV中継がはじまって、水泳、体操、そして柔道と、日本選手の健闘ぶりが伝わって来る。なかでも「堕ちたお家芸」柔道の各選手の闘いぶりが劇的に逞しくなったのに驚いた。これまでは、得意としていた軽量級は別にして、中量級、重量級とクラスが上がっていくほどに、外国選手と組み合ったときの非力さが顕著だった。それがどうだ。積極的に接近戦を試み、相手を圧倒していく。

 特に男子100kg超級で原沢選手が、世界最強と謳われていたフランスのリネール選手と金メダルを争ったあの試合が象徴的だった。指導1の差でやぶれはしたものの、怯えて腰が引けていたのは勝者の方だった。

 すべての日本選手が、まるで格闘技の勇者ででもあるような攻撃性を体得しているではないか。格調高い、といえば聴こえはいいが、畳の上の講道館柔道を、遠慮なく、かなぐり捨てている。その結果が、男子7階級で万遍なくメダルを獲得、女子が田知本選手の金メダルを筆頭に5個のメダルを持ち帰るという成果をもたらした。

 そのすべての闘いぶりを選手団席の真ん中から、いつも静かに見守っている男の姿を、つねにTVカメラで捉えているのが印象的だった。男子監督の井上康生である。彼こそが「日本JUDO」を根底から変革した震源である。柔道から、JUDOへ。その辺の検証が、これから競って、マスコミを賑わせてくれることだろう。そんな想いのなかから、プチプチと音を立てて蘇ってくる、井上康生監督にまつわる記憶があった。

 あれは2003年の暮れのことだった。
「ベストモータリング」を製作・発行している2&4モータリング社から解放され、やっと自由の翼を得て、念願の「ルーツ探訪」の旅を愉しむかたわら、「対談構成作家」としてデビュー(?)、『釣りキチ三平』で高名な矢口高雄さんをホストに、月2回刊の少年マガジン名作コレクションで『元気の出る勇所して対談』の連載をスタートさせていた。



 

 第1回はパリ・ダカールラリー優勝直後の増岡浩。月2回刊の縛りの関係上、1回の対談を前後篇の2回に分け、以下、薬丸裕英、清水国明、The BOOMの宮沢和史、ザ・グレート・サスケといった脈絡のない選択法で、とにかく逢いたい人を片っ端からターゲットとした。片山右京、水島新司。そして10人目の「餌食」になってくれたのが、当時の日本柔道界のプリンスであり、重量級のエースであった井上康生選手だった。

 その出会いを、わたしは前編と後編をつなぐ「リード」として、こう書き止めていた。


 対談に先駆けて、講道館で迫力満点の稽古を見せてもらった。そのあと、至近距離の東京ドームホテルの一室で、たっぷり1時間にわたって対談した。そして、同じホテルにある焼き肉レストランで食事を一緒にした。網の上で肉が焼け出すと、さっと私の皿にジュウジュウと音を立てているその肉が移される。彼の心遣いである。エレベーターに乗る。最後まで閉まろうとするドアを押さえ、全員が出てから、やっと自分が出る。その一連の動きに感心させられた。すべてが爽やかで、自然なのだ。ほんものの「強い男」に巡り会えた。

 クレジットは「矢口高雄」とあるが、それは構成者の想い、そのものであった。

「対談」のなかで井上選手は、はっきり目標が「アテネ五輪の代表となって金メダルを手にする」と断言しながら、その一方で「シドニー五輪、世界選手権と、ずっと勝ち続けてきて、《勝つ》ことへの貪欲さというのを、すこし忘れていたような気がします」と、不安を隠さなかった。チャンピオンとなるために今のままの練習法でいいのだろうか、という疑問も隠さなかった。世界の格闘技の研究に心が動いていることも隠さなかった。


 実はその頃、彼は自分が頂点を越えてしまったことを自覚していたようだ。アテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲はシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待したが、準々決勝でオランダのエルコ・ファンデルヘーストに背負い投げで一本負けを喫した。敗者復活戦に回った三回戦でアゼルバイジャンのミラリエフに大内刈りを返され一本負け。五輪二連覇の夢には届かなかった。と同時に日本の柔道は、それから8年間のひ弱な時代に突入し、柔道発祥国の威信を喪っていった。内部の不祥事発覚もあって、当然のように、それまでの指導者たちが退陣する。

 2012年、再生の変革者として重井上康生重量級コーチが監督に就任する。それまでの精神論に終始する前近代的な指導法を一掃、「時代にあった技術や練習方法を考えたい。戦術戦略面でも日本人は研究され、丸裸になっている。医科学を含めた強化も必要」との所信を表明する……。と同時に前体制で廃止された担当コーチ制を復活させ、各階級できめ細かな指導を行うと同時に選手とのコミュニケーションを密にする態勢をつくりあげた。

 その変革の果実が、今回のリオ五輪で実ったわけか。帰国会見で静かな喜びの心境を語る井上監督。12年前の柔道界のプリンスの本物の成長に、改めて「お見事!」と祝福の拍手を送っていた。

 この8月の「鬱の色」はあっという間に「輝きの色」に変わってくれた……。
Posted at 2016/08/19 00:47:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 還暦+20歳の青春 | 日記
2016年08月14日 イイね!

8月、ああ「鬱の色」に染まってしまう

8月、ああ「鬱の色」に染まってしまう〜それでも年々の変化を楽しみにして克服するぞ〜

 ミンミン蝉の朝の勤行(ごんぎょう)が終わったらしい。午前9時を過ぎた途端、ピタリと「ミィーン、ミン」が聴こえなくなり、油蝉の抑揚のない低音の歌声だけが暑苦しく伝わって来る。ツクツク法師はまだだろうか。

 毎年、8月6日の『広島原爆記念日』を迎えるあたりから、決まってテンションが「鬱の色」に染まってしまう……。困ったものだ。


*広島市原爆死没者慰霊式(NHKテレビNewsより)

 71年前の昭和20年(1945)。8月8日は、北九州工業地帯の中心であった、当時の八幡市が200機を超えるB29爆撃機からの焼夷弾投下で焦土と化した。その記憶を中心に、「広島」「長崎」の悲劇、8月15日の「終戦の日」と、忌まわしい出来事が、重なり合いながら蘇ってくる。それでも「みんカラ」BLOGを5年前から連載しているおかげで、その年々によって、そんなに「鬱の色」ばかりではないことがわかって、ホッと救われる。

 たとえば2011年の8月8日に『韋駄天の申し子、羽ばたく ~元祖「不死鳥伝説」Part ⅴ~』とタイトルして、1940年8月6日生まれのガンさんを、『汚された英雄』ものの一環として、少年時代のエピソードにアプローチしている。

 と同時に、復活してくれた『ホットバージョン』を紹介、その次の日には『雨中の激走! 美女と野獣の凸凹コンビ』と称して、懐かしきレース仲間・長谷直美さんとの記憶を掘り起こしている。

 次の年、2012年は? 『6代目ミラージュ復活の日に逢った人々』を8月3日に書きあげた後、『主家再興の秘密活動基地へ!~400年も語り継がれてきた秘話を紐解く~』と、動きが随分と、活発になってきているのが嬉しい。

 2013年になると結構、「熱い(暑い、ではない)夏」を楽しめるようになっている。『甘酒ぶっかけ』&『菅生スーパーGT』の両バトルか。菅生の方はTV観戦によるレポートだが、甘酒ぶっかけバトルの方は、7月最後の日曜日に埼玉県秩父の荒川の源流近くまで赴いて、その奇祭の模様を、結構、丹念に描きあげている。

「甘酒祭り」が初耳の向きには是非、ご一読願いたい。一度はその祭りの輪の中に飛び込めたらいいな、とわたしも願ってしまったものだが、ま、実現できる日があるのだろうか。

 2014年。真正面から「鎮魂の夏」と向き合い、書きとどめたいことを、凝視した。

鎮魂の夏…『長崎の鐘』と『終戦の日』の狭間で

鎮魂の夏② 8月9日、もしもあの時・・・

 そして昨年の今頃は? 8月4日に『ガンさんの「新ドラメカ動画付版」配信を緊急告知した朝』をアップしたまま、2週間 開店休業。かといって、無気力だったわけではない。実はその頃は単行本『ポルシェ偏愛グラフィティ』の編集・制作に突入したところで、中谷明彦君と若い仲間を混じえての「ポルシェ漬け」の日々が、賑やかにスタートしていた。


*東京湾岸地区でのお気に入り撮影ポイント

 その辺の状況は、ダイアリー代わりに記録してある昨年分の『何シテル?』から拾ってみると……。

 8月7日(金)の午後5時の約束で、目黒雅叙園のアルコタワーへ。ポルシェJAPAN広報車から、折からのお盆休みを利用して、911 GT3とMacan Turboの2台の借り出しに成功、その受けとりに赴いている。

 といっても、ひとりで2台のポルシェを動かせるわけはない。「みんカラ」を母体にして自然発生した「ベストモータリング同窓会」の運営スタッフの献身的なサポートに支えられていたのだ。
 それでもまずMDi夫妻(練馬区在住)にグランティスで目黒まで送ってもらい、そこでMDi君と手分けして、HOTマシンの権化であるGT3を、一旦「ベストカー」編集部のある江戸川橋まで移動させる。撮影予定日の日曜の朝まで車庫に預け、管理と移動の担当を、執筆グループに抜擢した「仁川一悟」君(このポルシェ本に関わった時点でペンネームをプレゼント。みんカラネームは2315)に委嘱したものだ。



 ちなみに仁川君はポルシェスパイダーのオーナーで、有楽町線江戸川橋のひとつ隣り駅の飯田橋に在住するという嬉しい(便利な?)ご縁であった。
 もう1台のMacan Turboはわたしのお気に入り。当然、自分の運転で、マンションの駐車場へ。かくして無事、ハードな1日が終わった。


 1日置いて、9日の日曜日。カリスマカメラマンの下邑真樹(みんカラネームは、CMO)君が埼玉県狭山市から愛車のBMWアクティブハイブリッド3で、わがマンションの駐車場まで、駆けつけてくれる。涼しいうちに、と午前7時の集合だった。
 Macan Turboを従えて、中谷君の待つ浅草橋へ。そこへ仁川君が真っ赤なGT3で合流。撮影ステージである東京湾岸・ゲイトブリッジへ。曇り空のもと、GT3のインプレと撮影。午後1時、無事終了。取材班、解散。で、GT3のステアリングを握って、わたしだけの秘密のインプレ強行! 向かった先はあの《音羽ニュル》。地を這うように走るGT3.車高調整機能はついていない。その結果は?……といった具合だった。そしてその年の8月は、慌ただしく終わっていった。


*撮影後、中谷君を囲んでのファミレスランチ


*ここが「音羽二ュル」のストレート。路面の凹凸は半端ではない。

 さて、2016年の8月に入って直ぐの4日の夜に、仁川君から「メッセージ」が入った。8月7日夜、久しぶりにファミレス会を開催しませんか? という呼びかけである。残念ながら、下邑、遠藤(MDi)両君は先約が入っていたが、岩田和馬君は「ニュルブルクリンク土産」を携えて駆けつけます、との返事。どうやら、8月に入ってからのわたしの様子を心配して、元気づけのミーティングを用意してくれたものらしい。
 8月6日、広島の朝はあの日と同じ、雲ひとつない晴れやかな夏の空だった。もしも71年前の広島の街の上空が、厚い雲に覆われていたなら、歴史は変わっていただろうか?


*岩田君の二ュル初走行記念のコースターをいただいた。ダンケ、ダンケ!

 8月7日が来た。日が落ちるのを待って、ウォーキングを兼ねて、約束のファミレスまで、富士見台の街をぬけて、ぶらり歩き。仁川君が先着、岩田君もおっつけ着くという。
 
 この若者たちとの2時間ほどのおしゃべりを機に、2016年のわたしの8月は、その色合いがガラリと変わっていく……8月8日の朝、まずイチロー選手の大リーグ通算3000本安打達成のニュースが飛び込んできた。そして、予てから予告されていた天皇陛下の「生前退位」をお望みになるお気持ちの表明。さらにリオ五輪の開幕。「鬱の色」が薄らいでいくのを、嬉しく受け止めていた。
               (この項、まだ続く)
Posted at 2016/08/14 23:41:41 | コメント(1) | トラックバック(1) | つれづれ自伝 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「鬼門のバンテリンドームでの竜戦はTV中継が滅多にない。案の定、左腕大野に丸め込まれて0:2。が7回から竜の投手リレーが始まる。8回表、中野が右前安打で出塁、森下四球でサト輝の登場。このシーン、一発逆転が出るか出ないか。スマフォ速報で固唾を飲む。痺れる。敵はバンテリンの高い塀。」
何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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