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正岡貞雄のブログ一覧

2018年06月17日 イイね!

『富士フレッシュマン戦』に捧げる「EXA純情歌集」

『富士フレッシュマン戦』に捧げる「EXA純情歌集」  〜もう一度、あの『FISCOの青春』を
        「再生」したくなった〜
 


 東名高速・東京料金所から西へ50km、秦野中井ICで降り立ち、北方向に待ち受ける丹沢山塊を目指して駆け上ること10kmあまり。「丹沢そば本店」で催された『富士フレッシュマン同走会』には、ある時代をサーキットに情熱を注ぎ込んだ、かつての若者30人余が集い、時間の経つのも忘れて、交歓の夜を愉しんだ。

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*突き出している中2階からの撮影。これから定番のポイントになりそう。何度数えても総員31だけど・・・

 あの日から、あっという間に丸々3週間が経ってしまった。
そのインターバルのお陰で、パーティがはじまると真っ先に挨拶に来てくれた、ファミリアレースの女王、三野輪良子さんのお立ち台での晴れ姿や、スターティング・グリッドでの様子を伝える「貴重画像」、さらにTSサニーのチャンピオン、関達彦さんのドスの効いた迫力走りを思い出させる写真が、この日の出席者から届くなど、前回のわたしのブログに、彩りと膨らみを添えてくれたのである。

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*P-1600Aファミリアレースの三野輪良子さん。雨のレース。でもPPだから有利だったね。

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*お見事! ボディウムの中央だよ。この後、TSにも挑戦しましたね。


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*こんな集合ショットがあったとは! 正美君の向かって右隣が「丹沢そば本店」の石井店主。B110で闘走した仲間。

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*ゼッケン17のTORIIサニー。ドライバーは言わずと知れた関さんだよ。
  嬉しくなって、持ってきた「がんさんサイン入り」のPORSCHE偏愛グラフィティをプレゼント!
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 それにしても、と懐旧の想いが立ち上がってくる。富士スピードウェイから「富士フレッシュマンレース」という名前が消えてしまってから、どれくらいの月日が立つのだろうか、と。

 早速、手元の資料(「富士スピードウェイ−最初の40年」林信次著=三樹書房刊)で確かめる。

 1966年、富士スピードウェイ開業。アマチュアレースの富士ホリデーレースを開催。
 翌1967年に、富士チャンピオンレースと改称し、シリーズ制となる。
 1970年、富士フレッシュマンレースと改称。最盛期には年間8戦が開催されて、アマチュアレースとして長い歴史を誇り、プロレーシングドライバーを数多く輩出することになる。特に1970年代から1980年代にかけては若手ドライバー育成の舞台として有名だったが、不景気や若者のモータースポーツ離れにより、1990年代以降はドライバーの高齢化が進んで、1998年には、富士チャンピオンレースに再び改称。
 そして、この舞台の申し子として、和田孝夫、土屋圭市、織戸学 飯田章 影山正彦、正美兄弟らの名をあげている。

☆       ☆      ☆

 おお、そうであった。最盛期には富士スピードウェイを活動基盤とする、JAF傘下の公認モータースポーツクラブ(FISCOクラブ、ビクトリーサークルクラブ=VICICをはじめ、トヨタ、ニッサン、マツダのメーカー系クラブ)が寄り合って、年間8戦のフレッシュマンレースを主催していたのを思い出す。
そして必ず1戦だけ、例えばパルサーなら、そのグループはお休みしなければならなかった。それほどに各カテゴリーに参加車が殺到し、それを捌くのに各主催クラブが知恵を絞った時代でもあった。

 幸い、辛うじて手元に『’84年富士レッシュマンレース・第2戦』の公式プログラムが1冊だけ生き残っていたので、それを参考にして、どんなカテゴリーのレースがあったのか、思い出して見ることにする。

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 表紙を飾っているのはEXA。中春のエースナンバー「3」を背負っているのは、確か、内田慎司であったはず。次の年から田部靖彦が引き継いだ。主催は「ニッサンスポーツカークラブ」。開催日が6月24日か??? 第2戦なのに随分と開催日が遅いなあ。そのわけが、このあと、突然、明らかになるのだが……。

 第1レースは「P-1300A スターレット」で参加台数39、ワンデーレースだから公式予選(10分)は8:45。ということは参加確認が7:00、車両検査=7:30、出走前点検・ドライバーズミーティング:8:15と、とんでもなく早朝に始まり、加えて慌ただしい。
前日の土曜日にスポーツ走行し、富士山麓のどこか(御殿場とか須走)に宿泊できる連中はいいが、そんな余裕が許されない若者には、当日の夜明け前から、まことにハードな試練が待ち受けているわけだ。そして、8時45分になって、予選アタックのためにコースインできる、というわけだ。
 
第2レースは「P-1600B エクサ・サニー」で参加台数は40台。エントリーリストが、2ページにわたって載っている。順にチェックしたくなる。
カーNo.1 蒲原芽里(24) 車名、平田RS-OISO、とってもよく知ってるぞ。
カーNo.2 長島秀夫 (21) 長島自動車、このあとミラージュCUPにステップアップしても張り合う仲。
カーNo.3 内田慎司(28)、No.4 高杉好成(20)、No.5 佐藤宗作(28)は揃ってフレッシュマンの名門「RS中春」からのエントリーだし、No.9 森田和範(27)、No.10 稲葉章治(24)、No.11 田中重臣(21)の3人は竹平素信率いる「チームマジョルカ」の面々。そしてNo.19が近藤真彦(19)。そうだった。マッチのFISCOデビューのレースだったのだ。ということはわたしもNo.55で参戦したあのレースとして、ちょっと詳しくレポートしたくなってきた。

幸い、当BLOGカテゴリーで《サーキットに生きる》に一纏めにしてあるので、そちらからアクセスしていただくのも一興だが、差し当たって、以下の3項目にお立ち寄りいただければ、富士フレッシュマン戦に捧げる純情歌集の意図するところの「前説」にはなるはず。どうぞ、ぜひ!


2012年03月07日
●パルサーEXAにのめりこんだ日々 
~わが青春のFISCO熱走~
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/25685614/

この項のさわりは、パルサーで修業中だったわたしが、第1コーナーに赴いて、EXAに魅入られたあの瞬間だろう。

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−−−−第1コーナーで彼らの走りを観察したことがある。トップ争いの5台が一塊になってインをとろうとして、そのうちの1台が右側のマシンと接触して弾かれた。で、ほかの2台も大きくスピンしてイン側のグリーンへ飛び出そうとする。第1コーナーに陣取った観客は思わず目をつぶった。が、彼らはなにごともなかったように仲よくコースに復帰し、レースを継続したのである。この瞬間、ぼくはパルサーをやめ、彼らの仲間に入れて貰おうとこころに決めた。

 そして、ここからが「第2レース」の、わがレポートである。

2012年03月15日
●マッチ狂想曲 ~わが青春のFISCO熱走・EXA編②~
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/25766203/

この項は、中段からはじまる以下の章が肝になるので、その部分を抽出しておいたので、ここからお入りいただいてもいい。

■近藤真彦でFISCOは3万8000人の大観衆
 筑波でマッチのマーチを走らせた余勢を駆って、6月24日の富士フレッシュマン第4戦(といっても、雪にたたられてのやり直し戦だから正確には第2戦にあたる)へ。
 もちろんFISCO入りはレース前日の6月23日。パドックはすでに同じ格好をしたローティーンの女の子であふれ返っていた。サーキットでこんな異常な風景を見たのははじめてだ。日産大森の関係者がぼくを手招きする。パドックの手前にある日産チームのガレージ控室へどうぞ、と。人垣を掻き分けて中へ。部屋の主は近藤真彦クンだった。19歳の若さが匂い立つ。ともかく、初めてのレース、誰かリード役をお願いしなくては、というので最年長のぼくに白羽の矢が立ったのだろう。

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当日の観客数は主催者側発表が3万8000人。サーキットが女の子の占領された、異変の日でもあった。パドックも人が溢れ、もうみんなが異常。せっかく早めに予選スタートできる位置にマシンを並べたのに、オフィシャルはなにを血迷ったのかマッチのクルマを中心に混雑している側から、どんどんコース・インさせてしまう。クレーム(文句)をつけようにも、こちらはヘルメットをかぶっているから大声もたてられない。やっとドン尻あたりからスタート。もう先頭に飛び出したグループに1周はハンディをつけられた勘定であった。

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 ムカムカして1周し、ピットサインをみると、なんと、2分5秒台を知らせてくる(このタイム、トップクラスのもの!)。これは凄いぞ! おれもずいぶん速くなったもんや。あとはマシンを大切に……なんぞといい気分で予選15分を無事走破、予選結果の発表をゆったりとドライバーズ・サロンで待ったわけである。

1時間後、ライトグリーンの紙に刷られた予選結果をみて、わが目を疑う。なんと34位で予選落ちじゃないか!(出走40台)あの近藤真彦クンは2分08秒31で33位、ぼくは、それに遅れること0・04秒。ああ! なかよく、予選落ち。(以下,略)

 その後日談が、こちら。

2012年03月18日
●マッチの本音が訊けた『博多の夜』 
~FISCO熱走・EXA編③~
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/25795824/

 さてプログラムの第3レースは、NPオープンレース Ⅱクラス(1301cc〜1600cc)とⅣクラス(2001cc〜3000cc)の混走で、土屋圭市がカーNo.2 「ADVANキャロット倉田トレノで出走、格上のスカイライン勢をきりきり舞いさせ、今でもFISCOの語り草となっている凄い走りを披露するのだが、恐縮ながら、ここで一服させていただく。

 富士フレッシュマン戦を舞台にした青春の軌跡。この際、紹介したい無名の若者たちの目の光と情熱を、もっと語らせて欲しい。

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Posted at 2018/06/17 03:49:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+青春の22歳 | 日記
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「終戦の日から80年。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の玉音をラジオから聴き取った9歳の少年の記憶を今日こそ書き残して置こうと言い聞かせながらルーチンのデイリー買いに。虎軍団の巨人戦への昂ぶり。快し。それの比べて孤軍奮闘の翔平の痛ましさはどうだ! ま、パイレーツ戦に期待しよう。」
何シテル?   08/15 08:50
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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