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正岡貞雄のブログ一覧

2022年01月19日 イイね!

『想い出玉手箱』から飛び出した「音羽の梁山泊」始末

『想い出玉手箱』から飛び出した「音羽の梁山泊」始末梁山泊——中国の伝奇小説《水滸伝》の舞台となった山東省の大沼沢を指すが、わが国では転じて「有志の巣窟を意味する代名詞のように使われる。

 ぴったり800ページ。B5判(182mm×257mm)だから、いわゆる週刊誌サイズで、厚さが350mmのボリューム。つまりベストカーを5冊も積み重ねて、上からグイと押しつけた高さと厚みを思い浮かべていただきたい。

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 1978年に生まれたベストカーが創刊30 年を記念して《クロニクル》を2008年7月に『別冊』として発刊した。定価、1200円。売り切れ御免!!と称して10万部を刷った(これは、確認済み)。なにしろ売れ行き業界1位を誇る「クルマ雑誌」。親会社の講談社販売部も鼻息が荒かった。ともかく表紙の売り文句通り「BCの歴史がぎっしりつまった保存版」として、いまや貴重な遺産となっている。

 わたしにも、【『ベストカーガイド』はこうして誕生した……創刊前夜】と題して4ページの内幕を書け、という注文があり、浮き浮きと仕上げた原稿と一緒に往時の貴重な写真も添えて、この企画の責任者であった宇井弘明君にお届けするべく、江戸川橋まで足を運んだ記憶がある。今回の稿を書くに当たってクロニクルの刷り部数を確認したお相手も、当然、編集責任者であった宇井ちゃんということになる。

 そんなボリュームの怪物保存版が本棚に収まるはずはなかった。どこに蔵(しま)ったのかな? 1Fにある専用のトランクルーム(ここ3年間のベストカーを保存)もチェックしてみたが、無駄だった。
「さて?」と仕事場にあてがわれている小部屋の、デスクトップ型PCモニターも置ける、硝子戸つきの書棚に気がついた。パソコンを動かし、引き戸を開けてみた。
「おお、あった!」右端の然るべき場所にちゃんと納めてあるではないか。近年、探し物に振り回される日々の、なんと多いことか。

 早速、國沢光宏君とやりとりした『レコード大賞』の会場からスター歌手たちを『紅白』の舞台・NHKホールまでの移動をバッチリ、スピードガンで『隠れ測定』したはずのページ探しにとりかかった。しかし、なんといっても「懐かし過ぎる名物企画満載の想い出玉手箱」である。ページをめくる手が、すぐに止まってしまう。が、ここはその誘惑には目を瞑(つむ)って、前進するしかない。

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*おお懐かしや、梁山泊の面々。徳さんやガンさんの声が聴えてきそう

 ☆    ☆    ☆    ☆

 《編集部総出で、いつも一生懸命作りました》
 これが巻頭特集のタイトルで、MID4/Ⅰと2年後に発表されたMID4/Ⅱを前にして、それぞれ日産技術陣と編集部員一同がズラリ記念撮影。

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 つづけてページをめくると今度は《ベストカーを支えてくれた協力者たち》が……そして、徳大寺有恒九変化。梁山泊の面々だ。そこから《今、明かされるスクープ秘話》が用意されていて、やっと到着したのが『人気企画 30年前からいろんなものを測っていた!! スピードガン測定ことはじめ』が待っていてくれたじゃないか。ところが紅白歌合戦のもう一つのステージ「東京サーキット」については、何も触れられていない。喜ぶのが速すぎた。

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 どうやら国沢メの勘違いだったらしい。う〜ん、抗議の電話でもしてやるか。腕組みしたところで、ふと目についたのが左ページの外側に【詳しくは238ページ】と但し書きがされている気配り編集。おお、そうであったのか。お陰で、一気に200ページほどをパスすることができた。

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 むむ! そこには【桜田門も協力! 紅白歌合戦への大移動!!】とあって、東京サーキット族は、この日、12月31日、このコース帝劇⇔NHKだけは解禁!!

 このタイトルの踊ったモノクロ4ページグラビアページにたどり着いた。ただし、レポーターは、かつて富士フレッシュマンを舞台にしたレース仲間だった、今は亡き秋山武史君だ。う〜ん、こいつはどこかで話が捩(よじ)れていないか!ま、それはそれとして、掲載フォトと【桜田門公認 帝国劇場➡NHKコースMAP】案内だけは紹介させていただくか。掲載した月号も明記されている。

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  ‘83年3月号。ということは’82年大晦日の取材だから、紅白の第33回にあたる。トリは都はるみ《歌唱:涙の連絡船》と森進一(蔭を慕いて》が務めた。
 ともかく、このままでは、いかにも消化不良だぞ。スピードガンによる《隠れ測定》を敢行したはずの、そのページはいったい、どこへいったのか。
 こんな時には、不思議と助けの矢が翔んで来てくれるはず。ことしの初詣も「大吉」のお神籤をいただいたばかりじゃないか。ここは一息、入れるとするか。

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*秋山ザウルス(武史)君を交えて筑波のメディア対抗(パルサーレースだったかな)に出場したこともあったっけ

 まるまる10ヶ月の空白からやっと復帰した《みんカラブログ》のお陰で、このところご無沙汰続きだった仲間からの「メッセージ」や「コメント」が次々と届きはじめた。やっぱり、ほっこり、嬉しいものです。
 最新の《紅白歌合戦とわがラブストーリー》をアップしたのは1月14日の午前1時38分だったが、その内容に寄せて「あっくんりょうパパ」さんから、午前7時56分に有り難いコメントが届いたのである。ご本人の了解はいただいていないが、頼みにした「神の矢」が早速に届いた状況説明上、引用させていただくのをお許しいただきたい。ちなみに「あっくんりょうパパ」さんと交信しだしたきっかけは、現在ではもう廃コースとなってしまった北海道倶知安のスピードパークについて、ベスモでガンさんのドラテクロケがあった、と懐かしんでくれたのが、始まりだったように記憶している。

——おはようございます。
北海道出身の大泉洋さんが司会を務めているので、北海道民としては「紅白」は外せませんでした。そしてその流れで見る「ゆく年くる年」は、もう、我が家の恒例になっています。
さて、国沢さんがスピードガンで紅白に出られる方々の車を測定した話、ベストカーYouTubeチャンネルで、大井さんと話している回があります。
検索バーで「昭和のベストカー編集部 事件簿」で検索してみてください。前編です。笑えました(笑)


 そうだ! おっしゃる通りだ。國沢vs.大井の「昭和のベストカー編集部 事件簿」は前後編とも、わたしは視聴済みだが、そのやりとりが面白すぎてどんな内容だったか、記憶が定かで亡くなっている。
 
 早速、Googleで検索してみたところ、間違いなく、紅白歌合戦を ターゲットにして、YouTubeで仕上げていた。もう講釈は要らない。なにはさておいで、《あっくんりょうパパ》のお奨め通りに、検索バーで、【昭和のベストカー編集部 事件簿 前編】を呼び出していただきたい。17分55秒物だが、12分あたりで、司会役の本郷編集局長に「これは素晴らしい企画ですね」とうまく乗せられた、國沢&大井のハチャメチャコンビのおしゃべりは、たしかに絶品。

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 さて、今回はここで小休止させていただく。その幕間のうちにぜひご視聴あれ。次回はいよいよ、わがラブストーリーに踏み込んでみたいのだが・・・。

 おっといけない。忘れ物が二つあった。迫力の800ページの最終ページもご覧いただこう。《音羽の不夜城》とも呼び慣わされていた梁山泊の様子が2シーン、収められていた。
 そしてわたしの寄稿した《創刊前夜》のページ。ああ遙かなり、1978年。

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Posted at 2022/01/19 01:33:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+玄冬期の26歳 | 日記
2022年01月14日 イイね!

想い出ボロボロ・紅白歌合戦とわがラブストーリー

想い出ボロボロ・紅白歌合戦とわがラブストーリー

〜2022年もよろしくおつき合いを〜



 元旦恒例の近くの鎮守の森・若宮八幡社への初詣。「家内安全 家運隆昌」の神札をいただいたあとにひいたお神籤は、5年連続の《大吉》であった。家人もやっと《大吉》を引き当てて、嬉しそうにお神籤棚に結びつけていた。
 
 オミクロン株の跳梁には要注意だが、まずもって平穏な年明けであった。


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その昔、下練馬村の鎮守様で、わたしのマンションからは2km足らずの道のりに過ぎないが、途中に古墳址公園があったり、関越自動車道の都心への流入ルートである目白通りや石神井川までが横切っていたり、アップダウンが3つほどある結構タフなコースである。だから今では脚の強い家人の方が先行してしまう。

「紅白、どうだった?」
参拝を終えた帰り道。社殿から往還に続く長い石段を下りながら、振り向きざまに家人が問う。そういえば、年越し蕎麦をいただいたあと、11時前にはさっさと寝てしまったのだから、もう最近の賑やかショーばかりが幅をきかす紅白歌合戦に興味を喪ったのは明らかだ。もっぱらテレサ・テン、山口百恵、島倉千代子ものをカラオケでやるタイプ。
 それでもわたしの「MISIA追っかけ」は知っていて、YouTubeのカラオケを使って《逢いたくて今》に挑戦していると、きまって「また、お経をあげているのね」と揶揄(からかい)に顔を覗かせてくれる。

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「司会の大泉洋が一生懸命に盛り上げていたけどね。また視聴率低下で、《紅白》のあり方を問われるだろうね。3年連続でトリに選ばれたミーシャだけは流石だったけど」
「ふ〜ん」
家人の気のない返事に、改めて72と回を重ねてきた「紅白歌合戦」について考えてみた。
 大晦日だけは、家族揃ってTVの前の食卓を囲み、年越し蕎麦をいただきながら「紅白」をみんなで見たあの平和な風習は、どこへ行ったのだろう。まあ、出場歌手やグループの名前も片仮名や横文字が多すぎて、昭和世代に育ったシニアにとっては「ヘタな学芸会」もどきのものに付き合うのも骨が折れる。
残念ながら、家人もその仲間に加わったらしい。

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 帰宅して、改めて《NHK紅白歌合戦》について『ウィキペディア』を参考に深掘りしてみることにした。

☆     ☆    ☆    ☆    ☆

 1945年。この国がやっと平和を取り戻したその年の大晦日に『紅白音楽試合』というラジオ番組が非公開で放送された。
 当初は『紅白音楽合戦』の番組名で放送する予定だったが、GHQ(太平洋戦争終結後の日本を占領管理するための連合国最高司令部)から「敗戦国がバトルとは何事だ」とクレームがつき、バトルから試合という意味のマッチに替え、勝敗の判定や審査員もなく、応援団も存在しなかった。加えて当時は、大晦日に終電車はなく、終電に間に合わない歌手はNHK東京会舘の音楽部の部屋の椅子で雑魚寝をしてもらったという。

 この事実上の第1回の放送は大晦日の22時20分〜24時00分(元日0時)での放送で「年越し番組」となり、午前0時からは『除夜の鐘』を放送し、これが『ゆく年くる年』の原型となった。

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 しかしこの後、この「冒険」は継承されることはなく、放送の約5年後の1951年、「大晦日の番組でなければいいだろう」ということで、正月番組として『第1回NHK紅白歌合戦』を放送した。今度は対抗戦形式を意識して、出場歌手名は公表されていたが、紅組キャプテンの渡辺はま子(歌唱:桑港のチャイナタウン)、白組キャプテンの藤山一郎(歌唱:長崎の鐘)がそれぞれ相手の出方を見ながら、誰に何を歌わせるかを決めるというものだった。

 黎明期の「生みの苦しみ」がだんだん判ってきた。第7回ごろまでは戦前・戦中派の歌手も常連として名を連ねていたが、回を重ねる毎にその名は消えていき、入れ替わるように第10回(1959年)では新世代デュオ歌手のザ・ピーナツ姉妹(歌唱:情熱の花)が、翌11回では橋幸夫(歌唱:潮来笠)、ロカビリーブームの第一人者であった平尾昌章(歌唱:ミヨちゃん)が、第12回では『上を向いて歩こう』のヒットにより坂本九がそれぞれ初出場、「世代交代」の色が年を追って強く反映されるようになる。

 ちなみに後に歌謡界の女王として君臨する美空ひばりの初出場は第5回(1954年/昭和29年)で『ひばりのマドロスさん』を歌唱、これで江利チエミ、雪村いづみの3人娘が顔を揃えた。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆
 
かつての仕事の上で『紅白』にまつわるいくつかのエピソードも思い出してきた。あれは『紅白』に対抗してスポーツ紙を含めた各新聞社が中心となって決定する『日本レコード大賞』(後援:TBSテレビ系列=第1回は1959年で大賞には「黒い花びら」の水原弘)が1969年から、それまでは12月30日の前日開催を、同日の19時から21時に開催・TV生中継されるようになり、歌手の『レコード大賞』(帝国劇場)から『紅白』(渋谷・NHKホール)へのクルマによる大移動が始まった。この模様がやがて大晦日を賑わすトピックニュースとして話題を呼んだものだ。それを、そのころ創刊して間もない『ベストカーガイド』(今のベストカー)が狙い撃ち取材をやってしまったはずだが、担当したのが、いまや自動車評論でしっかりおのれのテリトリーを築き上げた國沢光宏君だったはず。

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 早速、國沢君に連絡を取ってみた。留守電となっていた。連絡が欲しい、とメッセージすると、間を置かずわたしのiPhoneが着信を告げる……。早速、確認作業に入る。

「ベストカーで大晦日の紅白で、レコード大賞に出たトップ歌手達が、自分のクルマだったか、専用のハイヤーだったかで、帝国劇場からNHKの紅白会場までどんなタイムでぶっ飛ばして移動するのを取材したのは、君だったっけ? それとも大井貴之君だったっけ?」
「あ、は、は。それはぼくしかできません。詳しいことは『ベストカークロニクル』に載っていますよ。タイムを計るんじゃなくて《スピードガン隠れ測定》でやったはずです」
「そうだよね、パトカーのネズミ取りをやったくらいだもんね」

 さっそく「クロニクル」で確かめるから、と電話をきったものの、さて800ページのあの分厚い『想い出玉手箱』はどこにあったけ?
 
 その作業は、難航した。ということで、探索の時間を、少しばかり、頂戴させていただこうか。 
 タイトルで謳った《ラブストーリー》も次回までお預けとしたい。悪しからず。 


    お決まりの(以下、次回更新まで)
Posted at 2022/01/14 01:38:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の25歳 | 日記
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何シテル?   08/19 12:21
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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