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2011年07月08日

『思い出BLOG』の宝石② 中谷明彦君のこと





「中谷発言」について、正確を期すため、そっくりそのままを再録しておきます。
●中谷明彦 より: 2011 年 4 月 27 日 11:56 PM
ベストモータリングの創刊を準備されていた初代編集長の正岡さんからお話をいただいた時に、ついに待望の媒体ができる!と胸が躍った。
それ以前に僕はカートップ誌の編集部員として筑波サーキットで市販車の比較テストをする時にレース形式で競いその行方をレポートする「CTグランプリ」なる企画を手がけていたのだけど、写真と記事だけでは伝えきれない事象がたくさんあって動画媒体でなければ事実を正確に表現できない、と考えていたからだ。
ベストモータリングでは「バトル」という名でその願いは実践され多くの真実を伝えることができた。
しかし後年、映像媒体の持つ危険因子である「編集」や脚色、脚本による「情報操作」が生まれ娯楽性は高まったと思うけど真実を正確に映し出せなくなってきていたことに大きな不満を抱いた。そんなことを僕の好きなファミレス(^^;でベスモ編集部スタッフと7時間も論じたこともあった。
僕は妥協も迎合もしないことを理念としてベスモを去った。正岡さんからは「将来レースを引退したら貴方が編集長をやればいいんだよ」と言葉をいただいていたが、そのベスモが無くなってしまうのでそれも叶わなくなってしまったね。
でもここに寄せられている読者の皆さんの言葉を見ていると、やはり動画で事実を伝えることの必要性もまた強く感じている。
こんな時代だから、バトルして動画作ってお金儲けしようなんて筋道はない。営利目的では成立しないから休刊して会社が清算されてしまうのは不可避だったろう。
「クルマが好きだから」
それだけの理由で大きな負担も苦にしない理解者を探し出すしか再生への道は無い。
ビデオやDVDには編集上カットされてしまった名場面や核心的なコメントなど埋没させてしまうのはあまりにももったいない。

結局ベスモ休刊を知らせてくれたのは田部君だけだった。最後のロケを見に行ったけど、帰りに正岡さんが「こんなベスモなら無くなって当然。毎月見てくれていた読者に申し訳なかった」と言われたのが象徴的だったね。

――まず中谷君は、べスモ創刊準備中のぼくから話があった、と書き出しています。そうでした。ぼくが中谷君に注目し始めたのは、1981(昭和56)年だったろうか。そのころはまだ、中谷君は「カートップ」の編集部員で、ぼくは「ベストカーガイド」(ガイドつきの時代だよ)の編集局長兼編集長。日本カー・オブ・ザ・イヤーを立ち上げた直後ということもあって、クルマ専門誌編集長間の交流が活発で、ライバル誌である「カートップ」の杉山忠志さん(故人)と一緒になる機会が多かった。ある時、杉山さんがこんな内輪話をしてくれました。

「ウチに変なのがいるのよ。部屋のなかを移動するときも、両手を突き出しハンドルを切る格好で狭い机の間を猛スピードで抜けて行くんだよ。最初のうちはガキみたなことをやるアホがいるな、ってみていたんだが、よく見るとそのコース取りと言い、スローイン・ファストアウトの速度感といい、こりゃ、タダモンじゃないって思わせるんだよね」と。
つまり、一つの部下自慢だったわけだけど、「変な奴」が中谷君です。そのころちょうど、鈴鹿サーキッドでF2の年間を通してのサポートイベントとして、シビックによるワンメークレースが企画され、HONDA広報部からの要請もあって、モータスポーツ活動に力を入れているクルマ雑誌のいくつかが参戦することとなった。


●シティブルドックレースはこんな感じでした(ドライバーはガンさん)

ちなみに「ベストカー」はドライバー・黒沢元治、総監督・五木寛之、監督・徳大寺有恒、チーフメカニック・小野昌朗(レーシングカー設計の第1人者)というメンバーで臨んでいた。称して「五木レーシングチーム」。マネジャーがぼく。「カーグラフィック」「月刊自家用車」とともに「カートップ」もエントリー。そのドライバーが中谷君で、そのカミソリのような切れ味を持つドライビングは、一部の注目を集めたものです。そのときピットクル―として一緒だったのが、カメラの北畠主税君。カート時代からのライバル?だったとか。

翌年か翌々年に、新しくシティブルドック・レースがスタート。その最終戦あたりで、中谷君は第1コーナーへのアプローチ攻防で接触、ガードレールにはりついてしまう。それが引きがねになったかどうかは別にして、かれはフリーのモータージャーナリストとして独立する。

彼の速さは業界内で知られはじめ、三菱のミラージュCUPが始まると、試しに提供された広報マシン(他チームのマシンに比べると、その戦闘力はノーマル過ぎた)で、並みいるプロ級を抑えて優勝をさらってしまう。そして、次の年のマカオGPでも、ジャッキー・チェン杯を獲得してしまう。まさに「サンライズ」のイメージにぴったりの存在として、ぼくは興味をもったのです。


 ●石川秀美・助手席にはうるさい私なんです「ベストカー」1987年6月26日号所載



しかし、ジャーナリストとしての資質はどうだろう? そこは編集長の特権です。「ベストカー」誌で5ページものの連載を用意したのです。題して「新人類系クルマニアンJaponica」。新時代を予感させる人物を、中谷君がどう料理するのか、を試そうとしたわけです。登場したのはイラストレーターの渡辺和博さんにはじまり、女性歌手の石川秀美さん、同じレース仲間でプレイボーイ誌の村松康生、作家の赤羽健美の各氏となかなかのものでした。とくに石川秀美というアイドル歌手の人間観に触れながら、じつは自分のレーシングドライバーとしての「今」と「資質」を顧みているところに、例えようもない彼の新鮮さを読みとったのです。この青年を、新しく立ち上げる映像マガジンの専属キャスターとして、お願いしよう。もちろん、もう一人の専属キャスターをお願いした伏木悦郎さんの「試運転」も同じベストカー誌で展開しつつありました。彼の「アメリカ現地報告」がそれでした。

さて、それからの中谷君の「ライジング・サン」ぶりは、みなさんがご存じのところです。一時はF1チーム「ブラバム」との契約もほとんどまとまりかけ、「ベストモータリングからF1ドライバーが生まれた!」という突拍子もないコピーが、ぼくの頭の中でグルグルと踊りまくったくらいです。

さて、次のテーマです。
《最後のロケを見に行ったけど、帰りに正岡さんが「こんなベスモなら無くなって当然。毎月見てくれていた読者に申し訳なかった」と言われたのが象徴的だったね。》

ファイナルバトルの収録が終わり、さて最終号にあたって、ともに24年の歴史を創りあげてきた先人達が富士スピードウェイに集ってきている訳だし、何らかのアクションが用意されているのかな、と思っていたら、コース上で記念写真(映像用のカメラは回っていないよ)を撮っただけで、はい、終わりま~す。なんじゃ、これは、です。読者からの目線を喪失している。本編の出来上がりを見なければわからないが、おおよその見当はつきます。最終号を見ていただく読者の心理が全く読めていないし、それにこたえる仕掛けもアイディアも感じられない。そうでなくても、だだっ広いこのサーキットのどこにも、興奮の余韻すらないではないか。咄嗟の開催だったかもしれないが、せめて最終ロケの模様を観ていただき、せめてもの想いを伝えるとか、中谷、大井、田部というおなじみの連中もいっしょにいるんだよ、という懐の広さが欲しかったね。

第一、走りは別として、レクサスLFAというクルマの客観的な評価、意味合いを、LFAで参戦中の木下君が語ったところで誰が評価するというのだろう。その辺の資質が、すでにこの映像マガジンから見事に消えている。その感想の一端を、富士スピードウェイを離れて、相談があるからという中谷君の誘いで立ち寄った横浜青葉ICそばのファミレスで、コーヒーを飲みながら話したまででした。だから、そのことについて、言葉足らずのところもあることだし、ぼくは再びべスモブログに「最後の日」と題して、当日のロケ風景のスナップ写真を添えて、書きこむことにしたのです。以下はつぎの更新の際に。
ブログ一覧 | 新編ベスモ疾風録 | 日記
Posted at 2011/07/08 13:10:06

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この記事へのコメント

2011年7月8日 16:07
最終号、本当にあっけない幕切れでした。
終わりなんて、そんなもんか…と思った後に、
こうしてお話を聞ける機会が出来るとは。

何より、同じ思いを文面から感じられて、
夢中で見ていたあの頃の感覚が蘇ります。

最後に、局長を含め、中谷氏やコボちゃんなど、
旧メンバーと現メンバーが並んで記念写真を…

なんて、郷愁に浸り過ぎですかね。笑
コメントへの返答
2011年7月8日 16:51
郷愁に浸るのもいいですね。ただし、それが、新しい旅立ちであるなら……。トークショーとか、ドラテク道場とかと連動した感謝イベントを考えましょうかね。

2011年7月8日 20:05
正岡さん、そのアイデア二代目がもらった!
ドラテク道場やらないですか。費用が嵩むミニサーキットじゃなくても、ジムカーナが出来る広場でもいいじゃないですか。キャスターや古参のメンバー、スタッフ、編集部員の新旧問わず来たい人なら誰だってOK!
っていうのはどうなんですかね、きっと盛り上がると思いますよ。
でも参加料は取りますよ、みんなボランティアなんで。赤字覚悟の決済集会、やってみたいですね。
コメントへの返答
2011年7月8日 20:42
お、実行委員長が名乗り出たな!

本当は、間瀬がいいんだけど、どうも岩室温泉とセットで考えてしまう。反省。

袖ヶ浦でもどこでも大井君と相談してみたら?

「みんカラ」発でもいいじゃないか。
加藤編集長に声をかけてみましょうか。

ま、ちょっとプランをねりましょうや。
2011年7月8日 20:08
初コメです。

ベスモは1993年頃からほぼ毎号購入していましたが、いつからから全く買わなくなりました。

「スーパーカーってホントに速いの?」
という疑問に答えてくれたBMスーパーバトル、キャスター陣の分かりやすい新車インプレッション、ドリキンのR33GT-R問題の行方にハラハラした事、毎号ワクワクしながら見ていました。

なのに自分でも“何でだろ?”と思っていましたが、ブログを拝見させて頂いて何となくですが理由が分かりました。

作り手が読者に伝えたい事、対して我々読者が知りたい事、又知りたい事以上の情報を提供しようという姿勢...そういうものが段々と薄れてしまったのではないかと思います。

最終号の撮影の様子は読者としても何だか残念ですね。

コメントへの返答
2011年7月8日 20:48
初めまして、でもないかしら? 今後ともよろしくお願いします。

あれだけの「愛読者」に恵まれながら、それを生かしきれなかったほんとうの意味を、しっかりと確かめたいと、こうやってコミュニケーションをとっているところです。
2011年7月9日 8:22
ぼくは中谷さんファンなので、このような話を聞くことが出来てうれしいです。



立場的には
ランエボの客観的な評価、意味合いを中谷さんが語るのは、もしかしたらふさわしくなかったかもしれません。
でも、氏でなかったらランエボの評価、意味合い、さらには魅力というのものがその何分の一かしか伝えることができなかったろうなと容易に想像できます。
超一流レーサーである服部選手ですら性能を活かすことが出来てませんでしたからね
コメントへの返答
2011年7月9日 8:33
出来たら、中谷君の25年前のレポートを全文、お伝えできるといいのですが。
そこには初々しい感性と、論理があって、その方向でも、きっと一流になれたでしょう。

ランエボについては、自ら開発、テストを積み重ね、それを明言した上で、さらに進化させていく。そのひたむきな実験者の立場をぼくは評価しています。TOYOTAやN、Hでは出来ないことですから。三菱だから、ね。
2011年7月9日 11:36
中谷明彦さん。自動車界きっての理論派ドライバーで、ベスモでもいつもクールに語っていた姿が第一のイメージとして思い浮かびます。

……しかし、話を聞けば聞く程に中谷さんはお茶目な方でいらっしゃいますね。昔、中谷さんがパフェについての並々ならぬこだわりを語っておられた時には、なんと可愛い人だと思ってしまいました(笑)

それはともかく。中谷さんはレーシングドライバーを“本職”としながらも、ジャーナリストと編集者の観察眼と分析力も合わせ持つ、稀なお方であると今でも思っています。

中谷さんがベスモでおっしゃっていた「クールバージョン」は今でも観てみたい企画でございました。
コメントへの返答
2011年7月9日 12:32
いつも逢っていたい人、刺激し合い、共に生きて行きたい人の一人です。

もうちょっと内面を出せる舞台が欲しいですね。
2011年7月10日 0:35
クールな理論派、
茶目っ気のある純朴なクルマ好き、
その要素がとてもよくバランスされていたのが中谷さんの印象でした。ベスモには必要な存在であり、ある意味でどこにも蔓延らない「不器用」なほどの率直な評論軸は、やはり昨今にベスモに欠けているものだったように思えます。

ガンさん911の幅寄せを間一髪で交わした中谷GT-R(確か本田さんのお父様のクルマだったような気がします)の「あの一件」から始まった、「中谷明彦の緊急回避テクニック」シリーズは、今でも改めて見返す価値のある、中谷さんらしい企画でした。

と同時に、確か96年の号の「Newカー検診」でRX-7typeRS特集の時、顔に方程式を書いて「どや顔」をする中谷さん、あれは笑ったなぁ(笑)


あー、思い出すと、また見返したくなっちゃいます。昨今のベスモは、1度観たら満足…こういう点でも変化を感じますね。
コメントへの返答
2011年7月10日 0:47
思いだして、もう一度、見返したくなる。

とても大事な「視点」を頂戴しました。

それにしても、筑波の最終コーナーで中谷君の「緊急回避」を演じたGT-Rが本田君の父上のものだったのを、よく記憶していますね。
2015年6月22日 16:53
4年前の記事、そして4年前の自分のコメントを読み返してみました。

昨日、あのファミレスで熱く語った思いというのはまさに本音で、ベスモで育った世代としては、『今、再び』の思いが強いからに他なりません。 

当時、筑波1分4秒台で国産最強だったのを最後に記憶が途絶えていた所に、ターボでもなくGT3でもない『ATのカレラS』が1分1秒で周回してしまうというのは、ある意味衝撃でありましたし、是非ともその映像を私と同年代のベスモ世代や、リアルタイムでは無かった新たな世代にも見せたい、という思いは強くなっています。

その日に向けて、夢を持ち続けたいですね。
コメントへの返答
2015年6月22日 21:10
改めて読みなおしてみました。
とってもよく書けていますね(笑)。だれなの、これを開いたのは?

あなたの受け取り方に、熱いものがあります。

その日に向けて、もう動き出しているではありませんか。
ゲイトブリッジを走る「964TURBO」。あれだけのものを撮ってくれて、有難う。
2020年2月16日 13:14
随分前の記事ですが最近のホットバージョンを見て思ったことがあり、たどり着きました。最近の本田編集長も頑張っており、時代の流れに乗るためにDVDではなく完全にyoutube移行したり、新キャスターを迎え入れたりして入るようです。私はyoutubeの有料会員にもなりました。

youtubeに完全移行したベスモちゃんねるでは過去のベスモも見れるようになりました。VHSが再生できる環境ではない現代では有り難いです。

しかし、youtubeで過去の正岡さん時代のベスモの動画が流れていて思うことがありました、「ああ、昔のベスモ(ホットバージョン)ってこんなにおもしろかったんだ・・・」
遅い車から、速い車まで、全てイコールコンディションでバトル。
そして、たまにスーパーカーバトル。タイヤバトル、マイカーバトルや御老公のサーキット旅など、他にも色々とありましたがとてもワクワクする内容ばかりでした。

それが今のホットバージョンはどうでしょうか。ベスモの最終回2011年頃の感じに戻ってきているような気がします。
勿論時代の流れもありますが、それをひっくるめてもつまらないです。
待てど暮らせど峠最強伝説&AE86N2特集&庶民とはかけ離れたチューニングカーバトルばかりです。全然つまらないです。そもそもが出てくる車がシビックやGTRやNSX、ポルシェなど、若者が買えない車ばかりでつまらないですし、たまにスイフトや86などが出てきても真似が出来ないチューニングカー(エンジンスワップなど)であったりします。、なんだか誰に向けて出しているホットバージョンなのかよくわかりません。

もちろん初代正岡さんの時代は面白い車ばかりでしたから有利だったのかもしれませんが、面白い車が少ない現代でもきっと面白い見せ方ができると思うんです。今のホットバージョンは「最強最速な車」しか出さないらしく、なにか事情があるのか実は手頃に手が届く車などはなぜかホットバージョンにほとんど出てきていません。
ヴィッツGRやマーチ、ノートnismo、デミオ15mb、FIT RS、コペン、アルトワークスなどなど
他にも色々とありますが、アルトワークス、FITRSとコペンに至っては最初は少し出てきましたが、ライバルより遅いという理由なのか、S660やスイフトスポーツばかり。。待てど暮せどスイフトスイフトスイフトs660s660S660。たまに出てきたかと思えばFITRSはエンジンスワップ・・・エ。勿論早くて楽しい車って魅力的だと思いますが遅い車は車で魅力はあるところもありますし、なんだか悲しいです。
昔の正岡さんの時代であれば遅い車から速い車までみーんな出していました。それはそれは、各社色んな特色がありこういう車なんだ!!とわかりやすいビデオだったと思いますし、とても楽しいビデオでした。
各キャスターがこの車はどういう車なのかを説明されていたのもよかったです。

なんだか書いていてよくわからなくなって来ましたし、正岡さんに文句を言いたかった訳ではないですが、現代でもベスモ(ホットバージョン)
が見られるのは形が変われど有り難い事です。本田編集長には頑張ってほしいと思いますが、一度初心に戻って長く続くベスモ(ホットバージョン)になって欲しいな、と思いました。
最終回のベスモの頃(2011年)に戻ってきているホットバージョンを見てまた、
終わるんじゃないかなと最近思っています。「最強最速」もいいですが
初代正岡さんの頃の楽しいベスモになって欲しいな!と応援しています。
勿論、ベスモとホットバージョンでは取り扱う内容が違うので難しい部分があるとは思いますが、頑張ってほしいなと思いました。

失礼な内容文章で申し訳ありません。
正岡さんのブログにコメントする内容ではなかったかもしれませんが、
一個人の考えとして最近のホットバージョンに思うことが書きたかったので書きました。長文失礼しました。ありがとうございました。
そして、中谷さん頑張れ!!ノムさんありがとう。正岡さんも健康でお元気で長生きしてください!!
コメントへの返答
2020年2月16日 19:11
しっかり、あなたの想いや考え方が伝わって来ました。ありがとう。

一つ言えることは、速い車でぶっちぎって何が面白いのだろう。遅いダメ車が、どうやっても従いていけない状況から這い上がって、どうにか勝負になっていくことの方が、みる人と、作る人と、走る人が一体になりうるということです。

本田君が頑張ってくれているのは事実です。どうやればベスモのDNAを守れるか。版元の講談社とやり取りしながら、大変だと思います。どうぞ、応援してやってください。

いつでも遠慮なくメッセージをください。お待ちしています。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「北の大地で新庄の率いる日ハムとのセ・パ首位決戦に勝ち越して甲子園に帰ってきた虎軍団。連日TOP面はプロ5年目で通算100号本塁打を達成した佐藤輝明が独占していたが、この日は一変、無得点の延長10回裏に木浪のサヨナラ安打が飛び出した! 歓喜のウオーターシャワーシーン。いいねえ!」
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