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イイね!
2011年09月18日

痛恨のクラッシュ ~「あの事故」と同じ舞台で体験したあの瞬間~

■クラッシュ体験の一部を加筆し、写真を加えました。ぜひ確認してください。


*富士GC戦の前座サポートレースとあって晴れやかな選手紹介が。だから、張り切り過ぎて。

 1974年の富士GCシリーズ第2戦のレース中継録画番組の音声テープから、中部博さんが書き起こしてくれた第2ヒートのスタートの描写は、腰が抜けるほど、衝撃的だった。

磯部「さあ、17台のマシンが高速コーナーに消えました。最終コーナーをたちあがってきました。ペースカーです。さあ、今度はどうでしょうか。入りそうですか。左、赤いクルマが高橋国光です。安友競技長のイエローフラッグ。ペースカーは、右のウインカーを出しました。ピットロードにそれます。安友競技長のイエローフラッグは、いまグリーンに変わりました。いま、第2ヒート、一斉にスタートです!」

全開走行を開始した17台のレーシングマシンがかなでるエキゾーストノートに、エフェクト処理がなされ、リバーブ(残響)してたかまり、やがて静かに消えていく。砂浜に大きな波がおしよせ、ブレークして広がり、やがて引いていくようなイメージだ。

騒然とする観客の叫び声が聴こえる。場内アナウンスの声が響いている。叫ぶようなホイッスルの音がして、クルマのクラクションが連打される。数台の救急車と消防自動車のサイレンが入り交じって聴こえる。ふたたび複数のホイッスルがヒステリックに吹かれた。尋常でない雰囲気が伝わってくる。
場内アナウンスが「第1コーナー」と言っているようだが、サイレンの音でかき消されてしまい、聴き取れない。
「かなり激しく燃えております」と場内アナウンスが聴こえた。
「救急車がただいま向かっております」と言っている。クラクション、サイレン、ホイッスルの音が洪水のように聴こえてくる。(当ブログ『運命の第2ヒート』よりhttps://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/d20110825/)

それを読みながら、ぼくの個人的体験の記憶が、痛みをともなって甦ります。
あれはパルサーのニュープロダクションからEXAとステップアップして、一応のレース・スキルを習得したところでミラージュCUPに参戦した2年目、1987年のことです。それまでミラージュCUPでいったい何レースを体験したか、指折り数えてみた。


*86年からはベストカーミラージュで、2年間、合計17戦をこなす。

 86年度……フレッシュマン・クラスを4戦と、中谷明彦、清水和夫、横島久、真田睦明らのプロも走るエキスパート・クラスが2戦で、計6戦。
87 年度……フレッシュマンが5戦と、エキスパートが、これから走る最終戦を加えると6戦あって合計11戦か、と。2年間で合計17戦を闘い抜くことになる。改めて、己れの辛抱強さにおどろていしまう。

 その間、ミラージュに限っては、無事故、無違反……いや、フロントカウルを2枚割っただけで、マシンクラッシュは1度もなかったのが、ぼくの唯一の誇りだった。

 そして迎えた、10月18日の最終戦、嫌な予感がしてならなかったのは何故だろう? 前日の予選は豪雨の中で行われた。第1コーナーなんぞは、まるで赤城の氷上ジムカーナーみたい。それでもかすり傷一つ負わずに帰還できたというのに……。

ぼくの予選順位は24位。背後に5台もいるんだから、まずまず、といったところ。スタート次第では、第1コーナーまでに少なくとも20位あたりまで浮上できると読んだ。

天候は回復して、ドライ。GC最終戦の前座レースとあって、グランドスタンドも、第1コーナーもかなりの観客数。新しくキャビンブリッジが設けられて、スタートのシグナルもかなり見やすくなった。選手紹介も3人ひと組で壇上にあがってインタビューを受けるスタイル。華やかなことこの上なし。

ポールポジションはゼッケン33の清水和夫。予選が超ウエットだと、ラリースト組が上位にくるものだ。(28)金子繁夫が10位にいる。(29)D・スコットがだんだんFFに慣れて4位に位置したのは流石だ。注目の新人(55)田部靖彦は、6位に。上位をいつも独占する①伊藤清彦、⑧眞田睦明、③横島久は、中団からのスタート。決勝レースの激しさが、予感された。


*ストレートエンドから白煙が! 異常事態発生。スタンドから悲鳴があがった。


*ただちに救急車と消防車が急行する



*シグナルタワーから赤旗が出て、レースは中断。

スタートして7周目だった。15周の長丁場だから、前半は大事にポジションをキープして、後半に賭けよう――それがぼくのレース運びだったが、⑳金子や ⑱J・ブラッドリーとの競り合いに勝ち、18位あたりでグランドスタンド前を通過しようとした。と、右前方で、レイトンカラーのマシンが、ガードレールを飛び越え、なにやら禍々しい気配が視界に入った。すぐに赤旗が出てレースは中断。

ぼくのレースを8ミリカメラに収めつづけてくれている松田青年(昭広・のちにベスモ制作責任者となる)の撮った映像を見ると、ストレートエンドで⑩影山正彦と(38)金石勝智が接触して、影山はガードレールを飛び越して、右下の草むらヘ転落、金石は左のコンクリート壁に激突し、危うく大惨事となるところだった。



*モニターに映し出された事故現場。影山選手の弟・正美君が駆けつける



*ストレートエンドのコンクリート壁の餌食になった金石



*レースを中断してミーティング。右端から3人目が安友競技長。


その往時の記憶が、中部さんの描写が引き金となって、甦えり、さらにその後に巻き込まれる痛恨の出来事へとつながったのです。すぐにドラバーズ・ミーティング。あの日と同じように安友競技長が「熱くならないように」と注意をうながしているのも、偶然ではないにしても出来過ぎていた。

再スタート。ミッションが2速に入るのを渋った。その一瞬の遅れが、あとになって祟ってしまう。FISCOのTSレースで鳴らした⑪石川匡巳の先行を許してしまった。が、1周する間に15位あたりまで浮上できた。すべてがご機嫌だった。ブレーキングのタイミングも、いつもより鋭く反応できるし、ステアリングの切り込み量も適切らしく、ほとんどのコーナーで、それほど手を働かせないですむ。

 再開2周目のAコーナーで、先行集団の中へ割って入った。目の前で⑦奥山道子がコースアウトしていく。
100Rからヘアピンへ。55田部靖彦のプレッシャーに耐えかねて 石川がよろめく。
インが空いた。これぞ神の与えたもうた好機なり! ぼくにしては珍しく、強気にインに飛び込んだ。
と、なんだ!左へスピンした⑪の黒いノーズがぼくの右側ドテッ腹へ、直撃してきた。
あっと思った瞬間、ぼくのマシンは縁石側に押しやられ、そのはずみで横転してしまった。
フロントガラスに白い膜がかかる。天と地が逆転する。
左足でキルスィッチをOFF方向に蹴る。うまくいった。

 いつか、これと同じ光景を同じ場所で味わった記憶が蘇った。

 1985年の7月27日、「全日本富士500マイル」の前座戦「ニッサンパルサーEXA決勝レース」に出場していたのです。 
 スタートは午後2時20分。真夏の太陽に灼かれた路面は、すでに60度近い。となると、タイヤは3周すぎればタレてしまう。で、序盤での位置がとても大事になってくる。1周目のコーナーで思い切り攻めてみよう。 スタート。スムースに加速する愛車。2台ほどパスして第1コーナーへ。目の前を行く 先行車が急激に左に切れ込んでスピンする。わずかにぼくの右前輪と接触したが、かまわず第1コーナーを通過。つづく、右回りの高速100Rを3速にシフトダウンしていい感じで征服、いよいよ、次の勝負どころであるヘアピンへ。実はこの時、ぼくのEXAの右前輪のサスペンションは折れており、右回りなら、まだ大丈夫だった。
 先行する30番と①番が右へ寄っている。しめた! ぼくは早めにINを攻めた。右側に荷重がかかった。と、コクンと右膝が折れる感じで、縁石に左車輪を乗り上げ、あっという間にぼくの視界は右へ傾き、ゆっくりと逆立ち状態へ移っていくじゃないか!

 あとはもう、ハンドルを握りしめたまま、この信じられない異様の世界が停止すること、そして他車に迷惑をかけないことを祈るばかりだった。


*1985年のEXAレース。先行車のスピンを切り抜けるが、この後、カメラマンは待ちぼうけ。


*ほんとうに亀の子になってしまったわがEXA。マシン再生にいくらかかるのやら。

 亀の子になったぼくのマシンはコースを斜めに滑走して、なにごともなくグリーンでとまった。逆立ちのまま、そこでぼくのやったことは左足でカット・スイッチを蹴るようにして切り、そして5点シートベルトをワンタッチで解除し・開けてあった窓から、正常の世界へ復帰することだった。

 あの時と同じように、マシンが静止した気配。後続車も無事通過したらしい。で、ぼくは無事なことをアピールするため、勢いよく、散らばったガラスの上に立つ。観客の拍手を聴いたような気がする。右の後輪だけが、虚しくまわっていた。レースは2度めの赤旗中断となってしまった。

 最後の最後にきて、転倒虫となった⑫ベストカーミラージュは、そのまま廃車の運命に。


*急激にきれこむ石川車(黒のマシン)。ヘアピンの横転現場。

*クルリ、クルリと2回転してストップ。

*様子をうかがって窓から脱出。元気なことをアピールするため、ピョンと。
 
 レースのほとぼりを冷ますべく、ぼくはピット裏に特設されたラリーアートラウンジにいると、ぼくの横っ腹に飛び込んできた石川匡巳選手が、親分格の眞田睦明さんに付き添われて挨拶に来た。
一緒に8ミリカメラで「そのシーン」を検証する。どうやら100Rを駆けあがった周回遅れの田部車と石川車が張り合って、田部車がまず左に切れ込んで石川をプッシュする。で、石川がインにむかって急激に切れ込む。その時、ぼくのベストカーミラージュが、インを刺して、ヘアピンをクリアーしようとしていた。
 でも、簡単に横転するものだなぁ。映像を見ながら、ぼんやりと考えたのを思い出す。そして、直線でも影山と金石が接触しただけで右と左に飛び散るのだなぁ、と。
 それも、250km/hオーバーで2度、3度と接触すればどうなるか。それが判断できない彼らではない。一線を踏み越える異様な状況に、彼らを惹きこんだものは何だったのか。レベルは異なっても、同じサーキットで、それなりの「修羅場」を垣間見た立場で、今一度、問うてみよう。

 この時のミラージュ最終戦、優勝は横島久、中谷は3位、清水和夫は7位。

ブログ一覧 | ミラージュCUP 闘走の記憶 | 日記
Posted at 2011/09/18 21:41:27

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この記事へのコメント

2011年9月19日 0:35
局長がミラージュ時代に横転してる事、今日初めて知りました!

実は僕もミラージュの後に参戦してたマーチカップで、2回転半の横転があります。

局長と違って場所は筑波でレース中ではなく練習走行中ですが、横転に至った経緯はまったく一緒です。

犬のしょんべんスタイルのコーナリング中は、コツンとプッシュされただけで簡単に転ぶもんなんですねえ。

僕は、その時のクラッシュでクルマは全損扱いとなり、学生の経済力では、いかんともし難く、モータースポーツ活動も一時休止の憂き目にあいました。

局長はどうだったのでしょう?クルマを直して参戦を続けられたのでしょうか?
コメントへの返答
2011年9月19日 2:35
88年シーズンからは「ベストモータリングミラージュ」。もちろん新車。今度はツインターボで、フロントヘビー。富士の直線で230km/h出た。
そのマシンで90年前半まで走る。そのあとシティで耐久を大井君と組んで走ったのが(菅生)最後かな。

91年、ファルケンの横山欣司さんが、ぼくのためにミラージュを用意してくれたが、同じはしるなら大井君の方がベスモのためになるからと、シートを譲りました。
2011年9月19日 8:37
局長おはようございます

本日の、ブログを読んでいたところ、石川選手の名前が出てきたので、「ハッと!!」しました。

 石川氏は、私の地元の方で、私の会社の先輩が中○自動車から、スターレットで参戦しており、
 その先輩の練習の手伝いをしたのが、きっかけで私もレースの世界に入り込んでしまった経緯が
 あるんです

 私は、約80レース前後参戦し、お陰さまで転倒虫及び全損は経験していませんが、当時のフレッシュ
 マンレースは、マーチターボ、フェスティバが、毎レース1台は転倒するアクシデントがありました。

 たしか、私が初参戦する前年87年までは、フレッシュマンレース車両も4点以上のロールバーだった
 と思いますが、現在の6点以上サイドバー義務付けが、あたりまえの現在のレギュレーションが浸透
 している、今考えてみますと、昔のレギュレーションは、安全面に大きく欠けていたと、改めて思いまし
 た。

 でも、写真で見て局長が、足をと両手を上げてアピールしている姿を見て、大きなお怪我が無かった?
 ようでしたので、ホットしました

 by CLUB SⅡR
コメントへの返答
2011年9月19日 9:23
おはよう、です。

ちょっと書き足りない部分があったので、加筆し、写真も加えました。

もう一度読んでみてください。

ミラージュの時は嘘みたいに何事もなかったのですが、書き足した『亀の子事件』では、マシンをコース員と一緒に持ちあげる時、後ろに飛びずさり、右足を肉離れ。えらい目に会いました。

石川さん、元気かな。
2011年9月19日 11:26
局長 読み直しました。

エクサの写真も懐かしいですね

本当にエライ目に遭いましたね

当時今のFSWと違いゼブラの高さも高いため、簡単にジャンピングスポットとなりました

私もザウルスカップをスポット参戦した、公開練習の時、スピンして、ジャンピングスポット?
から案の定ジャンプし、そのあとは、飛行機?になり、無事着地した思い出があります

Ps  石川さんは、元気ですよ!

by CLUB SⅡR
コメントへの返答
2011年9月19日 12:15
ぼくにとって、EXA時代が一番身の丈に合っていて、収穫も多かったし、楽しかった。

そうですか。石川さんによろしくお伝えください。
2011年9月19日 14:06
僕の車歴の最初は、2代目ミラージュのターボ、色は黒、パワステ無しで
走らない曲がらない止まらないの三拍子で往生した思い出があります。
レースにおいて、インを差し切っていないのに引かずに接触してしまうとか、
どこまでがフェアなのか、そうでないのか、レースを観る審美眼というのも
養う必要があるのでしょうね。
ベスモではそういった視点をたくさん教えてもらったと思っております。
コメントへの返答
2011年9月19日 19:02
ノーマルのミラージュ、乗りました。おっしゃるように別物でした。フロントヘビーは変わらなかったが。

3000GTOが出て、やっと三菱のスポーツタイプが楽しく乗れました。といっても、それはカナダ・トロントからケベックまでの片道800kmドライブの記憶。

あ、FTOを2ndカーとして購入、娘にとりあげられました。あれは縁起のいいクルマで、ゴルフのクラブ月例で優勝したのもこれ。神経が目覚めるというか、スポーツ向きでした。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「突貫小僧の3番森下のまずい面が露呈して延長11回、2死満塁をものにできず巨人にしてやられた。勝負は8回裏の同点無死満塁で打席に立った森下が力みすぎて、自打球を左膝上にあて。なんとかで席に立ったのはいいが³三塁ゴロ併殺で好機の芽をつで9回で退場、その結果11回の逆転機に不在。残念!」
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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