■クラッシュ体験の一部を加筆し、写真を加えました。ぜひ確認してください。
*富士GC戦の前座サポートレースとあって晴れやかな選手紹介が。だから、張り切り過ぎて。
1974年の富士GCシリーズ第2戦のレース中継録画番組の音声テープから、中部博さんが書き起こしてくれた第2ヒートのスタートの描写は、腰が抜けるほど、衝撃的だった。
磯部「さあ、17台のマシンが高速コーナーに消えました。最終コーナーをたちあがってきました。ペースカーです。さあ、今度はどうでしょうか。入りそうですか。左、赤いクルマが高橋国光です。安友競技長のイエローフラッグ。ペースカーは、右のウインカーを出しました。ピットロードにそれます。安友競技長のイエローフラッグは、いまグリーンに変わりました。いま、第2ヒート、一斉にスタートです!」
全開走行を開始した17台のレーシングマシンがかなでるエキゾーストノートに、エフェクト処理がなされ、リバーブ(残響)してたかまり、やがて静かに消えていく。砂浜に大きな波がおしよせ、ブレークして広がり、やがて引いていくようなイメージだ。
騒然とする観客の叫び声が聴こえる。場内アナウンスの声が響いている。叫ぶようなホイッスルの音がして、クルマのクラクションが連打される。数台の救急車と消防自動車のサイレンが入り交じって聴こえる。ふたたび複数のホイッスルがヒステリックに吹かれた。尋常でない雰囲気が伝わってくる。
場内アナウンスが「第1コーナー」と言っているようだが、サイレンの音でかき消されてしまい、聴き取れない。
「かなり激しく燃えております」と場内アナウンスが聴こえた。
「救急車がただいま向かっております」と言っている。クラクション、サイレン、ホイッスルの音が洪水のように聴こえてくる。(当ブログ『運命の第2ヒート』よりhttps://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/d20110825/)
それを読みながら、ぼくの個人的体験の記憶が、痛みをともなって甦ります。
あれはパルサーのニュープロダクションからEXAとステップアップして、一応のレース・スキルを習得したところでミラージュCUPに参戦した2年目、1987年のことです。それまでミラージュCUPでいったい何レースを体験したか、指折り数えてみた。
*86年からはベストカーミラージュで、2年間、合計17戦をこなす。
86年度……フレッシュマン・クラスを4戦と、中谷明彦、清水和夫、横島久、真田睦明らのプロも走るエキスパート・クラスが2戦で、計6戦。
87 年度……フレッシュマンが5戦と、エキスパートが、これから走る最終戦を加えると6戦あって合計11戦か、と。2年間で合計17戦を闘い抜くことになる。改めて、己れの辛抱強さにおどろていしまう。
その間、ミラージュに限っては、無事故、無違反……いや、フロントカウルを2枚割っただけで、マシンクラッシュは1度もなかったのが、ぼくの唯一の誇りだった。
そして迎えた、10月18日の最終戦、嫌な予感がしてならなかったのは何故だろう? 前日の予選は豪雨の中で行われた。第1コーナーなんぞは、まるで赤城の氷上ジムカーナーみたい。それでもかすり傷一つ負わずに帰還できたというのに……。
ぼくの予選順位は24位。背後に5台もいるんだから、まずまず、といったところ。スタート次第では、第1コーナーまでに少なくとも20位あたりまで浮上できると読んだ。
天候は回復して、ドライ。GC最終戦の前座レースとあって、グランドスタンドも、第1コーナーもかなりの観客数。新しくキャビンブリッジが設けられて、スタートのシグナルもかなり見やすくなった。選手紹介も3人ひと組で壇上にあがってインタビューを受けるスタイル。華やかなことこの上なし。
ポールポジションはゼッケン33の清水和夫。予選が超ウエットだと、ラリースト組が上位にくるものだ。(28)金子繁夫が10位にいる。(29)D・スコットがだんだんFFに慣れて4位に位置したのは流石だ。注目の新人(55)田部靖彦は、6位に。上位をいつも独占する①伊藤清彦、⑧眞田睦明、③横島久は、中団からのスタート。決勝レースの激しさが、予感された。
*ストレートエンドから白煙が! 異常事態発生。スタンドから悲鳴があがった。

*ただちに救急車と消防車が急行する
*シグナルタワーから赤旗が出て、レースは中断。
スタートして7周目だった。15周の長丁場だから、前半は大事にポジションをキープして、後半に賭けよう――それがぼくのレース運びだったが、⑳金子や ⑱J・ブラッドリーとの競り合いに勝ち、18位あたりでグランドスタンド前を通過しようとした。と、右前方で、レイトンカラーのマシンが、ガードレールを飛び越え、なにやら禍々しい気配が視界に入った。すぐに赤旗が出てレースは中断。
ぼくのレースを8ミリカメラに収めつづけてくれている松田青年(昭広・のちにベスモ制作責任者となる)の撮った映像を見ると、ストレートエンドで⑩影山正彦と(38)金石勝智が接触して、影山はガードレールを飛び越して、右下の草むらヘ転落、金石は左のコンクリート壁に激突し、危うく大惨事となるところだった。
*モニターに映し出された事故現場。影山選手の弟・正美君が駆けつける

*ストレートエンドのコンクリート壁の餌食になった金石

*レースを中断してミーティング。右端から3人目が安友競技長。
その往時の記憶が、中部さんの描写が引き金となって、甦えり、さらにその後に巻き込まれる痛恨の出来事へとつながったのです。すぐにドラバーズ・ミーティング。あの日と同じように安友競技長が「熱くならないように」と注意をうながしているのも、偶然ではないにしても出来過ぎていた。
再スタート。ミッションが2速に入るのを渋った。その一瞬の遅れが、あとになって祟ってしまう。FISCOのTSレースで鳴らした⑪石川匡巳の先行を許してしまった。が、1周する間に15位あたりまで浮上できた。すべてがご機嫌だった。ブレーキングのタイミングも、いつもより鋭く反応できるし、ステアリングの切り込み量も適切らしく、ほとんどのコーナーで、それほど手を働かせないですむ。
再開2周目のAコーナーで、先行集団の中へ割って入った。目の前で⑦奥山道子がコースアウトしていく。
100Rからヘアピンへ。55田部靖彦のプレッシャーに耐えかねて 石川がよろめく。
インが空いた。これぞ神の与えたもうた好機なり! ぼくにしては珍しく、強気にインに飛び込んだ。
と、なんだ!左へスピンした⑪の黒いノーズがぼくの右側ドテッ腹へ、直撃してきた。
あっと思った瞬間、ぼくのマシンは縁石側に押しやられ、そのはずみで横転してしまった。
フロントガラスに白い膜がかかる。天と地が逆転する。
左足でキルスィッチをOFF方向に蹴る。うまくいった。
いつか、これと同じ光景を同じ場所で味わった記憶が蘇った。
1985年の7月27日、「全日本富士500マイル」の前座戦「ニッサンパルサーEXA決勝レース」に出場していたのです。
スタートは午後2時20分。真夏の太陽に灼かれた路面は、すでに60度近い。となると、タイヤは3周すぎればタレてしまう。で、序盤での位置がとても大事になってくる。1周目のコーナーで思い切り攻めてみよう。 スタート。スムースに加速する愛車。2台ほどパスして第1コーナーへ。目の前を行く 先行車が急激に左に切れ込んでスピンする。わずかにぼくの右前輪と接触したが、かまわず第1コーナーを通過。つづく、右回りの高速100Rを3速にシフトダウンしていい感じで征服、いよいよ、次の勝負どころであるヘアピンへ。実はこの時、ぼくのEXAの右前輪のサスペンションは折れており、右回りなら、まだ大丈夫だった。
先行する30番と①番が右へ寄っている。しめた! ぼくは早めにINを攻めた。右側に荷重がかかった。と、コクンと右膝が折れる感じで、縁石に左車輪を乗り上げ、あっという間にぼくの視界は右へ傾き、ゆっくりと逆立ち状態へ移っていくじゃないか!
あとはもう、ハンドルを握りしめたまま、この信じられない異様の世界が停止すること、そして他車に迷惑をかけないことを祈るばかりだった。
*1985年のEXAレース。先行車のスピンを切り抜けるが、この後、カメラマンは待ちぼうけ。
*ほんとうに亀の子になってしまったわがEXA。マシン再生にいくらかかるのやら。
亀の子になったぼくのマシンはコースを斜めに滑走して、なにごともなくグリーンでとまった。逆立ちのまま、そこでぼくのやったことは左足でカット・スイッチを蹴るようにして切り、そして5点シートベルトをワンタッチで解除し・開けてあった窓から、正常の世界へ復帰することだった。
あの時と同じように、マシンが静止した気配。後続車も無事通過したらしい。で、ぼくは無事なことをアピールするため、勢いよく、散らばったガラスの上に立つ。観客の拍手を聴いたような気がする。右の後輪だけが、虚しくまわっていた。レースは2度めの赤旗中断となってしまった。
最後の最後にきて、転倒虫となった⑫ベストカーミラージュは、そのまま廃車の運命に。
*急激にきれこむ石川車(黒のマシン)。ヘアピンの横転現場。
*クルリ、クルリと2回転してストップ。
*様子をうかがって窓から脱出。元気なことをアピールするため、ピョンと。
レースのほとぼりを冷ますべく、ぼくはピット裏に特設されたラリーアートラウンジにいると、ぼくの横っ腹に飛び込んできた石川匡巳選手が、親分格の眞田睦明さんに付き添われて挨拶に来た。
一緒に8ミリカメラで「そのシーン」を検証する。どうやら100Rを駆けあがった周回遅れの田部車と石川車が張り合って、田部車がまず左に切れ込んで石川をプッシュする。で、石川がインにむかって急激に切れ込む。その時、ぼくのベストカーミラージュが、インを刺して、ヘアピンをクリアーしようとしていた。
でも、簡単に横転するものだなぁ。映像を見ながら、ぼんやりと考えたのを思い出す。そして、直線でも影山と金石が接触しただけで右と左に飛び散るのだなぁ、と。
それも、250km/hオーバーで2度、3度と接触すればどうなるか。それが判断できない彼らではない。一線を踏み越える異様な状況に、彼らを惹きこんだものは何だったのか。レベルは異なっても、同じサーキットで、それなりの「修羅場」を垣間見た立場で、今一度、問うてみよう。
この時のミラージュ最終戦、優勝は横島久、中谷は3位、清水和夫は7位。