
春の匂いを嗅ぎに、秩父までひとっ走りしてきた。もう蝋梅は盛りを過ぎていたが、風布というみかん栽培北限の山里では生き残っていた。黄色の花びらが早春の陽射しに目を細め、クンと鼻をつく、吐息のような香りを山あいの道に振り撒いていた。目を道ばたに落とすと、おお、ポッコリと蕗の薹が、土の中から頭をもたげている。まさに、春近し、だった。
秩父の街の手前で、皆野町から野巻に入り、破風山と札立峠をめざして、再び山側のワインディング路を行けるところまで、駆けのぼった。桜ヶ谷耕地で行き止まった。そこからの武甲山の姿。ちょこんと雪をかぶって、妙に可愛いじゃないか。
*風布の山里。蝋梅は散らずにまっていてくれた。
*桜ケ谷耕地からの武甲の眺めは、新鮮だった。
「秩父」と「蕗の薹」がコラボしたことで、一つの記憶が蘇ってきた。初めて所有した外国車、アウディ80との日々である。
* *
ツィンキャブのカローラSLクーペを皮切りに、スカイラインGC10を45年、 47年、49年のそれぞれの年式を3台、自慢気に乗り継いだところで、自動車雑誌の創刊責任者になった。昭和52年の春だった。オイルショック、排ガス規制のダブルパンチで青息吐息のわが国の自動車業界。49年式のスカイラインGTも名ばかりのなんとやらで、アクセルをいくら踏んでも坂道の途中でシフトダウンを求めてきたものだ。だからといって誰が悪いわけでもないし、そんなものだと諦めかけていた。
「だったら、まだ排ガス規制の適応からはずされている外国車になさいよ。そうしよう。ぼくが選んであげよう!」
やっと徳大寺有恒のペンネームが定着しかかっていた杉江博愛さんが、ぼくのぼやきに反応してくれた。
1ヶ月後、AT/右ハンドル仕様の淡いブルーのアウディ80が手元に届けられた。早速、そのころお気にいりだったひとに連絡をいれ、関越自動車道をひたすら北へ……。本来、左側にセツトされていたものを、無理矢理、右側に移植したペダルの位置には驚かされた。
*唯一手元に残っていたアウディ80の姿。後ろが徳大寺さんの280ベンツ
咄嗟にブレーキぺダルを踏んだつもりが、つい真ん中寄りにあるアクセルペダルに右足が当ってしまう。おっと!という危ないシーンを何回が演じるうちに、こちらも慣れてくる。
そうなれば、しめたもの。1.6リッターとは信じられないご機嫌な脚力に魅せられて、まだそのころは東松山までだった関越を降りてからも、東京へ引き返す気になれない。ステアリングを軽く切り気味にしてからアクセルをポンと放してやると、ひょいとインに巻きこむ不思議な挙動……これがFF車特有のタックインというやつだな!それに4本のタイヤがしっかり路面を抑え込んだこの安定感は、いったいどこからくるのだろう?運転席からのこの見通しのよさ!
どうしてこんなにも国産車と次元が異るのか。目を洗われるとは、このことか。東秩父の岨道を駆けあがりながら、2万キロをすでに走破していて、160万円で届けられた、もうけっして新しくはないアウディ80の虜となることを、自ら志願してしまった。
ブレーキパッドだけは頻繁にとり替えた。電気系のトラブルにも何回か見舞われた。それでもひどく満足していた。3年目に別れがきた。BMW3シリーズの新しい6気筒ものを購う羽目になったからだ。創刊した自動車誌も軌道にのった。ぼくにしては珍しく、スタッフに3日間の休暇を乞うた。このままアウディ80とすんなり別れるには、思い入れが深くなりすぎていた。
クルマって、つくづく不思議な存在だと思う。そんなぼくの気配を察してだろうか、しきりとグズリはじめていた。よし、あんたをどこかへ連れてってあげよう。そう心に決めた途端にエンジンの噴けが蘇り、軽やかにハミクングするんだもの。
あれは4月の初旬だった。桜前線もまだその北国には届いていなかったものの、そこここに春の気配が息づきはじめていた。蕗の薹がもっこりと、名もない川べで頭を擡げていた。山形から13号線を秋田方向へ上り、雄勝町で右折、仙秋サンラインを目指した。その季節は、まだ雪に閉ざされて鳴子へは抜けられない。それは承知していた。秋の宮温泉郷を通過。と、ぽっかりと山峽をきり拓いて、信じられないほど本格的な造りの温泉ホテルが…‥。稲住温泉だった。だれに教わったのか記憶にない。が、ともかくそこへ孤りで立ち寄りたかった。それでアウディ80との交わりに終止符をうつ。なぜかそうしたかった。
つぎの朝、目覚めると、あたりは白い景色に様変りしていた。帰りは下りのワインディング。雪の道がうねる。別れにふさわしい舞台づくりに、ぼくとアウディ80が有頂天になったのを、なぜいまごろになって、鮮やかに想い起こしたのだろうか。
*試乗したB4アウディ80 Photo By C.Kitabatake
*定峰峠の杉林をオブジェにして Photo By C.Kitabatake
思い出した。それから10年がたって、B4とよばれる新しいアウディ80が登場し、その試乗記をまとめるためにと3日間、一緒に暮らしてみた。
新しいアウディ80は大胆にいえば、そのクルマとしての本質を、なにひとつ変えていなかった。もちろんエンジンからサスペンションまで、何回かのモデルチェンジシを経て、当然進化している。しかし、ドアを開き、ドライバーズシートに座ろうとした瞬間に嗅ぎとった匂い、そして懐かしいエンジン音とか、10年前の馴れ親しんだ記憶が、ただちに蘇ってくるのを、凄いと思ったのだ。
そしてもうひとつ。あの、アウディ80を買い求めた環状八号線の店・JAXと、そこの社長であった松本高典さんのことが思い出された。そうだ、ベストカー創刊を一緒に推進してきた「環八」のヒーローたちはいま、どうしているのだろうか?
次回から、「環八水滸伝」を、もうそろそろスタートさせてもよさそうだな。
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ベストカー創刊前夜 | 日記
Posted at
2012/03/20 23:50:22