
FISCOのヘアピンで転倒虫になってから1か月後の夏の盛りに、富士フレッシュマン第6戦(1985年8月25日)を迎えた。
そのころのわがベストカー・レーシングチームは、2年がかりで体制を整備したおかげで、いまや専属のカメラマンまでいる――といえば聞こえはいいが、なんのことはない、自前でビデオ機材を持ち込んでくれるありがたい大学生にめぐり逢えたからだ。なにしろ、実費に毛の生えた程度の謝礼しか出せないというのに、神奈川県平塚からやってくるというマツダは、毎戦メカ手伝いのかたわら、ぼくがコースインすると、ヘアピンやら第1コーナーへすっとんで行き、HOMEビデオを回すのだ。(
星野選手との記念撮影で前列中央がマツダ青年)
このマツダ青年、カメラマンとしての腕は悪くない。が、大きな欠陥がある。たとえばこうだ――。
ヘアピンで見事に転倒虫となった、あの忌まわしい富士500マイル前座戦のVTRシーンを、<現場検証>のために再現してみた。いい感じで100Rからヘアピンへアプローチする⑩。併走する⑫を抑えようと、いささか早めにINを狙った。と、左前輪が縁石にはじかれた。そしてゆっくり裏返しに――。
「あ、あ。ダメ、ダメ!」
マツダが絶叫する。そして自分の目で⑩EXAの惨劇を確かめようとする。だからカメラは肝腎の亀の子⑩を捉えることはできずに、青い夏空を虚しく画面に映し出すだけである。
要するに、マツダはプロのカメラマンには不向きな、心やさしい青年なのだ。(註:マツダ=松田昭広君は大学卒業後、2&4モータリング社に入社、ベスモの制作部門の責任者として活躍)
*編集部の片腕だった大井貴之君と制作責任者となってくれた「マツダ青年」
さて、このマツダ青年の「傑作集」に、新しく、8月25日の富士フレッシュマン第6戦、P1600Bクラスの<興奮感動のシーン>が加えられた。
●マッチの乗ったマシンで頑張る
マツダのカメラは、すでにコースインしたぼくをしつこく追っている。耐火マスクをかぶる。ヘルメットをつける。おっと、この日から、それまでのARAIのフルフェースをジェット型に替えているから、表情がはっきり窺える。で、シートに滑り込む。真っ黒いボディカラーの⑩。これもいつもと違う。それもそのはず。前戦で天井を潰したベストカーEXAは、まだ入院中で、ピンチヒッターとして、かつてマッチ(近藤真彦クン)も搭乗したあのマシン(ゼッケンは⑲だった)をレンタルしたものだった。エンジンはスクール用のものだから、この段階では壊れないように抑えてある。前日の走行練習でも2分8秒台を出すのがやっとで、足回りはぼくのものに比べてソフト過ぎる。100Rでポンとお尻を振ると、その慣性が坂上まで残っている感じ。ストレートも6000回転で頭打ちだ。戦闘力は期待薄。
「ま、練習の延長線だと思って気楽にやれば」
監督のガンさんも、慰め顔でアドバイスしてくれたもんだ。ところが、である。
決勝のグリッドについたEXA30台で、ぼくの前にいるのはたったの8台。つまり予選9位というわけだ。2分5秒69のタイムは出来すぎだろう。
マツダのカメラは快げにぼくの後ろに並ぶ21台を舐めるように映し出していく。仲良しの①見谷敏行(今回は芽里ちゃんじゃない)は11位、⑪田中重臣は17位、初レースだといって前日の練習でぼくの背後にはりついて、ラインを盗んだと喜んでいた⑯勝股雅晴は18位と大健闘。もうひとつ新しい顔がいる。Taka-Qのスポンサードを得てNewmanカラーで登場の秋山武史クン(ああ、彼もすでに故人か)の⑳は20位に。
予選9位ともなれば、初入賞も夢じゃない。まして、予選トップの98番、青木真は初めてのPP、こいつは第1コーナーが見ものだぞ。舌なめずりをしながら、ぼくは青ランプを待った。
マツダのカメラはピット前の直線とヘアピンの2か所を抑えていた。青ランプ。ド、ドッと第1コーナーへ殺到するマシンの群れ。4列目から出た⑩の滑らかに加速する黒い姿。ややあって、ヘアピンにカメラはターン。
まず白い2台が飛び込んでくる。③大久保と24番、岡部。間が空いて、③小笠原、31岡、33井田が来た。次に黒いマシンが2台、塊となって100Rを抜け出してくる。①見谷、そして⑩ではないか!(実は第1コーナーで予想通り98がスピンして、常勝の⑤佐藤と④加藤、88石井がすでに潰れていた)。
1周終了。⑩は7位を維持していた。2周目、6位の①と⑩の間隔がひろがった。背後から襲いかかる⑪と27 金海。
4周目、とうとう⑩は力尽きたように⑪の背後にへばりついて直線を通過(実は、このあたりから上り勾配にくるとエンジンがバラつき、とくにシケインの出口から最終コーナーにかけて先行車についていけない展開となりはじめていた)。
5周目。ついに8位以下の7台のマシンは超団子状態となり、順位はくるくる替わる。マッチカラーの⑩は、観客の声援にこたえるべく、UMIMAXのブレーキ性能にすべてを託して、激しくコーナーに突入するが、先行車をパスするにいたらない。
*第2コーナー。エスケープゾーンに飛び込んでタイヤスモークをあげているのが秋山車
VICICのクラブ旗がコントロールタワーに出た。最終周である。⑩は14位まで脱落していた。先行グループとの差はほとんどない。が、最終コーナーを立ち上がる姿に元気がない。
チェッカーが振られた。
「畜生! いつものエンジンなら入賞だったのに!」
チーフメカのヤマチャンが、心の底からくやしそうに喚いてくれる。
いやいや、これでいいんです。10周のレースで、21分24秒台は上出来じゃないですか。6秒台で何周かしていることだし、次戦で頑張りますから。それにしても、5周目からぼくの前に出た 秋山(武史)ザウルスの走りは根性モノだった。コーナーへの突っ込みは特筆ものだし、少々よろけた姿勢でも確実に立ち直っていた。新しいライバル登場で、年甲斐もなく、闘争心が燃えあがったのを、今、懐かしく思い出す。
*ガンさんと一緒にメディア対抗のチーム戦に出場したときの「懐かしのアルバム」 左が故・秋山クン
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サーキットに生きる | 日記
Posted at
2012/03/28 05:24:38