
ことしもまた、アメリカ花ミズキが、わがマンションのアプローチで嬉しい季節の到来をつげるべく、薄紅色に微笑んでいる。それに呼応して、タイルを敷き詰めた上り階段の中央花壇が、ヤマツツジで真赤に染まる。花、萌ゆ――か。そうだ、この連休中に秩父・羊山公園の芝桜を見に行かなくっちゃ。
うんと若かったころ、好きな季節は?と訊かれると、冬だね、と気障に答えたものだ。九州育ち、白い雪に憧れた。それがいまでは、春、と素直に答えてしまう。花々が芽吹き、そして満開になり、やがて散る。そんな命の営みを感じて、その季節が好きになった。年をとる、とは、そういうものらしい。それは、花だけではない、命を燃やしてひたむきに目ざすものに取り組む若者の姿に接すると、つい、こちらも、なにか力を貸すことはないか、と声をかけたくなる。いや、余計なことは言わないで、じっと見つめることが多くなった。
この連休に入る直前、有峰書店新社社長の田中潤さんから、こんな会員制の定期購読誌ができましたから、と渡されたのが『CEO 社長情報』というオールカラー、A4変形判・中綴じの隔月刊誌(92ページ。発行=株式会社ブイネット・ジャパン)。なんでも編集責任者は1990年代のバブル崩壊期に編集長として「週刊ダイヤモンド」をもりあげた松室哲生さんだときく。どんな雑誌を立ち上げたのか、大いに食欲をそそられた。
その創刊のあいさつで「日本の国を憂いています」と題して、松室さんはこう切り出す。
「それは、日本の経済が低迷しているとか、グローバル化の波に抗しきれず企業の海外逃避がおこっているというようなことを言っているのではありません。
まず、この国の基幹となるべき政治の指導力が弱く、リーダーが不在であること。そしてこの国の構造が既得権益に守られて、なかなか新しい構造に転換できないことを憂いているのです」
イノベーションのジレンマという言葉がある。優れた特色を持つ製品を開発し販売する企業が、その製品の改良のみにとらわれ、市場の新たな需要に目が届かず、その間に別の新たな特色を持つ新興企業の製品が現れ、力を失っていくことを表した言葉だ。
読み手がここで「うん!? それはあの大企業のことかな」と、考えをめぐらす仕組みだ。で、ズバリと斬りこむ。
「今まさに、そのような状況が世界のあちこちで現出しています。多くの既成概念がほころび、替わって新しい力が勃興してきています。では、日本の状況はどうでしょうか。現状はまだまだです。しかし、日本にも潜在的な力があります。世界に通じる技術や卓越したサービスを生み出しているのは大きな企業ではなく、むしろ新しい勢力です」
それこそが、中堅・中小企業の秘めた力だ、と力点を明らかにする。
このような時期だから必要なのは、大きな行動を生むための行動だと明快にアジテートする。経営者がお互い同士を認め合い、一つ一つは小さい力であっても結束して新たな波を作り出していく。そのために本誌は役に立ちたい。単なる情報提供をするつもりはない。私たち自身がうねりを作り出す原動力になろうと考えている。経営者の交流会も頻繁に行う。ぜひ気概のある経営者の方々に、この創刊誌を情報のみならず、あらゆるものの交流を促すプラットフォームとして活用していただきたい、と。
早速、特集をよむ。『恐るべき20代経営者』と題して、15名の経営者をピックアップし、一人一人から面接取材をしている。とにかく若々しい、力のあるページに、久しぶりに出会った、というのが率直な感想だ。草食系男子ばっかりと酷評されている世代から、こうした質の高い、意欲のある「経営者」が輩出してくれるのなら、この先、この国も捨てたものではない、と思わされてしまう特集である。具体例を一つ、二つ。
松室編集長が直接取材し執筆している項から、紹介すると――。
① どんなものでもネットで売ってしまう脅威の販売代理店
高成長の秘密は「意外なツール」
――その日、大学を出たての男は今か今かと電話とにらめっこしていた。福井県内で会社を立ち上げたものの、半年たっても商売がうまくいくメドは全く立っていなかった。インターネットの電話回線を販売していたのだが、すでに市場は飽和状態。新規参入しても売れない。悪いことは重なるもので、豪雪に見舞われ、営業にでかけることすら不可能になっていた。
男は一縷(いちる)の望みをかけて、インターネットで売ることを決意。自分でホームページを作り、電話番号まで掲載していたのだ。そのホームページが完成して、お客からの電話を待っていた。
そこに、突然電話が鳴った。しばらくすると、その電話の数はどんどん増えていった。
男の名前は岩井宏太。29歳。株式会社ALL CONNECTの社長。業種はネットの販売代理業である。ネットの販売代理業というと、どんな商売をイメージするか。そのイメージはともかく、この分野で急成長しているのが同社である。4年前には売上高3億5000万円だったのに対し、昨年度は約27億円。それも震災の影響を被っての数字である。利益も億を超え、今期の予想は40億円という。
以下、松室レポートは3ページにわたって、この岩井社長の年商予想40億円までの足取りと、その企業戦略を取り上げる。それにしても耳慣れないのがネットの販売代理業。それは何か。まあ、その辺の説明がこうした「起業もの」のキモだから、丁寧な取材で書き上げている。もう一つ、いこうか。
*左が岩井宏太、右が前川輝行の両若手社長。丸囲みの数字が年齢
② 大学入学と同時に企業、車パーツの通販を軸に展開し目標は「自分で経営する会社を100社つくる」
――前川エンタープライズは、早くも今年で9年目を迎える。その代表取締役・前川輝行(27歳)。祖父は不動産、製材、アパート経営と手広く事業を手がけ、父は梅ケ島温泉(静岡市)で旅館を経営。幼いころから、当然のように経営者になることを決めていたという。地元の高校を卒業と同時に有限会社前川エンタープライズを立ち上げる。車のドレスアップ用パーツのネット通販。立命館大学経済学部に籍を置きながら、1年目にして1000万円を売り上げた、という。資本金は父親に借りた。3倍にして返す約束を、1年のうちに果たした。もちろん、失敗もある。3000万円を入れたのに、納品されず、連絡もつかなくなったこともある。そんな時も落ち込んでもしょうがない、じゃあ稼ごう、と切り替えた。
株式会社にしてからは、製品を仕入れて売るだけではなく、以前からやりたかった完全オリジナル商品に乗り出す。これまでどこにも売っていなかったオリジナルのステンレス製ウィンドウピラーを企画し海外生産。これがドレスアップ愛好家にヒットし、2008年3億、2009年4億、2010年5億と売り上げを伸ばした。経常利益は4割。「フリーダムリジョン」というブランドも定着した。
いまでは、前川グループには別会社として五つの法人がある。ノーブランドのパーツのインターネット通販会社、売り上げの1割に貢献するカスタム加工を含めての中古車販売、現在は月商100万~200万円の女性向けオラオラ系(黒と悪をテーマにしたちょい悪ファッション)中心のアパレルブランドの展開など、さらなる多角化に取り組んでいる、という。幼いころからの車好きで、かつては1台の車のドレスアップに2000万円かけたこともあるという前川。マニアの心も知り尽くした”好き“と、野心と血統の融合が、現在の成功をもたらしているのかもしれない――と、ほめ過ぎのきらいはあるが、単なる『金儲け見本帖』に終わらない仕組みを、この創刊誌は用意をしているのが、新しい。
創刊記念イベントとして、この特集に登場した「恐るべき20代経営者」も参加する『東京・ベンチャー飲み』会を200人限定で開催することだろう。
この創刊誌については、下記のURLから購入申し込みができるので、どうぞ。
http://arimine.com/ceo.html
ともかく、この熱気のある新しさに惹かれた。3年経って、ここに取り上げられた15人の若者の中から、あの孫正義や、三木谷浩史に肩を並べるような経営者が育っているのか、それとも……。
そうやって想いをめぐらしていると、ぼくのなかで、1977年当時の記憶が、鮮やかに蘇ってきた。『ベストカーガイド』を創刊する前夜の状況であった。
クルマをメディアにして大衆のこころを掴む「カーマガジン」の創刊を、講談社経営幹部に提案したところ、編集担当専務に呼ばれて、名刺を渡された。
「この人たちが、新しいクルマ雑誌を構想しているなら、相談に乗りたい、といっている。直ぐに連絡をとりたまえ」
環八通りを中心とした首都圏の中古車専売ディーラーで結成している「A=1グループ」の主力メンバーの社長たちだった。「JAXカーセールス」「西武モータース販売」「原自動車」……当時、売り出し中の若き起業家として、ぼくも、その存在だけは知っていた面々である。早速、コンタクトしたところ、彼らが常用しているホテルニューオータニの「ゴールデンスパ」を指定され、単身、赴くことになった。会ってみて、驚いた。3人とも、まだピカピカの30歳台。こちらだって、41歳になったばかりだが。
「グループ40社で毎号1000万円の広告出稿を約束しよう。読者から信頼されるクルマ専門誌を創って欲しい」
彼らの言葉は熱かった。この目の輝きはどこから来るのか。もっと話を煮詰めるには、彼らとつき合ってみよう。こうして始まった新しい日々。
*中央が若き日の松本高典社長。右が女優の風吹ジュン、左がニコ・二コル選手。
35年が経った。今、環八通りに立ってみると、どうだ。グループを推進した3人の経営者のうち、健在なのはJAXの松本高典さんのみ。藤崎、原の両氏ともすでに彼岸に旅立たれていた。そして、ひところ環八の雄とまで謳われたJAXの社屋はAUDIジャパンとなり、松本社長も引退、跡を継いだご子息が瀬田の交差点近くで「J-AUTO」というメルセデス・ベンツの専門店をやっていると聞く。
その興亡のストーリーに取り組むには、まず、どなたと逢えばいいのだろう。やっぱり、松本さんかな。いや、チェッカーの兼子眞さんがいる。かつて筑波で一緒に耐久レースに挑んだ仲じゃないか。
兼子さんと、用賀インターと環八が交わる地点にある「木曽路」で待ち合わせることになった。『環八水滸伝』と名付ける新シリーズ、ご期待あれ。