• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2013年05月03日

『レイトンブルー』は悲しい色やねン

『レイトンブルー』は悲しい色やねン ~「GT開幕戦」&「ベスモ同窓会」への道・第3回~

 ハッと気がついた。30年ほど前には一世を風靡したその色を見て、30回目の誕生日を目の前にして、桜花が散るように、菅生で逝ったあのレーシングドライバーの命日が、今日であった、と。そしてこのことを、その日一日は黙っていよう、と心に決めた。

 4月7日の朝、8時。岡山国際を舞台にしたスーパーGT開幕戦が決勝の日を迎えていた。
 雨にたたられた前日が嘘のように、穏やかな日差しのふりそそぐ瀬戸内・中国地方は平和な佇まいがよく似合う。すでにサポート役の波田さんは、駐車場から山口ナンバーのHONDAストリームをホテルの玄関へ回してくれていた。その後ろに高知ナンバーのハイエースが控えている。


「おはようございます」
 朝の挨拶をしながら、目の覚めるような、派手な色のブルゾンを羽織った青年が近づいて来る。前夜、同じ駅前のホテルで合流し、近くの串焼き割烹で夕食を一緒にした小松青年(みんカラHNはFRマニア)である。彼に関してはすでに2012年7月12日の『ご無沙汰した理由~あるいはその言い訳として~』の章の後半と、8月20日の『ミンミン蝉の歌う朝に~みんカラ仲間との「筑前の小京都・秋月行」②』で紹介済みなので、そちらを参照願いたい。


「黒澤さんに見てもらおうと思って、局長からいただいた《レイトンブルー》を着てきました」
「うん、きみなら似合うね」
 若々しさと、明るさが匂い立つ。小松君も満足そうだ。何回か、わたしが袖を通したことのある、レイトンハウスカラーのサーキット専用ブルゾンであった。

 去年の秋、九州オートポリスでのスーパーGT第7戦に大分に在住する大学生、小松道弘君にわたしの代理でガンさんの応援に行ってもらったのはいいが、薄着の彼は雨と霧、そして寒さにすっかりやられてしまった、という。その御苦労賃として、同じ大分にある妻の実家で保管してあったブルゾンを進呈していたのである。

「レイトンハウス・レーシングチーム」。
 ひところのわが国のレーシングシーンを賑わせたばかりか、F1チームまで運営した「時代の寵児」だった。アパレル事業もヒューゴ・ボスと提携するほどの勢いで、ついにはホテル事業まで手がけた。それが、バブルの崩壊と同時に金融不祥事を問われて、消滅して行った記憶も、いまではすっかり薄れていたはずが、そのエメラルドグリーンを連想させるパステルカラーの色彩に出会うと、「レイトンハウス」に関するさまざまな記憶が悲しげに蘇えってくる。
 ちなみにファッション誌ライターであった徳大寺有恒さんは、その色を「ミントグリーン」と呼んだ。そのほうが、色にこめられた儚さが伝わってくる。


*岡山での3日間をサポートしてくれた波田ストリーム

 岡山市内を抜け、山陽自動車道を東へ。追尾してくるハイエース(高知からやってきた小松青年のお父上、健一氏がハンドルを握っている。なにしろベスモ創刊からの愛読者だというから、運転にも年期がはいっている)に気配りしながらのカリスマ教官、途中で追い越し車線を、団子になって「ドーン」と疾走していったポルシェ911の軍団の無作法さに、ピクリとも反応しない。
「ああ、スーパーGTのサポートレースでポルシェのカレラカップがあるんで、その関係者が先を急いでいるんだろうね」
 助手席に陣取ったわたしから声をかけた。
「そうでしょうね。全車が特注ナンバーの911をつけていましたから」
 さすが波田さん、しっかり観察していた。
 
 和氣ICで下の道に降りた。このあたりは古代、大和王朝をバックアップしてきた和氣一族の発祥の地である。物なりのいい田畑が広がり、山と川がそれをそっと包み込んでいるこの盆地は、明日香の里を連想させる「何か」が感じられるのだ。JR山陽線を跨いだあたりから、波田さんはサーキットへの裏道にコースをとる。昨日、岡山空港からアプローチした時に、田部君に教わったルートが、NAVIに記憶されているから、迷いもなく、桜が満開の和氣の里を抜けて、日置川ぞいに山間の道へ入ろうとしていた。







*和気清麻呂像。奈良朝末期、称徳天皇(女帝、孝謙天皇の重祚=2度目の即位)の寵愛を受けて朝廷をほしいままに動かし、ついには天皇の座をねらったといわれる弓削道鏡の陰謀を阻止したものの、天皇の不興を買い、薩摩に幽閉された硬骨の高官として知られる。



「ちょっと、停めて。川のむこうに見える、あの神社に寄って行きましょう!」
 指さしながら、わたしは波田さんを制した。「和氣神社」の立て標識が目に入り、ひらめくものがあったのだ。パワースポット特有の人を招きよせる磁力が、そこにはあった。和氣清麻呂を祀った神社だったのだ。
「そうだ。ガンさんチームの戦勝祈願をしていきましょう!」

 11時25分、小松青年の待ちに待った「ピットウォーク」の時間が来た。彼は入場観戦券(7350円)とは別に3000円のパスを買い込んで(もちろん、支払いは同行した父上だろうが)いそいそと、マッドブラックで統一されたLEONチームのピットへと人垣をかき分けていた。


 
 ガンさんが、目ざとく小松青年に気づいてくれた。
「おお、よく来てくれたね。それにしてもそのレイトンブルーのブルゾン、全然、色が褪せてないね。よく目立つよ」

 ガンさんも記憶をまさぐっていた。1986年の秋、作家の五木寛之さんらと「風の仲間」を結成して、MACAOグランプリのギアレースにGr.Aシビックで出場したが、その時のチームスポンサーが「レイトンハウス」だったこと。それも元をただせば、その年からガンさんは萩原光(あきら)をファーストドラーバーとして、「レイトンハウス」のメルセデスベンツ190E-2・3-16で Gr.Aに参戦した縁があってのことだった。





 その流れのなかで、どうしても消すに消せない悲しみの記憶があった。それがその頃〈モータースポーツ界のプリンス〉として注目を集めていた萩原光の炎上死である。もちろん、サーキット場でそのことに触れることは、お互いにしなかった。

 27年前のその記憶。レースが無事に終ったところで、一度、まとめておこう、と思った。なぜなら、あのプリンスが菅生のコース・インを最後に見送ったのが、ガンさんだったのだから。ご本人も、「追悼 東北・菅生で萩原光が風になった日」と題して、こう記していた。

――4月7日早朝、ぼくは仙台市のホテルを発って菅生サーキットに向かった。寒い朝だった。桜の季節なのに、真冬の寒風が狂ったように吹き荒れていた。
菅生に着くと、すでに光(あきら)がいた。冗談のいえる男じゃないのに、なぜか、いつになく明るい表情の光だった。
「早く着いたんだね」
 ウィナーズサロンで光とレーシングスーツに着替えながら、ぼくは光の到着の早さを意外に思って、話題にした。
「ええ。きのう(4月6日の鈴鹿耐久レース)、やっちゃって走行不能になったものですから」
 鈴鹿の午前中のウォーミングアップでクルマ(日産グループCカーR86V)が炎上、本番に出場不可能だったということだ。その分、予定が繰り上がって、ぼくより早い菅生入り……。
「あっちにいても出場は無理だったでしょうね」
 光はちょっぴり照れたような顔で、鈴鹿での経緯を話した。それは攻撃性にあふれていて、まさに光の今年の走りを象徴するかのようだった。



 ぼくと光は、レイトンハウス・レーシングチームのメイトとして、今年はグループAに参戦し旋風を巻き起こすべく、意欲を燃やしていた。特に光は、チームのファーストドライバーであったから、その張り切りようはすごいものだった。
 菅生サーキットにやってきたのは、だから、チームのMBのテストのためであった。
 それにしても、光は陽気であった。コースに渦を巻くような寒風をものともせず、時にヘタなジョークを飛ばし、自分で笑いころげた。
 その笑顔はまさしく満開の桜だった。


*この笑顔が、今でも心に残っていて、それがまた悲しみを誘うてしまう。
 
  この後も、ガンさんの追悼の記は続くのだが、それは次回更新まで。

ブログ一覧 | ベストモータリング同窓会 | 日記
Posted at 2013/05/03 23:25:32

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

気になる車・・・(^^)1396
よっさん63さん

青山ピットインからのカスタム車輌撮 ...
やっぴー7さん

12週連続イイね1位🥇🎉と8週 ...
軍神マルスさん

CO7△焚き火オフ2025〜in ...
のりパパさん

日曜日に、こまっち:さんと🦆💨 ...
KimuKouさん

脂摂取タイム‼️
チャ太郎☆さん

この記事へのコメント

2013年5月3日 23:39
私は今でも愛車にレイトンハウスのステッカーを貼ってます。
それはアキラさんをいつ迄も忘れ無い為でもあります…
コメントへの返答
2013年5月3日 23:58
をつあさん、ひさしぶりです。

このあと、アキラ君との交遊などを、思い出しながら、じっくり書いてみるつもりです。
2013年5月4日 0:11
 「ジャンパー」を「ブルゾン」と呼んでいたのがこの頃でしたね。PIAAの白黒模様も記憶に残っています。その後羽毛が安くなったのか、「ジャンパー」の類が流行ったことはありません。なんだか、当時の街の風景まで思い出してきてしまいました。
コメントへの返答
2013年5月4日 7:42
PIAAは中嶋悟。いまはどうなんでしょうか。小生のお気に入りはミケロッティ。鈴鹿のシビック・ワンメイクレースのスポンサーをお願いしましたが、あのブランドはどうなったのでしょうか。
2013年5月4日 1:42
皆さん萩原さんへの思いに浸ってらっしゃる中で私みたいな男がレイトンハウスカラーに包まれるのは、なかなか緊張しますね。ガンさんがブルゾンに触れてらっしゃるくらいです。

萩原さんのお話、聞かない訳にはいきませんね!

因みに本来なら一目散にガンさんにご挨拶する予定でしたが、カメラ小僧が全てのチームのレースクイーンを写しておりましたので悪しからずです(大汗)



コメントへの返答
2013年5月4日 7:45
おはよう。みんカラを開いてみたら、ドカーーーーン、と。

どんな気分でしたか?

やっとアキラのことを書く気分に。入院まであと2日。
2013年5月4日 6:53
萩原アキラ…当時憧れました。かっこ良くて速くてぴかぴか(新しい)今でもたまに彼の話題が仲間内で出るんですよね~!F1行ったら成功してたよなぁとか…
コメントへの返答
2013年5月4日 7:50
オッス。

相変わらず元気にオーラを振りまいていますね。

彼がサニーのTSで走っていたころから、不思議と縁があって、話す機会が多かった。弟の任(まこと)君とは、まるで双子の兄弟のようでしたね。
2013年5月4日 7:24
レイトンハウスカラー、すごかったですね。私は、冬菜仲間とのスキーで泊まったところがレイントンハウスのホテルでびっくりしたことがありました。FRマニアさん、ガンさんとのショットすてきですね。すてきな会話が浮かびますね。
萩原光、この記事のニュースを見てとても残念でした。
だからこそ、がんさんの新ドラメカに書いてある一文がかかれているのではないかと思っています。
コメントへの返答
2013年5月4日 7:54
27年たって、ガンさん、またMBと縁があって関わっていますね。レイトンブルーとLEONブラック。不思議な符号の一致。

こないだのガンさんとの2ショット、こんどBLOGで使わせてください。
2013年5月4日 7:36
はじめまして、先ほどメッセージさせて頂きました、とにとにと申します。ガンさんとFRマニア氏のツーショット素敵ですね!どんな会話が交わされたか気になるところです。次回イベント時には是非とも参加させて頂きたく。
コメントへの返答
2013年5月4日 7:56
メッセージ、ありがとうございました。

今度、そちらに行ったときにお会いしましょう。
2013年5月4日 8:37
おはようございます。
レイトンハウス、ワンダーシビックのレーシングカーが懐かしいですね。
レイトンのお話、そんな話があったとは…。
コメントへの返答
2013年5月4日 9:11
「レイトンハウス」の前身「丸昌興産」時代から、不思議と縁があって、ウォッチングしておりました。

次回、そのへんも。
2013年5月4日 11:47

 おはようございます。

 当時レイトンハウスと言えばファッション誌の一面を飾り、憧れのファッションブランドでした。 何かのポスターにレイトンのベンツを見てカッコイイと思いました。後にガンさんがドライバーだった事を知りビックリしたのを憶えています。F-1は確かネルソン・ピケでしたよね。徳さんがレイトンカラーをミントグリーンと訳したのは今知りました。(笑) 萩原 光さんのことも初めて知りました。 そいう事がガンさんの身近にまだ有った事に、ガンさんの心情を思うと辛くなるし、だから今でも一線に立ち続けるだと思います。あの一世風靡したレイトンも今は無くなんとも悲しい色やねん・・・です。
コメントへの返答
2013年5月4日 12:07
GWをどう楽しんでいますか?

レイトンのF1ドライバーは、イワン・カペリです。やんちゃな、楽しい男でした。

このあと、どこまで書き込めるのか、わかりませんが、レーシングドライバーであることの厳し過ぎる現実、いつも死と直面する男たちの心の影を、見つめます。
2013年5月4日 16:15
こんにちは、ひらです。ツーショット使っていただけるなんて光栄です。手術まであと二日とのことを読ませていただき、早くお元気になられて、次回お会いできることを楽しみにしてます。
コメントへの返答
2013年5月4日 16:54
ありがとう。機会をつくって紹介させていただきます。

手術といっても、ちょっとした補修工事だと思ってください。これで思い切って動けるようになれるといいです。
2013年5月4日 18:59
はじめまして。

レイトンハウスは私が大学生の頃彗星の如く現れ、私もジャケット買ったり、
ステッカー自作したりとずいぶんと好きでした。

六本木のレストランにも行きましたし…
とても懐かしいです。

ガンさんは、ベストカーのバイト時代に何度かお見かけしたのとがあります。
先日の富士のパドックで久しぶりにお見かけし、緊張のあまり、
お写真すら撮れませんでしたが、いまだに日本のレース界でご活躍
されているのはとても嬉しかったです。
どなたかとお話されていた内容は、ゴルフで90切ったという話題でした^^;が。

次回のブログも楽しみにしております。
コメントへの返答
2013年5月4日 21:20
はじめまして、なんだろうけれど、ベストカーでバイトをしていたのはいつごろの話ですか?

レイトンハウスの六本木のレストランをご存じなんだから、相当なクルマ好きですね。

事あるごとに、あのレストランにいってました。
また、コメントをお寄せください。
2013年5月4日 21:51
こんばんは。

ベストカーでバイトしていたのはシーマが発売になった前後だったと思います。
谷田部への車両の陸送、広報部からの引き取り、返却がその主な仕事でした。
新車に乗れて且つお金をいただけるとても嬉しいバイトでした^^;

レイトンハウス、懐かしく思い返した頃にはその存在も、六本木の洋館もなくなっておりました。

当時をご存知の方のお話をお伺いできるのは、まさにタイムマシンに
乗ったかのようです。

光さんも、今でいえばイケメンで憧れておりました。

赤城さんのお名前は、プリンス誌に掲載されていたN1のレース結果で印象に残っておりましたが、
チームオーナーと結びついたのはずっとあとになってからでした。

当時を思うと、いろんなことが脈絡なく思い出されて、文章もまとまりません^^;

失礼いたしました。



コメントへの返答
2013年5月4日 23:04
ああ、シーマが登場したころなら、小生はすでにウェイトを、ベストモータリングにおいていた時代ですね。

ポルシェ959の映画化に情熱を燃やしていたころの、赤城明氏。ぼくらと一緒にEXAレースに出場したころの無邪気な赤城・八島コンビ。夢を食べて、ロマンを語った彼ら。そして六本木のディスコ。

ぼくらも浮かれすぎていた。
2013年5月4日 23:52
 残念ながら「ミケロッティ」についてはわからないのですが、PIAAは徐々にアパレル事業から離れ、2007年までに完全撤退、直営店も廃止しています。私の感覚ですと、既に1990年代の半ばには、かなり手を引いていたのではないか、と思います。

 以後、モータースポーツ系ファッションが、グッズ以上の位置づけになることはなかったように感じます。普通の吊るしの服でさえ、大量生産かごく少量生産かの二極に分かれているので、事業として成立させるのは難しそうです。
コメントへの返答
2013年5月5日 9:44
モータースポーツとファッション。その関係を「検証する。いいヒントですね。
2013年5月5日 0:05
今日は、出先から携帯で見ていたので、自宅でPCで見直しました。レイントンカラーのシビックは、まさしく私が新車第一号のワンダーシビックSiではないですか。これに乗って走り回ったものです。また私のシビックはポテンザと無限のホイールにはかせていました。これで、ポテンザドライビングレッスンに何回もはがきを出しましたが、一度も良い連絡はこなくて・・・・。このときももちろん講師に黒澤元治選手の名前があり、はがきを書いて応募したのでありました。今でもドライビングレッスンやりたいですね。(もちろん新ドラテク読んだうえで。)
コメントへの返答
2013年5月5日 9:47
このあと、そのレイトンカラーのワンダーCIVICで2戦、ぼくが走っているのですが、いずれレポートするつもりでした。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「5.13の新潟の夜空に夢のアーチを描く大仕事をやってのけた高寺望夢内野手の説明を180字の説明では物足りない。で、ゲームのなかったこの日に扱いをあえてピックアップ。第2面の右端に新潟駅から横浜に向かう姿が。3年前にデビューした思い出の地。あの時は2打席連続三振だった。今度こそ!」
何シテル?   05/15 12:42
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/5 >>

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

リンク・クリップ

新しい光が《わがクルマ情熱》を再生させた! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/12/08 20:15:35
『10年前、五木さんの500SEを譲り受けたのが…』(黒澤) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/12/03 16:35:03
プジョー 207CC フロア 異音 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/12/12 16:21:42

愛車一覧

トヨタ プログレ トヨタ プログレ
「NC」とは、ニュー・コンパクトカーの略と記憶している。(その後、NEO CATEGOR ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation