~やむなく欠席する『ファミリー』の無念を受け止めて~
「赤穂義士」とも「赤穂浪士」とも呼ばれる武士集団が、主君の刃傷事件から取り潰しになったお家を再興する夢も断たれたのちも、雌伏2年、大石内蔵助というリーダーの指揮のもと、怨敵の高官の首級を挙げる江戸時代の物語をご存知だろう。歌舞伎や映画で『忠臣蔵』というタイトルで親しまれてきた元禄14年(1701)1月から15年12月にかけての事件を題材としたドラマであった。
その討ち入りに名を連ねたもの、47人。それをわたしたちの世代までは「四十七士」と呼び親しんできたが、今回の『ベスモ同窓会in東京』の参加者一覧のカウンターが、一人、また一人と上がってくれる度に、不謹慎にも、あ、47人になってくれれば、「ベスモ四十七士」の勢揃いができるぞ、なんてはしゃいでしまった。
締め切り日を、準備をする都合もあって1ヶ月前に設定したため、あと2日ほどで、申し込み期限は終了となる。で、現在(10月18日午後11時)は、30人のメンバーが登録してくれている。それに、ガンさん、中谷君、コボちゃん、北畠主税カメラマン、田部君、本田俊也編集長に、こちら側のスタッフを加えると10名は埋まってしまう。すると、現在、40名ということになる。お、これは、控えめに勘定しても「四十七士」も夢じゃない、と想いがたどり着いたところで、ハッと気づいたことがある。
赤穂浪士たちが、お互いに手を携えて主君の怨みをはらすことを誓い合って、極秘の連判状にその名を記したものは、当初、70名と伝えられた。それが様々な事情で一人消え、二人欠けして、二年後の討ち入りで、実際に力を発揮できたのは47名だったという。後年の作家は、どちらかというと、晴れやかに怨敵・吉良上野介の首級を挙げて、列を組んで亡君の墓前まで、デモ隊よろしく、市中を行進して行った四十七士より、事情があって当日の襲撃隊から脱けざるをえなかった男の無念や、ちょっとした歯車の狂いから、仲間を裏切って脱落して行った男の不憫さに、創作の意欲を、そそられたようだ。
*「Hawk Yama」さんの「べスモ」専用の本棚。最初に買った1989年9月号から終刊まで欠かさず揃えているという。
*べスモ同窓会の「Sマーク」。走行会の時は何は措いても駆けつけてくれる約束だ
今回の『同窓会』を、福島での「走行会」から「懐かしの名シーン上映会」に切り替えてでも、この10月に挙行しようと、わたしに決意させたきっかけは、現在、アメリカ南部のサン・アンジェロで、GYタイヤの「官能評価テスト」のチーフとして活躍をつづけている「Hawk Yama」さんから、7月の終わりごろに、こんなメッセージがはいったからだった。ちなみに、彼には「同窓会」でのスタッフ印である「Sマーク」を預けている。
――10月の同窓会はどうなりましたか、帰国のスケジュールを抑えたいので、早めに連絡をお願いできますか。
「Hawk Yama」さんについては、すでに当BLOGの「黄金の日々」という「みんカラ」友達との交流を題材にしたカテゴリーで登場済み。したがって、すでにそのプロフィールをご存じの向きもあるだろうから、詳しくは
こちらをご覧いただきたい。
ともかく、「Hawk Yama」さんのアメリカからの催促に慌てた。そうだ、10月に何かを催すんだったら、少なくとも3か月前には、スケジュールをはっきりさせておかなくては。同じ「Sマーク」の萩の波田教官にしても、早めに日程を知らせなくては。
その頃、心臓を支える冠動脈の「大補修」のあとの反動から、ひどく体調が悪く、片道100㎞以上の移動は差し控えなくてはならなくなった。そこでガンさんとも相談の上、福島での「走行会」つきのイベントは中止し、今回のスタイルに切り替える決断をしたわけである。その結果、「Hawk Yama」さんも無理に仕事を調整してまで帰国することは断念し、代わりに彼なりの想いをこめた「イチオシメッセージ」を送ってきた。
――私の一票は89年10月号の「F3000、F3、ミラージュ、ゴルフ・・SUGOの熱い1日」です。局長を含む殆どのBMメンバーがレースに出ており、ガンさんもVWポカールレースでいぶし銀の走りを見せてくれています。そして中谷さんのF3000での熱い追い上げ。まだキャスターで無い頃のコボちゃんもでてきますし同窓会にもふさわしいのでは、と。
走行ビデオで言えばやはりガンさんの964ターボでのニュル走行が一番好きです。初代NSX-R、S2000プロトも好きですが、進入でオーバーの強い964ターボをうまく荷重コントロールしているガンさんの走行には惚れ惚れします。
この「イチオシ」コメントの内容は、意外だった。それというのも彼は1989年9月号のロードスター特集に惹かれて、ベスモと出会い、1991年4月号の「清水和夫の実戦ドラテクノロジー 松竹梅のレベル分け」の企画に参加出場、竹の下の烙印を押される。それがきっかけで彼自身の人生が大きく変わり、ついには渡米してGYタイヤでテストドライバーに転身したのだから、「イチオシ」はてっきり……。
出席できないから、せめて自分の「イチオシ」の声を届けたい。それも出席者が揃って観賞するのにピッタリな号を指名しておこう……「Hawk Yama」さんの無念の想いを押し殺した声が、わたしには聴こえる。
9月17日の「何シテル?」で紹介した「タテツネGT」さんのベスモと関わってきた「クルマの青春」は、何度読んでも新しい共感を引き出してくれるものだった。出席できない彼もまた、すでに「ベスモ四十七士」のひとりであった。
そしてこの項を書き上げる直前に、第1回「同窓会in岡山」の読者代表としてサポートしてくれた波田教官から「イチオシのメッセージ」が届いた。波田教官もまた、10月20日が、彼の関わる県の検定試験の日と重なってきたため、今回は上京できない。その無念を押し殺してのメッセージであった。
*左がもう一人の「Sマーク」のカリスマ教官。右は「FRマニア」君。教官のレッスンを2度受講。
――10月20日の「同窓会」は締め切りが近づくにつれ徐々に増えてきましたね。
我々世代は早め早めに行動する癖がありますが、最近の教習生を見てもぎりぎりまで待つのが最近の傾向であるように思います。
だから私もぎりぎりの駆け込み参加があると信じています。
私の一押しは、いまいち記憶が曖昧なのですがセナがN1シビックを鈴鹿で走らせた映像があるように思えるのですがどうも探し出せません。(セナ足はここからでは……)あればこれもベスモだから出来たベスモならではの企画だと思っています。
実は当時、大井(貴之)さんが私にと、その時にセナに直に書いてもらったサイン入り昭和シェルのジャンパーを頂きました。
それからすぐにセナが他界。大事にしなければとクリーニングに出したところ……サインが消えてしまいました……。(涙マーク)と言う切ない思い出もこの時だったと思います。
あれから久々に89年セナビデオとNSXタイプSがデビューしたビデオスペシャルを、当時を思い出しながら、あえて子供部屋にまだあったブラウン管TVで観ました。
スイスに持ち込んだNSXタイプSとスイスの景色、ガンさんのインプレッションも熱が入っていて名インプレだったと感じました。
「ベスモ四十七士」への夢、きっと叶うはず。期して待つ2日間が楽しみである。
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ベストモータリング同窓会 | 日記
Posted at
2013/09/19 00:55:03