〜プログレで行く『イヤーカー選び』への道・余話〜
2018年次RJCカーオブザイヤー最終選考会の前夜パーティ出席のため、ツインリンクもてぎHOTELへ向かったのは、11月13日だった。もう一月以上も前のことになる。
16時ジャストに、いつものように最寄りの私鉄駅前ロータリで、RJCの盟友・飯嶋洋治さんと待ち合わせて、大泉JCTから東京外環へ。
今回は日産、スバルの両社が例の不正検査問題でエントリーを辞退していることもあって、第1次選考の国産車部門はN-BOX、CX−5、スイフトが横一線。さて、どうなるのかね?などとお互いの予測を披露したあとで、プログレでクルーズ・コントロールを楽しみながら、三郷JCTから常磐道に合流していくところから、改めて今回は書き継ぎたい。
水戸ICで降りるつもりの常磐自動車道。霞ヶ浦・土浦を過ぎるあたりで、晩秋の落陽は、ターボのブーストがかかったみたいに、あっという間に背後で沈んでいった。飯嶋さんには、近頃、友部SAが「常陸の里山」をテーマにリニューアルしたと耳にしていたので、適当なレストランがあるようだったら、そこで夕食を済ませましょう、と伝えてあった。
*今回のお供は、久しぶりにわがプログレ
美野里PA、岩間ICを過ぎて、やっと友部SAに入った。パーキングスペースはタップリあって、その奥にベージュと褐色を組み合わせたツートンカラーの建物がある。スタバコーヒーがあるのは嬉しいが、肝心のレストランはどうだろう? なんだか全てが新し過ぎて、土産物・ショッピング優先のような気がする。だから、パスすることにした。ついでにこのSAで飯嶋さんにプログレのKEYを渡した。
水戸ICまでは10km弱。あたりはもう真っ暗。カーナビに予め、飯嶋さんがツインリンクもてぎのHOTELを行き先に設定しているが、下道の大通りである50号線は東西を走る幹道。それとは直角に、北へ向かって進めと指示している。果たして、そんなルートで、適当な夕食の摂れる店があるものだろうか。まあ、ダメだったら、ホテルのレストランがあるじゃないか。
*赤ピンのドロップしているT字路に『与三郎庵』あり(google earth map)
それらしい食事の取れそうな店に出くわすこともなく、巨大な森の右脇を抜けているのをカーナビが教えてくれる。水戸森林公園である。と、ポッカリと街灯で明るくなっているT字路にぶつかった。その右の角に一軒家の茶屋風食堂があるではないか。店の明かりが誘蛾灯のように、こちらを招く。ぼんやりと浮かぶ「うどん そば 与三郎庵」の文字。
「ここにしましょうよ」
飯嶋さんもその気だったのだろう、すでに駐車スペースへ向かって、ステアリングを切っていた。
店内は、一言でいって、鄙(ひな)マレ。天井から吊下がった雪洞風照明が柔らかい。掘り炬燵を施した座敷風テーブルに、飯嶋さんと向き合って席をとる。どうやら、地元の手打ち蕎麦が「売り」らしい。店主の手書きのメセージも、この店のぬくもりを伝えてくる。
「お客様へ。当店でお出ししているそばは、地元 城里町 旧 七会村産
野菜、米等は全て 水戸農協管内のものを使用しています」
そうだったのか。「常陸秋蕎麦」で知られる「七会村」がいつの間にか町村合併で、新しく「城里町」となっていたのだ。
仲良く、ミニカツ丼ざるセットを注文した。¥1100。付け出し替わりに林檎がふた切れ、料理ができるまで、というサービスだろうが、その歯ごたえのある新鮮な味を振舞われたのが、今も快い記憶となっている。
ふと、箸袋に目が行った。与三郎庵の住所が刷られてある。
「水戸市木葉下町」
コノハシタマチ?
料理を持ってきたエプロン姿の中年女性に、なんと読むのか、と訊く。
「あぼっけ」
「え!?」
なんでもアイヌ語で『崖の下』という意味だと教えられてきたが、なぜ『木の葉』が当てられるのかわかっていないという。ただ、すぐそばに「木葉下(あぼっけ)金山」という名の昔からの金を掘り出した廃鉱があって、今でも見学者が絶え間なく、やって来るそうだ。
【正岡註】木葉下金山は、室町時代の終わりごろ、戦国時代にかけて、この常陸の国の領主・佐竹氏によって拓かれた鉱山で、佐竹氏は豊臣秀吉に上納する金(きん)の必要から、盛んに金山を掘ったという。その一つが木葉下金山。
やっと夕食にありついた。丼というより、笠間焼の小鉢いっぱいによそわれた玉子とじのカツの、口当たりがひどく柔らかい。甘みが広がる。思わず「美味い!」と、いってしまう。韓国ドラマなら、さしずめ「マシソヨ」といって、主役が微笑むところだろう。
蕎麦は二八割りのざっくりした口当たりも高得点。あっという間に食べ終わる。冷奴まで添えてあった。料理の素材をすべて地元のもので調達するから、この味と値段でなりたつのだろう。え!? 「これで1100円ですか! 」飯嶋さんの、これが感想。来年からの「もてぎ行き」の立ち寄りコースが決まったようなものだった。
*このGOOGLE MAPの左上にJARI 城里テストコースの周回路が見える
18時30分。再びプログレで、夜闇の八溝山地越えがはじまった。真っ直ぐ「城里町」を突っ切って、早く「茂木町」とつながる123号線に乗りたかった。次の大きな四つ角で、左折すれば谷田部から移った『日本自動車研究所 城里テストコース』へむかう案内板を確認する。こちらは、直進。なんとか19時にはホテルにチェックインできそうだな。
19時30分。自動車メーカー各社の該当商品開発担当者や広報担当者との懇親パーティに出席した。編集現場から離れて、もう20年になる。こんなときにしか、特に若手のエンジニアや広報マンの交わる機会はない。特に日産の若手広報部員の何人かはかつて熱烈な「ベスモファン」であったこともあって、わたしのいささか古くなったクルマ談義にも、熱心に耳をかしてくれる。それがことしはごっそり欠席。そのせいだろうか、盛り上がりに欠ける前夜パーティとなった。それ以上に心残りだったのは、EVカーの主役、新型リーフをモテギの特設試乗コースで、スイフトスポーツやN−BOX、CX-5などと乗り較べられないこと。同じフィールドで確かめることで最終決断に踏み切る。それがこの最終選考会の醍醐味なのに・・・。
次の日の朝を、サーキットHOTELで迎えるのはいつ以来だろう。午前6時、目覚ましをセットしておいたiPhoneが律儀に起こしてくれた。
南側の窓のカーテンを開く。朝の光がすでに八溝山地の背筋に降り注いでいる。つい2日前のスーパーGT最終戦で、300クラスの予選3位からスタートしガンさんチームのゼッケン65 LEON CVSTOS AMGが土壇場で怒涛の追い上げを見せ見事に優勝した舞台が目の前にあった。
朝食、最終試乗の確認ミーティングも順調にすませて、午前9時からの試乗会がはじまった。この日、真っ先に足を運ぶピット・ブースはきめてあった。トヨタのコンパクトSUV、 C-HRと『セダン復権』の起爆剤として投入されたカムリの2台を、真っ新な気持ちで対面することだった。
*カムリ、C-HRの待つTOYOTAピットブース
カムリは7月の発表会の後、お台場MEGA WEBの試乗コースを2周だけ味見しているからまだしも、発表と同時にそのやや尖ったクルマ創りでブレークしているC-HRとは、なんと初対面なのだ。去年の12月に発表されていて、そのころは体調不良で、やっと実物に触れられる。
ドキドキしながらC−HRのいささかタイトなシートに腰をおろす。エンジンはダウンサイジングした1.2ℓ 直噴ターボと、1.8ℓNAにモーターを組み合わせたHV仕様とがあるが、これはターボ仕様の方が用意されていた。
すぐ前をイエローのSUZUKIスイフトが同じようにスタートの合図を待っている。
そんな新しい時間。いくつ歳を重ねても、やっぱりいいものだ。
(この項、さらに書き継ぎます)