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2012年01月08日 イイね!

『悪魔のリンク』からの招待状 ~1984年5月、2度目のニュル~

『悪魔のリンク』からの招待状 ~1984年5月、2度目のニュル~ 1982年5月末にニュルブルクリンクという、とんでもないサーキットに踏み込んでからというもの、すっかりその魔力に慿(とりつ)かれてしまい、いつかは自らがクルマで、176のコーナーを攻めて見たいという夢を、年甲斐もなく、抱いてしまった。ま、クルマ野郎なら、だれでもそうであろう。現に、前回の『黄金の日々』で紹介した「Hawk Yama」氏もその一人で、44歳でその夢を叶えている。しかし、恐らく、次なる挑戦目標ができてしまって、すでに始動しているに違いない。

 そうはいっても、そのころのぼく(おお、48歳、若かったね)に、ニュルを攻めるだけのドライビング技術なんてありはしない。日産レーシングスクールの修了生とはいえ、実際のフレッシュマン・レベルのプロダクションレースに出場しても、予選通過もままならぬ有様だった。帰国してからは心機一転、まずNISSANパルサーのNPレースに打ち込んだ。やっと中位あたりをはしれるようになったいた。仕事も、滅茶苦茶、忙しくなっていた。新車ラッシュだった。TOYOTAから初代MR2が発表されて、走り屋たちのスピードマインドに火がついていたし、鈴鹿サーキットを舞台にした『CITYブルドック・レース』もはじまったばかりで、東奔西走の毎日だった。

 そんなところへ、新しく開発した高性能タイヤ「トランビオ4D」を、ぼくら自動車ジャーナリストに、ニュルブルクリンクでテスト試走してみないか、とメーカーの東洋ゴムが大胆に誘ってくれる。その2年前にWEC観戦の際にバスで垣間見ただけの夢のサーキットで専有走行できるという、思いもかけない招待状。よほどの自信作が出来上がったに違いない。否応もない。新しくARAIから支給されたばかりのフルフェースのヘルメット、レーシングスーツなど一式を、旅行バッグに詰め込んでしまったことから、ぼくの浮かれようを想像してほしい。『熱走報告』を書くから、と周りを強引に説得した。アイキャッチのカラーページ(「ベストカーガイド」1984年8月号)はそのときのもので、ご覧のように4色カラーつきの4ページを動員している。

*新しく誕生したグランプリコースに立つ F1はここで開催

 1984年5月、西ドイツ(まだ統一前であった)へ向かう機中の人となっていた。
 ヨーロッパに飛ぶのは、あっという間に6度目を数えるようになったが、ルフトハンザ/ドイツ航空を利用するのは、初めてである。言葉の通じないドイツ人スチュワーデスに、さぞかし悩まされるのではないかと危惧していたが、なんのことはない。大阪発、成田経由のフランクフルト行き定期便には、日本女性がちゃんと用意されており、なんの不自由もない。まるでJALにでも乗っているようだった。違うのはレカロ製のシート。こいつはひどく快適で、16時間を超える長旅も、なんとか耐えられた。加えて、ぼくの心を弾ませてくれたのは、アンカレッジを出てから上映されたニュース番組「ルフトハンザマガジン」のイントロ・シーンである。

 疾走するフェラーリのF1マシンがガードレールに接触、そのまま右側の丘にむかって弾かれる。クラッシュ。炎上。タンカーで救出されるドライバー。

 このシーン、記憶にある! 1976年のドイツGPでニキ・ラウダが演じたあの悪夢の惨劇ではないか。そして、その凶々(まがまが)しい舞台こそ、これからぼくらが挑戦しようとするニュルブルクリンクである! なぜ、今頃そんな映像を流すのだろうと首をひねった瞬間、場面は一転し、お祭り気分の明るいサーキットが大写しされ、クラシックカーのパレード。その中にラウダの笑顔も見える。
7年の歳月をかけて、ニュルブルクリンクは変身した。1周22.835キロメートルの旧コースはそのままに、あたらしく4.542キロメートルのモダンなサーキットが誕生したのだ。安全性を確保した広いグリーン。アウトバーンから駐車場まで直結された高速路──。現在、ヨーロッパラウンドのF1GPは、ここで開かれる。

 5月12日のオープニング式典が、嬉しいことに当時の西ドイツではどんなニュースより優先するというわけだ。そのサーキットで、もうすぐぼくは走れる。偶然とはいえ、まるでドイツがぼくらを歓迎してくれているみたいじゃないか。

  *     *     *      *     *     *

 5月20日と21日の2日間、ぼくらはたっぷりとニュルブルクリンクのNEWとOLDの両リンクのそれぞれ異なった魅力を満喫した。
 用意された6台の高性能マシンは次の通りで、見合ったサイズの「トランビオ4D」が装着されていた。 
*NEWリンクのピット前で。左から当時出たばっかりの欧州仕様のCR-X、スタリオン、323i
          
▼アウデイ・クアトロ(205/60R15)
▼ポルシェ944(215/60R15)
▼ベンツ190E(195/60R14)
▼BMW323i(195/60R14)
▼ホンダCR-X欧州仕様(185/60R14)
▼三菱スタリオン欧州仕様(215/60R15)

 初日は快晴。使用コースはお披露目がすんだばかりのNEWリンクであった。ピットは2階建てに改装され、コントロールタワーも全コースが俯瞰できる高さになった。すべてが様変わりしている。観客席には日曜日とあってか、500人近いギャラリーがそぞろ歩きを愉しんでいる。そして、極東の遥かな国からやってきた連中の、6台だけの奇妙なレース(?)に声援を送ってくれるのだ。

 持ち時間は20分。1周4.542キロメートルをクアトロや944は2分20秒前後で駆け抜けていたから、最低7周はできる。参考までに、ポルシェのバイザッハR&Dのコンピュータがはじき出した予想ラップタイムをお伝えしよう。Flマシンで1分35秒13(平均170・1㎞/h)だという。カーブ数は14、右回りが8、左回りが6、高低差はあまりなく、第1ヘアピンを88.5㎞/hでクリアし、3.5㎞地点からのストレー卜で、286.8㎞/hで駈け上がる計算である。



 このサーキットの諸元表でみる限り、かなりの高速サーキットといえる。で、実際はどうか。最初に割り当てられたスタリオンはDIN170ps/5500rpmと巨大なパワーを発揮する。軽く2ラップを流し、最終コーナーを立ち上がるところで本格的にこの大ぶりな挙動をもつマシンで「4D」を攻めることにした。

 アクセル全開! 左にメインスタンド、右にピットを見ながら直線750m、デジタル速度計が170に達したところで第一コーナー、減速、4Dはきれいに車速を殺してくれる。右へ大きくステアリングをきると、スキール音を発するものの、限界を報せる悲鳴ではなく、快いサウンドだ。応答性も横剛性も悪くない。

 こいつはいける! それが4Dの第一印象である。レーシング仕様でもないのに、まるでスタリオンのP仕様にでも乗っている錯覚に陥ったほどだ。

 第1ヘアピンから第2ヘアピンまでは下りの高速ライン。4速までシフトアップしたところで第2ヘアピンのCPを狙って2速に落としながらのブレーキング。そして、柔らかくアクセル・オン。スタリオンのテールはずるりと左へ振り出し、立ち上がりの挙動にどこまで対応できるか、ぽくを試そうとする。

 ステアリング操作で、ぼくは踏んばる。4Dがそれを助けてくれる。これが、東洋ゴムの開発者が「4Dは人間が動物である部分を剥き出してくれますから、どうぞ、そこのところを味わってください」と、耳打ちしてくれた〈正体〉がこれか!

*NEWリンクのS字コーナーをポルシェ944で楽しむぼく。

 *     *     *     *     *     *

 この27年前のニュルブルクリンク・トランピオ4D試乗会の思い出話で、ひとしきり花が咲いた。モータージャーナルストのなかで理論派で知られる両角良彦さんと、あるメディアの「忘年会」で一緒になったときの話である。この人とは妙にウマが合う。
 いまでこそ、この国の各自動車メーカーも、ニュルブルクリンクを開発の『聖域』として北コース通いに重ねているが、最初に注目したのは、BS、YOKOHAMA,それにTOYOといったタイヤメーカーだったじゃないか――このぼくの指摘に、両角さんが賛同してくれた上に、当時、三栄書房「モーターファン」の編集者だった彼は、そのTOYOタイヤの招待メンバーの中にいたと言うのだ。

 そうだったのか。申し訳ないが、ぼくは記憶していない。津々見友彦、清水和夫、早津美春、伏木悦郎と言った面々と接することが多く、さきの「ピレリ遣欧団」以来の友人であるCGの笹目さんや、FISCOの走り屋仲間であるオートテクニックの飯塚昭三編集長と一緒することが多かった。そうした同業者の交流を促進し、走りの本質に対して見識を深める機会を設定したイベントが、どれだけモーター・ジャーナリズムの成長に寄与していたことか。

*2日目、リンク傍のHOTELの前で、津々見(右)、笹目(左)の両氏と。

 1日目の走行が終わり、2日目を迎えた。宿泊先は「ピレリ遣欧団」の時と同じ、1時間ほど離れた温泉保養地だったが、迎えのバスに乗ろうとすると、雲行きが怪しい。
「本コースのあたりは雨だね」
 だれかが不吉なことをいう。が、その予言が当たってしまう。リンクに着いてみると、雨どころか霧が立ち込めている。よりによって……。それからの悪戦苦闘は、次のアップで。

Posted at 2012/01/08 22:56:57 | コメント(5) | トラックバック(0) | ベストカー時代 | 日記
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何シテル?   04/25 11:42
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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