〜「諦めさえしなければ、きっといつかは」のこだわりを!〜
韓国語で初雪のことを「チョンヌン」と呼ぶことを教えたくれたのは、韓流ドラマブームに火をつけた『冬のソナタ』のぺ・ヨンジュンとチェ・ジウ姫のカップルだった。
韓国の恋人たちは初雪の日をとても大事にしている。プロポーズや告白をしたりするほか、初雪をみると連絡を取り合ったりする。連絡を取らなければ、別れの原因になったりもする、という。
クリスマスイブの日、約束の場所に立ってチュンサンが現れるのを待つユジンに、白いものが降りかかる。
「あら、チョンヌンだわ。嬉しい」
しかし、ヨンさんはやってこない……いや、来ることのできない哀しい事情が起こっていた。あのラブストーリーを家人と一緒に見てから、もう10年が経ってしまった。
「冬ソナの舞台、春川(チュンチョン)に連れ行ってやるよ」
あの約束は、空手形のままだなア。
前夜から、TVの天気予報が盛んに、祭日明けの24日は積雪するだろうといっていたが、的中した。午前8時、西側の窓の外を、白いものが舞いはじめていた。向かいの邸宅の屋根はすっかり白化粧を終わっているではないか。
特に外出する予定はない。「みんカラ」も「R35 GT-R MY17」の続編に取り掛かったが、気になる調べごとがあって、そちらへ方向転換する。
そろそろ公開してもいいだろう。
半年ほど前の「みんカラ」Special Blog(6月6日掲載)で
“『局長』が局長になるまでの『仕事』を掘り起こす”(こちらをクリック)を連載すると予告し、週刊現代の創刊期に新入社員のわたしが体験したことをボチボチと書き進めはじめたところ、それを是非、大急ぎに仕上げて単行本にまとめないか、といってくれる出版社が現れたのである。
旧知の間柄だし、こちらも、取り組むとしたら今しかない、と考えていたから話はトントンとまとまった。
出版の目標は2017年の3月。果たして書き上げられるかどうかは別にして、改めて確認したいことや、読まなければならない資料が山ほどある。そんな中で関わりのあったジャーナリストや評論家、作家からいただいた書簡もあるはずなのに、行方不明なのだ。この1ヶ月、時間をつくっては心当たりの書類袋や収納棚をゴソゴソやっているのだが、なかなか辿り着けないでいた。半年前にはどこかにあったのを見ているのに……。
*右から作家の藤原審爾さん、中央が大森実さん、そして左が日刊ゲンダイの元社長だった川鍋孝文さん。残念ながら、皆さんはすでに鬼籍の人となった。
雪の降りしきる窓の外をぼんやりと眺めていたら、ひょいと頭に浮かんでくる場所があった。家人が封筒や切手を収納している、抽斗のついた、ガラス張りの扉を持つ、北欧家具調の本棚である。
期待をこめて南ベランダ寄りのリビングルームへ。抽斗は上下に2段、それも4つあった。その左端、上段の抽斗に目星をつけて、手前に引く。おお、手紙類の束があるではないか。その中に、国際事件記者で鳴る大森実さんがカルフォルニア・ラグナビーチから送ってくれた7枚綴りの「近況」や、国民的歌手、三波春夫さんからの見事な筆書きの礼状が、家人の手で保存されていたのだ。
「あったぞ!」
歓声をあげると、家人が何事かと顔を出す。説明すると、
「あら、それなら訊いてくれればよかったのに……」
蔵ってある場所は決まっているじゃない、と、いつものやりとり。
黄ばみ始めた大森実さんの名前を刷り込んだ便箋を読んでみる。そうだった、と往時の記憶が蘇る。大森さんとは、2度目の週刊現代務め(1972=s47から2年間)をした際に、大ヒット連載『直撃インタビュー』で深く関わり、爾来、数多くの仕事を共有してきた。
真っ先に用意しないといけないレジュメの構成に、だんだんと肉付けができはじめたぞ。初雪の効用のおこぼれだな。
窓の外は、雪が斜めに降りしきっている。風が出て来たのだろうか。
午後4時。また、ひょいと気がついた。近くの図書館で借りていた葉室麟の『日本人の肖像』の返却日が過ぎていないか、ということだった。案の定、23日が返却日。早速、図書館に電話を入れてみた。祭日の翌日だから休館している恐れがなくもない。が、大丈夫、やっていますという返事。
薄く雪化粧をしたマンション玄関からの階段を、傘をさして下りていく。雪の降りかたは弱くなっていて、足元も雪で滑るほどではない。マンションを出る時、ちらりと駐車場を見る。わがプログレのルーフは白雪を冠っていた。あとで雪下ろしをしてやらなくては。
1日遅れの返却を咎められることもなく、さらに新しく1冊の本を借り出した。同じ葉室麟の小説『鬼神の如く(黒田叛臣伝)』である。秀吉の軍師・黒田官兵衛の跡を継いだ長政の嗣子・忠之と、その陪臣・栗山大膳との葛藤を描いた「お家騒動」もので、かねてから一読を狙っていたものだが、なかなか借り出す機会に恵まれなかった。これも「チョンヌン」の効用か。「OH、ラッキー!」と相成った。
早く読んでみたい。ついつい、心を急がせて、雪上がりのいま来たばかりの道を、速足で取って返した。
「ただいま!」といった途端に、何か変だと気づいた。そうだ、図書館の傘立てに、傘を置いてきたままだよ、と。いけない、あの傘はとても大事な想い出のこもったものの一つであった。
再び、急ぎ足で2度目の、図書館への道を急ぐ。「アリマツの花見傘」と名付けている、今はなき旧友の遺品は、大人しく傘立ての端っこでわたしが迎えに来るのを、待っていてくれた。
雪は完全に上がってしまっているが、昏(く)れはじめた空へ向かってパッと開いてやった。地色が淡いベージュの布地。グリーンのストライプが3本ずつ粗い束になって、縦横に交差している。そしてもう1本、薔薇色の線が走っていた。どこかで出逢ったことのある織物の世界! 雪に塗れた地色が鈍い光りに透かされて、沖縄特産の芭蕉布を連想させたのだった。
グリップの感触が妙に温かい。クルリと湾曲しているあたりが偏平になっていて、男性用香水で有名なブランド名の「ARAMIS」と焼印が捺されている。
図書館に続く銀杏並木の下へ一歩、踏み出した。わが左手は、いまは亡き友の指と連帯しているみたいだった。なんという心地よさ。アラミスの傘、か。ふと気づいた。アラミスのスペルにTUを加え、ちょいと順列を崩してやれば、「ARIMATSU」となってくれるじゃないか。TUって、フランス語で親しい意味をこめた「きみ」だったな。
「おい、有松よ。そうだろ?」
にわかに、風が騒いだ。樹々がざわつき、ヒラヒラと黄色の葉が舞い落ち、傘が揺れた。
「おっ! 有松が返事している!」
このすでに20年も昔に鬼籍の人となってしまった旧友・有松正豊は中学時代からの仲。北九州で歯科医を営んでいたが、台湾へ旅立つ飛行機のなかで変調し、異国で逝ってしまった。
きみ逝くと 電話の奥で 妻のふるえ声
信じてなるかと こころ踏んばれど
ふき出る涙 とめどなし
きみよ いま一度 逢いたし
いま一度 きみが笑顔に 染まりたし
きみが笑顔は われらが宝物なりしを
有松の死を確認した日、詩のようなものを記ためてしまった。そうでもしなければ、心が鎮められなかった。もちろん、彼との別れの式に北九州まで向かい、列席させていただいた。
有松家を辞して斎場へ向かおうと外へ出た。雨足が強まっていた。
「どうぞ、これを使って。有松が使っていたものよ」
差し出された傘にこめられた夫人の想いが、切なかった。
「うん、遠慮なく。東京まで持って帰りますね」
それ以来、ずっとこの傘だけは、わたしと一緒に暮らしている。
この旧友については、いまや幻となった西日本サーキット(美祢サーキット)を舞台にした
「《お邪魔虫》故郷に錦を飾る!」と題した長いレポートの後半で紹介してある。よろしかったら、ぜひお立ち寄りいただければ、この辺のニュアンスがもっと深くお伝えできるので、是非どうぞ。
賑やかな、子供達の歓声がきこえる。台地の斜面を利用して出来上がっている公園が、にわかに白いゲレンデと化していた。その楽しそうな光景を、おそらく「ムクゲ」とおぼしき、アオイ科のピンクの花が、見守っていた。(追記:後日、皇帝ダリアとその名が判明)
11月24日。この初雪の日に、もうひとつ大事な探しものが手元に帰って来るのだが、それは別の機会に譲り、これにて「FIN」としよう。