〜36歳のときに抱いた大志が、いまもう一度燃え上がる〜
待ち焦がれていた23年ぶりの「連載」再開である。
1月23日付け朝日新聞の見開きスポーツ欄は大相撲の稀勢の里が、白鵬を土俵際で屠(ほふ)ったシーンを大きく扱っていて、その真下で、右ページに週刊ポスト、左に週刊現代とそれぞれの全5段広告が踊っていた。その中から、わたしが確かめたかったのはただ一つ、五木寛之さんの『新・青春の門』が、この号から情報通りに掲載されているかどうか、であった。
そして……ありましたぞ! 「はやくも話題騒然」という嗾(けしか)けのコピー付きで「第9部 漂流篇」の連載がスタートしたことが告知されていた。
早速に、近くのファミリーマートまで、朝の散歩をかねて足を運んだ。430円で手にした『週刊現代』2月4日号。パラパラとめくってみる。カラーがおわって、モノクロのグラビアページへ。編集部もしっかり連載開始に連動したページを用意している。
その扉ページ……いまのままの五木さんが、それでも背筋をピンとはって、こちらへ向かって、深いまなざしでなにかを語りかけてくる。
36歳のときに抱いた大志が
いまもう一度燃え上がる。
なぜ再び筆を取ったのか———。
熱い決意を語る。
そして、タイトルがついている。
『新 青春の門』 五木寛之 84歳、いまだから見えるもの
そのあと7ページにわたって、五木さんからのメッセージやら、48年に渡る『青春の門』の軌跡、映画・テレビドラマを彩った女優たちをたっぷりと紹介している。
いいねェ。これは自宅に戻ってから、小説を読む前にジックリと賞味することにしよう……。寒い夜に焼き立てのサツマイモをふところにしたのに似た想いで、やって来た道を引き返す足取りのなんと軽かったことか。
“去りし昭和の夢と青春”−−− 23年ぶりの執筆再開にあたって
この物語の第一部がスタートしたのは、一九六九年のことだった。連載の舞台は、同じ週刊現代である。
それから半世紀ちかい年月が過ぎた。幾度かの中断をへて、第八部まで書き続け、それから二十三年のブランクがあった。
そして今、新たな構想のもとに、第九部が再起動する。考えてみればとほうもない話である。五〇年の歳月をかけて一篇の長篇を書く機会は、作家にとってそうあるものではない。まして同じ舞台で連載できるというのは、希有な幸運というべきだろう。
五木さんの気持ちは、裏返すと読み手の側からの同じ言葉でもありはしないか。
「青春の門」は細かくいうと1969年6月19日号が初出である。発売は6月初旬で、その時のわたしは一ヶ月に及ぶ気ままな『ヨーロッパ研修ひとり旅』からやっと帰ってきたところで、久しぶりに手にした『週刊現代』で「新連載小説」として登場した「青春の門」の書き出しに、魂を吸い取られてしまった。
それは、いまでも、その何行かは、いまでも暗誦できるほどの風景描写ではじまっていた。ちょっとだけ、引用をお許しいただこう。
☆ ☆ ☆ ☆
香春岳は異様の山である。
決して高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。
(ほんとうは、諳んじているのはここまでで、書き出し以下、原文の引用である)
福岡市から国道二百一号線を車で走り、八木山峠を越えて飯塚市を抜け、さらにカラス峠と呼ばれる峠道をくだりにかかると、不意に奇怪な山容が左手にぬっと現れる。
実際よりはるかに巨大な感じを与えるのは、平野部からいきなり急角度でそびえているからだろう。右寄りの最も高い峰から一の岳、二の岳、三の岳と続く。
一の岳は、その中腹から上が、醜く切りとられて、牡蠣(かき)色の地肌が残酷な感じで露出している。山裾のセメント工場が、原石をとるために数十年にわたって休まず削り続けた結果である。
雲の低くたれこめた暗い日など、それは膿んで崩れた大地のおできのような印象を見る者にあたえる。それでいて、なぜか見る側の心に強く突き刺さってくる奇怪な魅力がその山容にはあるようだ。目をそむけたくなるような無気味なものと、いやでも振り返ってみずにいられないような何かがからみあって、香春岳の異様な印象を合成しているのかも知れない。
かつて戦国時代に、この一の岳に築かれた不落の名城があったという。その名を〈鬼ヶ城〉と呼んだそうだが、いかにも香春岳にふさわしい異様な山城の姿が霧の奥から浮び上がってくるような気がしないでもない。
☆ ☆ ☆ ☆
主人公、伊吹信介のふるさとは筑豊・田川に設定されていた。父親は炭坑夫。北九州・八幡生まれのわたしにとっては一山越えた炭鉱地帯を舞台としてはじまる新しい物語に、特別な想いがあった。わたしの父は4歳の時に、四国松山近郊の村から、筑豊の川筋の町・直方に移住し、青年期までを過ごしている。そして肝心なことは、主人公の信介の生まれたのと同じ年、つまり昭和十年(1935)にセメント会社は山を削りはじめている、とあった。ということは、信介とわたしは同級生であり、同じ時代の空気を吸いながら、青春期へと導かれるわけか。
五木さんは「執筆再開」のなかで、こう書き綴る。
————第一部・筑豊篇の冒頭で、名山、香春(かわら)岳についてこう書いた記憶がある。
「やがていつかは、香春連峰、一の岳の名が、かつて筑豊に存在したいまはなき幻の名山として、伝説のように語られる日がやってくるのかもしれない」
いまその予感は現実のものとなっている。世界も、人も変る。そして故郷の山や川も変るのだ。そんな時代に、はたして何か変らぬものがあるのだろうか。
私は、ある、と思う。それは青年の苦悩であり、野心であり、未知の世界への憧憬だ。不安にみちた日々の中にも、明日への期待があり、混迷の奥にも希望がある」
五木さんは、自らをすでに青春を遠くはなれた玄冬の果てにいる、といいながらも、だからこそ見えるものがあるように思われてならないのは、なぜだろうか、と胸を張っている。
いよいよスタートした第九部『漂流篇』。舞台となる場所はシベリア。
それに備えて、改めて第八部『風雲篇』を書棚から取り出している。物語は、裏ルートに便乗して渡ったシベリア・ハバロフスクから馬に乗ってイルクーツクを目指す信介が、同行のロシア娘との「熱い渦巻き」にのめり込むシーンでフリーズしている。だから、五木さんがどんな書き出しを用意してくれたか。ドキドキしながら『週刊現代』の活版ページ、100P目を開く……。
『バイカル湖への道』という小見出しタイトルのついた見開きページの左側から、いまの「時代の寵児」SUVまがいのクルマが、崖際を右回りしながらこちらへむかって疾走してくる。
嬉しいね。いきなり、ソ連製の4WD車、ワズの登場だ。今回の書き出しも、クルマからはいっている。五木さんの得意技の一つである。次回は、このワズ450Aがなぜこの物語を牽引していくのか、からはじめたい。
(この項、つづく)