• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

正岡貞雄のブログ一覧

2020年11月29日 イイね!

追悼! 矢口高雄という『元気な星』との別れ

追悼! 矢口高雄という『元気な星』との別れ〜本物の「雪深い秋田の農家育ちの少年」ここにあり!〜
 
 11月26日朝の「矢口高雄さん死去 釣りキチ三平」(朝日新聞)の訃報は背後からガーンと不意打ちされた感じだった。まさかあれほどお元気だった矢口さんがこの20日、膵臓癌で逝かれていたとは!

 この2年ほど、ご無沙汰していた己れが迂闊だった。81歳だった。葬儀は親族で行った。秋田県の横手市増田漫画美術館によると、後日、「偲ぶ会」を予定している。

alt

 そして『朝日』は丁寧に故人の経歴や業績をフォローしてくれる。
ーー秋田県西成瀬村(現横手市増田町)に生まれた。増田高校を卒業後、地元の羽後銀行(現北都銀行)に12年間勤務したが、漫画家への夢をあきらめきれず、30歳で退職し単身上京。『週刊少年サンデー』(小学館)に掲載された「鮎」で漫画家としてプロデビューした。
 73年には「釣りキチ三平」「幻の怪蛇バチヘビ」を発表し、釣りブームやツチノコブームを巻き起こした。同作品は講談社出版文化賞(児童まんが部門)を受賞、76年には「マタギ」で日本漫画家協会大賞を受賞した。奥羽山脈に山間部で生まれ育った原体験を元に、自然と人間との関わりをテーマにした作品を描き続けた。

「朝日」の矢口さんへの哀悼の想いは、さらに翌27日の『天声人語』にバトンタッチされていた。

 まず、矢口さんの漫画家デビューまでの苦しい道のりを、改めてなぞったところで▶︎中学卒業時、東京のブラシ工場への集団就職が内定したが、恩師が両親を説得してくれて高校へ。卒業して地元の銀行に職を得る▶︎辞表を出して30歳の春。幼い娘が2人いた。周囲の反対を押し切って上京、多摩川に近い部屋を借りて(正岡註:目蒲線矢口渡駅。ペンネームの由来)描き始めたが、不安は尽きない。「妻子を養えるだろうか」「銀行に残ればよかった」。毛布にくるまって泣いたという▶︎訃報に接し、代表作『釣りキチ三平』を四十数年ぶりに読み直した。天衣無縫の少年が世界の川や海に挑む。さおのしなり、きらめく水面。どの絵にも心が通い、少しも古びていない‥‥‥こう「天声人語」氏は書き継いだ。
 そして転調する▶︎「どんどん道草を食おう」「寄り道をしよう」。講演ではそう語りかけた。自身、学校帰りに虫を採り、野の草や実をかじった経験が財産になったという。「すぐに漫画家にならず、銀行に勤めたのもよかった」とも語った▶︎「雪深い秋田の農家に生まれ」。永田町あたりでそんな名乗りを聞いたばかりだが、矢口さんも正真証明のその一人。ボツや挫折、不安をすべて肥やしにして、50年に及ぶ画業を豊かに結実させた。

 この心に染みる矢口さんへの「贈る言葉」。身体中がポカポカして来た。そしてわたしも動いた。確か、折に触れ、矢口高雄さんからいただいた「色紙」を本棚や、陶器や食器類を並べたリビングの棚から、取り出すことにした。

alt

alt



 おお、ありました。2004年は申(さる)年だったのだろう。猿が目を剥き口元はギュッと噛みしめ、生きて行くことへの『闘志』を伝える『不言』の文字が添えてあった。もう一枚は、わざわざわたしの姓名を書き記し、三平君が今にも竿を撓らせながら釣り針を海に放つ瞬間を捉えた、ダイナミックな筆遣いのものである。おお、そうだった。矢口さんと関わった濃縮な日々の記憶が蘇って来た。

 2003年の春、67歳になったわたしは「ベストモータリング」を発行する講談社の関連会社「2&4モータリング社」から解放されて、自由になったらぜひやってみるつもりだった「正岡一族 ルーツ探しの旅」に取り組み、四国・愛媛県の山間部に通い、さらに「源義経・北行伝説」の足跡をプリウスを駆って追い、青森県竜飛岬までに足を伸ばすなど、結構、賑やかな日々を楽しんでいた。。

alt
*正岡氏最後の主城・豊臣秀吉四国征伐により落城

alt
*平泉義経堂の義経像

alt
*津軽半島三厩の義経渡海伝承の碑とプリウス




 そこへ講談社時代、野球部で本来はサードを守るわたしが、ピンチの時だけリリーフで登板して投げる「魔球」シンカーを、苦もなく受けてくれた川鍋捷夫捕手がわたしを訪ねて来た。「ヤングマガジン」で「頭文字(イニシャル)D」を立ち上げ、そのころは「少年マガジン」の担当部長となっていた。

「今度、矢口高雄さんの『釣りキチ三平』平成版CLASSICを月2回刊で創刊するんだけど、そこで『元気の出る対談』というのをやりたいんだけど知恵を貸してくれないか」
「恐ろしく誘惑的な企画じゃないか。例えば、いまパリダカールラリーで一躍勇名を馳せた増岡浩君なんてどうだ!?」
「ああ、いいね、それ。じゃあその次にヤックンこと、薬丸裕英にしたいね」

alt
*矢口高雄HPより

 話はトントン進んで、早速、構成作家として自由が丘の矢口高雄邸で打ち合わせをすることになった。それから3年に近い日々を、通算28人のゲストを迎え、矢口さんと共有することになるのだが、さらにロシア領のカムチャッカにまで足をのばすことになるなど、思いも及ばない豊かな果実を持つ日々が訪れる‥‥‥。                         (この項、つづく)
Posted at 2020/11/29 21:03:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「鬼門のバンテリンドームでの竜戦はTV中継が滅多にない。案の定、左腕大野に丸め込まれて0:2。が7回から竜の投手リレーが始まる。8回表、中野が右前安打で出塁、森下四球でサト輝の登場。このシーン、一発逆転が出るか出ないか。スマフォ速報で固唾を飲む。痺れる。敵はバンテリンの高い塀。」
何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/11 >>

1 234567
891011121314
15 161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

富士のヘアピンで息絶える! ~ミラージュCUP闘走の記憶・第2幕~ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/08 16:07:17
新しい光が《わがクルマ情熱》を再生させた! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/12/08 20:15:35
『10年前、五木さんの500SEを譲り受けたのが…』(黒澤) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/12/03 16:35:03

愛車一覧

トヨタ プログレ トヨタ プログレ
「NC」とは、ニュー・コンパクトカーの略と記憶している。(その後、NEO CATEGOR ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation