紛れもなく、中部博さんはモータスポーツを正確に見据える視点をもつ、鋭いノンフィクション作家であった。
書き出しの数行で、すぐに読み手のハートを鷲づかみにしてしまいます。
――1974年の富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦のテレビ中継録画番組の音声を録音したテープは、第1ヒートを終えてインターバルにはいっている。
中部さんは独自に入手した録音テープを、丁寧に書き起こしていた。解説者は田中健二郎さん(2007年、73歳で物故)。建部建臣アナウンサーの質問にこたえて、レースの面白さを楽しく語ることで、当時から評判だった。もう一人のゲスト解説者が、のちに日産レーシングスクールの校長となった辻本征一郎さん。以下、貴重な資料なので、中部さんの了解を得て、その記述を適宜、引用して、当日の模様を、コンパクトに再現したい。
磯部 「ヒートワンの結果でグリッドに整列しております。高橋国光選手がポールポジション。以下、黒沢元治選手マーチ74S、そして北野元選手、高原敬武選手、風戸裕選手、都平健二選手、米山二郎選手、生沢徹、鈴木誠一、漆原徳光、従野孝司、長谷見昌弘、津々見友彦、以下17台のマシンが、すでにポジションについております。まもなく第2ヒート、スタートです」
軽快なBGMがフェイドアウトした。
同時録音した富士スピードウェイの場内アナウンスがいかされていて、それは「スタート3分前です」といっている。
磯部「レースクイーンの高草純子さんが、いまスタート3分前を提示しました」
コース員が吹いたであろうホイッスルの音がする。スターティング・グリッドにいる人々に退場をうながす合図のはずだ。
磯部「今日は5万6千という観衆がつめかけました富士インターナショナル・スピードウェイ。グラン300キロレース。第2ヒート。まもなくスタートが切られようとしております。さあ、健二郎さん、3分前が提示されました」
田中「はい、はい。やはりね、こういう時にはね、第1ヒートの自分のコンディション、それから成績、そういうのを検討しながら、いろいろ作戦を練ってね。やるんですけれど、こういう時が、いちばん嫌ですね」
*閉鎖される前の30度バンクへ進入を、ドライバーからの視線でとらえた連続シーン。
(Best Motoring Racing History vol.3 「スカイライン神話Ⅰより)
場内アナウンスが「スタート2分前」を告げている。17台のマシンのエンジンにいっせいに火がはいる。クランキングして、やわらかくウォーミングアップするエキゾーストノートにまじって、勇ましいカラ吹かしがところどころに聴こえる。まさにレースのスタート直前の緊張が伝わってくる。
磯部「じーっと、こう耳を澄まそうとする表情が北野選手ですが」
田中「そうなんです。これは黒沢選手ですね。いろいろね、自分が第1ヒートで失敗した、あのスタートがね。今度はどういう具合にやるか。それをあれこれ、いろいろ考えている時期なんですよ」
磯部「さあ、1分前がでました。やはりあの、耳でエンジンの音を聴いたりね、油圧が大丈夫かとか、いろいろ、こう……」
田中「はい、はい。磯部さん、いま、国光君のヘルメットが動いていますね。右、左を見ていますね。ベテランでも落ち着かないんですよ」
スタート1分前。エンジン・ウォームアップのエキゾーストノートがたかまっている。スターとにむけてエネルギーをためこんでいる音だ。
田中「それと、今度はね、先ほどの第1ヒートで1位をとった高橋君が、第1ヒートで黒沢君がポールポジションと同じで、高橋君がようするに先導役ですね」
磯部「さあ、ローリングが始まりました」
走り出す17台のマシンのエキゾーストノートが重なって聴こえてくる。レースファンをして興奮がたかまるサウンドだ。
磯部「ローリング開始であります。(中略)第1ヒートにくらべて、タイヤのいわゆる調節をはかるというあの左右に動くのが、少ないようですね」
田中「これは我われが言ったことが通じたかどうか、知りませんけれどね、こうして気温もあがっていますからね、第1ヒートのような、あんな無茶苦茶なことをする必要はないですね」
磯部「第1ヒートで、タイヤがどのくらいもつかということは、分かってますね、もう。確認してますよね」
田中「そういうことです。磯部さん、ちょっとペースが速いね」
磯部「そうですか。ヘアピンをたちあがって行きます。ペースカー先頭に17台が連なっています。高速コーナーです。今度はわりと間隔があいていますね」
田中「そうですね」
磯部「高速コーナーから最終コーナーをたちあがってきました。ポールポジションの高橋国光が左、その右側のほうに黒沢。さあ、今度は、どうでしょうか、辻本さん。(ペースカーは)はいりそうですか、一度で」
辻本「えーと、ですね。ペースカーがたとえ入りましてもですね、競技長のグリーンフラッグがふられないかぎり、レースがはじまりませんから」
磯部「ああ、そうですね。安友競技長のフラッグはイエローのままです」
辻本「もう1周です」
田中「うーん」
磯部「隊列はわりと整っていたような感じはしたのですが、もう1周ですね」
田中「何か、競技長が念を押したいというような気持ち、だと思うんですがね」
磯部「そうですか、もう1周、ローリングであります。20周で争われます第2ヒート。第2ヒートで、もし黒沢選手が勝つようなことがありますと、黒沢選手の総合優勝ということになります。したがってポールポジションの高橋国光選手も安閑としてはいられません。Sターン・カーブです。ペースは、やはり第1ヒートに比較すると速いですね」
田中「うん、これはね、約ね、80キロぐらい速いですね」
(中略)
磯部「さあ、17台のマシンが高速コーナーに消えました。最終コーナーをたちあがってきました。ペースカーです。さあ、今度はどうでしょうか。入りそうですか。左、赤いクルマが高橋国光です。安友競技長のイエローフラッグ。ペースカーは、右のウインカーを出しました。ピットロードにそれます。安友競技長のイエローフラッグは、いまグリーンに変わりました。いま、第2ヒート、一斉にスタートです!」
全開走行を開始した17台のレーシングマシンがかなでるエキゾーストノートに、エフェクト処理がなされ、リバーブ(残響)してたかまり、やがて静かにきえていく。砂浜に大きな波がおしよせ、ブレークして広がり、やがて引いていくようなイメージだ。
*第2ヒートスタート直後。跳ね返ってきた⑥北野車が⑩風戸車と(38)鈴木車の間を通ってコースを横切るようなかたちでコースに戻ってきたのがわかる。そしてその直後、ふたりのと尊い命が奪われる炎上事故が発生した(レーシングオン2008年3月号・1974.06.02第5回より・撮影:稲田理人)
騒然とする観客の叫び声が聴こえる。場内アナウンスの声が響いている。叫ぶようなホイッスルの音がして、クルマのクラクションが連打される。数台の救急車と消防自動車のサイレンが入り交じって聴こえる。ふたたび複数のホイッスルがヒステリックに吹かれた。尋常でない雰囲気が伝わってくる。
場内アナウンスが「第1コーナー」と言っているようだが、サイレンの音でかき消されてしまい、聴き取れない。
「かなり激しく燃えております」と場内アナウンスが聴こえた。
「救急車がただいま向かっております」と言っている。クラクション、サイレン、ホイッスルの音が洪水のように聴こえてくる。誰か男の声が「ヘアピン」と叫んでいる。
「炎上しております。第1コーナーです」と場内アナウンスが言っている。甲高いサイレンは、救急車なのか。ビービーというピットインするマシンがあることを知らせる警告音がしている。
まだレースを続けているドライバーとマシンがいるようなエキゾーストノートが数本聴こえている。「ドライバー!」と男が大声を出している。バタバタとクルマのドアが閉まる音。怒号のなかに「さがって! さがって!」と叫ぶ男の声が聴き取れた。(中略)ヘリコプターが離陸するローターの回転音が続く。
ふたたびサイレンが鳴っている。レーシングマシンがスローダウンして走っている音がした。
「火災が発生したのでしょうか。クラッシュしたのでしょうか。もうもうとした黒煙が、白い煙にかわりつつあります」と場内アナウンスが聴こえ、そのあとはピットの警告音がさわがしく、聴き取れない。そして静かになった。
●悲しみのラストシーン
アコ―スティックギターを奏でる哀しげなアルペジオ(弦を1本1本指で弾く奏法)が流れてきた。磯部アナウンサーが神妙な語り口で喋りだす。
「ご覧いただきました富士グラン300キロ。第2ヒートにおきまして、たいへん大きな事故が起きてしまいました。ただちにレースは中止となりましたが、ローラT292に乗ります大ベテランの鈴木誠一選手と、シェブロンB26に乗ります若手のホープ、風戸裕選手が亡くなりました。田中さん、辻本さん、おしい選手を失いましたね」
田中「まったく、そのとおりです。実はね、鈴木君は2日前に、どうもいまひとつ乗れないと。健さん、ぼつぼつ引退してね、若手の今後の、その指導をしたいと。それから、風戸君。昨年の第4戦で優勝し、泪を流しながら喜んでね。これから日本のレース界の第1人者に育っている最中。もうね、残念だね」(中略)「そうそう、あのね、予選の前にね、やはりね、S字が、どうしても乗れないと。田中さんね、ちょっと見てくれと言ってね。私は約2時間ぐらいみましたけれどもね。いやーっ、この次は、もっと研究しますという、あの笑顔が、いまもそこに何かあるような気がしますね」

*レーシングオン2008年3月号・連載第5回より
これまで冷静にレポートしていた中部さんが、はじめて自分の感情を顕わします。
田中健二郎の語りがいい。哀しみに負けじと、精一杯の声をあげている。それが亡くなったふたりのレーシングドライバーを心底から追悼するふるまいなのだと言いたげだ。生き残った者が、天命をおえたふたりへ最高の儀礼をもって語っている。
ここで番組そのものの音声録音は終わっているようだ。というのは、磯部アナウンサーの「おふたりのご冥福を、心からお祈り申し上げたいと思います」という追悼の言葉のあと、BGMがぷつんと切れるように終わっているからだ。はたして、これで番組が終わったのかと疑問が残る、と中部さんはこだわる。どうやら引き続き雑音のような形で、ひそかにメッセージがこめられている、と読みとったからだ。どうやら鈴木誠一の声と思われるやさしい語り口で女性ドライバーとの会話の一端らしい。そして、もう一つは若い男のインタビューが聴こえる、という。
「レースが危険だからといって、やめるとか、そいう考えは持っていません。自分の選んだ道を思いきりやるということは、素晴らしいことで、それの見返りに死があるんだけれども、、それ以上にレースは素晴らしいと思った」
これは風戸裕の声ではないか。だとすれば、ここまで番組が続いていたことになる。追悼の場面があったのだ。それまでに撮影されていたふたりのフィルムかビデオが追悼のためにラストシーンとして使われたのだろう。

*レーシングオン2008年3月号・連載第5回より
*開幕戦で2位表彰台に立つ鈴木選手(中央)=レーシングオン2008年3月号・連載第5回より
*第2ヒート出走前の風戸裕選手。当時25歳のスタードライバーだった=レーシングオン2008年3月号・連載第5回より
録音テープを聴き終えた。聴きながら、いまさらながら、二人のレーシングドライバーのご冥福を祈らざるをえなかった。
何が起きたのかは、分かった。しかし、何がどのように起きたのか。なぜ、起きたのかは、わからなかった。
以上で、「1974.06.02 ――まだ振られないチェッカーフラグ」の第1回(『Racing on』2007年11月号所載)は終わります。もちろん、これは連載のプロローグで、ここから中部さんのレポートは本格化していきます。出場ドライバーはもとより、事故現場に居あわせたFISCOの関係者、事故の伏線となっただ1ヒートの実況録画の持ち主探索など、丹念に訪ね歩くことになりますが、その前に、ぼくは中部博さん本人と直接お逢いし、この作品に取り組むようになった経緯などもうかがっています。
連載の主要なポイントと、ご本人のコメントをない混ぜながら、さらにこちらも書き継いでまいります。そして、何がどのように起きたかが、少しずつ飲みこめてきました。
実はこの後、ぼくの資料整理の手違いから、上記の中部作品は、連載第5回のものと入れ違っていたらしいことが判明しました。キツネにつままれた、とはまさにこのことで、そのお詫びといきさつを含め、次のアップまでしばらく時間をお借りします。ご了承ください。