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正岡貞雄のブログ一覧

2012年11月27日 イイね!

秩父夜祭ロマンと甘酒ぶっかけ祭 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑③~

秩父夜祭ロマンと甘酒ぶっかけ祭 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑③~ 東京の西の空が、前夜の雨に洗われて、今朝(11月27日)はすっきりと晴れあがっている。左から、富士の白い姿が大山山塊の上にのぞいている。そして北にひろがる奥多摩の山並みの右側で、朝の陽を浴びて、秩父の山々が一塊になって、2000メートル級の山容が包み隠さずに、明るく輝きながら、いまはこちらへ顔を向けている。そうか、だからこそ、山の向こう側にあるいまの秩父盆地は、すっぽり影の中にある、というわけだ。

 かつての江戸の人々が、秩父を西方の極楽浄土と見立てたといういい伝えが、よくわかる。夕日が落ちるとき、秩父の山々は黒々としたシルエットとなり、黄金色に染まった西の空で、一段と存在感を高めたに違いない。魂が吸い寄せられる場所だった。

 秩父か、と呟いてみる――京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで、この国の「三大曳山祭」に数えられる「秩父夜祭」がもうすぐやってくる。「笠鉾」「屋台」が賑々しく街中を曳きまわされ、屋台囃子の調べが流れ、日が沈むと、冬の花火が夜空を焦がす。秩父神社の女神妙見様と武甲山の男神が年に一度だけ、御旅所で逢うことのできる日――12月2日の宵宮、3日の例大祭が派手やかにやってくるのだ。行こうか、どうしようか。迷いながら、「秩父 祭りと民間信仰」の著者・浅見清一郎さんが遺していったモノクロ・ネガフィルムの山と格闘している。



 正確には、35ミリ判のネガが30カット~36カットを収容されているホルダーが418。正方形に近い60ミリ強のサイズを持つブローニー判が17。ざっと概算して、1万4000近い「秩父の祭り」の詳細カットを、1枚、1枚、パソコンのモニターで「鑑賞」していく作業――それは、1955年ころから1969年までの、秩父の人々が親しんできた祭りと民俗を超接近で捉えた、モノクローム写真による記録集なのだが、この3連休のほとんどを費やしても、まだ完了していないでいる。それというのも、「あ、これは!」と思わず立ち止まってしまうカットに巡り合ってしまうと、ついつい、そちらに方へ「道草」してしまうからだ。今回は、そこのところを、切り取って紹介したい。

「乳撫=ちちぶ」の導入回で、浅見さんの著書を「秩父の里めぐり歩き」のバイブルとした「秩父困民党」の著者・井出孫六さんの一文を引用したとき、その相棒である画家の戸井昌造さんのことは省略してしまったが、この戸井さん(神戸生まれ)の秩父への取り組みは半端じゃなかった。後年、「秩父事件を歩く」(新人物往来社刊)という長編ルポルタージュ三部作を書き上げているが、むしろ、ぼくが最初に注目したのは画文集「秩父 自然と生活」(二月社刊)であった。ゆったりと白と黒の色調だけで描いた秩父の人と自然、風物には、写真では捉えきれない何かがある、と感じさせるものがあって、ことあるごとに取り出して鑑賞していたものだ
 それが、浅見さんの写真を検証していくうちに、そっくりではないが、あ、これは戸井さんの世界だ、と気づいて歓声を上げてしまったのだ。


*戸井昌造さんの描いた「新井九十二翁」


*浅見さんがカメラにおさめた久那の新井家当主


*孫に囲まれ、日向ぼっこの新井翁

『散歩する新井九十二翁』がその一つだった。戸井さんのスケッチと、浅見さんの2枚の写真とを見比べてほしい。相通じる空気というのだろうか。戸井さんの描いた92歳の新井翁のモデルは、この久那の新井家・当主だと直感した。浅見さんは、小正月とか、お盆の時には決まってこの家を訪ねて民俗行事の模様をカメラに収めていた。

 久那は秩父のシンボル、武甲山を西側から見つめることのできる地域で、秩父ではすぐれて物なりのいい集落である。
 恐らく、浅見さんに案内されて、戸井さんも久那の新井家に足を運んだに違いない。
 戸井さんの画文集には、浅見さんが民俗学の立場から考証した「秩父の祭り」を、自分の目と耳で書き上げたエッセイも収録されていて、とても参考になるし、彼が秩父に取り組んだ姿勢や想いもまとめられていて、いまではぼくの「宝物」の一つになりつつある。

 ある時期、戸井さんが秩父に居を構えた時期がある。それが秩父の奇祭の一つ、「猪鼻の甘酒祭」とかかわるので、スケッチと併せてご覧いただこう。さらに、浅見さんの撮った祭りの様子とも、重ね合わせて、どうぞ。

――甘酒こぼし(荒川村猪ノ鼻耕地)
「いくら通(かよ)っても、通い妻じゃ本当の生活はわからないにじゃないか。しばらくでも秩父にでも住んでみようよ」と井出孫六氏と話し合ったのが1973年の秋、なにかを調査に行った帰りの西武電車の中でだった。
 栃原氏にやっと一軒の家を空き家を世話してもらって、ふたりで共同生活を始めたのが翌年の五月、場所は荒川村猪ノ鼻、秩父鉄道終点道峰口から歩いて数分の杉林の中であった。(中略)わたしたちはわがすみかを《こんみん山荘》と名づけ、川で拾ってきた洗いさらされた板にそれを黒々とかき、垣根の竹にしばりつけて表札とした。(中略)
 猪ノ鼻の《甘酒かけまつり》(《甘酒こぼし》ともいう)は、(山荘のすこし上の)郵便局のすぐ隣りの小さい鳥居をくぐり、数十段の狭い階段を登った熊野神社で毎年七月二十五日におこなわれる。わたしと井出氏とはその年、熊野神社の氏子圏に住んでいたわけである。(中略)



 最初にわたしが《甘酒かけまつり》を訪れたのは、一九七〇年である。神前に小さな注連縄をめぐらせた中に台が置かれその上にふたつの金盥、一つには茶碗が数個、もう一つには黄色く濁った液体が入っている。参詣にきた老若男女が茶碗でこの濁った液体をこの濁った液体をすくっては一口ずつ呑んでいる。これが神前に供し、人々もともにいただく甘酒なのである。わたしもお相伴したが、ほんのすこし甘味は感じるが,渋く酸っぱくて、とてもうまいといえるしろものではなかった。


*戸井さんがスケッチした「甘酒まつり」


*こちらは浅見さんが撮った「甘酒祭」のぶっかけバトル

 神官の祝詞奏上、猿田彦役がお祓いをして儀式らしきものが簡単に終り。桶や洗面器で甘酒をすくい、茶碗を差し出して見物人にすすめる。
前庭隅の水槽から水を運んでは大樽の甘酒を水増しする。一人の若い衆が拍子木のおっさんにぶっかけた。さあ、戦闘開始。あとはもう敵も味方もあらばこそ、誰彼の容赦なく、樽の甘酒をすくってはぶっかけ、ぶっかけてはぶっかけられ……およそ二十分ぐらいだろうか、全員黄色っぽい甘酒と泥と汗にまみれてグチャグチャになる。県指定文化財になってはいるが、シシ舞いや神楽のように練習する必要がないものだから、補助金は出ないそうだ。

 以下、祭りの一部始終が記されていて、まことに楽しい様子が伝わってくる。そして付け加える。
――古老によると、昔は戦闘が終わると、タルミコシをかついで荒川にかかる白滝橋のところから松の木淵へおり、川面から何メートルもある岩の上にタルミコシを安置して祈祷し、タルを川に投げ込み、若い衆も川の中でタルをもんだという、これはあきらかに川瀬祭りと同じく、神のミソギであり、タマフルイであり、やがて厄災除けへと転化していった行事にほかならない。昔は祭りの日が六月二十八日であったということも、一般的な《祓い》の行事に近かったことを示唆しているようである。
 そうした意味では《ぶっかけ合い》は遊びではなく、その原点はミソギにあると考えていいのではないだろうか。だが、信仰の心は文化の発展とともに変わり、神社と川との間に舗装国道ができて自動車がゆきかうようになるという物理的条件も加わって、まつりの中心が《甘酒のぶっかけ合い》という競技的、もしくはショー的部分に移行していったものだろう。


*こちらが秩父神社の「川瀬祭」 毎年、7月19,20日の執り行なわれる。

 その戸井さんの記述から、すでに半世紀が過ぎている。いまもなお猪鼻の「甘酒祭」は生き続けていてくれているのだろうか。安心されたい。現在の祭りは、七月第四日曜日に行われていた。こちらは来年、間違いなく、足を運びたい。

 そして、秩父の夜祭。25万人を超す見物客が予想されているが、やはり行かねばなるまい。そう決めた瞬間、やはり、心が浮き立ってきた。秩父の人たちもそれぞれの持分の準備で、そわそわ、浮き浮き,していると聞く。

Posted at 2012/11/27 16:40:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2012年11月21日 イイね!

浅見館長、脱稿直後の死 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑②~

浅見館長、脱稿直後の死 ~『乳撫=ちちぶ』の誘惑②~  新しいテーマをはじめた翌日の朝の、期待と不安をないまぜた気分は悪くない。そっと「みんカラ」の「マイページ」を開き、「管理」コーナーの「PVレポート」をクリックする。このところ、更新するテンポが衰えているので、来訪者数は「低位安定」状態にある。それが、例えば11月11日の真夜中にアップした「ガンさんの目がますます細くなった!」のオープン初日は2000近いアクセス数がカウントされていて、安堵したものだ。

 それが今回は、「みんなのカーライフ」とは、一見して、関わりのなさそうなテーマである。間違いなく、「いいね!」も「コメント」も、いつもより勢いがない。それでも……いささかの期待感をもって、「PV(ページビューの略)レポート」を覗く。

 1492――素晴らしいカウント数だ。テレビ番組でも、BS放送ではじっくりと取り組んだ「旅もの」「歴史発見」といったテーマが評判をよんでいるが、今回のテーマもその類いである。敷居は低くない。それが、いつものテーマにくらべても、遜色ないようだ。励まされた想いで、さっそく、書き継ぐとしよう。ただし、コメント皆無は、覚悟していたものの、いささか淋しすぎる。気軽に率直な感想を聞かせてほしい、と改めて、お願いしよう。


*生涯、秩父を撮りつづけてきた清水武甲さんの作品の一つ「出牛街道の首なし石地蔵」

 さて――。
 秩父という山里の魅力に取り込まれてしまった作家や画家たちに、秩父探勝の必携「バイブル」とまで親しまれた、愛されてきた一冊の本。
 その著者であり、秩父市立図書館の館長であった浅見清一郎さんを、有峰書店の岩淵久・初代社長に執筆者として推薦したのは、生涯、秩父を撮りつづけた写真家・清水武甲さんであったのが、『秩父 祭りと民間信仰』の「あとがき」から知ることができた。

「秩父の芸能と民間信仰というタイトルで本にすることに決まり、写真を私、文を彼ということになったのです。忙しい中で集めた資料も編集も終わって来春には、岩渕さんに渡せると話している最中、(昭和)四十四年も押迫った、十二月二十六日の夕刻に図書館から帰るとそのまま倒れてしまいました。
 お嬢さんの電話で急いで伺ったのですが、もうそのときには意識は全然ありませんでした。彼の鼾(いびき)の大きいのは有名でした。彼と山小屋に泊まりますと、同行者は寝不足にされたものです。倒れた彼は、床の上に横たわり、山で聞いた、あの鼾と同じような大きな鼾を立てておりました……」
山小屋のあのときと同じように、パッと目を開いておき出して来るのではないだろうか、とかすかな希望を持つ清水さん。しかし、とうとう夜中に浅見さんは息を引きとってしまう。そうか、浅見さんが急逝されてすでに、半世紀が経っているのだ。

「この本は生前に出版されるはずのものでした。遺作集として、死後編集されたものではなく、書斎の棚の上にすっかり整理された原稿が積んでありました。岩渕さんにお渡しするときもそのままで渡せたほどだったのです」

 短命だった友人の死が、その生前の仕事が偉大であればあるほど、秩父として、どれほど計り知れない損失であったか、と清水さんは締めくくるのであるが、なんという見事で達意な、友を送る惜別の一文だろうか。感動があった。巻頭に寄せられている「秩父の自然と文化」の書き出しに触れて、その想いはさらに深まる。

「秩父の美しさは、その影の中にこそある。それは、秩父が山国であり、南から西に二千メートル級の奥秩父の背稜が、屏風を立てかけたように、視界を遮っているために、この盆地に生活する人々は、常に影を見て暮している」
 
 そうか、秩父は「影の国」でもあったのだ。写真家ならではのこの視点。貴重な先人の、アドバイスとして、ありがたく頂戴した。

 浅見清一郎さんが、自らの命を縮めてまでも原稿を書き上げたのは、昭和44(1969)年12月26日だと知った。その2か月前、秩父は大きな変革を迎えていた。それまで、首都圏から、わずか70km余りに位置する秩父なのに、東京に直結する鉄道路線はなく、秩父鉄道が羽生・熊谷から寄居を経由し、荒川沿いに長瀞をぬけ、秩父に入るのが唯一の鉄道交通だった。
東京側からクルマで秩父入りするには、国道299号で難儀な正丸峠越えを強いられていた。もちろん関越自動車道も昭和48年に、練馬IC~川越IC間の国道254号東京川越道路がやっと昇格編入されたばかりで、東松山ICまで足が伸ばせるようになったのは、昭和50年の夏からであった。

 そんなわけだから、西武鉄道の池袋駅から西武秩父駅間を80分で直結するのを、秩父の人たちがどんなに待望していたか、想像に難くないないだろう。当然、そのころ日の出の勢いであった西武鉄道も、ガンガン宣伝活動を展開した。そのひとつに、観音札所四番・金昌寺の慈母観音を素材につかい、乳飲み子が母の乳房をまさぐる姿から、独特の雰囲気を持つ山里・秩父を「乳撫の里」としたキャンペーンが大ヒットした。


*紀行対談トリオ。中央が松永伍一さん。五木夫人の絵画展にて(横浜・2009年撮影)


*秩父では、どこからでもシンボルの武甲山の姿が臨める。が、山麓からはこんな幾何学的な景観もあった。

「乳撫=ちちぶ」か。うまい表現があるものだ、とぼくが感心したのは、それから5年後の昭和50年になってからだった。当時、講談社の総合月刊誌『現代』の編集長になったばかりのぼくは、作家の五木寛之さん、詩人の松永伍一さん(故人)と紀行対談企画『日本ふるさと回帰・秩父篇』で現地へ赴いていた。

 まず五木さんが、松永さんに語りかけた。
「秩父ワインの話をしようか」
この秩父で、太平洋戦争前から自分のつくった葡萄でワインをつくることを生き甲斐にしているおじいさんがいて、それがフランスの宣教師がボルドーのワインとそっくりだといって、わざわざ買いに来てくれる話を披露する。そして当のワインを取り出した。まずラベルが恐ろしくローカリティに富んでいる。絵が武甲山。浅見源作葡萄酒醸造所のクレジット。そして瓶の底を透かしてみると、なんとサントリーの文字。瓶はよそから借りてきても、中身には魂が入っているというわけだった。そこで1本を開けたところで、話は山肌を削られ続ける武甲山に及んだあと、松永さんがこんな話をしてくれた。





「秩父の盆地は山が深いから、江戸からするとある種のユートピアでもあった。そして巡礼の地だったことを忘れてはならないね。観音信仰の霊地だよ」
 五木さんが、「そういう感じがしたなあ」と頷く。
「《子育て観音》というものが、民衆の中に入ってきて、女たちはそれを信じた。ぼくはこの間、秩父を《乳撫》と書いて、『乳撫の里』と読ませていたあるPRのポスターをみてね、にくいなあと思った」
「なるほど」と、五木さん。
「この《乳を撫でる》というのは何かというと、エロチックなイメージを持つ人がいるかも知れないが、そうじゃなくて、観音の乳を撫でることによって、自分の乳が出るという母親の悲痛な願望がひめられているんだよ。


*いつ逢いに来ても心の温まる、慈愛に満ちた特別なゾーン。四番・金昌寺。

*札所4番の慈母観音に会いに来たという母娘巡礼。何のお礼詣りだろう。

 観音信仰っていうのはそういう肉につながるものだったらしい。観音の慈悲にすがって自分が豊かになり、そして子供が育つようにと女人たちは巡礼に出たわけだ。しかも三十四番の札所があって、そこを巡礼していくと自分の中にある贖罪(しょくざい)の感覚というのがでてくるわけです」

 二人の対談はここから『秩父困民党事件』とよばれる明治17年に起きた、レジスタンス騒動へと移って行った。そのあたりは、次回で。そして付言すれば、この2年間の「秩父探勝」で、『秩父ワイン』、『慈母観音』の現物に直接、触れている。さて、浅見さんの遺してくれたフィルムの中から、いくつもの、是非紹介したい秘祭の一部始終なども発見できた。早く、それにも触れたいし……、ああ悩ましい日々が続く。 


Posted at 2012/11/21 15:25:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2012年11月18日 イイね!

新シリーズ『乳撫=ちちぶ』の誘惑 ~50年間、眠り続けたフィルム①~

新シリーズ『乳撫=ちちぶ』の誘惑 ~50年間、眠り続けたフィルム①~ この1週間、埼玉県秩父市の旧家から送られてきたフィルムの整理に没頭していた。35ミリのネガフィルムが段ボール一杯。何本あるのか、数えるだけでも頭が痛くなる量で、恐らく600本は超えていた。

 それを1本1本開いて、CanoScan 9000Fで透過フィルム変換用のホールダーにはめ込んでからスキャンする。そして、現れる1コマ、1コマにメモ代わりのタイトルをつけておく。画面の裏表にも気を配らなければならないし、その画像の意味合いも、同時に判断して腑分けしておかないと、あとの整理が大変なことになってしまう。が、それを1週間がかりでやってのけることができた。そこまで、ぼくを駆り立てたものはなにか、からこの新シリーズをはじめたい。

  秩父は、古く、「知々夫」と書かれたが、ぼくはあえて、ちょっとエロティックに『乳撫』と呼ぶことにした。そのわけについては、この一連のフィルム作業のドラマに触れていく中で、明らかにしていくつもりだ。

 いま、ぼくの頭の中を昭和30年から、昭和44年にかけての秩父の「祭事、民間信仰、芸能行事」を超接近で写し撮ったモノクロ画像が、渦巻いている。それは、世の中によく知られた「秩父夜祭」や「吉田の龍勢まつり」より、秩父の山里に息づいていた「天狗祭」「虫送り」とか「精霊流し」といった、民間信仰の原像である。それもすべてが半世紀も遡ったものにすぎないのだが、なぜか、極端に表現すれば、魂を揺さぶられてならない。


*秩父のシンボル武甲山。今はセメント掘出しによってこの姿に!


*こちらがもともとの武甲山(Photo by清水武甲)

 ――秩父は山の国、祭りの国、影の国。そんなタイトルで「秩父」に取り組んだのはこんな誘因からだった。2年ほど前に有峰書店新社からの依頼で『秩父歴史散歩』を復刻するにあたって、そのタイムラグを洗いなおす作業で秩父訪問を重ねる過程で、かつて、有峰書店が秩父シリーズに力をいれた、その起爆剤というか、原点ともいうべき浅見清一郎著『秩父 祭と民間信仰』(一九七〇年九月初版)を入手した。直木賞作家で『秩父困民党』の著者・井出孫六さんが秩父の里を歩き回るときのバイブルとして、この浅見氏の著作に触発されたくだりが『私の秩父地図』(たいまつ社)にあるので、採録すると……。

「かつて秩父にあって、祭りを精力的に調査された浅見清一郎さん(元・秩父図書館長)は、あまりに努力を傾けすぎたことも手伝って、業半ばにして倒れたが、遺著『秩父 祭りと民間信仰』という得難い労作をわれわれに残してくれた。そこには、およそ六十余にのぼる秩父地方に祭りの精細な調査記録がのこされている」



 そして、浅見さんの領域に一歩踏み込み、祭りに宿る農民の魂について語り継ぐ。
「(秩父地方の祭りの数が六十余もあるのなら)秩父というところは、まるで一年中歌えや踊れやと、浮かれっぱなしの桃源郷じゃないか、などと誤解していただいては困る。いや逆に、桃源郷とはほど遠いきびしい風土ゆえに、人びとは恵まれざる生活のなかに祭りを生み育ててきたのだといえなくもない。たしかに“見て呉れ”の祭りは少なくない。だが、その数層倍の、飾り気のないひっそりとした祭りが、山あいの小さな耕地でいまもなおつづけられていることの意味に目をむけなければならない」
 いくつかの奇祭を、井出さんは詳述する。秩父という山里を理解する上で、貴重な記述なので、引用する。





「友人に誘われて、はじめて観たのは、秩父市郊外山田の恒持(つねもち)神社の春祭りだった。秩父の春は遅く、三月十五日の盆地にはまだ褐色の冬がのこっているが、そこに、祭り囃(ばや)しとともに華やかに押しだしてくる笠鉾が、耕地、の冬の装いを一挙に脱ぎすてさせていくようだ」

 井出さんは人ごみをかきわけ、足を棒にして終日山車(だし)について回ったのだが、その夜、さらに数キロ先の久那(くな)という集落にめったにみられぬ秘儀のような『ジャランポン祭』があるからと誘われたときには疲れはてていた、という。それでも、その夜の井出さんたちは久那にいた。

「私たち部外者は耕地の公会堂からしめ出され、春浅い夜の冷気のなか、震えながら二時間近く待たされた。公会堂のなかで耕地の男衆のお日待(酒宴・会食)があって、戸に耳を立てれば、耕地の相談ごとなども交わされているらしい。やがて酒宴がおわると、公会堂の戸が勢いよくあけ放たれ、待望の『ジャランポン祭』の開始がつげられる」

 実力派作家の描写には脱帽する。あたかもこちらまで秘儀の現場に立ち会っている気分にさせられてしまう。引用をつづけよう。

「酒宴のとり片づけられたあとの中央に、まず死者をおさめる棺が運ばれ、葬いのための古めかしい用具がもちだされ、耕地の長老がまたたく間に方丈に早変わりするが、よく見れば方丈のまとう袈裟は、緑の唐草模様の大風呂敷……」

 以下、ユーモラスだが、どこか心に寒々しさの突き刺さる儀式が進み、やがて柩は男衆にかつがれて、近くの神社に運ばれ、生贄の男は夜の明けるまでは社前の柩のなかで耐えねばならぬ運命だが、耕地の人々は、公会堂にもどって飲み直すのが慣例だときいた、とレポートする。が、こうも付け加える。

「ジャランポン祭りのとり行われている一時間のあいだ、わたしもまた、観衆として腹がよじれるほどたっぷり笑わされたが、ふと気づけば、その単純な笑いの背後に凍りつくような荒涼たる風景が広がっているように思われた」







*これら一連の「下久那ジャランボン祭」という奇祭の様子を、浅見さんのフィルムが再生してくれる。 

 そして締めくくる。経帷子(きょうかたびら)の生贄男には、耕地のなかで一年間、もっとも不幸に見舞われたものが選ばれるのだが、柩の前におかれた位牌には「悪疫退散居士」の戒名が記されている、と。この奇祭の正体を、井出さんは嗅ぎとる。飢饉や悪疫の流行をしのぐためにあみだされた耕地共同体の、欠くべからざる重要なセレモニーであったにちがいなく、井出さんの心のひろがった荒涼感は、そのセレモニーに化石となっての遺っている近世農民の魂と厳粛につながっていくのかもしれない、と。

 実は、井出さんが「秩父のバイブル」と呼ぶこの著作者・浅見清一郎さんが撮り続けたフィルムを、いま、ぼくが奇跡的にそっくり、入手したわけであった。 
(この項、つづく)
Posted at 2012/11/18 02:10:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2012年11月11日 イイね!

ガンさんの目がますます細くなった!~来年のスーパーGTの『台風の目』~

ガンさんの目がますます細くなった!~来年のスーパーGTの『台風の目』~ それでなくても細い目を、あのガンさんがもっともっと細めながら、真新しいパンフレットをぼくに差し出す。

 11月8日、昼下がりの青山通り。HONDAの1階ショールームで、1年がかりでやっと仕上げたガンさんの『新・ドライビング・メカニズム』の電子書籍と単行本出版(こちらは来春刊行の予定)を、コラボで世の中に送り出すための「最終チェック」で、会うことになっていた。



「おっ! 来年もスーパーGT300をやるんですね」
手渡された、スポンサー向けの企画書に目を通す。さすが高級男性誌のトップランナーを自負している『LEON』が仕掛けるプロジェクトだけあって、ちょいと粋で、それでいてパンチのある出来映えである。
「それ、翼が創ったんです」
「えっ!」



 ガンさんファミリーの末っ子、翼君も、すでに32歳。レーシングドライバーから「主婦と生活社」関係の編集者に転身したというのは、翼君本人からも聞いていた。それが、いきなり編集者としての仕事っぷりをアピールしてくれたわけである。まあ、バックには専門のデザイナーもついているに違いないが、まずもって、うれしい話題ではないか、と思いながら「導入部」のコピーから読み始めて、これは詳しく、ひとつのニュースとして、ぜひ紹介したくなった。で、ガンさんに、ぼくの「みんカラ」BLOGでオープンにしてもいいか、と探りをいれてみたところ、もう、話は漏れているからいいでしょう、という。では、遠慮なく!
 
――ということで、11月11日付の当BLOGで、翼君の仕事ぶりの一端を紹介する狙いから、企画内容をそっくり掲載したところ、まだ正式発表前で刺激が強すぎるから、詳しいことは改めてにしてほしい、との要請があった。関係者に余計なご迷惑をかけるのは本意ではない。よって、該当部分を削除した次第である。「みんカラ」の友よ、了解してほしい。

 ま、ガンさんが監督として本格的にチームの来年は前面に立つ――これは間違いない。 こいつは、楽しみだ。2012年のスーパーGT参戦は試運転で、この日が来るのをぼくは確信していた。全9戦は無理だとしても、できる限りのサーキット観戦を心掛けたい。「みんカラ」仲間にも呼び掛けて、一緒に遠征しようではないか。来年も忙しいぞ。

 そう、そう。ガンさんの『新・ドライビング・メカニズム』についても、その後、若干の調整があって、その詳細をお伝えするのも、もう少しお待ち願いたい。

Posted at 2012/11/11 00:09:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | ガンさんもの | 日記
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何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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