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正岡貞雄のブログ一覧

2013年10月28日 イイね!

やっぱり秩父秘境の『浦山獅子舞』のもとへ!

やっぱり秩父秘境の『浦山獅子舞』のもとへ! ~台風27号を横目に片道100キロの『強行軍』??~

 この稿は、「何シテル?」の拡大版のつもりなので、気軽にお付き合い願いたい。

 土曜日(10月26日)の朝は、台風27号のご機嫌をうかがいながら、鬱々と、中途半端な時間を持て余していた。こんなときこそ、約束している『討ち入りの朝の心変わり』の続きに取り組めばいいものを、あれや、これや、理由をつけて先延ばしにする悪い癖。

 11時、西の空が明るくなって、雨足もほとんどか細くなっている。天気図も27号と28号とも、なかよくスライスして太平洋上を、北北東へと向きを変えてきた。

「しめた。行くよ」
「どこへ?」
「決まっているじゃないか。秩父の浦山獅子舞だ。今日を外すと、明日はこっちの都合で行けないから、1年間、待たなきゃなくなる」
「浦山って山奥の方でしょ? 大丈夫かな?」

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 これだけのやりとりで、家人は秩父行きの準備を始めてくれる。防寒具、飲み物、カメラ。健康保険証もわすれずに。6月に心臓の疾患を手当てしてからは、出先で何かが起こるといけないので、付添つきの遠出となるのは止むを得ない。プログレには前日から給油済み。ETCカード、OK。――と、まあ前置きだけは長いけれど、ここからは大急ぎで写真中心の報告にとどめておこう。この項、夢の続きに秩父に秘境で紅葉に染まりに行こうか、という次の誘惑への『前奏曲』だと思っていただきたい。

 結局、東京練馬の自宅を出たのは、午後の0時20分。さすがにこの日の関越自動車道の下り車線はガラ空きで、練馬ICから56.1km地点の花園ICに降り立ったのは1時ジャスト。ということは、アベレージ何キロでクルージングしてきたのだろうか。その花園ICの6km手前にある嵐山PAはこじんまりしていて待ち合わせには絶好。そうだ、ここを『秩父行きオフ会』の集合場所にしよう。眺めもまずまず、秩父の山並みが見えるのもいい。

 花園から寄居に出て、そこからR140(彩甲斐街道とも呼ぶ)で荒川沿いに20キロ近く南下すると、秩父の街だが、今回はスルーしてさらにR140を、今度へ西に折れていくのに任せて荒川の源流方向へ向かった。『浦山ダム』の標識を頼りに行けば迷うことはない。


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*彩の国 秩父路マップ(「彩の国秩父地域観光協議会」発行)

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 浦山口から左に折れ、山間部にはいると、右手にダムの堰堤が見える。そこからは73号線が山奥の秘境に導いてくれる。ダムの手前の峠のあたりで振り返ると、雨あがりの 足元の町、久那から贄川、三峰口のあたりだけが明るい陽射しに包まれていて、背後の甲武信の山並みからは雲が湧きあがっている。

 トンネルを3つ抜けて『寄国土トンネル』にさしかかる。トンネルの入口で獅子頭がぱくりと口を開けている。この突飛な、デザインが気に入った。では、帰りの際にどんなデザインで送り出してもらえるのか。実は、ひと月前の9月の終わりに、この秘境の下見に訪れているのだが、帰りを急ぐあまり、それを見逃している。ちなみにこの73号線は、武甲山の裏側に回りこんだところで行き止まりとなっている。


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*こちらが帰りの時のデザイン。こちらは迫力に欠ける 

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 さらにもう一つ、『毛附トンネル』を抜けると。パッとピンクの花の塊りが目に飛び込んできた。なんと笠鉾が組み上げられ、それに花を飾る作業の最中だった。一旦、プログレを停めて見学。

 なるほど、これが祭りのフィナーレを飾って、浦山の耕地を曳き回されるわけだ。それが明日の日曜日に行われるのだろうが、笛、鉦、太鼓、掛け声に励まされて山間を行く花笠鉾の姿。今回は想像するしかなかった。

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 午後2時10分。やっと、浦山大日堂に着いた。赤い欄干を持つ寶前橋を渡って、「幣」(ぬさ)を手にした人の群れ。参拝をすませたのだろう。

「獅子舞はまだやっていますか?」
「いま、1回目がおわったところ」
 
 この日は台風に遠慮して、午後からのスタートだったという。よかった。間に合った。わたしの脳裏には、50年も前の「浦山獅子舞」のさまざまなカットが、モノクロで刷り込まれている。それが、滅びることなく、里人たちの手で、いまもなお伝承されている姿とどう重なってくれるのだろう。


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*参拝をすませた「ぬさ」をもつ一家を記念撮影

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 こうして夕方まで、森の中にある大日堂を中心に繰り広げられた「浦山獅子舞」のページェントに、ドップリと浸ることができた。
台風27号襲来からうまくのがれて、片道100キロの「強行軍」で獲たものが、わたしの中でどう発酵してくれるのか。
 
 一人はうまからず。いろんな人と関わりながら、秩父へのプロジェクトを、さらに深化させていきたいと願っている。さあ、やっとこれから、ガンさんの「ニュル走り」に、集中できるはずである。

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*帰り際、左手に秩父さくら湖




Posted at 2013/10/28 00:03:34 | コメント(6) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2013年10月26日 イイね!

夢の続きは秩父の紅葉に染まりに!  

夢の続きは秩父の紅葉に染まりに!   〜11月23日or 24日に「ベスモ同窓生」限定で〜

 10月26日の土曜日は、奥秩父の浦山という山里で、少子化と後継者不足に悩ませられながら、いまもなお、里人たちだけの手で、なんとか保存し続けている『浦山獅子舞』を見に行くつもりにしていた。だから、それまでに『討ち入りの朝の心変わり』の続きを書き上げておくつもりで、あれこれ、準備をしていた。

 ところが、生憎の台風27号の襲来。まだ体調の回復しきれていない身としては、周りの心配を押し切って、100kmも離れた山里まで『遠征』するのは憚られる。なんとなく、張り切っていた「風船」が、プシュッと萎んで行く。


*このトンネルを抜けると、奥秩父の秘境のひとつ、浦山の集落に入る。


*ここより「獅子舞の里」と宣言しているようだ。


*50年前に「秩父 祭と…」の著者が撮影した浦山の獅子舞


 そんな時は、「みんカラ」をチェックして元気を注入するに限る。折から「マイページ」の「メッセージ」欄に着信あり、のサインが出ている。東京在住の「能行(よしゆき)」さんからのものだった。

「20日はお疲れ様でした。こんなに充実した1日なんて、これまでの人生であったろうか、なんて思うほど素晴らしい1日でした。日ごろのストレスが、すべて吹き飛んだ夢心地の時間でした」

 嬉しいことを言ってくれるね、ありがとう。こころの中でお礼をいってみたが、まだその顔を思い出せないでいた。 

「2次会もあっという間で、帰りは名残惜しかったです。サインを頂いた、秩父の本はじっくりと読ませて頂きます。こんなに素晴らしいイベントをありがとうございました」


*「秩父のこころ探勝」の必携バイブルとして親しまれてきた

 そうか、そうか。同窓会当日、ガンさんの生サインが欲しい人のために、出版元から調達できたガンさんの近著『新ドライビング・メカニズム』14冊と一緒に、わたしがプロデュースした『秩父 祭と民間信仰』(浅見清一郎著・有峰書店新社・税込み2310円)を手元にあった3冊だけ、よかったら買って頂戴、とならべたところ、「あど」「Aira」「よしゆき(能行)」の3士(氏ではない)が気前よく対応してくれたのを思い出した。

 2次会のファミレスには、本田編集長をはじめ、すでに20人近い同士が先着していて、座席の関係でいくつかのグループに分かれていた。ひとまず、中谷君と同席したわたしは、適当にほかの席にも出向くことにしたところ、奥まった一隅から、控えめな声で「秩父」の本にサインを書いて欲しい、と求められたのである。それが「よしゆき(能行)」さんだった。

「ひとりはうまからず」
 ベスモ同窓会を立ち上げてからは、ずっとこれで通している。なぜ「ひとりはうまからず」か。サインペンを走らせながら、そのことばを選んだ由来を話し始めると、まわりに輪が出来た。加古川から駆けつけてくれた「4様!!」、広島からの「Aira」のふたりは第1回「岡山編」で『中山サーキット』『閑谷学校』をなぜ同窓会の舞台にしたかはご存知だからいいとしても、「東京編」で初めて顔を合わせた同士に、「ひとりはうまからず」が、昭和30〜40年代の人気作家・藤原審爾さんの遺訓だという説明がどこまで通じたか。ま、当ブログの2月14日の項「《一人はうまからず》という遺訓」を御一読いただければありがたい。

 それはさておき、「秩父の本をじっくり読ませていただきます」とは、何という素直で、嬉しい言葉だろうか。すぐに「メッセージ」でレスポンス。24日の午前5時だった。


*石間耕地の秋は、このような紅葉の饗宴となる


*秩父三十四観音巡礼札所で最も難所にある「観音院」の入り口にある仁王門


*秩父は蕎麦が美味しい。武甲山麓の「なかの」の手造りの十割そば。これはいけます。

「能行(よしゆき)様。宴のあとって、どこかで喪失感というか、いうにいわれぬ虚脱感があるんだけど、今回はそれがありません。なぜかな。結構、あなたとはお話しできましたね。それでもまだ話し足りない。あ、それだ!それぞれが、自分の生活圏に戻っても、その日のことをブログにアップしたり、あるいはそれを読んだり、と。
まだ『その日』が続いているんですね。
また、お逢いしたいですね。よかったら、秩父を歩きませんか(といっても、クルマで)。
そんな、夢の続きのオフ会、やってみようかな」(10月24日の午前5時送信)

 夜になって、能行(よしゆき)さんから返信が届く。

「お忙しい中お返事を頂き、ありがとうございます。正岡さんからお聞きした秩父の話は、とても興味深く楽しかったです。秩父の本は、始めの乳撫の誘惑を読んでいる最中ですが、ワクワクしますね。秩父を歩く。素晴らしいです。ベスモ同窓会とは違った、趣のあるオフ会になりそうですね」

 そうか。膝を叩いた。
「秩父の紅葉に染まりに行きましょう。

 寄居の「鉢形城」(関東北条氏・最後の居城)をスタートして、石間耕地(秩父困民党事件の激戦地)の紅葉。かつてポスターにも採用された絶好のポイントです。そして秩父巡礼の最大の難所、31番札所。
11月の23日か24日でしたら大丈夫です。よかったら、《オフ会》やりましょうか?」(24日20時28分送信)

 返信が届いたのは次の日の夜。

「こんばんは、能行(よしゆき)です。秩父のオフ会、素晴らしいです。
鉢形城、石間耕地、31番札所。どちらも興味津々な場所です。紅葉も素晴らしいでしょうね。11月23日か24日なら休日ですし、行ける人も多いのではないでしょうか」

 ことの始まりは、《秩父》を買い求め、ともかく興味を持って読みはじめた《能行》さんとの個人的なやりとりからはじまった「夢の続き」だったが、それが「オフ会」に広がるのもわるくない。呼びかけてみようかな。ただしこれも「ベスモ同窓会」限定で。

 その手始めとして、11月23日を第1候補として、秩父のこんなところへ案内したい、と暖めているスポットを、並べてみよう。メンバー諸氏の気持ちを訊かせてもらうとしよう。


*玉淀川と鉢形城址(寄居町)


*秩父巡礼の二十二番札所「童子堂」の入り口

 例えば、関越自動車道の適当なPAで落ち合い、花園ICで降り、寄居の鉢形城でまず遊ぶ。あとは秩父の吉田町方面で「秩父困民党事件」をテーマにして、歩く。お昼は、秩父に来たなら、蕎麦がある。そのあと、この時期、石間耕地は紅葉に染まり始めているはず。なんだか、また、浮き浮きしはじめたぞ。
わたしの「秩父」とのかかわりは、すでにここにのべています。どうぞこちらへ。
 
Posted at 2013/10/26 03:24:23 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2013年10月22日 イイね!

『討ち入りの朝の心変わり』

『討ち入りの朝の心変わり』 ~オープニングに《NSXのニュル走り》を選んだ理由~


*朝の6時に箱根の山から降りてきて、会場に一番乗りしたガンさん。いかにこの日を楽しみにしていたかがうかがえる。

 プログレから降り立つと肩を濡らす雨が、氷雨のように冷たかった。のちに赤穂義士と呼ばれた浪士集団 47名が、吉良邸に討ち入った夜は、映画や芝居、後世のTVドラマでは、降りしきる雪を踏みしめながら、激闘を演じている。こちらは暗い雨か。

 10月20日の午前8時半、会場に選んだ東京練馬の「サンライフ練馬」。受付は9時からなのに、会館の正面で見覚えのあるプレオが、ハザートランプを点滅させている。130kmも離れている房総半島南端の町から、アクアラインを駆け抜けて、映写機器やカーテンスクリーンを持ち込んでくれる約束の「RA2ひら」さんが、この暗い雨の中をひた走って、すでに到着していたのだ。なんと午前6時過ぎに、家を出たという。


*映写技師を担当してもらった「RA2ひら」さんと「Ctr2」さんのコンビ。開幕の準備に大童。

「もう、黒澤さんも見えていて、このまわりをぶらり歩き、とかで……」
 ガンさんなら、きっとそうだろう。約束の時間に遅れたことは一度もない。それにしても、ガンさんの住んでいる箱根は、距離からいっても千葉・館山といい勝負の距離。随分と早い時間に箱根の山から降りてきてもらったわけだ。こちらも大急ぎで管理事務所での受付を済ませて、それぞれの部屋の鍵を受け取る……。


*受け付けは「ああやまええら」「ハヤト」の母子コンビで。


*午前中は2Fの和室へどうぞ。

3Fの待機スペースでは、ベスモ同窓会関東本部(そんなのがあったっけ?)で特に、わたしが勝手に《Sマーク=世話役》を押し付けた「MDi」「ああやまええら」夫妻と愛息の「ハヤト」君(5歳)が、受付と会費集め、それに、ひも付き名札渡しなどのマネージメント任務をはたすべく、わたしの到着を待っていた。

 部屋割りは、午後5時までを通しでキープできた3Fのクラブ室を「来賓」のガンさん、中谷君、旧ベスモスタッフに使ってもらい、参加メンバーには少し狭いが、隣り合わせの「職業訓練室」で、用意したベスモやBMスペシャルのDVDに変換済みのものを、自由に観るなどして、開会を待ってもらうことにしてあった。そのセッティング担当は「あど」さんである。

 問題は四十七士全員が一堂に会する部屋が、午前中では40人収容の「和室」しか確保できなかったことだった。やむをえない。畳の上で全員が座って、膝をつきあわせて、顔合わせをするしかない。幸い、心配していた映写スクリーンをRA2ひらさんが確保できたという報告。「よし!」わたしの肚がきまった。



 映写技師を務めるRA2ひらに手書きの「工程表」を手渡す。そこには、10:00 全員和室集合のあとに、10:50  2004年10月号「セナ足」 続けて「BMスペシャル The 疾る!NSX(フェラーリと遭遇編) それとも100号記念号か。時間があれば「スーパーバトル」——と、書きなぐった文字が踊っていた。

「上映する順番を変えます。まずNSXから始めます。ニュルブルクリンクを走っている映像はいろいろとありますが、恐らく、この時のものほど、ベストモータリングというメディアの本質を捉えているものはないでしょうから。理由はこれを観たあとなら、みなさん、理解ができるでしょうから」

 RA2ひらさんとサポート役のctr2さんが頷く。そこで、上映する順に並べていたDVDのディスクを入れ替える。実は2日前の金曜日の夕方、PC研修で千葉市内まで出張してきたRA2ひらさんには、我が家まで足をのばしていただき、プロジェクターを使って投影するパワーポイントの内容を、ああでもない、こうでもない、と打ち合わせをしていて、その時にオープニングは、2004年10月号の『セナ足』で行くことに決めてあったのだ。

 突然の変心。付き合いの古い旧ベスモのスタッフなら、ああ、また始まったぞ、と笑ってすむ話だろうが、ベスモ同窓会を通じて交遊のはじまった新しい友に、それが通じるかどうか。

 上映会のオープニングを、やっと探し当てたA・セナの「足元映像」にする。それは間違いなく強烈なインパクトを与えるだろう。加えて2004年にはベスモもDVDになっていたから映像も鮮明だし、VHSのようにテープの頭から、該当するところまで早送りする必要もない。MENUから一発で《セナ足》のある『名迷珍々場面50連発』のコーナーを引き出すことが出来るのもいい。

 しかし――何か心にひっかかるものがあった。それが何なのか、薄っすらと見えているのだが、もう一つ腑に落ちなかった。それが、ガンさんをはじめ、RA2ひらさんは3時間も前に家を出て、早々と会場入りするためには、それなりの「見えない手間」をかけているという事実。いやもっと時間をかけてやってくる参加メンバーがいるではないか。四国・高知の実家から前夜に東京入りした「FRマニア」君、広島から来る予定の「Aira」、兵庫・加古川からの「4様!!」の両氏は恐らく愛車で「中国」「名神」「東名」の自動車道を乗り継いで、はるばるやってくるに違いない。因みに、紹介した3人は、岡山での第1回同窓会の出席者でもあった。
 
 萩の「波田教官」の「幻のセナ足の怪」から始まった『セナ足』探しそのものは、新しいエンターテインメントとして、効果が絶大だった。しかし、その前菜役となっているガンさんの「ニュルアタック」にしても、インテRでみせる「鷹栖走り」、中谷君の「ゼロカウンター」にしても、いいとこ取りの薄味なものにしてしまっているのが、なんとも気に食わない。はっきりいってTV番組的で、ベスモが育んできた「独自の創り」を、自分の手で汚しているとしか思えない。創り手の誇りを喪っているメディアにだれが従いて行くというのか。

 ま、文字にすると、こういう内容の「怒り」ともつかぬ「無念」の想いが衝き上げてきて、とっさの変心劇となってしまった。

 では、なぜ替わって浮上した「BMスペシャル The疾る!」のNSXにどんな意味合いがあるのか。それは四十七士が全員(実際には一人だけ寝坊して遅参した平成生まれのベスモ育ちの若者がいたらしいが)が揃ってはじまった午前中の「上映会」で、はっきりしてくるはずである。







 午前10時。定刻が来て、2階の和室へ。細かい状況描写や情報は、「撮影係」を委嘱していたイワタカズマ君をはじめ、MDi、RA2ひら、2315ほかの皆さんがそれぞれのブログにアップしてくれているので、そちらに譲るとして、ガンさん、中谷塾長、本田編集長の「ひとこと」があったところで、「スクリーン」に映し出されたのは栃木のテストコースの高速周回路。ヒラリヒラリと高速スラロームを繰り返す初期型NSX。ドライバーはもちろんガンさんのほかはありえない。

「そうですねぇ、スタイルがいいという人もいるでしょう、V-TECエンジンがいいというひともいるでしょうが、このクルマの最大に素晴らしいところはハンドリングにあると思います。スポーツカーというのはハンドリングがよくないと楽しくないんで、こうやってクルマを意識的に(左右に)流しているんですけれど、凄く安定しているのがわかるでしょう。これだけのハンドリングを持ったクルマは世界で初めてだと思いますね。非常に楽しい。ですから、個人的な話ですけど(ぼくも)1台、オーダーしました。そして、いろんな道を走ってみたいですね」





 ガンさんの声が流れる。ガンさんって、こんなにコメントをスマートに、そして自然体でまとめられるひとだったかな――と感心していると、画面はいきなりきり替わって、むせび泣くようなメロディーにのってタイトルが浮かびあがる。未明のアウトバーン。
そして地平線から朝の太陽が今にも顔を覗かせるようなふりをしながら、空をバラ色に染めている。かすかに残る一筋の飛行機雲が白く光る――と、切り抜かれた新聞記事が浮かび上がる。1990年秋、東西ドイツが統一され、歓喜の声に包まれて、ヨーロッパが新しい夜明けを迎えたその日であったのだ。

 フェラーリと見まがう赤いNSXは石畳の旧市街から、新しいビルの立ち並ぶフランクフルトの中心部に入って行く。この異国の街角で何を求めて走るのだろうか。と、息をのんでこちらがのめりこむ。そんな催眠術的な仕掛けを、このBMスペシャルの制作ディレクターは心得ているようだ。

 軽快なリズムに乗って、橋を渡り、教会の尖塔の下を抜ける、と。背後に赤いスポーツカーが貼りついてきた。プッと短くホーンを鳴らして横に並ぶ、ピッと返礼するガンさん。







これはヤラセではない。全くの偶然でフェラーリの 348ts と遭遇したのである。無邪気にウィンドウを下げて声をかけてくるフェラーリ・オーナー。それが今度新しく、ヤーパンから出たスポーツカーだろ? どうだい、調子いいかい? そんな意味の言葉をプレゼントされたガンさんが、「ヤー、Good!」と照れながらも、答えているのを車載カメラがバッチリと捉えていて、観ている側がドッとくる。何とも温かいクルマ野郎の交流。こうしたゆとりを、同窓会メンバーと共有したい……。そんな願いを託したくなる絶妙な一巻だったのである。

 そのあとの短いランデブー・ランもいい。そしてガンさんのNSXは、ひたすらニュルブルクリンクを目指してアウトバーンを南下して行くのだが、そのニュルブルクリングでのNSXとガンさんのコンビは、絶妙としか言いようのない走りを披露してくれる。ただ構成の都合上、NSXの製作過程、NSXのATバージョンを購入した徳大寺有恒さんの「オーナーズコメント」が挿入される。やむを得ない。そのあたりは早送りとなってしまう。

「今日は日曜日なので混んでいます。3号線をいま、ケルンに向かって走っていますけれども、ご覧のように混んでいます」
カメラは左側にガンさんとステアリングをおさまり、正面にアウトバーンが広がるように撮っていた。そのためガンさんが加速すると、エンジン音がクィーンと吼えはじめ、ロードノイズまでが伝わるこの臨場感は半端ではなかった。まるで自分で運転しているように画面に溶けこんでいく……。



ここからは目は前方のアウトバーンへ、そしてガンさんの声を聴いているだけでいい。まるでガンさんの助手席に座っている錯覚に陥ってしまう。
「3速、8000,180キロ」「4速、8000,230キロ」「5速、270キロ、ああ、前に追いついちゃう」
そしてさりげなくインプレッションを披露してもらえる。
「地べたにベタッと接地しているようなこの感じの出ているサスペンションは素晴らしい。恐らくこれは何キロ走っても疲れを知らないでいられるはずです」





やっとアイフェル山中のニュルブルクリンクに着いた。
夕闇の向こうにニュルのお城のシルエット。さあ、あしたはいよいよニュルアタックだぞ、というところで、当稿は一旦停止して、次回に備えたい。まだまだ、この討ち入りの朝、『セナ足』より「ニュルアタックするNSX」にシフトチェンジした真意は伝えきれていない。ああ、道遠し、である。
2013年10月18日 イイね!

『討ち入り前夜』始末記 

『討ち入り前夜』始末記  ~Hot-VersionVol.124の本命企画について~

「討ち入りDAY」まで、あと3日となった。その準備のひとつに、当日の参加メンバーに、手書きの「名札」(紐のついた)を用意しておきたかった。

「ベストモータリング同窓会」は「みんカラ」を媒介して誕生し、普段は「ハンドルネーム」で交流しているが、たとえ「オフ会」スタイルであっても、直接に顔を合わせるとなると、実名でのおつき合いであってほしい。そこで、参加するメンバーには、改めてその旨を伝えて、名前を登録していただいている。そのお一人、お一人の姓名を、筆ペンで書いて行く……。すでに顔見知りの名前もあれば、いつもコメントを寄せてくれるおなじみの彼のHNはこの名前に由来しているのか、などと想いを走らせながら、名札の山と格闘する。





 そういえば、「忠臣蔵」の映画やTVドラマの討ち入りシーンでは、赤穂浪士たちの揃いの半被の襟には、それぞれの名前が書き込まれている。それに因んだわけではないが、参加メンバーの名札をかけた姿を想像すると、赤穂義士たちとイメージが重なってくる。

 このひも付き名札を調達するのに、15日の午後は周辺の大型ショッピングセンターを4カ所も回って、やっと42個をゲットできた。だから、紐の色も、名札のかたちもバラバラで、その分、カラフルだし、特に、このピンクの紐を受けとるときの「CMO」「ヤナセファン」の両君がどんな顔をするのだろうか、などと想像して、書く側も、結構、楽しめる作業となった。

 さて、手落ちはないか。ガンさん、中谷塾長との「最終うちあわせ」は終えている。プロジェクターは萩の「波田教官」からCASIOのXJ-A145が送られてきた。
 DVDプレーヤーは「あど」さんと「RA2ひら」氏の担当。そして当日の「上映プログラム」や出席者メンバーの名簿つくりなど、裏方作業は「MDi」「ああやまええら」夫妻がばっちり、マネージメントしてくれている。
「えむしい@さんよん!!」君には「セナ足」掲載号など、わざわざ届けていただいた。    
 
 そして当日の司会役を引き受けてくれたHot-Versionの本田俊也編集長との打ち合わせ。これは10月8日の正午、当日の舞台となる「サンライフ練馬」を一度、自分の目で確かめておきたい、という本田君の希望で、じゃあ、そこの2Fにあるレストランで「お昼のランチ」をしようと、話がまとまっていた。







 定刻、「サンライフ練馬」に着いてみると、すでに正面のアプローチにHONDAのマンモス・スクーター「シルバー・ウィング」が横付けにされていて、にこやかな笑顔がわたしを迎えてくれた。
 まず、2Fの「和室」に案内。ここは40人が一カ所に集まることができるので、さしあたり、この部屋に集合して、懇談しようじゃないか。
「いいですね。この部屋はモニターが持ち込めないんですか?」
「いや、大丈夫。白いボードがスクリーンになるから、プロジェクターもいけるぜ」

 3Fに上がる。当日の午後からは使用できる集会室が丁度、昼食時とあって、内部を検分出来た。ここはスクリーンも音響設備もOKだ。次に懇談室に移る。ここなら、ガンさん、中谷君に寛いでもらえるだろ?
「いいじゃないスか。想像以上スよ」
 本田編集長もやる気になってくれた。されば、2Fの『月と風』でお昼のランチを御馳走しようじゃないか。ハンバーグ添えのカレーライス。可もなし、不可もなし。それよりもわたしたちはおしゃべりに夢中であった。



「オープニングはガンさんのニュル走りから、中谷君のゼロカウンター、ベルガーの左足ブレーキング、そしてついにたどり着いた《セナ足》。これでどうだい?」
「いいスね。DVDバージョンですから、メニューですぐに頭出しができます」
「それにしても、不思議だな、セナの車載映像を管理していたのはキミじゃなかったのかい? それなのに、田部(靖彦君)やキミが200号記念で使ったのを知らなかったなんて。忘れていたんじゃないいの? 当時の編集長は山本(亨)だったよね」
「ぼくがベスモの編集長を任されたのは2007年からでして、いや、ホント、何にも……知らされなかったスよ」

 編集スタッフは「蚊帳の外」というわけか。なるほどね。なにやら「深い闇の部分」がありそうだ。いずれ山本君からも当時の事情を聞き糺さなくてはならない。
「わかった。顧みて、ぼくにも責任のある問題かもしれない。また一つ、課題ができてしまったね。ところで、今日(10月8日)発売のホットバージョン124号の出来だけど……」
「はい」
 本田君の背筋がピンと立った。その素直さがこの人の武器である。つい、こちらが肩入れしてしまうのだ。






「率直にいって、2本の企画、つまりN2富士決戦とタイヤバトル、どっちをとるか、迷っている。お客さんを呼び込む本線は間違いなくAE86のN2にあるし、土屋君のこだわる部分に共感できるけれど、創る側の感傷が強すぎる。もう少し、クールにつくれないかなぁ。柔らかいものは硬く、硬いものは柔らかく創る、それがモノ創りの要諦なんだよ。その点、タイヤバトルは、理屈抜きに楽しくて、それでいて勉強になる……」 



 やっぱり、という表情をしたあとで、本田君が少し、雄弁に応える。
「タイヤバトルはベスモ遺伝子を持った層に訴えたい企画です。スケジュールの都合で谷口(信輝)君がNOで、大井(貴之)さんにお願いしたら、凄くいい味を出してもらって……。N2の方は、富士スピードウェイとの協賛イベントだったんですが、例年の夏のイベントに比べて、5000人も多くお客さんが来てくれたんスよ。それだけ支持されているんで、創る方もちょっと気合いが入りすぎた嫌いがあります」

 たしかに、本戦の2ヶ月前からシェークダウンに入り、トコトンまでセットアップに没頭したドリドリ土屋の姿には、特別のオーラがあった。
「その辺から、もう一度、見てみたいね。なんだか、奥の深いものを感じるね」
「よろしくお願いします」

 それから、1週間以上がたった。2度ほど、通して鑑賞しているが、何かとバタバタしてしまって、想いをまとめるまでには至っていない。仕上がりはやっぱり、10月20日の「討ち入り」が済んでから、ということになりそうだ。

2013年10月08日 イイね!

R35 GT-Rと悪戦苦闘した、輝ける日々よ

R35 GT-Rと悪戦苦闘した、輝ける日々よ 〜140字の『何シテル?』日記に足跡を残す楽しみ〜

 Newカーや乗ってみたかったクルマたちの「試乗記」は、ある程度の時間をかけて醗酵させてからでないと、まとめ難い。

 その点、「みんカラBLOG」にある『何シテル?』欄は、まことに便利で、こちらの一瞬の息づかい、想い、そして、ちょっとしたメッセージから行動記録までを発信できるので、このところ、大いに重宝している。その上、文字の量が140字までの制限があるので、多めに書き上げたもののあちこちを削る作業が加わる。すると、朝日新聞の『天声人語』風に、贅肉のとれたきりっとした文章に仕上がってくれる。


*夕暮れの秋ヶ瀬公園(埼玉・浦和)は、わたしのシークレット撮影ポイント。

 もう一つある。140字のメッセージの内容に連動する画像が添えられるのが、なんとも効果的だ。

 それに気づいたのは、今回の「GT-Rと1週間を暮らしたい」に想いが到ったいきさつが、その一連の「140字日記」に綴られていて、もっと遡ると、わたしにとって、ありがたい、貴重な「メモワール」となっていたことだった。たとえば、『何シテル?』欄の「自分の何シテル?」をクリックすると、嬉しいね、わたしが折りにふれて書き込んでおいたものを、時系列で読み取ることができた。

 たとえば、横浜の日産グローバル本社を足繁く、訪問するようになったのはこの夏のさなかだったと分かる仕組みだ。少し具体的に拾いながら、紡いでみたい。

08/10 12:56
諸般の事情で、急にガンさんの箱根邸への訪問を中止。今頃みんなで庭に出て、ジュージュー、肉を焼きながら談笑を楽しんでいるだろうな。口惜しいぞ。で、つい先日、横浜の日産本社を訪問した際、ショールームに展示されてあった初期2000GT‐R をi Phoneで撮ったのを思い出し、鑑賞。


*日産本社ギャラリーを飾っていた初期型2000GT-R  

 ここで、まず初期2000GT‐Rの写真を披露して、秘かに「GT-R」贔屓を刺激しにかかっている。実はその頃から、『空白の10年間』を埋めるべく、動き始めていたわけで、8月24日にそのことを記している。
08/24 22:12
このところ、積極的にNewCarに試乗している。アウトランダー、ヴェルファイヤG'sと。4日にはボルボのV60を試乗する予定。それぞれが結構、楽しい。が、やっぱり自分のプログレに戻ると「こいつが一番」と感じてしまう。ただし、エルグランドの2列目、右側のポジション、ここはいいネ!


*ボルボS60のリアビュー。根府川での試乗会にて。


*エルグランドの「特別シート」は2列目の右側。一度は座って見たい。

 そしてこのエルグランドの試乗で日産広報とコンタクトする中で、「GT-Rと暮らしたい」という私の願いが叶えられることとなった。

09/05 12:56
夜も明けやらぬうちから雷鳴が轟く。そのおどろおどろしい気配に眠りを破られたまま、朝を迎えた。と、土砂降りの雨だよ。すっかり腰を折られ、11時から千葉の舞浜で開かれる「新型FIT]の発表会は失礼することにして、HV113号の『陸の王者GT-R』を鑑賞。明日から、GT-R漬けだぞ!

 この140字の「想い」を吐き出したところで、「みんカラBLOG」に『面白くて、タメになる「水野節」!』を、77歳の挑戦序章として、書き綴った。それでも書き足りなかったのか、その真夜中に、以下のような「雑感」を添えている。

09/07 00:30
机の上を、《GT-R》のカタログ、ミニカー、それに2009年刊の《水野和敏 プロジェクトGT-R=知られざる成功の真実》、が占領している。これからの1週間をGT-R漬けで楽しんでみよう、という心模様が、モロに出ている。2012年11月登録のGT-Rが1週間だけやってきました。



 こうして、私の手元にやってきた「GT-R」。「みんカラ」の《Car View》チームが、メディア対抗4時間耐久レースで、第2位になった日の筑波サーキットの往復で、大いにわたしを喜ばせてくれる。が、なぜか、そこからの様子は伏せたままで、いきなり訣別の前日になってから、動きを伝えはじめる。

09/12 23:00
R35 GT-Rとは明日でお別れだ。いろいろとスケジュールだけはあったが、思ったほど動けなかった。それでもこの夕方、わがシークレットの撮影ポイントへ。ゴルフ場の西に荒川の流れ。陽が墜ちてゆく。明日は東名を走ってから横浜へ。別れがたい気持ちより、無事に早くお返ししなければ、と。
09/13 23:59
無事、GT-Rを返却。1週間で608.5kmしか走ってないよ、とメーターが教えてくれる。年齢は争えない。ともあれ、ホッとして、横浜グローバル本社ギャラリーに隣接する珈琲テラスで一服、カプチーノにドーナツを奢って。運河さながらの水辺のこの光景、いけるでしょ?この後、JRで渋谷へ。


*ここも秋ヶ瀬公園のお気に入り撮影ポイント。落陽からのバラ色の陽射しが似合う。

 脱兎のごとき逃げ足、とはこのことだろう。いや、そんなつもりではなかった。ひとまず、無事、お返しておいたことを明らかにして、それからじっくりと、その悪戦苦闘ぶりを「輝かしき77歳の青春」としてお伝えしたかったまでで、やっと落ち着いて、「横羽線」を走りながら、お!? スピードメーターはどこにある!? なんて恐ろしいことを言い出して、停めるべきパーキングエリアを探そうとするシーンを書けるところへ、たどり着いたわけだった。それが9月30日に更新した『GT-Rと別れる日』であった。

 さて、その「横羽線」、正式には「神奈川県道147号高速横浜羽田空港線」と呼ぶらしいが、かつては都心と横浜市の中心部を結ぶ唯一の自動車専用道路として重用されてきた。それだけに渋滞と路面の傷み具合は他を圧倒していた。が、昨今は羽田空港のそばを抜け、アクアラインとも接続する湾岸線ができたこともあって、以前ほどの「賑やかさ」は失われたようだ。

 わたしの記憶では、大師ICの脇にPAがあったはずなのに、それがない。仕方なく、ダッシュボード右サイドの3連メーターにある、まことに小振りなスピードメーターなんぞはアテにしないで、適当なトロトロ走りで、東京方向を目指すことにした。
 後でわかったことだが、横羽線のPAはただひとつ、横浜方向へ下るときだけ、大師ICを過ぎたところで立ち寄れる仕組みだという。なるほど、そうだったのか。


*やっと『平和島』出口から下の道に降り立つ。

 多摩川を渡り、東京都に入った。GT-Rはしきりと「Mモード」による「戦闘態勢」を求めてくるが、ここはやはり、こちらは「ならし運転モード」をキープして、平和島料金所の手前で、環状7号線に合流できる出口から、一般道へ降り、路肩へGT-Rを寄せることができた。一旦、外にでた。晩夏の日差しは、まだ眩しかった。
(この項、つづく)
Posted at 2013/10/08 02:27:42 | コメント(7) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
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何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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