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正岡貞雄のブログ一覧

2015年05月30日 イイね!

「私鉄沿線」の小さな駅に降り立った朝

「私鉄沿線」の小さな駅に降り立った朝〜やっぱり「140字日記」ではしゃべり足りないね〜

 しばらくBLOGの更新を怠ると、決まって朝のルーティンである「PVレポート」(ページビュー)を開いて、その前日に何人のゲストがあったのか、そしてどの項目にアクセスがあったのかを確認するのに、だんだんと腰が引けてくる。

 この半月は、頭の中では、ああだ、こうだとテーマを練りこんたり、このことは必ず記録しておこう、などと「執筆活動」はしているのだが、もう一つ、ドカーンと噴き出してくるものがない。つまり、いささか頑張りが利かなくなってきたと、自覚すべきだろう。

 そんな気分だったから、この3日ばかり、完全にサボタージュ。それでも、昨日の朝(5月29日=金曜日)は、やっぱり気になって、「PV」をオープン。と、どうだ⁉︎
 5月27日だけが日頃の4倍近く、棒グラフで突出しているではないか。なんと3000を超えるカウント。これはただごとではない。

 早速、カウントされた数字をクリックする。と、「デイリー」の数字と項目が、多いのから順に並んでいる。「汚された英雄・ガンさん」「風に消された22歳・高橋徹の光と影」「さらば 汚された英雄・元祖〈不死鳥伝説〉」とレーシングアクシデントものが並び、その次に、やっと最も新しい記事である「ポルシェ911カレラS漬け旅日記」が出てくる。

 が、驚いたのはその後だ。来訪者数はそれほどではないが、なんと290項目にわたって、万遍なく目を通されているというメッセージ。それは一体、何を意味するというだろう。

 それが、朝の7時45分のことだった。その先を見極める暇(いとま)が、この日に限って、なかった。午前8時31分、西武池袋線・富士見台駅発の「横浜・中華街行き」の東急電車(西武との相互乗り入れ)にどうしても乗車しなくてはならないスケジュールを組んでいたからだ。

 この日、ピックアップを約束しているAudiのSUV車、Q5。なんと午前10時に世田谷区尾山台のAudiオフィスまで、電車を乗り継いで、おのれの足で伺うには、ドンピシャの便がそれだった。

 通勤・通学の時間帯のピークを過ぎていたのか、練馬から地下に潜り、小竹向原で東上線・副都心線と合流し、渋谷からは急行となって、自由が丘で大井町線に乗り換えるまでずっと、座ったままだった。

 大井町線を利用するのはいつ以来だろう。九品仏(くほんぶつ)を過ぎ、その次の駅、尾山台で降りる。改札口を出ると、すぐ右手に踏切があり、左手がどうやら環八に出る道筋らしい。すっきりした駅前の街並み。振り向きざまにi phoneのカメラに写し取る。その瞬間、かつてカラオケで愛誦した野口五郎の「私鉄沿線」の歌が、ひょいと浮かんで来た。

♪ 改札口で君のこと いつも待ったものでした
  電車の中から降りて来る 君を探すのが好きでした

 どこか、情感を刺激する街の佇まい。ぼちぼちとレストランやフラワーショップがオープンする気配。古い記憶を刺激するなにかが、だらだらと大通りに向かって上がっていくこの商店街に隠されているみたいだった。



 その時の妙な気分をメモワールしたくって、140字限定の「何シテル?」欄にそれぞれの写真を添えて、ひとまずオープンにしたのが、5月29日12時46分と22時53分のそれである。

① 午前9時30分。東横線自由が丘駅で大井町線に乗り換え、二つ目の「尾山台」で降りたつ。AudiのSUV車、Q5をピックアップするために。Audiの広報車貸し出しが環八にある尾山台オフィスとなっているので、朝から頑張ってここまでやってきた。ポルシェマカンとの乗り比べ企画のスタートだ。


② ♪ 改札口で君のこと いつも待ったものでした…野口五郎の《私鉄沿線》を口ずさみたくなった「尾山台駅」。まっすぐ環八につづく並木道。古い記憶を刺激する。Audiオフィスに着いてやっぱり! ベストカー時代に足繁く通ったJAXの社屋のあったところだ。深い想いでQ5 を受け取った。


 なんとも舌足らずなのが、気になった。例えば「Audiオフィスに着いてやっぱり!」と、即座に、かつて足繁く通ったJAXの社屋のあったところと片付けているが、わたしが初めてAudi80 という外国車を、徳さんの薦めで購入したのがJAXだったし、わたしの『環八水滸伝』(未完)の重要な舞台の一つが、このJAXであった。

 建屋は全く新しく、別物になっているものの、ショールームのスペースといい、2階、3階への実務フロアーの配置といい、これがDNAと言うのだろう、なんとなく往時の姿が偲ばれてくる。裏の車置き場のスペースも……。



 正式には、JAX CAR SALES。住所は尾山台2-30-8。そしてAudi Japan 尾山台オフィスもまた同じ住所。やっぱり、である。



 そして、先刻。最終仕上げの段階に入った「ぽらりす」「CONTENDO」との協同プロジェクトの件で、MDiさんとファミレス会合を済ませて、夜の駐車場にQ5を駐めた際、あ、これがアウディからのメッセージだったか、と確実に受け止めた「炎の記憶」など、このあと、書き留めたい想いが、まことに心地よく噴き上げてくる。その辺の予告を兼ねて、ちょっとおしゃべりを楽しませていただいた次第である。



 これから、月曜日(6月1日)の午後6時まで、Q5とどう付き合うのか。まずCMO氏のカメラワークに期待し、さらに2315君にも参画してもらって、秩父の景色に似合うかどうか、持ち込んでみようか……これもNEO BEST MOTORING創刊へのテスト活動だったりして……?


*輸入車のなかでSUV攻勢の火付け役となったAudi Q5

Posted at 2015/05/30 10:09:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+19歳の青春 | 日記
2015年05月13日 イイね!

『ポルシェ911カレラS漬け』旅日記 Part.Ⅱ

『ポルシェ911カレラS漬け』旅日記 Part.Ⅱ〜愛妻プログレとの別れ話をチャラにしてくれた28歳〜


 岡山市の東郊、日本三大奇祭「はだか祭り」(毎年2月第3土曜日の夜、西大寺観音院境内で、9000人を越すふんどし一丁の男たちが繰り広げる勇壮な祭り)で有名な町、西大寺のホテルから4月5日の朝9時すぎにアップした『PORSCHEカレラS《ベスモ同窓会》旅日記』(タイトルをクリックで再現できます)は、それから1カ月が過ぎたたいまも、フリーズしたままである。


なまはげ(秋田県)、吉田の火祭り(山梨県)と並んで日本3大奇祭にあげられる西大寺の「はだか祭り」。毎年2月の極寒の深夜、「宝木(しんぎ)」と呼ばれる木製の守護札を、ふんどし一丁の男達1万人近くが奪い合う。夜目にも白く立ち昇る男達の湯気。招福除災を願って年に1回、この街は「命」を燃やす。

 今回の岡山への旅は、ノートPCを携行し、PHOTO中心の速報を続ける肚つもりであった。初日に宿泊した「西大寺グランドホテル」は前年もお世話になっているので、部屋にLANケーブルを接続できるのを知っていた。そこで、ひと頑張りした甲斐あって「初日」の速報を送信できた。

 手応えあり。9時30分にホテルを出て、岡山国際サーキットへ移動を開始する時には、すでに同行の3人組が「旅日記」を読んでいたくらい、手際よく、ことは進んでいたのである。

 二日目の宿は「前夜祭」の舞台となった「鵜飼谷温泉ホテル」。21時過ぎには宴会も終わり、ともかくも、その日の撮影分をPCにダウンロードしようとして、一旦、部屋に引き上げ、PCを電源に繋ぐ。つぎにiPhone経由のWi-fiでインターネット接続を試みる。が、うまくいかない。やむを得ない。フロントに降りて、状況を訊ねたところ、ここは山の中なので、フロントのあたりなら辛うじて繋がるかも知れないが……、と心許ない答えが返ってきた。

 諦めて、若手メンバーが集合している「大井・デカトー部屋」でおしゃべりに加わった後、夜の露天風呂を楽しむことにした。で、「旅日記」は二日目にして早々と挫折してしまったのである。

 三日目は夜を徹して、帰京を急いだ。
 4月7日午前1時40分、練馬の自宅着。それでも中山サーキット・コントロールタワー前で、参加者全員がスッポリ収まっている画像を、一刻も早く届けたい一心から、8日の午前中には、その日のサプライズだった「ガンさんのF355走り」と大盛り上がりだった「前夜祭」のワンカットを添えて、BLOG発信を済ませ、このあとじっくりと「ポルシェ」を中心にした「旅日記」を書き継ごう、と約束している。

 その約束を果たすに当たっては、「旅日記」の初日に「(4月4日午前6時)代官山料金所から首都高へ。用賀を過ぎ、多摩川を渡るあたりで、雲行きが怪しくなった。どうやら今回の旅は、天候との大バトルになりそうだ……」と、書きはじめところから再開して、気分をよみがえらせていきたい。

−−-その通りになった。港北SAに着くと、雨脚が激しくなった。先着の二人がこちらへ手を振っている。
「じゃあ、ここを出たら御殿場の先で新東名に入って、最初のサービスエリアで待ち合わせましょう」
 そう伝えて、「Hawk Yama」組にポルシェのKEYを渡した。こちらはCX-3を受け取り、運転は「2315」君に任せてカメラ係に徹することにしたのである。

 さて、ここからが今回、新しく書き起こす『PORSCHEカレラS旅日記』のPartⅡとなる。

 コードナンバー991。2014年式のPORSCHE 911カレラSのレーシングイエローの豊かなお尻を、NIKONカメラのファインダーから見つめながら、西へ向かっている。


*ポルシェ・ドッペルクップルング(PDK)の内部構造。別々のクラッチで選択される2つのギアセットを、ひとつのケース統合したような構造。2つのクラッチは、2本の独立したインプットシャフトを介して、トランスミッションとエンジンの間で動力を断続。大幅な加速性能の向上と燃費消費量の低減を、このシステムによって実現。

3.8ℓ、水平対抗6気筒エンジンが生み出すパワーは、最高出力400PS/7,400rpm、最大トルクは440N・m/5,600rpmと強烈極まるものがある。そのパフォーマンスを、今の時代に適応させ、さらに磨き上げたのが、ポルシェ・ドッペルクップルング(PDK)、つまり英語読みすればデュアルクラッチのことで、そのトランスミッションを介して、エンジンパワーは的確にリアホイールに伝達される。そしてその駆動力を途切れさせることなく、瞬時にシフトチェンジを完了させるのがPDKだと、メーカー側の資料は胸を張る。



 ちなみにPDK仕様車の場合、静止状態から100km/hまでをわずか4.3秒で到達し、最高速度は304kmに達するというのだが、いま目の前を先行するカレラSは、その牙を剥きだすことも、追い越し車線に出ることもなく、東名高速大井松田ICから御殿場IC間にはだかる山峡の上りルートを、ゆったりと走行している。それでも不思議なオーラが黄色いマシンを包んでいる。白のケイマンPORSCHEが雁行してきたが、あっさりやり過ごした。天候は回復しつつあった。

 御殿場ICの先で、新東名に入る。景観がひろがり、路面が滑らかになったのがよくわかる。次のSAで、一旦、カレラS組と合流することになっていた。

 そこからは、目の前をいくカレラSのステアリングを握るつもりでいた。が、待てよ、と心の昂りを鎮(しず)める。同行の3人組にも、「今回のイベントの主役はカレラS。まず、中山サーキットで中谷明彦君、できればガンさん、大井君にも無事に賞味してもらうのがお役目。そこのところ、よろしく」とクギを刺している。

 決めた。名神・中国高速から山陽道に入って、和気ICで降りる最終スティントだけを担当しよう、と。加えて、約束の駿河湾沼津パーキングエリアがやたらと混雑している。このままの組み合わせで先を急ぐことにして、再び新東名へ。

 途端に睡魔が襲ってきた。乗り心地満点のCX−3のナビシートで、ハッと気付いた時には、すでに浜松、三ヶ日を過ぎ、やがて愛知県に入ったことを、カーナビが告げる……。

 豊田JCTで先行するカレラSは、東名から分岐する「伊勢湾岸自動車道」へのルートを選んだ。恐らく、前年、ビートで岡山を往復した堅実派の「MDi」君の選択だろう。個人的にはそのまま直進して、名古屋を通過、大垣から右手に伊吹山を見ながら関ヶ原を越え、やがて現れる琵琶湖や大津、京都の町並みを眺めて西下して行くルートが好みであった。想い出もたくさんつまっている。が、路面も新しく、距離も短縮されて渋滞も少ないのは、伊勢湾岸から四日市、鈴鹿山脈を抜けるルートだろう。若い連中の選択に任せることにした。
 
 新しいルートに入ってからすぐに、カレラSが左へウィンカーを出して、次のパーキングエリアへ寄ることを伝えてきた。一息ついたら、クルマを乗り換える約束だった。

「刈谷PA」でカレラSのKEYを受け取った。もじもじしている「2315」君の背中をポンと押してやる。



「いいから。君に任せた」
 ここまでのCX−3の運転ぶりで、彼のドライビング・スキルはわかっている。大学時代は自動車部を主宰していた。「2315」という「みんカラネーム」は、日産S15に由来しているくらいで、つい先頃まではシルビアでガンガン筑波を攻めていたというし、なにしろ、ポルシェボクスターMT仕様のオーナーでもある。ドライバーズシートに収まり、走行モードを高速道走行に合わせて「 SPORT」にセットし、「行きます」と一声漏らすと、こちらに軽く会釈する。28歳の若い笑顔が眩しかった。

「2315」君と知り合ったのは、東京・練馬の「サンライフ」で催した「第2回ベスモ同窓会」(2013年10月)であった。会が終わって「懐かしのベスモ鑑賞」用に持ち込んだ40型モニターを持ち帰るのに難儀していた。折からの雨を恨めしく玄関口で見上げていた。そこへ会の終了時にモニター運搬役を買って出てくれた青年のシャンパンゴールドのCLSがスッとアプローチしてくれる。

 わが家までの短い時間の会話。その日の感想を訊いたところで、
「キミも平成生まれのベスモ育ちかい?」
「いえ、昭和のシッポ世代ですが、ベスモ育ちです。池袋にあったアムラックスの地下1階で、TOYOTAのモータースポーツ関係のアンテナショップがあって、そこでベスモが無料で見られたんです。市販車で本気のバトルをやっている。すっかり夢中になりました」
「おお、アムラックス(註:1990年9月オープン、2013年いっぱいで閉館)か。そうだった。その開設の推進役だった当時の広報室長の要請もあって、毎月、新しいベスモを置かせてもらったんだが……」



 訊けば、飯田橋に住んでいるという。当時の「ベスモ」や「ベストカー」のある社屋とは至近距離で育ったクルマ少年が、いま、ここにいるのか。う〜ん。唸ってしまう。

「その頃もらったTOYOTA車のカタログが、いまはお宝です」
「プログレもかい?」
「持っています」
「近いうちに見せてくれるかい?」

 そのころ、12年連れ添って、10万キロを共に過ごしてきたプログレとは、別れ話のさなかにあった。タイヤをグレードアップした。クリスタル・キーパーで磨き上げ、お化粧直しもしてみた。そんな風にご機嫌取りをしてみても、足元の衰えはどうしようもなくてね。それに絶版車だから、純正のショックアブソーバーも入手できないし……。



 そんなわたしのぼやきに「2315」君が「メッセージ欄」からヒントを送信してきた。
「ビルシュタインでプログレ適応があります。20万円と、ちょっとお高いようですが、よかったらショップを当たってみましょうか?」

 なるほど、その手があったか。ビュルシュタインといえば輸入元は阿部商会。旧知の仲だ。ピレリータイヤを核にして、サーブ、ポルシェ、ビルシュタイン、そしてニュルブルクリンクでのWEC観戦までついた「世界のクルマ一流品を識る旅」をプロデュースして、その当時のクルマメディアに「強烈な刺激」をもたらせた「仕掛け人」。電話一本で状況はつかめるはずだ。


*ピレリ欧州使節団(1982年5月)

 その前にもう一箇所、電話を入れたい先が浮かぶ。TOYOTA広報部だ。プログレ購入時に関わった若手のホープスタッフが、「武者修行」を済ませて、先頃、広報部長として帰任したという。一度、挨拶を兼ねて、相談してみようか。 

 話はトントンとまとまった。面談した新任広報部長は「TOYOTA車をそんなに大事にしていただいていたとは……早速、プログレを再生できる足回りパーツがあるかどうか、調べてみましょう」と、嬉しい返事。

 こうして、プログレとの別れ話は解消し、再生プロジェクトが進みはじめる。2014年の3月だった。そうか。このあたりのテーマも凍結したままであった。「2315」君とプログレとの親密な関わりはもっとあるが、それは次回へ。

 4月4日午前10時25分。西下する911カレラSは「2315」君のドライビングでまだ伊勢湾自動車道を走っている……。

2015年05月04日 イイね!

若手メンバーに贈った『祝婚歌』騒動

若手メンバーに贈った『祝婚歌』騒動〜「2015ゴールデンウィーク」余話〜

「断捨離」という言葉がヒットして、すでに久しい。

 最初は単なるモノの片付け方、捨て方の「整理整頓」の勧め……くらいに受け取っていたが、「ウィキペディア」で検索してみると、基本的にはヨーガの行法からきていて、人生や日常生活に不要なモノを断つ、または捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術だという。

「こころが悸(とき)めかないものは、即、断捨離の対象です」

 つい先日も、断捨離ヒットの震源地となった著者がTV出演していて、そのフレーズを聴いたとき、なるほど、その手はあるぞ、と、つい肯(うなず)いてしまったのも、なにやら奥行きのある考え方だと感じたからだろう。
 近年、家人に厳しく身の回り品を含む資料類の整理を迫られている事情もあって、「どうにかしなければ」と、こころに鞭を入れ始めているからでもあろう。


*新妻のためにレガシイにチェンジしたイワタ君。ただ今、絶高頂なり!

 そんな気分で迎えた黄金連休。
 その初日、家人は「高校時代」のお仲間との会食会で外出してくれた……こちらも気兼ねなく「自由な時間」を楽しむ機会がやってきた。というのも、過日、ベスモ同窓会の若手メンバーである「イワタカズマ」君が結婚の報告を兼ねて来宅、お相手のお嬢さんが同じ会社の同僚で、クルマ好きで、同じ賑やかな関西人同士、楽しくやっていけそうです、と屈託なく、胸の内をひらいてくれた。

「それはよかった。特に言葉やしつけ、食べ物の味つけが共通する関西人同士というのは大切なこと。おめでとう」
「あ、局長の奥さんがそうだったんでしょ⁉︎?」
「おッ、鋭いね。同じ編集部、同じ九州出身でね。とくに食生活の好みが一緒」

 そんなやり取りから、家人と一緒に暮らそうと決意したきっかけとなる50年近く昔の「仕事」の話を、ついしゃべってしまう。なにしろイワタ君は「しゃべり上手」「聴き上手」。それにわたしのプログレを試乗した際のレポートの書きっぷりに、親近感を覚えているから、ついつい、こちらの脇も甘くなっていく。


*1971年パリ、サンジェルマンにて。

「赤いフィアット128で、(ここをクリック)はじめてヨーロッパの高速道路を走った話を書いたぼくの《みんカラ》ページ、憶えているかい?」
「もちろんです。その話から、次の年に当時の大スターだった石坂浩二と浅丘ルリ子の婚約をスクープして、ついにはフランス・イタリアへのハネムーンに随行した……。女性週刊誌時代の話ですね」
「そう。そのヨーロッパに短期留学する前年だったかな。意を決して、まだ返還前だった沖縄に潜って、地元の潜水夫が那覇に寄港するアメリカ軍の原子力潜水艦の船底を修理・清掃させられ、放射能にやられた疑いがある、というレポートを書こうとした。ところがいろんな壁があってね、その時に心の支えになったのが……結局、2回にわたってその女性週刊誌に連載できたけれど」
「お、凄え。奥さんですね。その時の記事って?」
「コピーがあるはずだよ」
  
 その場で、心当たりの書類入れの棚をチェックしてみたが、当然あるはずのものが見当たらない。そのうちに探しておくよ、と約束したものの、気になってならない。その夜から、時間があれば、それらしき「収容先」をゴソゴソやりはじめ、「なにを探しているの?」と家人に怪しまれる始末だった。

 やっと訪れたひとりっきりの時間。
 活動開始。「断捨離」するつもりで「隔離」しておいた納戸の書類袋を、ひとつひとつ、広げてみたが、目指すコピーには出会えない。いささか疲れて、ベッドに寝そべり、思いっきり手足を伸ばしたところで、ふと思い当たる場所に気づいた。枕元から西側の窓際に伸びている出窓の下の隠し袋棚。横長の暖簾で中身が見えないようにしてある。

 期待をこめて、暖簾を跳ね上げてみる。と、なんと、ズラリとズック地の布袋が15ほど、並んでいる。それもご丁寧に中身を表示するガムテープまで貼られている。「レース記録」「五木・徳大寺対談」「風早記資料」に混じって、右端に「黒い原潜レポート」とマジックペンで走り書きされている袋があるではないか。ガムテープを貼って、項目を書いた記憶はあるが、ここに収容したのは、家人の仕業だ。

 逸るこころを抑えて、袋を取り出す。TOKYO MOTORSHOW 2001の文字が赤く染め抜かれたキャンパス地の袋だった。きっちりと結ばれた手提げ部分の赤い紐を解いて、中を開ける。


*ここに収まっているそれぞれのコピーをつぶさに観察していただきたい。週刊現代の創刊号の表紙にトップ記事。そのほか、いずれゆっくりと、興味ある向きには説明したい企画や記録である。
 
 あった! 「週刊現代」「日本」時代にわたしの手がけたページのコピーと一緒に、その「探し物」は眠っていた。

 現地取材・録音テープにおしこめられた恐怖の現実を追って
 黒い原潜が夫を原爆症に⁉︎
 那覇軍港 潜水夫の妻 糸数光子さんの死におびえた七ヶ月



 これらのタイトル文字が墨ベタの上に、白く浮き出ている。4見開き8ページ。これが1969(昭和44年)3月24号に女性週刊誌「ヤングレディ」に掲載された分で、さらに5見開き9ページの続編(同年4月1 日号)もくっついていた。合計17ページ、芸能記事が幅をきかせていた女性週刊誌としては、破格の扱いであった。

 その当時の「ヤングレディ」の実売部数は30万にやっと手の届く程度で、トップを独走していた「女性自身」ですら、50万部に届いていなかったように記憶している。その後、60万台でしのぎを削る時代が到来することになるのだが、そうしたマスコミ状況下で、どうすれば、一級品に持ち上げられるか、それなりに試行錯誤していた時代であった。 

 さて、探し求めていた記事のコピーには、読みやすいように配慮していたのか、それをWordに打ち込んだものまで添えられているのに。なぜか、わたしに記憶はない。しかし好都合じゃないか。さっそく第1部と第2部に分割し、PDFにスキャンしてイワタ君にメールで送信することができた。

−−−イワタ君、うまく送れたかな。ぼくの記憶では記事のコピーしかないつもりだったが、ちゃんと記録としてPCいやワープロかな、どちらかにこうして打ち込んでいました。ま、読みやすいかな。

 と、すぐに返信があった。

−−−局長、ありがとうございます! 内容確認できました、鮮明に読めます!
また熟読した後、感想送付致します。

 それから3日がたって、まだイワタ君からの感想は聞くことができないでいる。無理もない。新婚さんのはじめての「黄金連休」。多忙の極みであろう。


*沖縄の取材をなんとかクリアして、当時、ふるさとに引き篭もっていた家人を迎えに。その時、城山に上って撮影したショット。

 こちらとしても、『祝婚歌』のつもりで、ついつい家人と一緒に暮らすようになった頃のメモワールの一つとして、『沖縄レポート・真実と衝撃のドキュメント』の裏話を口にしたに過ぎなかった。しかし、そのお陰で、行き先不明だった「わが仕事の源泉」にたどりつくことができたのだから、イワタ君に正式の『祝婚歌』を送らねばなるまい。そうだ、吉野弘さん(詩人・2014年没)のあの詩をそっくり手書きして、贈るとしようか。

『 祝 婚 歌 』      吉野 弘
    
二人が睦まじくいるためには
    愚かでいるほうがいい
    立派過ぎないほうがいい

  立派過ぎることは
   長持ちしないことだと
    気づいているほうがいい
    
(中略)
    
健康で風に吹かれながら
    生きていることのなつかしさに
    ふと胸が熱くなる
    そんな日があってもいい
    そしてなぜ 胸が熱くなるのか
    黙っていてもふたりには
    わかるのであってほしい

(この項 おわる)

⚫️追記   『黒い原潜が夫を原爆症に!?』の全文をお読みいただける方には、メールにてPDF ファイルを送信させていただきます。メッセージ欄から、メールアドレスを連絡ください。その頃の沖縄は、日本国発行のパスポートでは入国できない仕組みでした。総理府発行の「入域許可証」を身元引受人つきで用意しなければなりませんでした。通貨は米ドル、クルマは右側通行。辺野古移転問題で揺れるいま以上に、緊張感と「本土人不信」に包まれていたように感じます。遠慮なく、ご連絡を。
Posted at 2015/05/04 17:55:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
何シテル?   08/17 07:44
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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