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正岡貞雄のブログ一覧

2020年04月20日 イイね!

西麻布・霞町慕情2020

西麻布・霞町慕情2020序章としての「タンボフレンド撮影会」
PART②
 


【ベスモ組。大井、山本、本田の3人が欠けたものの、この笑顔が嬉しい】


*『みんカラフレンド』の皆さま、恙(つつがな)きや。このコロナウィルス厄災との闘いは、それぞれが耐え抜くしかありませんが、どうかメゲないで、平和を取り戻しましょう。それぞれの健闘を期待します。そして明るく、健康な日々を取り戻しましょう。

 さて、前回からの《序章としての『タンボフレンド撮影会』》を書き継ぐとしよう。
        
      ☆     ☆          ☆          ☆

 大都会のド真ん中‥‥。たとえば六本木ヒルズ森タワーの鼻面を舐めるように、東西へ横切っている首都高速3号渋谷線沿いに併走する、西麻布方向への下り坂をぶらり歩きでもわずか10分か。そこへ青山1丁目から青山斎場傍を広尾方面へ抜ける外苑西通りが、谷底あたりで合流してくるのが西麻布交差点である。

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*GOOGLE Mapより

 ‘60年代の終わり頃までは「霞町」と呼ばれ、一軒家のフランス料理店で女性連れにぴったりだった「クイーンアリス」や、アメリカの大統領と日本の首相がお忍びで鮨をつまみに来た「居酒屋 権八」とか、洒落た隠れ家カフェバーも点在し、夕方以降に不思議な魅力を持つ一帯であった。

 カメラマンの北畠主税さんがいい出した『おともだち撮影会』の舞台が、この西麻布交差点の角にあるマンション2階にある『スタジオ・カッシー』だと、田部靖彦君に伝えられた時、
「ああ、昔の霞町だね」
 と答えたが、六本木で遊んだ後、芸能界の住人やマスコミ人が流れていく、ちょいと胸の悸(とき)めく町だったと、もう彼の世代あたりは知らないらしい。

「霞町ですか?」
「うん、時間があったら、ちょっとぶらり歩きをしたいなあ」
「わかりました。早めにお迎えにあがります」
 相変わらず、キビキビとした田部君のレスポンスが嬉しかった。

 それから1週間が経って‥‥‥3月15日の午後4時。約束の時間ぴったりに田部靖彦君が、迎えにきてくれた。

「さあ、どうぞ」と助手席側にまわって、ドアを開いてくれる。ダークグレーのマーチである。その、ちょっと狭めなナビシートに納まりながら、問いかけた。
「あれ、B MWのX3はどうしたんだい?」
「ああ、X3ではなく、いま乗っているのは3シリーズのツーリング(正岡註:
セダンのみだった3シリーズのラインナップに加わった、ワゴンモデル)ですが、ソータ(正岡註:愛息の創汰クン=今春、無事に四国・今治にある船員養成の専門短大を卒業)が免許をとって乗り回し、あっちこっちをやっちゃって修理に出した代車です」

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*田部クンのお宝が見事に孵化。おめでとうさん。

「そうか。それにしてもマーチとは懐かしい。憶えているかい? 筑波レース・ド・日本のマーチレース。ぼくはマッチ(近藤真彦君)のマーチを借りて1戦だけ走った。その時の3位がキミで、そのマーチのシリーズチャンピオンになった勢いで、次の年はEXAレースで富士フレッシュマンに、きみはデビューしたんだから」
「ご縁です‥‥ね」
遠い目をする田部君。あの頃は彼のヘッドも黒々としていて、その若武者ぶりは際立っていたのに‥‥‥。思い出したように早口で報告し出した。

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*マッチのマーチ#12を試乗ドライブ。(1984年)

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*本番はニスモのマシン(#23)に乗り替えたものの結果は15位だった

「あ、大井(貴之)さんはイベントをやっていて、撮影の時間には間に合わないみたいで。山本(亨)ちゃんは娘さんの卒業式が重なり、本田(俊也)君もちょっと体調不良でN Gです。だから、杉野(勝秀)ちゃんと3人組でお願いします」
折角の機会なのに、残念だな。6人が揃えばそれだけでニュースだし、久しぶりの賑やかな時間を期待していたのに。

 田部君のドライブするマーチは、目白通りを都心に向かって東進する。
 彼にとっても「勝手知ったる」ルートらしく、早稲田を過ぎたところでT字路を右折、柳町、四谷3丁目、信濃町とそれぞれのポイントをパスし、HONDAの本社ビルのある青山1丁目をグイグイと、真っ直ぐに抜けていく。右側に青山墓地。これで外苑西通りに流入したわけだ。一気に広尾方面に駆け下りる。
 南青山方面から418号線が合流してきたところで、かつての霞町の交差点だ。

 躊躇(ためら)いなく、高速道路真下の交差点を右折した田部君のマーチは、そのまま高速道路下の有料駐車場へ。どうやら田部君もスタジオ・カッシー西麻布を何度か使っているらしい。
 マーチから降りると、目ざとく獲物を見つけたように駐車場の奥を、田部君は指差した。白いボディの横ッ腹に、チェッカーフラッグに見立てて赤いステッカーを貼り付けたようなデザインのスポーツセダンが駐車している。

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*筑波での限界性能テスト(ドライバー;松田次生)で59秒361を叩き出した日産GT-R NISMO 2020モデル

 うん!? どこかで見た記憶がある。横浜ナンバーの日産GT−R NISMO 2020年モデルじゃないか。もしかして、つい先日、筑波で1分切りをした話題の怪物かもしれない。

 田部君も気付いていたらしく、「(タンボフレンド)撮影会にきた同業者ですね」といってから、ニヤリと‥‥‥。つまり日産の広報車、というわけか。だれが乗って来たのだろう?

 駐車場を出ると、目の前が「スタジオ・カッシー西麻布」のあるマンションだった。そういえばタンボさんの招待告知の中に「パーキングから徒歩30秒」と明記してあった。

 時計を見る。わがグループに割り当てられた時間まで、40分 近くの余裕がある。「お茶しますか?」わかっているね、さすが田部君。しかし、一歩踏み出した霞町界隈は、まだ眠ったままだった。適当にコーヒーを注文できるような店などありはしない。スターバックスくらい、あってもいいじゃないか。そういえば、昔からそうだった、と思い出す。

 3月の夕暮を吹き抜ける風は冷え冷えとしていて、コートなしにはこたえる。
コーヒーを断念して、早めに「スタジオ・カッシー西麻布」に顔を出すことにして、「外苑西」の大通りを戻りかかって、ひょいと向かい側に視線を向けると、懐かしいガソリンスタンドが目に飛び込んだ。石坂浩二さんが浅丘ルリ子さんと広尾のマンションで暮らしていた時代に、よく使っていた。創刊時の『ベストカー』に《なぜフェラーリに惹かれるのか》と熱い想いを寄稿してもらって318を撮影に持ち出した時、いつもここを使っているんですよ、と立ち寄った遠い記憶。

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*1978年当時、石坂浩二さんの愛車F318

 そういえば、この大通りの広尾寄りに『ミケロッティ』のショールームがあって、その頃乗っていたBMW320につけるフォグランプを買いに行ったリ、サーキットキャップを調達した記憶が蘇ってきた。挙げ句の果てには、ガンさんをドライバーに鈴鹿のシビックレースに遠征するときめ、五木寛之さん、徳大寺有恒さんと『風の仲間』を結成、そのファッションスポンサーにミケロッティJAPANを指名したはずだが、どこかに確認できる写真があったかな。よっしゃあ。探してみせるぞ。

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*五木レーシングチームを結成して鈴鹿CIVICワンメークレースに参戦。このミケロッティのキャップがお気に入りだった。

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*チーフメカの小野昌朗さんとお揃いのブルゾンを。五本の木をあしらったデザインは林ミノルさんのものである。

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*その頃のヒット作《四季 奈津子》にも協賛を。

 気を取り直して、交差点まで戻り、いよいよ、タンボさんの待つスタジオへ。出迎えてくれたのは「ベストモータリング」の3代目編集長をつとめてくれた杉野勝秀君だった。その前身は『GT-Rマガジン』(交通タイムス社刊)の創刊編集長。
「ということは‥‥‥」
  杉野君があの怪物でやって来たのか。
「いえ、いえ」
 慌てた感じで田部君が割って入って、杉野君と談笑していた長身の紳士を紹介しようとする。
「こちら、ご存知でしょう? GT−Rのチーフ、田村(宏志)さんです」


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*田村宏志さんのFBページより

 あ、そうなんだ。腑に落ちた。早速、名刺の交換。日産商品企画部チーフ・プロダクト・スペシャリストの肩書が眩しい。が、こちらはこれから撮影が始まるので、あまり踏み込んだ話はできない。ただし、短い時間の間に、彼がハコスカに憧れて日産に入社しながら、思うところがあって、在籍2年で桜井真一郎さんの創ったオーテックに転籍、そして今、GT−Rを任される立場にある、とご本人から伺ったのは大収穫だ。

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*インドでのワールドプレミアから

 こちらの撮影が終わるまで、お待ちいただけると嬉しいのだが‥‥‥。
(以下、次回更新まで)

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https://contendo.jp


Posted at 2020/04/20 18:51:11 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
2020年04月04日 イイね!

『S U Z U K I創業100年』と『わが初恋』の関係

『S U Z U K I創業100年』と『わが初恋』の関係 その序章としての『タンボフレンド撮影会』

 こんなにも重々しく、禍々(まがまが)しい日々は真っ平だ。「みんカラ」の方も『天国のノムさんへの報告』を始めたのはいいが、もう一つ、その続きを仕上げるパワーが湧いてくれない。心に灯火が点いてこない。

 それでも「Face Book」とみんカラの「何シテル?」のような小回りの効くコラムスタイルをステージに、「生存の証し」としてチョロチョロとわが消息を発信してきた。
 そこで考えた。その両方をドッキングさせて「つれづれの記」の一端にしてみたらどうなるか? ともかくやってみようか。

 ことの火付け役はいつものように「ベストモータリング」の元幹部、田部靖彦君である。その舞台となったF Bのメッセンジャー欄をコピーしてみると‥‥。

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*デイトナで取材中の田部靖彦君 

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2020/01/13/ 17:02
「こんにちは。時間がある時にタンボさんのFBを覗いて下さい。みんな(註:ベスモグループ)で撮りたいとお願いしました。とりあえずスケジュール空けおいて下さい!」

 早速、「タンボさん」こと北畠主税クンのF Bページへ。ベストモータリングの創刊とともにV I D E Oパッケージの表紙写真を撮り続けてもらった関係である。なるほど、このところ「グランツーリスモ スケープスツアー」の依頼で世界中の僻地を飛び回っていた仕事が一段落したので、ご無沙汰しているCARメディアのフレンドたちへの感謝の意味もあって、スタジオを借りてタンボ撮影会を催したいというのだ。
やるねぇ、タンボちゃん。以下のコメントも洒落ていて、ジーンときた。

「3/15日に、タンボフレンド撮影会をやります。スタジオカッシーを1日お借りして。よろしければ、是非是非。1人30分って感じです、15人限定で。参加費は、ケーキ4個です。コーヒー付きです。田んぼは、皆さん、ご存知でしょうが、どちらかというと、人の写真は、苦手です。《そんなの知ってるよ》って方だけでお願いします」

 一読、確認後、田部君にメッセージを返す。
「参加を伝えました。君の命令だから。いつも、ありがとう」

 このタンボ企画は大受けだったのはいいが、タンボご本人が悲鳴をあげたらしい。2日後、こんな「お詫び」のページが掲載されていた。

「タンボフレンド撮影会についてのお詫びです。
凄い数の申し込みのメールをいただきました。が、想定数を大幅に上回り、もう処理ができない数になってしまいました。

 なので、本当に申し訳ないのですが、3月14〜15日の撮影会は、やはり最初に書きました限定数15名で締め切らせて下さいませ。1〜15までの方です。

 それ以降の番号の方は、期待させて本当にごめんなさい。何だよな−−−!ってお思いでしょうが、予想より多く来過ぎちゃいました。どうぞお許し下さいませ。最初の会なので、まずは僕との付き合いの長い方から始めさせてもらえたらと思います。第2弾は改めて声をかけさせて下さい」

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 そのあと、ご本人は羽田からフランクフルト経由で合計30時間を掛けて南米大陸へ飛んで、ウルグアイ、アルゼンチン、パタゴニアとハードな撮影旅行に。
フレンド撮影会の雲行きも怪しくなった。田部君からも、その後の連絡はない。
だからこちらも、いつしか「当てにしないで待っていよう」という気分になっていた。

 ところが、3月8日の朝8時に田部君から、メッセージがやっと入った。
「お待たせしました。3月15日(日)は17:30から柏田くんのスタジオで撮影になります。余裕を見て16:00過ぎにお迎えに上がります。できればスーツかジャケットにネクタイでお願いします。参加予定は大井(貴之)、山本(享)、本田(俊也)、杉野(勝秀)にぼくの6名です」

 おお、タンボちゃんの話は忠実に守られるのだ。それにこのメンバーが一堂に会するとは! 嬉しいじゃないか。ポッと心のともし火が、久しぶりに点灯してくれた。

 早速、「ありがとう。 お待ちしています」とメッセージを返し、1週間後の3月15日を待った。その間も新型コロナウィルス禍で、世の中が周囲に気を使って縮こまっている。世界の自動車業界も揃って大変な局面を迎えつつあった。

 そして待ちわびた3月15日の朝が来て、わたしは朝日新聞の第5面を拡げて、S U Z U K Iの一ページ広告に見入っていた。創業100周年を迎えられたことを、内外に向かって深く感謝の意を述べていた。すでにMAZDAがこの年の初めに100周年を迎えているし、SUZUKIからも鈴木修会長、俊宏社長の連名で挨拶状をいただいていたから、100周年そのものは耳新しくはないが、この時期に1ページ広告をうつSUZUKIの心意気には、感じるものがあった。

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 無駄のない静かな佇まいが、まず気に入った。
 上段で2行、この特大活字のコピーが胸を搏(う)つ。

 感謝。感謝。感謝の100年でした。

 そのコピーの真下に創業者鈴木道雄氏の、叙勲を受けた記念の肖像写真を飾り、その両側を1952年に世の中へ送り出した自転車『パワーフリー号』にはじまって、1955年10月、この国の軽自動車の先鞭をつけた『スズライト』(2サイクル360cc)を配している。

 そしてスズライトの真下には、10年後に新分野進出を目指して船外機用エンジン『D55』(2サイクル55馬力)、さらにそれを支えるようにして、ああ懐かしや、海外市場を席巻した新型二輪車『GSX1100S』(1981年1月)の勇姿だ。

 お客さまのためなら、どんなことをしてでもこたえろ。
頑張れば、できるもんだ。  創業者 鈴木道雄

  創業100年。SUZUKIが今、改めて「物づくりの原点」として、噛みしめている言葉。その真下に真紅のボディカラーの『アルト』(1979年=2サイクル550cc)。それからのSUZUKIのクルマに託した想いがわかる配置だった。締めはやっぱりSUZUKIの原点である織機だ。A 44 片側四梃杼織機(かたがわ、よんちょうひ、しょっき)とよむ、まるでオルガンのような骨組みに、赤い櫛と歯ブラシを組み合わせたようなそのマシーンが、この軽自動車中心に発展してきた会社の原像を素直に演出していた‥……。なんだかハスラーのフロントマスクと似ていないか。  
 そして、1面広告の最下段に28行でまとめたスズキからの感謝の言葉。気張らず素直な姿勢がいい。

 近年、R J Cのメンバーに加わってからは、スズキのNEWカーに試乗できる機会が増え、関わっているSUZUKIマンの方々との接触も増えた。試しに「何シテル?」を開いてみると、SUZUKIに関わる動静が多いのに、改めて驚く。たとえば‥‥‥。

2019/12/24 18:40
 珍しくボルドーの赤ワイン、シャトー・ラヴィゾンを引っ張り出し、
コルクを開け、家人と乾杯。Merry Xmas! 体調も回復しつつあり、それなりに活発に動くことができ始めた悦びからか。渋谷で催されたSUZUKI新型ハスラーの発表会へ。軽のクロスオーバー市場に強烈な新風が吹き込んだ!

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2020/ 01/30 21:50
 明日(1/31)は幕張を基地にして2代目ハスラーの試乗会が。そのためには何時に近くの私鉄駅から東京駅京葉線へ向かえばいいのか? いそいそと時刻表に取り組む。8:00の西武・有楽町線に乗れば悠々と9:00発の快速が待っているとわかる。クリスマスイブに発表された小さな怪物。楽しみだ!

02/02 21:35
 31日は11時から幕張を基地にハスラーを試乗し、夕方から芝のPホテルまで戻って三菱自動車の名物広報マンの定年退職を送り出す感謝パーティへ。さて、ハスラー試乗記とパーティ出席記のどちらを先に仕上げようかな、と思案しながら気がついた。胡蝶蘭が1年の眠りから覚めて、やあ暫く、と。花言葉は「あなたを愛す」か。なるほど。では!

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*スイフト HYBRID RS !.2ℓDOHC 2WD

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*佐倉城址にて Xbee(クロスビー)

 そうだった。SUZUKIのハスラーも、三菱自動車の名物広報マンの「卒業式」の模様も、結局、ブログにはいまだにアップしてなかった。近々、あのハスラーをスイフトやクロスビーと同様、幕張基地をスタートして佐倉までを往復した試乗記も何とかまとめあげたい。なにしろ今回のハスラーくらい日本=和の風景に見事に溶け込んでくれる車はない、と惚れ込んでしまったのだから。

         ☆    ☆     ☆     ☆
 
 3月15日。やっと午後4時になった。と、インターフォンのチャイムが鳴って、モニターに迎えに来てくれた田部君の律儀な顔が映っている。いよいよ『タンボフレンド撮影会』の章へ、時間が巻き戻された。『わが初恋』が登場するのは、まだずっと先になる。お許しあれ。
                (以下、次回へ)
Posted at 2020/04/04 22:22:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
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何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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