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正岡貞雄のブログ一覧

2020年12月31日 イイね!

『昭和を共に生き抜いた仲間』への弔鐘、鳴り止まず

『昭和を共に生き抜いた仲間』への弔鐘、鳴り止まず〜雑誌編集者なればこその
  『想い出ボロボロ記』〜


⬅️ (講談社文庫サイトより)なかにし礼の人生と音楽が、小説の形で融合‥‥

 矢口高雄さんとの別れのご挨拶に、自由ヶ丘まで足を伸ばした日のことを「みんカラ」にアップし終えたその日の朝日夕刊を開いて、息を呑んだ。矢口夫人に『元気の出る対談』で残念ながら、どうしても都合がつかず諦めた人の名前をあげた一人、なかにし礼さんの訃報が乗っていたからだ。

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「なかにし礼さん死去」‥‥‥82歳「北酒場」「長崎ぶらぶら節」12月23日午前4時24分、心筋梗塞のため都内の病院で死去した。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻中西由利子さん。

 あの礼さんもとうとう、力が尽きたのか。スッと訃報の意味を受け止めた。10年ほど前に食道癌に罹ったことをすすんで公表、それを陽子線治療で克服し作家活動に復帰したものの、5年前に再発、それでも執筆を絶やさなかった。ひときわ、逆境に強い人だった。

iMacに礼さんと肩を組んだツーショットが保存してあるはずだ。SPOTLIGHT検索に彼の名を打ち込んでみた。しばらくして、モニターに浮かび上がったスーツ姿のなかにし礼さん。「講談社」のネームカードを首から垂らしたわたしの肩に左腕をのせている。何のパーティだったろうか? 恐らくその頃、全盛だったワタナベプロの新年パーティでなかっただろうか。そういえばカードのデザインに「W P」のロゴデザインが施してある。

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  *わたしの胸のネームカードにご注目を。「講談社」と記してある。

 まだ作家としてではなく、売れっ子のナベプロ専属作詞家。となるとわたしは女性週刊誌『ヤングレディ』の副編集長だった時代か。芸能界との交遊も大事な仕事で昵懇の音楽評論家、安倍寧氏を交えて、ひとしきり「石坂浩二と北大路欣也」の比較論で盛り上がったところで、礼さんが話題を報知新聞主催の演劇人野球大会に切り替えた。

「あなたは《劇団四季》から出ているんだって?」「どうして知っているの?」
「だって、こないだの《劇団青俳》戦でホームランを打ったでしょ?《報知》にイニングスコアと本塁打だけは選手名が載るんですよ。おや?と思って四季の野球部の人に訊いてみたら、あなただって‥‥‥」

 そこまでご存知なら、と率直に『四季』の助ッ人として参加した経緯を説明したのを、今でもはっきり記憶している。
『劇団四季』の主宰者・浅利慶太さんと昵懇だった関係で、何かの折にお互いが野球チームに関係していて、じゃあ練習試合を、と話がまとまった。四季vs.講談社戦の舞台は昔懐かしい上井草球場。スコアは覚えていないが、大差で我が軍が勝利して、その時、一塁を守る5番打者の浅利さんが、初めて左利きと知った。率直に言って、大味なアッパースイングで変化球には、からきしダメだった。
 四季のエースのカーブを、右中間にライナーで持って行ったわたしに、浅利さんが不思議がった。「どうやって持っていったのかな? うまくヘッドを残して振り切っていたけど‥‥‥」

「ボールを点で捕まえるんじゃなくて、線で追うんです。バットのヘッドを縦に残してぶつけるんです」
「なるほど。今度、うちの若いのに教えて。ユニホームを送るから、演劇人の対抗戦に来て貰えるかな」

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*とっておきの「バッティングフォーム」を初めて公開

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*一振! 打球は左翼の頭を越えて・・・(本当の話)。

「うちも《なかにし商会》というチームを持っているんだけど、一度やらない? 準硬式のボール使用だけど」
「え!? トップボールで? そりゃ本格的じゃないですか。軟式ボールでしかやったことのない講談社チームじゃ無理です。礼さんは昔、硬式チームでやっていたの?」
「いやいや、高校生の時、アルバイトで地方の県営球場のバットボーイをやった程度。でもうちのメンバーのほとんどは硬式出身だから」

 立ち話はなんだから、ともかく青山の事務所へ近くお伺いします、と約束したのだが、結局そのままになったのを今でも悔いるつもりで、矢口さんとの対談相手に礼さんが浮上した時、即座にあの時のお詫びを兼ねて「恋文」を書くことに決めた。六本木にある事務所に連絡をとり、対談のお願いを兼ねて、久しぶりにお目にかかりたい旨を伝えた。

 すぐに了解のレスポンスがあった。ところが、である。礼さんから指定のあったその日時を矢口さんに伝えたところ、なんとその日時に、矢口さんの方で約束をとった劇画家の小池一夫さんの都合とバッティングしてしまった、という返事。当然、なかにし事務所に連絡を入れて変更をお願いする。が、指定した日以外はとても無理ということで、再会の機会はあっさり消えてしまったのである。

 なかにし礼さんはその後、2000年には『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞、作家としてさらに巨きく翼を広げていった。仮に、わたしが車メディに舵を切らないで雑誌編集者として本来の道を行っていたなら、きっと同じ舞台で、クリエイティブな出会いがあったかもしれない魅力あふれる存在だった。

     ☆      ☆      ☆

 2020年、旅立っていった人への鎮魂の弔鐘をもうひとつ、搏(う)たねばならなかった。同じ「朝日新聞」の12月25日朝刊「惜別2020」欄に前日本写真家協会長・熊切圭介さん(86歳)への惜別の辞が掲載されていた。

 ひと月前の11月27日に誤嚥性肺炎のため、鬼界の人となっていた。わたしが週刊現代の創刊に合わせて配属され、西も東もわからない「新入り編集者」になったとき、熊切さんもほとんど同じ時期に「活版ページ」専用のカメラマンとして編集部に出入りするようになった。

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 どんな小さなテーマのページであろうとも、誠実にシャターを切り、現像室にこもって注文されたカットをプリントアウトして、「これでいいでしょうか?」と含羞の笑みと一緒に、届けてくれるカメラマンだった。

 3年半後、わたしは当時の講談社の看板月刊誌『日本』に転籍し、早速、巻頭のグラビアページで、石油コンビナートに侵蝕されつつあった瀬戸内海を撮ってこい、という指令を受けた。その時、わたしが指名したカメラマンが熊切さんだった。

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 まず東海道本線と山陽本線で岩国(山口)へ。その頃は余程のことがない限り、空路を利用するなんて許されなかった。岩国からは広島に戻って、フェリーで松山へ。」音戸の瀬戸を抜けるとき。熊さんが記念だから、と言って海峡に見入るわたしにカメラを向けてくれた。その後、松山城の天守閣でも居合わせた女性群と一緒に瀬戸内海を背景に‥‥‥。その時の写真を後生大事に保存しておいてよかった。ひときわ完成度の高いショット。熊さんの味が素直に伝わってくる。

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 実は松山こそ、わたしの父祖の地でありながら、この時初めて足を踏み込んだ。この時のグラビア『変わりゆく瀬戸内海』の旅が、後年、わたしの現役引退後の「ライフワーク」とも大きく関わるのだが、それは別の機会に。

 同じ時代に、同じ修羅場で闘ってきた仲間たちが「惜別」とか「墓碑銘」といった欄に登場することが多くなった。想い出ボロボロ。せめてもの追悼の想い。  

  もうすぐ、2020年の幕を閉じる除夜の鐘が鳴る。

 数えてみると、『みんカラ』ブログのアップ数は12に過ぎなかった。月1は何とも情けない。それでも、心を通わせる仲間との交流は諦めていない。

 新しい2021年もどうぞよろしく。
関連情報URL : http://矢口高雄 
Posted at 2020/12/31 21:01:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
2020年12月23日 イイね!

柚子湯に心も温まった師走の午前2時

柚子湯に心も温まった師走の午前2時〜「9年で花咲く」男たちからの贈り物〜

 妙に身体がホカホカして目が覚めた。時計を見ると午前2時。もちろん窓の外は真っ暗だ。どうしたのかな?
 おお、そうか! いまは夜が一年で最も長い「冬至」の真ッ只中だった。「冬至」には健康を願って、南瓜をいただき、柚子湯に浸かる。その古くからの慣わしを、家人が忠実に守ってくれて来た。

 12月21日の午後5時、いささか早めの夕餉の食卓には、さりげなく南瓜の煮物が盛られていた。南瓜は「ナンキン」とも呼ばれ「ン(運)気」を運ぶと重宝されて来た。メインはイベリコ豚のしゃぶしゃぶだった。箸を運ばせながらの会話‥‥‥。
「これから明るい時間が、一日、一日、長くなっていくのね」
「ああ、コロナ禍の方も一歩、一歩、抑えられていくといいね」
「柚子湯も用意してますよ」
「お、嬉しいね。桃、栗三年‥‥‥その続きは?」
「柿、八年」
「その続きは?」
「知らない」
「柚子は九年で花が咲く‥‥‥」
「へえ、そうなの。じゃあ柚子が実るのはもっともっと先ね」

 そんなやりとりがあって、午後9時過ぎには熱めに用意された「柚子湯」に浸かった。コロナ厄禍に揺さぶられ続けた2020年もあと10日か。なんともほどよいお湯加減に、気のせいか柚子の香りがさりげなく染み込んでいて、蕩然としてしまう。その蕩然とした気分が、午前2時に突然、復元されたのだ。なぜだろう?

 どうやら、柚子湯に浸かりながら「柚子は九年で花が咲く」の続きを己れに語りかけていて、その余韻を引きずったままベッドに入ったためらしい。
「柚子は九年で花が咲く」には続きがあった。「柚子の大馬鹿十八年」とも言われる。柚子は、九年をかけてやっと花を咲かせ、さらに同じ九年をかけてやっと実を稔らせる、その見事な「大馬鹿」ぶりを言い当てているのだ。
それで気がついた。わたしが請われて『みんカラ』ブログを始めたのが2011年6月15日。『ファストラン』と題して、おそらく3〜4歳ごろのわたしが故郷・北九州八幡の写真館で撮った、ブガッティもどきのブリキ製スポーツカーのステアリングに手を添えて姿を披露している。
よろしければ、こちらへどうぞ。

『ファーストラン』(クリック)


 それからなんと、九年半か。まだ花が咲き終わったとは言えないまでも、『つれづれなるままにクルマ一代』を通して多くのお仲間と触れ合うことができた。だからこのところ、発信回数の落ちて来たのを申し訳なく、己れに鞭を当てようとするのだが、もう一つ「弾(はじ」けてくる」ものがない。

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*『元気の出る対談』5人目のゲストはグレートサスケさん。

 そんな折、『釣りキチ三平』に矢口高雄さんの訃報が届けられた。11月20日に膵臓癌で逝かれていて、公けになったのは23日であった。1週間後、師走月の初日、やっとご焼香に伺える日が来て、自由ケ丘のお宅へ向かうことになった。
東京の北西郊外にある西武池袋線富士見台駅から、東横線自由ヶ丘駅には、近年、乗り換えなしに1時間足らず、一本で繋がれている。つまり西武秩父駅からでも、横浜元町・中華街駅までが、練馬駅からは東京メトロ副都心線をちょいと拝借して東急東横線に合流することで、2時間20分で移動できる時代となっていた。

 それならば車中、本が読める。しかし小説は駄目だ。夢中になって、何度も電車を乗り過ごした苦い記憶があるからだ。
何故だか、一度は読み終えているはずの葉室麟さんの随筆集『柚子は九年で』(文春文庫)を選び出していた。


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 昼下がりの車中はゆったりと座席に腰を落とし、「葉室麟の世界」に浸ることができた。葉室さんは2001年、50歳になった時、「このままでいいのだろうか」と思い直して、若い頃に抱いた作家になる夢に挑むべく、西日本新聞社記者の職を離れた。出身は松本清張さんを生んだ北九州市小倉。つまりわたしと同郷。2006年、佐賀鍋島藩の支藩を舞台に「もののふ」の純心・純愛を問うた作品「いのちなりけり」で初めて直木賞の候補に選ばれる。わたしも親交のあった五味康祐さんの再来か、と注目したが、それからの直木賞受賞までの道のりは厳しかった。

 その辺の様子と心情を書き留めたエッセイが『柚子は九年で』に収められていた。何度も直木賞候補に推されながら、その度に決まった選考委員に強烈にダメを押される苦痛との闘い。その分、葉室さんの心がどんどん豊穣になっていく。文壇デビューから10年目。後に役所広司主演で映画化された『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞する。気がつけば柚子よりも花が咲くのは一年遅れた、と葉室さんは清々したその想いを‥‥‥共感しているうちに、自由ヶ丘駅に着いた。

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 東急東横線自由ヶ丘駅に降り立ったのは何年ぶりだろう。ロータリーのエンジェルとハートマークのイルミネーション。陽が落ちればさぞかしロマンチックな出迎えになってくれるだろうが、午後1時半ではお洒落なこの街も雑踏の中。歩いて10分あまり、狂いなく矢口高雄邸に到着する。(このくだりだけは12月1日の《何シテル?》欄に記述済み)。

 矢口夫人と次女のカオルさんにご挨拶を済ませてから、矢口さんの位牌と遺影に向きあった。遺影は矢口さんのお好みだった、シルエットのような横顔であった。ついつい見入ってしまう。

 2003年から2年半。月2回刊行『釣りキチ三平CLASSIC』の連載企画『矢口高雄の元気の出る対談』の構成作家を引き受けて以来、何度、この矢口邸にお邪魔したことか。

 その折々の思い出話に花が咲く。そんな中で、対談をお願いした28人の話題で盛り上がる。素晴らしき仲間たちばかりで、特に同じ秋田出身の藤あや子さん(角館町)と目黒雅叙園で待ち合わせた日などは、朝から緊張の連続で、まるで三平少年に変身したようで、と矢口夫人も笑う。

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 それにしても、とかねがね残念に思っていたことを伝えることにした。
 矢口さんの好きだった井上陽水をどうしても引っ張り出せなかったこと。スケジュールがどうしても調整できなかったなかにし礼、楽天の三木谷浩史社長、ファッションデザイナーの山本寛斎。このメンバーもくわえることができていたなら‥‥‥。

 矢口邸を辞す時、矢口夫人からそっと渡されたものがある。
『矢口高雄オリジナルカレンダー2021』

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 最後のカレンダーだな。大事にめくらせていただこう。そうか。柚子湯をいただいた夜のホカホカ感は、矢口邸弔問の前後の記憶の火照りだったのか。

 2020年も残すところ、あと8日か。年賀状の表書きはまだ手付かずだ。「次号更新まで」も、いくつか、そのままだ。年末恒例の『箱根ガンさん邸の餅つき大会』も残念ながらお流れとなってしまった。心を鎮めて、ジタバタしないで、行く年、来る年を待つとするか。

 そうだ。書き漏らしたことがある。直木賞作家・葉室麟さんは2017年12月23日、半年余の闘病の末、帰らぬ人となった。66歳だった。そうか。当稿UPのこの日が御命日に当たるのか。手元に葉室さん最後の長編歴史小説『星と龍』がある。

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「夢に生き、夢に死のうとも、“正義”だけは失わぬ。
 不世出の猛将かつ知将・楠木正成を描いた未完の傑作。(帯より)

 1行、1行、己れの夢と祈りを紡ぐようにして描き続けたこの葉室作品。じっくり取り組ませていただこう。
Posted at 2020/12/23 18:05:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の24歳 | 日記
2020年12月01日 イイね!

動画付き①親孝行ベスモ組vs,#16極悪シミちゃんPB号

動画付き①親孝行ベスモ組vs,#16極悪シミちゃんPB号〜メディア対抗筑波4耐第2回ガチンコバトル実録公開〜

最初の20秒は我慢して欲しい。何しろ本編集用に用意した私用のVTRテープを、あの新婚「えむしい34」君がやっと動画用に変換してくれた「作品」だ。実際には1991年3月号のベスモ本編に10分のコーナーとして仕上げたものだが、見方によってはまるで「親孝行辺須紋組ロードスター」チームのピットクルーになった気分でご覧いただける内容かもしれない。

 大井貴之、田部靖彦の両君の素顔まる見えだし、あの極悪シミちゃんもいい味を出してくれている。ピットウォークでは懐かしい勇者も登場。

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 まあ、いろいろと説明するより、実物をどうぞ。何しろ1時間37分の長尺。完走しなくて結構。ともかくチャレンジあれ。意外と‥‥‥。






Posted at 2020/12/01 21:13:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーッキトに生きる | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「雨上がりの朝が快い。加えて早朝5時から実況中継のドジャースVs.パドレス戦は、9回表の翔平君の3塁打が利いてDが逃げ切った。そんな時だから朝のデイリー紙買いの足取りも軽くなる。おお、TOP面はサト輝の豪快18号本塁打スイングのアップ。でも2戦連続の逆転負け。岩崎が簡単にやられた!」
何シテル?   06/12 09:50
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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