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Heero Yuyのブログ一覧

2011年04月09日 イイね!

イスラエルとトルコ - 現在も被災地に滞在中

「国際救援チーム」まだ頑張ってくれてるトルコとイスラエルに密着

20の国と地域から東北の被災地に駆け付けてくれた海外の支援部隊。ほとんどのチームが3月末までに帰国したが、その中でまだ活動している国がある。トルコの救援隊とイスラエル国防軍の医療チームだ。「スッキリ!!」はこの2つのチームを密着取材した。

「1999年の大地震で日本に助けられた」

3月19日(2011年)から宮城県利府町にテントを張り、瓦礫の撤去や安否不明者の捜索に従事しているトルコの救援隊。ハイパーレスキュー隊員や医療関係者など総勢33人いるが、すべてボランティアだ。この日も散乱する瓦礫の中からアルバムを見つけ、町役場に届け出た。こうして見つかったアルバムなどの貴重品は、被災者のために役場に展示されている。
どういう関係?

ここで知人の写真を見つけたという被災者の女性は、「こんな遠くの日本まで来て下さって。一つひとつの思い出を集めて下さって、非常にありがたいです」と感謝する。

それにしても、なぜトルコの救援隊がここまでやってくれるのか。それにはわけがある。1999年のトルコの大地震の際に、日本からレスキュー隊員や医師ら68人が救援に駆け付けた。大阪で留学体験があり、日本語が達者なハサン・コルリラックは、「あの時、日本に手助けしてもらった。そのお返しをしたいとやってきた」のだという。

さらに、ハサンさんは「トルコと日本の関係をこれからももっと深めたかったし、友好な感じで共に将来を歩いて行くことができればいいと思っている」と話す。

ちょっとした総合病院

宮城県南三陸町で3月28日から医療活動を続けているのがイスラエル国防軍の医療チームだ。それも半端じゃない。内科や外科はじめ、小児科、産科、耳鼻科、眼科の専門医師の総勢60人が、X線検査やエコー検査もできる機器を持ち込んでおり、ちょっとした病院がそのまま移動してきた感じだ。

イスラエル大使館の担当官はこう話す。

「お手伝いできることがうれしいし、日本の文化に触れることはとても興味深い。医療チームにとっても特別な体験です」

司会の加藤浩次「イスラエルの医療チームと日本とはどういう関係なんですか」

コメンテーターのおおたわ史絵(内科医)が「医療の世界ではイスラエルは先進国なんです。カプセルでできた胃カメラなどを発明したのはイスラエル。国がこういうチームを即座に作れるのはすごく重要で、日本はこういうところはすごく弱い」という。

イスラエル支援チームのすごさは、抑圧され、虐殺されながらも、漂泊先の社会で医療や学問を通じて足跡を残したユダヤの歴史をちょっぴり想起させる。

J-Castニュースより

個人的にはユダヤ系に対して批判的な目で見ているのは変わりませんが、ただ、ユダヤの金融や軍事業界に対しては批判的ですが、医療関係に対して意外と思われますが、評価しております。元々、ユダヤの医療関係者のレベルはかなり高いです。

それ以上に評価できるのはやはりトルコでしょう。

> 「1999年の大地震で日本に助けられた」

この地震の際、伊藤忠などが率先して動き、イ・イ戦争の際の救出の恩返しをするために動いたのは有名な話ですし、それ以上にトルコは親日国です。それはこの発言からも見えますが

> さらに、ハサンさんは「トルコと日本の関係をこれからももっと深めたかったし、友好な感じで共に将来を歩いて行くことができればいいと思っている」と話す。

トルコとの友好は他国と違い打算的なものではありません。
支那、朝鮮、ロシアと偽りの友好よりもトルコのような国と友好を深めるべきだと思います。

ただ、今回の支援でトルコとイスラエルが残っているというのはなんとなく呉越同舟っぽい感じがするんですけどね。
Posted at 2011/04/09 06:01:11 | コメント(10) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記
2011年04月09日 イイね!

忘れてはいけない - 南三陸町危機管理課防災放送担当職員 遠藤未希さん

【東日本大震災パノラマ Vol.45】命の限り叫び続けた防災放送の女性職員 南三陸町

 大きな揺れの後、津波の来襲と高台への避難をひたすら呼び掛け続けた。津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)。いまだ安否が分からない。「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで…」。いたわりと無念さに揺れる母親。秋に結婚式を控え、準備を進めていた。

 「ないよね」。避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、母親の美恵子さん(53)がつぶやいた。震災から2週間以上が経過し、更新される情報も日に日に少なくなっていく。震災翌日から2日間はがれきの中を歩き続けた。「見つけられなかった。自分たちの手ではどうしようもなかった」。隣に寄り添う父親の清喜さん(56)はうなだれた。

 3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ、赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くす。11日、未希さんは2階で放送していた。「6メートルの津波が来ます。避難してください」。冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。海岸にいた両親にもその声は届いた。

 庁舎に残った職員約30人のうち、助かったのは10人。高台の高校に避難した人からも波にさらわれる職員の姿が見えた。

 未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。景勝地・松島のホテルを早々と予約。昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。

 美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。最後の方は声が震えていたという。「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」

 町は人口約1万7千人。約8千人の所在が分からず、被害の全容はまだ把握できていない。それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」と思いやった。「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ。

産経新聞より

あの声に助けられた!最後まで避難呼びかけ行方不明…役場職員・遠藤未希さん24歳

宮城県南三陸町。人口1万8000余人のうち、約400人の死亡が確認され、数千人が行方不明となっている。いまでも生き残った町の人たちの耳の奥に残っている声がある。

「大津波が予想されますので、急いで高台へ避難してください」

防災無線の呼びかけだ。声の主は役場職員の遠藤未希さん(24)。そのアナウンスで多くの町民が避難して助かった。しかし、彼女は津波にのまれ、いまだに行方がわからない。大震災復興支援の「前を向いて歩こう」のコーナーで取り上げた。
宮城県南三陸町危機管理課

母親の美恵子さん(53)は娘のことを思うと涙が止まらない。専門学校へ行って介護士の資格をとったが、地元に残ってほしいという親の思いもあり役場に勤めた。今年(2011年)で5年目。去年4月から危機管理課に配属され、防災無線の担当だった。3月11日の震災発生の日、未希さんは防災対策庁舎の2階から防災無線の呼びかけを繰り返した。いまも残るその声は、冷静で落ち着いていた。大混乱の中で人々が慌てないように、一語一語はっきり分かるように呼び掛ける。

大津波はその庁舎も襲った。3階建ての庁舎はすべて押し流され、鉄骨だけが残った。テレビで何度も映し出された、あの庁舎だ。

「防災無線がなかったら、逃げていなかった」
「あの声ははっきり覚えている。あれがなかったら、もっとたくさんの人が亡くなっていた」
「自分の命と引きかえに町民を助けた。天使の声だと思っています」

町のたちはみんなそう思っている。役場の同僚は「誰だって逃げ出したいのに、彼女は責任感が強かった」「まだ見つからないのが悔しい」と話す。
母親「それは私の娘です」

母親美恵子さんは避難所で、隣の地区の女性が「あの声が忘れられない。あの声に助けられた」と話しているのを聞いた。思わず言った。

「それは私の娘です」

笑顔でピースサインをしている写真が残った。昨年7月に結婚、今年9月に披露宴の予定だった。「3月にはドレスの試着に一緒に行こうね」といわれていた。

名前の「未希」は未来の希望という意味だ。南三陸町の復興へ向けての合言葉となった

J-Castニュースより



心よりご冥福をお祈り申し上げます
Posted at 2011/04/09 03:02:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 時事関係 | 日記

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