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2011年12月21日

『太陽の道』ファーストラン ~赤いフィアットでイタリアを疾る~

『太陽の道』ファーストラン ~赤いフィアットでイタリアを疾る~  その前年の3月にデビューし、軽快な走りが評判を呼んでいたフィアット128(2ドアセダン)を、フィレンツェでレンタルして南仏ニースに向けてスタートしたのは、1970年6月3日だった。

 今の世代の若者には想像もつかないだろうが、1ドル360円、観光用に持ち出せるのは450ドル(つまり、16万2000円)までと限定されており、業務渡航で1500ドル(52万円)が限度だった。それもトラベラーズ・チェックで。だからサインの練習からはじめたものだった。そんな時代の話である。ちなみにこのときの AVISのレンタル代は3万1000リラ。日本円に換算すると4000円弱。フィレンツェのホテルの支払いが1泊で6000リラ(800円程度)だったから、かなり思い切った出費である。


*もうすぐモナコ、という地点でフィアット128の記念撮影

 FFの1.2リッター。左ハンドルなんて、もちろん初めての体験。ともかく左肩をセンターラインに合わせていけば間違いなし。その鉄則だけをひたすら守り、慣れない右手操作の4速MTに手古摺りながら、フィレンツェから、イタリア第1の港町、ジェノバ方向を目指して走り出した。ともかく、軽いクルマだな。東京ではスカイラインのGC10に乗っているのだから、それは極めて率直な印象だった。

 その日を6月3日と記憶しているのにはわけがある。ローマのダ・ビンチ空港から空路フィレンツェ入りしたのが6月2日、この国の共和国建国記念日とあって、空軍のジェット戦闘機が編隊で何度も頭の上を往復し、夜は夜で、シグノリア宮殿を縁取ったトーチの燃え盛る炎の、なんと幻想的だったことか。そして広場のカンツォーネ大会。いつの間にか、アメリカから来た青年や、地元のカップルやらと肩を組み、ジョッキにあふれるビールで乾杯。そして再び肩を組み合いラインダンス。狂熱に酔いしれて、夜の更けるのも忘れていた。

 次の日の午後、AVISのセルジオ青年が約束のウフィツイ美術館の前まで迎えに来てくれ、赤いフィアットをうけとったのだから、日付はしっかり記憶している。


*はじめてのアウトストラーダ。

 まず、マッサという町を過ぎてからアウトストラーダ・A11(自動車専用道路)に入る。サルザントからは箱根越えのようなきついカーブの連続となった。やっと周りを見る余裕が生まれた。イタリアのドライバーはスピードこそ出すが、カーブに弱いみたいだった。こちらは時速100~140キロのクルージング。

 峠の頂上から見下した、赤い屋根の家々。山蔭にへばりついていた。大都会ではないイタリアの素顔は郷愁をそそる。旅をしている実感。都会のジェノバに入るのをやめて、その手前のラバロから左へ、半島の方へ入った。サンタ・マルガリータ・リグレ。なにやら床しげな名前にひかれて……地中海に面した、小さな漁港。こんなに静かで、だれもが美しいとつぶやいてしまいそうな町。あとで知ったことだが、東リビエラのリゾート地のひとつだった。
 飛び込みで海に面したホテルに部屋をとった。ダイニングルームも海に面し、こんなに美しい夕食は初めてだ。スープの薬味。オリーブの実。鯛。そして、静かなひとりぼっちの夜。


*サンタ・マルガリータの隣の観光ポイント、ポルト・フィーノ。まったく同じ景色だ。

 6月4日の午前9時、ぼくの赤いフィアットはサンタ・マルガリータのホテルから飛びだした。まず、海岸線に添って走った。ジェノバで換金とガソリン補給(3200リラ)して、アウトストラーダで一路、「音楽祭」で有名なサンレモヘ。花のリビエラ。花々の量が思ったほどじゃない。紫色の小さな花はなんだったのだろう。トンネルのなかを120㎞/hで……。やがてストラーダから一般道路にかわって、バスが走り、家並のなかを縫っていく。インペリアの手前でヒッチハイクの青年を拾った。チェコスロバキアからだというが、あとはほとんど何も通じない。適当なところで別れる。


*花に彩られたリビエラ海岸(紺碧海岸のイタリア側をそう呼ぶ)

 
*サンレモの海


*ラ・ヴィーユ・フランシュの眠ったような町並み


*街角にはマリア像。安曇野の道祖神を連想してしまう。


*コートダジュール(紺碧海岸)の眺め。マントンの町が見える

 紺碧の海を見下しながらのドライブ。サンレモで人っけのない海岸へ出た。石ころばかり。
 もう一度、山側の高速道路へ。やがて、フランスとイタリアの国境に出た。山の中、言葉がフランス語に変わった。当り前か。フランに換金。

 ル・トゥルビェあたりで、左下にモナコらしい街が。標識もそうと教えてくれたが、そのまま通過。やがて世の中でこれほど美しくキチンとした佇まいの街があったのか、と目を疑ったほどの小さな街へ出た。ラ・ヴィユ・フランシュ。あとで知ったことだが、サルトルやピカソが愛した村で、とくにピカソはここで焼物をしたという。人膚色の壁、赤い花、鉄錆色の歩道。庭に大理石の彫刻。蔦が自慢げに絡んでいる。そのむこうに、コートダジュールが光っている!

 やっとニースに到着した。ひどい人混み。海岸線に添ったプロムナードウェイ。午後6時に近かった。ホテルの群れ.フィアットを返却するAVISがなかなか見当たらない。町中をウロウロ回ってしまった。やっとAVISで精算。260フランのオーバー。その代わり、その夜のホテルを紹介してもらった。ともかく、無傷でフィアットを返せてホッとした。


*ニースAVISのお嬢さん方と、ここでも記念撮影
*夜のニース

 ばら色の部屋で日本への手紙を何通か書く。疲れた。手持ちのお金も足りなくなった。このあと、巴里で「20歳(ヴァンタン)」誌を訪問する約束もあることだし、ニューヨーク行きを断念。パリは安宿を捜すことに決めた。

 以上が、ぼくの無鉄砲なイタリア「アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の道)」ドライブ初体験記である。それから8年後に、クルマ専門誌『ベストカー・ガイド』を立ち上げることになろうとは、露知らず、ただただ、クルマ好きというだけの一雑誌編集者が、なぜこんな身分保相応な「気ままなドライブひとり旅」ができたのか。次回は、その辺を説明させていただこう。


ブログ一覧 | ベストカー創刊前夜 | 日記
Posted at 2011/12/21 00:19:49

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この記事へのコメント

2011年12月21日 19:09
局長、イケメンですねー!

僕はドライブ歴17年ですけど、いまだに左ハンドルを運転したことがありません^^;

当時のFF はノンパワステでとてつもなくハンドルが重く、タックインも強烈だったそうですね。

しかも外国での運転ともなれば、神経の疲れが半端じゃなかったと思います。
コメントへの返答
2011年12月21日 19:30
あ、は、は。残念ながら40年前は「イケメン」なんてことばはありませんでした。

いやぁ、チェリーのハンドリングとタックインの悪い癖は知っていましたが、128のクイックなレスポンスにびっくりしたのを、思い出します。それとグラスエリアの広さ。明るくて開放感がありました。このあと、メーカーは違いますが、同じタイプのアウディ80を買ってしまったのは、そのときのいい印象からでしょうね。
2011年12月21日 19:19
日本とは違った人や景色が旅人を迎えてくれるんですね。

そういう風景の道を気ままにドライブしてみたいものです・・・・・

コメントへの返答
2011年12月21日 19:36
おお、こんばんは。その節はどうも。

それが病みつきになって、やがてヨーロッパを3000キロ、迷走しております。

たまにはこんな昔話、悪くないでしょ?
2011年12月21日 23:23
旅行で、パリを観光バスで走行した時、一度自分で運転してみたいと思いました。まず、無理ですけれど夢は持っておきたいです。

ベストカーガイドは、ベストカーガイドプラスになって今のベストカーになったんじゃないですか。
コメントへの返答
2011年12月22日 0:02
1977年に創刊した「ベストカー・ガイド」は1986年1月10日号かベストカー」となりました。

「ベストカーガイドプラス」というのは存在しません。「ベストカープラス」は「ベストカー」の新世代版として5年前に創刊されたものです。
2011年12月22日 20:27
外国のドライブ記憶は、不思議にいつまでも心の中で色褪せないまま鮮明ですよね。
やはり自分にとってインパクトがあったからなんでしょうね。それはきっと海外旅行と言う非日常感覚が、自分自身を麻痺させて自分への負荷をいつも以上に掛けるからなんですかね。

そう思うとルーティンの仕事に追われ、最近は自分への負荷を掛けることを忘れていたかもしれません(違う負荷はいっぱいかかるのですが)。ちょっとこの年末から年始に掛けて一考してみます。年明けにご連絡させていただきます。

PS:昨日、とある場所で大川悠(!)さんとお会いし、正岡さんの話をすると「元気ですか。宜しくお伝えください」とのことでした。
コメントへの返答
2011年12月22日 23:00
特にファーストランはね。ここから少しずつ、クルマにまつわる文化に惹かれていったわけです。やがてそれが、それからの35年間の「わが闘走」へとつながっていく。

五木さんの『下山の思想』を読みましたか。
君はまだ峠を目指しているわけだから、必要ないか(笑い)。

大川さんの伝言、ありがとう。


スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「『井坪』という新星がトップ面を飾っている。1-1の2回1死1.2塁で、この日プロ入り初打席。初球に手を出すと弱い当たりの3塁ゴロ。それが内野安打となって2点を奪う幸運を呼んだ。その記念球を手にした上に6回再び3塁ゴロ。それがエラーを呼び代打糸原の決勝打を招く。それがTOP面かい!」
何シテル?   08/20 11:43
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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