*「太陽にほえろ」のマミ―刑事、長谷直美さんはまぶしい青春のシンボルでした。
*ゼッケンが2つ貼られているのはなぜでしょうか? 練習機のBCGサニー。
「『新・編サン』が懲りずに突入した茨の道」の項で、読者の真横にいて、言葉をかけあうのに素直に入れる機会づくりとして、ともかく「日産レーシングスクール」に入って、受講生と同じ気持ちで「フレッシュマン・レース」に挑戦してみようか……それともう一つ、クルマ雑誌の編集者は新車試乗の機会に恵まれている。そんな時、今のドラテクのままでは、いささか恥ずかしいじゃないか、と気づいたことをレポートしました。これは、その続編となります。
それは1981(昭和56)年のことでした。早速、嬉しい人から反応あり。そのころ、折にふれ「ベストカーガイド」に『パッシングレポート』という通しタイトルで、モータースポーツ体験エッセイを寄稿している女優・長谷直美嬢から電話が入ったのです。そのやりとりを、彼女は映画のシナリオ風にこう書いています。
「正岡編集長、5月号読みましたよ。頑張ってますねェ」
「ウン」
「大変でしょう」
「イヤー、イヤ」
「まさかフレッシュマンに出ようなんて、冗談でしょ?」
「ウウン、本気だよ」
「でも、編集長って45歳でしょ」
「そうだよ」
「ヒ―。……私も、私もガンバッテ日産レーシングスクールに入るワ。フレッシュマンに出たいの。ネッ、ネッ」
「やってみたら」
*受講中の直美ちゃん(「ベストカーガイド」’81年7月号より)
4月25日。直美ちゃんは、気分は上々、3日も前からウキウキしどおしで、雨で黒く濡れた東名高速を、西へ。アクセルペダルにもつい力が入ってしまう。
FISCOも、最悪の雨。講義の中心は、なんといっても雨中でのドライビングポイントに集中した。300Rでは雨水にが川のようにコースに流れこんでいて、ハンドルが取られやすく、スピンしやすい。また、ウェット時のコーナリングは、ドライ時以上に、スローイン・ファストアウトを念頭に入れ、路面の光り具合を素早くキャッチして、的確な判断でアクセルワークの微調整をする。(直美レポート)
レーシングスクールの受講生は、翌日の富士フレッシュマン第3戦に出場する人たちばかりで、真剣そのもの。もちろん、スカイラインやサニーなどの日産車ユーザーに限られているが。
ザーザー降りの雨の中、午前中の第1回走行が行われた。クルマは、BCGサニーが1台。編サンが〈47〉、わたしが〈60〉をもらい、仲良くサイドボディに貼り付けてOK。共用するのです。
前半は編サンが走った。すでにコースにはTS仕様車をも含め40台近くが水しぶきを上げて、メインスタンド前を勢いよく走り抜けていく。編サン、メカのサインで余裕のスタート。
1周目はトロトロこなし、2周目からは最終コーナーの立ち上がりからメインスタンド前をフルスロットルで走り抜けて第1コーナーへ。
〈今度の編サンってなかなかやるもんだネ!〉
私たちは、ヘアピンを見下ろせるピットの裏手へ走った。きれいなアウトインアウトのラインだ。クリッピングポイントを抜けたあたりでエンジン音が高まり、加速がはじまった。
「あんなにトバして! 300Rでスピンアウトしないで!」
不吉な言葉が、つい出てしまう。私たちは足早のピットへもどる。
「あっ、来た、来た。若い!」
編サン、5周をアベ2分10秒台をマークしてピットイン。
と、まあ、誉め上手の直美レポートがつづくのです。こちらも、夢中になって、もっともらしいアドバイスをしている。
「直美ちゃん、第1コーナーね、入口あたりに水が溜まっているから。出口は下り坂になっているので問題ないからいいけど、最初はトロトロ走ったほうがいいよ。ヘアピンはどうってことないし、問題は300Rだね。4速のまま突っ込んだらいっぺんでスピンだぞ。できるだけインをなめて走ったらいい。そうそうピットの入口も危ないネ。まずは、ユックリと様子見てきたら」
いよいよ、直美ちゃんの出番。彼女のレポートをつづけよう。
* * * * * * *
「いってくるわ」
フルハーネスが体にくい込む刺激がたまらない。思わず興奮。ワイパーだけが激しく雨をぬぐい去って、わたしの視線は路面ばかりに集中してしまう。“だめだめ、先をみなくっちゃ”。前輪が水溜りでフラつく。ハンドルをとられぬようにしっかり手首に力を入れ、第1コーナーをインベタで抜ける。
柳田春人講師のアドバイス。
「水の多いところでは、モーターボートみたいになってしまい、ハンドルが取られちゃうわけで、アウトラインぎりぎりに走ると逃げ場を失ってしまうでしょう。ブレーキにも力が入り過ぎてロックしてしまうから、ちょっとブレーキを放してスーと進み、また水のないところでブレーキングをする走り方がいいですよ」
*あれ? 直美ちゃんはヘアピンでもスピンしているじゃないですか
直美ちゃんは心を奮い立たせて第1コーナーへ飛び込む。
「第1コーナーの立ち上がりから第3コーナーの100Rまでは(そのころはまだAコーナーはなかった)、フルにアクセルを踏み込んだ。4速全開の登り坂。路肩に左車輪を乗り上げるほどインに吸いついて、ヘアピン手前でブレーキング。アウトにふくらんでヘアピンに突っ込む。“あっ、やばい。タイミングが悪い”。フラリ、ポワン、ポワン。
そして問題の300Rの手前。“コースを横切る川はもうすぐ。まだまだこのままフルスロットルで行ける”と思いきや前方に川のように流れる光のすじが現れた。
路面にはもう何台かがスピンしたらしく、赤土がタイヤのあとをなぞるように飛び散っている。アクセルを若干オフにする。川を通過する時、ハンドルをしっかり握りしめて走りすぎた。
〈ホッ〉」
いかがですか。直美ちゃんの、この真剣さ。かなりの乗り手とお判りいただけましたでしょ?
残念ながら、いまの富士スピードウェイとは別物になっているので、コーナーへのアプローチ・スキルは異なってしまうにしても、走りの基本に変わりがあるはずもない。この時代、FISCOなどを舞台にしたサーキット走行に情熱を燃やす若者は、絶えることがなかったのです。
都平健二講師がコツを教えてくれました。
「ぼくもあの300Rのところじゃ、抜かないですよ。
あの水溜りを抜けるには2通りあるとおもうんスヨ。4速で6000回転ぐらいより少し下にして行く場合と、3速で6300回転ぐらいでいく場合と。でももっと低くてもいいですよ。全開は水溜りを過ぎてからスヨ」
「そして、4速全開の250R。最後の150R。クリッピングポイントをどこに置いていいのか迷いながらスタンド前の直線にさしかかった。ギャラリーの不安そうな顔がかすんで見えた。結局、午前と午後とで2回のスピン。場所は例の300R。
わたしのベストタイムは、2分15秒2.編サンには負けてはいられぬのだ!」
このあと、直美ちゃんは受講生仲間から、フレッシュマンレースへの思いや、準備の仕方を取材して回り、みんながんばっているのネ―と痛感する。
「いろいろなドライビング書を読んで、理論的にテクニックを理解したつもりなのに、サーキットを走るたびにクルマを速く走らせることの難しさを痛感してしまう。それと同時に心の中で燃え上がるものが感じられるからやめられない。
今回乗ったP仕様は、わたしにとってコントローラブルで、まだ未熟なわたしのアクセルワークでも割りと簡単にコーナーを抜けられたけれど、これがもし、カリカリのTS仕様だったらあのようにいったかしら。それだけにTSへのあこがれも強いのよ。
どんなスポーツでも失敗しないと上達しないけれど、私も今回、コーナーでのスピンを初めて体験して、自分なりに進歩したんだと信じたい。
モータースポーツは常に危険と背中合わせといわれるけれど、テクニックをマスターした人にとっては失敗を恐れない冒険心がタイムをのばすことにつながるみたい。編サン、あなたのその冒険心と根性には頭がさがります」
*「チーム・エンジェル」の忘年会にぼくもお呼ばれしまして……(赤坂「しま」にて)
この翌年、美女と野獣の凸凹コンビは日産レーシングスクールをそろって修了し、それぞれのカテゴリーからレースデビューをします。とくに直美さんは、日産がラングレーのレ―シング仕様でレディース軍団「チーム・エンジェル」を結成した際に、専属ドライバーの一人に抜擢され、スポットライトを眩しく浴びたものだが、あれから30年近く経って、いまはどうしているのだろうか。聞くところによれば、幼馴染と結婚してフランスに住み、ルマン24時間レースのどこかのチームの広報担当として活躍しているらしい。1956年生まれか。逢いに行きたい人の候補としてリストアップしておこう。