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2011年11月19日

原点に回帰しよう  ~骨太の先輩編集者に導かれて~

骨太で、モータースポーツ報道に情熱を燃やし続けた、先輩編集者がいた。久保正明さんである。すでに故人となられて4半世紀近くがたっている。健在なら78歳か。
ジャーナリストとしてのスタートは北海道の新聞社。上京後、三栄書房の「AUTO SPORT」編集部に。1974年の「多重クラッシュ事故」当時は編集長。その後、八重洲出版の「ドライバー」誌の編集長に就任。自動車雑誌編集者連盟の事務局長を務めていた頃、ぼくは久保さんと面識を得ている。

*情熱の人・久保正明さん

1980年、そのころ、三栄書房が、自社の「モーターファン」一誌で主催していた「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を、10周年を機に発展的に解消し、ヨーロッパのカー・オブ・ザ・イヤーの例に倣って、主要自動車雑誌で運営する全国規模のものにできないか、と動きはじめていた。その根回しに動いたのが「モーターファン」の佐々木編集長の盟友である久保さんだった。当時、ベストカーの編集責任者であったぼくにも声がかかった。
指定された平河町の割烹料理店に行ってみると、当時の「CG」編集長の小林彰太郎さん、「モーターウィークリー」主宰者の渡辺靖彰さんの顔があった。
三栄書房社長の鈴木脩巳さんの熱い想いを聴いた。

いくつかの紆余曲折を経て、日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会が発足する。当然のように、その実行委員会に久保さんが名を連ねた。それが火種となって、久保さんは八重洲出版を追われるように、その年の8月、退社した。八重洲出版は方針として「C・O・Y」には賛同しない立場をとっていたことから、酒井社長が久保さんの行動を認めなかったからである。


*第1回受章車のマツダ・ファミリア
*「ベストカーガイド」1981年3月号より。32回目を迎える「COTY」の実行委員会から、すでに「CG]も「ベストカー」も脱けてしまい、すっかり様変わりしている。

12月23日、’80-’81日本カー・オブ・ザ・イヤーは、マツダのファミリアが受賞した。この時の「ベストカー」の扱いをみると、辛うじて、モノクログラビアページの半分を使っているに過ぎなかった。それが今年は第32回目を迎える。下馬評では、日産のEV車、リーフが最有力だと伝え聞いているが、はたして――。
すでに最終選考投票も済ませ、12月3日の開票を待つばかりである。

八重洲出版を退社した久保さんを、「ベストカー」の編集顧問として招いたのは、多分、9月に入ってからだったろう。早速、署名入りで登場する。「問題提起レポート=ジャーナリスト(前「ドラーバー」編集長)久保正明 校長先生、ボクの免許証返してくれへんか!? ――高校生のバイク禁止をめぐるおかしなおかしな、この実態!」とある。これが80年の12月号に掲載され、つづく81年新年号では「ドキュメント・スピードに散って……福沢幸雄/あるテストドライバーの死後”11年“の意味」をまとめあげている。レーシングマシンの開発途上で事故死した福沢幸雄の訴訟事件が11年をかけて和解するまでをレポートしたものだが、それが次号で運命的な展開と変わる。



 *「ベストカーガイド」1981年1月新年号所載


81年2月号。「実録モータースポーツ」の連載開始である。『消されたレーサー・黒沢元治を探せ!』(内藤国夫)となっているが、黒沢元治、つまりガンさんと接触してぼくらの前に導いてくれたのも、レース事故の資料を提供してくれたのも久保さんだった。
その後、「モーター毎日」というクルマ業界情報誌を引き継ぎ、新しい活躍の場を求めて飛翔するはずだったが、不運にも病魔におかされ、急逝する。

なぜ、今回は久保正明さんなのか。中部博さんがそうであったように、あの多重事故の拠って来るところを検証しようとすると、当時の記録から洗い直すことが求められる。そのひとつが、当時のモータースポーツ専門誌の報道だろう。その中で、ここまで丹念に、冷静に追求していたのか、と唸らされ記事にめぐり会っていた。1975年3月に発行された『AUTO SPORT YEAR‘75』の特集記事「ドキュメント〈6月2日・富士〉GC事故はこうして起こった!」がそれ。そのレポートをまとめあげたのが、久保正明さんであることに、ぼくは注目した。それを中部さんは、こんな具合に読み抜いた感想を記述している。それは、今は亡き久保正明というモータージャーナリストへのメッセージでもあった。

「この特集を担当した編集記者は、つとめて客観的な現場報告をしようとしている。その気持ちが痛いほど分かるようになった。この事故でなくなられたふたりのレーシングドライバーは、それぞれに人生を賭けてレースに打ち込み、努力と研鑽をおこたらず、大きな夢を抱き、希望にみちていた。この事故について調べ考えるうちに否応なく、その人たちの魂を感じるようになった。さらに言えば、この事故の顛末を知れば知るほどに、文字通り九死に一生をえた人たちがいたと分かる。(中略)つとめて客観的な記事を書いた編集記者は、おそらく同じ思いを感じ、報道する立場からできるかぎりの客観報道を心がけたと思えた。特集記事を読みつづける」

 そこで「3回の接触」を、黒沢、北野両当事者の証言から明らかにして行くわけだが、ぼくが注目したのは、スタートから「事故現場見取り図」にいたるまでの7カットの各車の位置図である。次のアップでその7枚の位置図を紹介しよう。新しい発見が待っていた。

 *(「AUTO SPORT '75YEAR」所載より)
ブログ一覧 | 実録・汚された英雄 | 日記
Posted at 2011/11/19 06:02:06

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この記事へのコメント

2011年11月20日 7:55
今年のCOTY、日産が沖縄に選考員を招いて何やらやってたようで。自分の中で今回は該当車種無しです。

久保正明さんを始めとして、カーオブザイヤー設立に奔走した方々の初志は果たして今も受け継がれているのでしょうか?
コメントへの返答
2011年11月20日 9:26
ガンさんの「事件」を改めて検証すると同時に、伝えたかったこちらの意図を確実に読みとってくれて、「ありがとう」です。
「COTY」も32回目、1から問い直す必要あり、ですね。
2011年11月20日 16:01
こんにちは

COTYの成り立ち、知りませんでした。
三栄書房が発展的解消して、業界全体が一緒になってビッグイベントに育ててきたという経緯なのですね。
素晴らしい!

ただ権威・伝統と堕落・マンネリは表裏一体ですから、悩ましいところです。

随分前にもうひとつ別の賞ができて、おそらくCOTY創設に関わったであろう骨太な方々が集まっていたのは、原点回帰の志を取り戻すためだったのですね。きっと。

一方ネットによって、有名評論家の恣意的な評価よりも、素人ユーザー5人の口コミの方が優る時代になりました。

「良いクルマを選ぶ」ということ、特に「良いクルマ」と「売れたクルマ」の評価軸も含めて、業界全体で再考して欲しいと思います。
コメントへの返答
2011年11月20日 16:55
こんにちは。いつも、的確な指摘をいただけるので、コメントをたのしみに待っているのです。
COTYはその発展のエネルギーを、何処へ向けていったのかを、きっちり検証すべきです。

イヤ―カ―になったから売れるクルマが出たのはもう過去の話。いろいろと生臭い出来事、足の引っ張り合いもあり、メーカーも力を失いつつあるし、ことしの様子をジックリ観察してみます。
2011年11月20日 21:13
このファミリア、当時非常に斬新なスタイルに見えました。エンジンフードの前部が低く、後部が高いスタイルは、80型カローラ、B11サニー、FFジェミニなどに受け継がれて、当時車のメカニズムにはあまり詳しくなかった私は、「FFになると、エンジンフードの後ろを高くしないとならないんだ。チョロQみたいで格好悪いなあ。」と、FF嫌いになってしまいました。
コメントへの返答
2011年11月20日 22:11
赤いファミリア、ブレークしましたね。でも、徳大寺さんは不満だった。操縦性も、エンジンのパンチもOK。もち、デザインも。でも、3ドアハッチバックと4ドアサルーンの2車種ともにノミネートされ、どっちを選ぶんだい?と。5ドアハッチバック1500があれば文句なしなのに、などと真剣に議論し合ったのも懐かしい記憶です。
あのころ、みんな、ひたむきに、日本の車のこれからを、考えていました。
2024年1月13日 11:15
だいぶ時間を経た書き物ですが、偶然、発見し、興味深く読ませていただきました。
特に久保さんのお話があり、私は「孤高のモータージャーナリスト」だったと思っており、60年代後半のAuto Sport誌では大いに刺激をうけておりました。
ありがとうございました
コメントへの返答
2024年1月13日 12:36
お立ち寄り、有難うございました。ご指摘の通り、12年以上も前に黒澤元治というレーシングドライバー復活の足取りを、当事者の一人として取り組んだ際の関連レポートです。改めて読み返すいい機会となりました。
骨太エディターを紹介しておいてよかった、と改めて想いを馳せています。

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