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2012年05月28日

命運を決めた一言   ~環八水滸伝③ 藤崎眞孝の巻~

命運を決めた一言   ~環八水滸伝③ 藤崎眞孝の巻~  貴重な資料を、幸運にも入手したので、今回はその紹介からはじめよう。

 ――昭和52(1977)年6月11日、F氏が突然私の家に訪ねてきた。
「ちょっと相談にのってもらいたいことがありまして……」
 F氏は中古車業界の大手販売会社と書店を経営しており、私の親戚筋にあたるが、彼の話は私を緊張させた。
 中古車業界の若手経営者が中心になって、自動車雑誌を出すことを計画、すでにそのための会社を作って動き出しているのだという。しかもこの計画は、銀行筋から二、三の出版社や有力新聞社にも流れ、タイアップを申し込んでいるところもあるというのだ。
 中古車業界としては、できれば自分たちだけで雑誌を出したいのだが、販売面など難しい問題があり、その点の力添えがほしい、というのがF氏の相談内容だった。

 この気配りのきいた簡潔な一文は、1981(昭和56年)4月に解離性大動脈瘤のための急逝した講談社副社長・足澤禎吉氏の没後1周年に当たり編纂された『追悼の足澤禎吉(たるさわていきち)』(足澤禎吉追悼集編纂会・非売品=全480ページ)の中から、とくに寄稿者の了解を得て、抜粋したものである。


*故・足澤禎吉講談社副社長の在りし日の姿(中央)と追悼文集

 タイトルは『命運を決めた一言』。寄稿者である井岡芳次さんは、『週刊少年マガジン』の2代目編集長を務めたのち1977年当時は講談社編集総務局の担当部長、ぼくの先輩編集者のひとりである。さらに言えば、『環八水滸伝②クルマ雑誌創刊の機運』の項で登場した西武モータース販売の藤崎眞孝社長の末弟・清孝さんの義父(つまり清孝夫人の父親)にあたる。

「ベストカーガイド社」(仮称)設立総会の席で、藤崎社長が「講談社と交渉をはじめたい。ルートはある!」と言い切って早速、井岡さんにコンタクトした経緯がみごとに証言されていた。井岡さんは、こう書き継いでいる。

――販売面ということになれば、私は専門外だ。やはり足澤専務(註:当時)に相談するしかない。F氏にもそのことを伝え、結論が出るまで他社との交渉をストップするように頼みこんだ。
 翌朝早速、専務の出社を待って、F氏からの相談内容を報告した。
「わかった。すぐにその人に会おう。きみから連絡して会社へ来てもらってくれ」
 話し合いはその日の午後、応接室で行われた。まずF氏から、自分たちが考えた自動車雑誌の企画の経緯と、中古車業界の現状について説明があり、足澤専務からも次々に質問が鋭い飛び、会談は1時間に及んだ。
「とにかく、ぼくに任せなさい。悪いようにはしないから……」
 専務のこの一言に、F氏もほっとして帰っていった。専務から私に電話があったのは、それから1時間後だった。
「いい企画だと思うので、ウチ(ヽヽ)でやらせていただく方向で検討するから、すぐにFさんに伝えてくれ」
 F氏は、講談社側の結論が出るまでに、少なくとも三、四日はかかるだろうと考えていたらしく、あまりに速い決断にまずびっくり。それに、頼りがいのある足澤専務の人柄にも強くひかれたようだ。

 この講談社経営幹部と井岡さんの動きを、そのころのぼくは至近距離で知ることのできる立場にいた。社長室秘書として、何度も井岡さんがあわただしく役員室に出入りしていたのを目撃していた。
しばらくしてから、足澤専務と、編集担当だった久保田裕専務に別室によばれ、そこで一連の動きの説明を受けたうえで、講談社が新しい自動車雑誌に取り組むに当たり、きみに編集責任者を引き受けて欲しい、と切り出されたのも記憶している。そのあたりの詳細はかなり複雑な背景があるので、改めて触れることにしたい。


*1971年3月当時の講談社本社と音羽界隈(奥田徹氏撮影)

*編集総務局担当部長時代の井岡芳次さん

 井岡さんは「追悼文」として、こう締めくくっている。

――中古車業界との話し合いは、その後も何回か続けられ、五か月後に「ベストカーガイド」が誕生したわけでが、もしもあの時、足澤専務の素早い決断と、“ぼくに任せなさい”の力強い一言がなかったら、この雑誌は、或いは他社から発行されていたかもしれない。
 毎月二十六日、新しい「ベストカーガイド」を手にする度に、足澤専務にF氏を紹介したあの日の光景が、私の脳裏にはっきりと甦ってくるのである。

 F氏。つまり藤崎眞孝さんはこのあと、自動車雑誌の立ち上げが一段落したところで、引き続き中古車のTVオークションシステムの構築に挑戦し、それも成し遂げる。が、残念ながら病を得て、51歳の若さで、この世を去る。だから、『環八水滸伝』というドラマの前半部で姿を消すことになるが、その存在感は計り知れないものがある。
 
 さきに「昆虫売りの少年」と題して、そのダイナミックな動きを伝えたJAXの松本高典社長を「動」の主役とするならば、藤崎眞孝さんは静かに松本社長と手を携え、目標へ向かって確実に集団を推し進めた「静」の主役だった。

 
*ベストカーガイドグループの推進役だった松本高典さん(環八・用賀陸橋にて)

 その頃の二人の関係を、松本社長はこう書きとどめている。

――藤崎君との出会いは、いまから20年にさかのぼる。
 中古車販売会社40社ほどがまとまり、自分たちの出版社をつくろうという運動を展開していた。やがてそれは三推社設立(註:「ベストカーガイド」発行元、現在の講談社ビーシー)となって結実するのだが、着実に店舗網を広げつつあった藤崎君を仲間にどうしても迎えたかった。
 いまだによく覚えているが、初めての電話で説得するのに1時間も費やした。「同じ土俵の上で同業者が競争しても、過当競争になるだけ」というのが、その反対の理由だった。何とか説得して、とにかく一度直接会う約束を取り付けた。初対面の印象は穏やかで、何より人の意見を聞く耳をもっていた。同じ世代ということもあったろうし、なんとなくウマが合うというのか、それからは同業の原信雄君を交えた3人で、週に1度は会って、飲みながら話をする間柄になった。(後略)――追悼集『眞諦録・藤崎眞孝をおもう』より。

なるほど、である。二人の結びつきがわかった。となると、ここでやはり『環八水滸伝』の主役の一人として、藤崎眞孝さんがどうやってこの業界と関わるようになったのか、そのあたりのエピソードからアプローチしてみたくなるではないか。

 昭和40(1965)年3月、東京理科大学を卒えた藤崎(敬称略)は、通産省の外郭団体、日本機械デザインセンターに就職する。バイクで通勤。ところが早速クルマと衝突して、骨折する。そこで母親が、これからを按じて当時18万円のコンテッサ900の中古車を買ってくれる。その愛車をやがて売りに出そうと考えた。そこで無料で掲載してくれるクルマ雑誌の投稿欄を使ってみた。すぐさま電話が入って「商談成立」。ところが、次から次へと電話が入ってくる。
「クルマ、買いたいんです。売ってくれますか?」
  が、コンテッサ900はもうない。さて、どうしたものか。最初は、「もう、買い手が決まって、売ってしまったんです」と答えていたが、引き続き電話が入る。
 ちょっと待ってよ。これはビジネスになるんじゃないか。閃くものがあった。手元にクルマがなければ、探してきて、売ればいい。――サラリーマン1年生の藤崎の頭脳にパッと広がった鮮明なイメージ、それが中古車専門の販売業であった。


*藤崎眞孝さんの人生を変えたコンテッサ900
 
 日曜日。藤崎は中古車屋さんを回って仕入れに精を出し、夜は車検に精を出した。1か月に20台~30台が藤崎の手からユーザーへ。サラリーマンのサイドビジネスとしては破格の収入が転がり込んだ。なにしろ、月給が3万円。そこへ毎月30万円の稼ぎが入ったらどうなるか。新しい脱サラ人生の船出が待っていた。資本金400万円の小船が大海に漕ぎ出したのである。
ブログ一覧 | ベストカー創刊前夜 | 日記
Posted at 2012/05/28 08:57:53

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この記事へのコメント

2012年5月28日 23:10
 新車の耐久性が上がってきてから、徐々に中古車の商売が成り立つようになってきたらしいですね。それでも徳大寺さんが書いた「間違いだらけの中古車選び」を読むと、今の時代とは隔世の感があります。また、当時の自動車雑誌の巻末には、読者同士の売買欄があって、住所だの電話番号だのが普通に書かれていましたし。

 中古車が健全に流通することで新車の販売が伸びて、更に安く車を手に入れることができるので、「車を買ってみよう」という人が増えた、今日のエコカー減税やスクラップインセンティブとは正反対の考えとも言えますが、若い人が車を買えなくなったのも、少々古くても安くて魅力的な車が出回っていない、ということがあるかもしれません。同様に、中古車業界はかつてない危機にあるとも言えます。
コメントへの返答
2012年5月29日 0:16
考えさせられる問題提起です。

この「環八水滸伝」の取材をしながら、人間だけではなく、中古車の考察もくわえなければならない、というヒントをいただきました。

ありがとう。
2012年5月29日 10:19
環8用賀での写真を見るに、、、

この場所は(画角に写ってる範囲内では)30年程前とさほど変わってないようですね。左手の茶色いビルは住友3M?歩道橋下のマクドナルドは用賀に住んでた高校時代からありました。当時まだ、ドライブスルーが珍しく、自転車で「スルー」して(笑)店員さんに苦笑されながらも、ちゃんと買えたのを覚えてます。

松本さん、お元気にご健在のようで安心しました。
コメントへの返答
2012年5月29日 11:07
岡国はどうでしたか。

そう、左手が住友3Mで、それ以前は「ユニオンモータース」がありました。
マクドナルドは昔のママ。FISCOへ行くときの待ち合わせポイントでしたね。

自転車スルー、あなたらしいね。

松本さん、時間がたつのが惜しいくらい、話が弾みました。
2012年6月3日 21:55
音羽通り、当時は路面電車が走っていたんですね。
僕は現在の音羽通りをたまに徒歩やタクシーで通ります。
この通りを見ると群林堂の豆大福を思い出します。
群林堂は講談社歴代の社長様もご贔屓だったと伺ったことがあります。

1970年代初頭といえば、時代的にご苦労も多かったことと拝察しますが、
それ以上に大きな夢を抱けたであろう、「古き良き時代」のお話、楽しく
拝読させていただきました。
ありがとうございます。
コメントへの返答
2012年6月3日 22:32
20番は早稲田車庫から、上野広小路を往復していたと記憶しています。大塚3丁目、上富士、団子坂、根岸という古い町並み。便利な路線でした。

群林堂はすっかり有名になりましたが、味が変わらないのがいいですね。豆大福、豆板。つい先達ての金曜日、4個ずつ、買いました。手土産にも喜ばれます。

1時間ほどまえ、焼いた豆板をいただきました。「環八水滸伝」だんだんとおもしろくなるはずです。今後とも、よろしく。

スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「私より一つ年上の小山正明さん(剛球で鳴った村山実と並んで精密機械と呼ばれた虎のエース)の訃報を敵地DeNAとの実況中継で知らせれた。同世代の星がまた一つ堕ちた。ゲームは森下の一発が前夜の大山弾と同じ左翼応援団席に落ちたところで勝負あり! 近本がつなぎ中野拓夢が返した後の逆転劇。」
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