
ミラージュCUPの記憶をまさぐり始めると、身動きがとれなくなる。戸棚の奥で四半世紀も眠り続けているフィルムの山のなかから「ミラージュCUP」と生きた日々の記録たちに、「出番だよ」と声をかけて選び出す。が、実際には、かなり整理しておいたはずなのに、まっすぐに探し物に届くことは難しかった。
そのかわり、思いがけない収穫もある。真田睦明さんのマシンとご本人の写真を探していると、横島久さんの横顔をとらえた印象的なショットがヒョイと顔を出した。カメラマンは、多分、EXAのフレッシュマン時代からわたしを撮りつづけてくれた野沢広幸君だ。
このまま、見逃すにはもったいない。そこでワンショット紹介にむいているFacebook で《セピア色の記憶》余滴として『ミラージュCUP銘々伝』を連載しようと思い立ち、トップバッターに、この写真を起用した。そして、こんなネームを。
「この人、通算何勝? 15勝でトップです、ね、横島久さん!」
投稿ボタンを押して5秒もたたないうちに中谷塾 塾長からコメントが入った。
「背中姿は僕ですね」
すぐにこちらも返信。
「さすが、疾い! このあと、それで行こうと企んでいたのに、ネタばれだよ! ところであなたはミラージュ、何勝?」と。
ミラージュCUP同窓会幹事の久保健さんからも、声がかかる。
「正岡さん、横ちゃんFB見ないですよ。ヒロちゃんに伝えておきます」
で、問い返す。
「ヒロちゃんって誰?」
久保「奥様です」
正岡「よかった。銘々伝、一日、一人にします」
そこへ中谷君が割り込んだ。
「僕は何勝でしょうか?! ハタちゃん(だれのことだろう:正岡)、お願いします。ちなみにマカオは2連覇です」
ヒョイと記憶のどこかに、ベストモータリングでミラージュCUPの猛者たちの通算優勝回数にふれたコーナーがあったぞ、と気づいた。あれはいつだっけ?
探し当てたのは1996年1月号だった。『元祖インカ―バトル――ミラージュCUPで勝負でござる!』いろいろと話題満載の号として、いま、改めて鑑賞しても面白すぎた。あの中谷君のGT-R Vスぺが、筑波の最終コーナーでガンさんのポルシェ911カレラと激突しかかったのを、鮮やかに回避したシーンも、同載されていた。
この号について、さらに調べてみると、ベスモの20周年を記念して連載した『ベスモ疾風録』に詳しく、それなりの想いをこめて書き上げている。再読してみて、これはこのまま援用したい、そう思ってしまった。ベスモの消滅してしまったいま、記念碑の一つとして、どうしても残しておきたい記録であった――。題して「《辺須紋組》内部抗争始末」。
(ベスモ創刊からの成長の足取りに触れた前段の記述は、ここでは省略して)1996年。ぼくは還暦を迎える。当然、後継者を誰にするか、心を砕く時期であった。それを敏感に察知したのだろうか、新年号で、とんでもない企画をぶつけてきた。演出は軽妙だが妙に凝った造りを得意とする木村誠さん。編集担当は筑波大を出たばかりの秀才(と前評判の高かった)四十物(あいもの、と読む)達朗だったと記憶している。
暗闇に稲妻が走る。雷鳴が轟き、浮かび上がる和風の二階家は、不気味な雰囲気。どうやら「辺須紋組」という任侠団体のアジトの一室らしい。床の間の掛け軸を見ると……「跡目相続」とある。(それは、わたしが筆書きしたものだった)
代貸 田部靖彦(煙草をくゆらせながら)「跡目を継ぐのは、だれがええんかいの」
やり手だが、妙に軽い感じの幹部を見事に演じている。これに応じるのが頬に切り傷の走る、もう一人の幹部。黒シャツが、ぴったり似合っている。
代貸 大井貴之(押しつぶした声で、凄味を出そうとしている)「それは、実力のあるもんと、決まっとるでやんしょ」
代貸 田部靖彦 (ライバルを挑発する感じで)「実力、いうても、いろいろ、あるからのう」
代貸 大井貴之「なら、速さで勝負じゃ」
代貸 田部靖彦「望むところやね。え、へ、へ」
で、画面、一転。《元祖『インカーバトル』ミラージュCUPで勝負でござる!》とタイトルが流れ、レースシーンをバックにして「一蝕即発!」「ライバル意識むき出し!」「激突!」の文字が踊る。今度は、変な演技はやめた田部が持ち前の爽やかな表情でクローズアップされる。場所は富士スピードウェイのパドック。
「ミラージュCUPに関しては、わたしの方が先輩ですから」
と、コメントしたところで、例の大森章督さんのナレーションが追っかける。
──余裕の田部、雨の富士ではこんな鉄火場もあった。晴れたら鉄砲玉だ!
なんとミラージュCUP’91シリーズ最終戦のAコーナーで大クラッシュに巻き込まれた、痛々しいシーンが紹介され、ご丁寧にも戦績までもがわかる仕組みとなっている。
通算出場回数、41戦。優勝、2回。シリーズ最高位、5位(’92、’93)。なるほど、納得の輝かしい戦績じゃないか。
一方の大井の紹介はどうなっているか。通算出場回数、5戦。優勝、1回、シリーズ最高位、6位(’91)。ミラージュで走ったのは91年の1シーズンだけなのに、こちらも妙に自信たっぷり。
「ぼく、マジで走っちゃうとね、ここ、富士ではミラージュで2回ともポールポジション、取っちゃってますもんね」
──強気の大井、車載(カメラ)がのると、なぜかアヤがつく! 91年の菅生ではエンジン火災であえなく御用!
思い出した。ファルケンカラーのゼッケン②が、菅生のストレートエンドでエンジンから煙を吐いて息絶えたシーンは、91年10月号にバッチリ収録されており、今だから明かすが、本来、ぼくがフレッシュマンシリーズに、改めて挑戦すると宣言したのを受けて、オーツタイヤの横山欽司さんが用意してくれたマシンだった。それを、そのころメキメキ腕をあげてきた大井に、ミラージュCUPの醍醐味を味わってもらった方が、将来への糧になると判断し、そのシートを譲ったいきさつがある。さらに付け加えれば、その年、土屋圭市に焦点を絞った「HOT-VERSION」(隔月刊)を創刊しているが、その実質責任者に田部を指名し、その晴れがましいロゴを背負って、ゼッケン⑦の田部ミラージュはこの菅生戦で、ポールtoフィニッシュを飾っている。このときの実戦バトルが下敷きとなって、「内部抗争」仕立ての企画が登場した、というわけである。
85年に発足したミラージュCUPは国内ワンメークレースの頂点にあって、舞台を筑波、富士、菅生、西仙台ハイランド、西日本(当時)とサーキットを転戦するなど、人気は全国区的な広がりを誇っていた。なにしろシリーズ上位5名がマカオGPに招待されるというボーナス付き。BMキャスターの中谷、清水はここから生まれ育った、といっても過言ではなく、富士フレッシュマンからステップUPした土屋も、参戦した時期がある。極言すれば、「ベストモータリング」というメディアは、ここから生まれた。それほどに縁が深い。
というのも、86年度は新たにフレッシュマン(全5戦)を加え、EXAで腕を磨いていたぼくが、ラリーアート首脳の眼鏡にかなって、参戦することになった。以来5年、通算29戦をこなしているのだ。とくに87年度はチャンピオン・シリーズとフレッシュマンをかけ持ちし、ついには念願のマカオGPにまで特別枠で出走させて貰っている。そうした日々の中で「VIDEOマガジン」創刊の発想を育てたのだから、跡目相続の舞台をミラージュCUPに定めたのは、肯けなくもない。
さて、予選開始。大井と田部は仲良くコースイン。それに特別参加の⑤中谷明彦が加わって、長い富士のストレートでお互いのスリップを使い合おうと約束するのだが、息が揃わないうちに20分間の予選は終了してしまう。中谷は8位。田部、19位、大井、20位。久しぶりのミラージュCUPで予選の戦い方を、仲良く、忘れてしまったらしい。
となると、決勝の模様が気になる。改めて「観戦」してみて、大井、田部の絶妙な組み合せに感心したが、それ以上に面白かったのが、「ミラージュ・マイスター」の異名をとる(なにしろ最多の通算15勝だもんね)横島久が、若いチームメイトの吉富章をシリーズチャンピオンに導くべく、秘術を尽くすのだが、そこへ優勝11回の小幡栄が割ってはいる。そのベテランたちの強烈なプレッシャーに押しつぶされた吉富が、一旦はトップに立ちながら「うわ〜、怖い! みんな、笑ってる!」と怯えるシーンなど、レースの人間臭さ、心理劇を見事に伝える傑作となっている。余談ながら、この「実戦バトル」は余程、面白いらしく、あるWEBサイトで、そっくりそのまま、PartⅠとPartⅡに分かれて動画で見ることが可能だが、権利関係はどうなっているのだろうか?
肝腎の二人はどうなったのか。13位までジャンプアップした大井は、1コーナーのブレーキング競争で挟み撃ちの形になり、イン側のマシンに当てられ、アウト側のマシンを巻き込んで、激しくコースアウト。無事にダートゾーンを駆け抜けたのはいいが、この時、左後輪のタイヤがバーストしており、8周目に虚しくリタイア。田部は、といえば「(久しぶりのレースだから)焦らないで行きましょう」とコメントしているのはいいが、ここという見せ場もなく、17位に終わる。
シーンは再び、「辺須紋組」に戻る。アロハシャツ姿のちんぴら(技術部のイケメン、小池弘晋が演じる)から額の傷の手当てを受けている大井。
「痛ぇ、気をつけてやらんかい、ボケ!」
「すんません」と頭を下げる小池。
「わしゃ、あのまんま行っときゃ、6位に入れたのに、クソ!」
背後から近づく田部、煙草の煙を大井に吹きかけながら……。
「しかし、レースはチェッカー、受けんとな。勝負あったわ。わしが組長、継ぐきになあ。い、ひ、ひ」
うんざりした顔で、間に割ってはいる小池。
「もう、やめましょうよ、跡目の話は……。組長も、まだ元気なんだし」
その時、がらりと襖が左右に開かれて、和服姿の組長が3人の手下を引き連れて、登場。
「なんやぁ!」二人は後ろにはじけ飛ぶ。顎をぐいと引いた、組長の顔のアップ。
ここでCMやプレゼントコーナーが挟まれ、お決まりのエンディングシーンが流れる。
3人が仲良く、スーパーカー消しゴム(飯田章君提供)で、興じている。ぼくの演じる組長が二人の代貸に、喝を入れる。
「お前ら、よう見とれ! 勝負はな、一発飛び込みの度胸や。ほれ!」
指から弾き出されたゴムのスーパーカーは、テーブルの上でだらしなく停止する。
「ダメでんがな、これ!」
田部が横から茶々を入れる。やり直しながら「ブレーキは真っ直ぐ!」なんて講釈をつける還暦組長を挟んで、明るい笑い声が弾けていた。
「こりゃ、まだまだ、組は安泰ですがな」
「まだまだ、渡せん。もう一回、勉強の仕直し」
「へい」と大きく叩頭する大井代貸。内部抗争、どこ吹く風の、平和な結末が、そこにあった。
しかし、ぼくの新しい悩みは、実はこの時から始まっていた。――こう結んでこの回は終わっている。わたしの「セピア色の記憶」をまさぐるミラージュCUPの旅は、まだまだつづく。