序章としての「タンボフレンド撮影会」
PART②
【ベスモ組。大井、山本、本田の3人が欠けたものの、この笑顔が嬉しい】
*『みんカラフレンド』の皆さま、恙(つつがな)きや。このコロナウィルス厄災との闘いは、それぞれが耐え抜くしかありませんが、どうかメゲないで、平和を取り戻しましょう。それぞれの健闘を期待します。そして明るく、健康な日々を取り戻しましょう。
さて、前回からの《序章としての『タンボフレンド撮影会』》を書き継ぐとしよう。
☆ ☆ ☆ ☆
大都会のド真ん中‥‥。たとえば六本木ヒルズ森タワーの鼻面を舐めるように、東西へ横切っている首都高速3号渋谷線沿いに併走する、西麻布方向への下り坂をぶらり歩きでもわずか10分か。そこへ青山1丁目から青山斎場傍を広尾方面へ抜ける外苑西通りが、谷底あたりで合流してくるのが西麻布交差点である。

*GOOGLE Mapより
‘60年代の終わり頃までは「霞町」と呼ばれ、一軒家のフランス料理店で女性連れにぴったりだった「クイーンアリス」や、アメリカの大統領と日本の首相がお忍びで鮨をつまみに来た「居酒屋 権八」とか、洒落た隠れ家カフェバーも点在し、夕方以降に不思議な魅力を持つ一帯であった。
カメラマンの北畠主税さんがいい出した『おともだち撮影会』の舞台が、この西麻布交差点の角にあるマンション2階にある『スタジオ・カッシー』だと、田部靖彦君に伝えられた時、
「ああ、昔の霞町だね」
と答えたが、六本木で遊んだ後、芸能界の住人やマスコミ人が流れていく、ちょいと胸の悸(とき)めく町だったと、もう彼の世代あたりは知らないらしい。
「霞町ですか?」
「うん、時間があったら、ちょっとぶらり歩きをしたいなあ」
「わかりました。早めにお迎えにあがります」
相変わらず、キビキビとした田部君のレスポンスが嬉しかった。
それから1週間が経って‥‥‥3月15日の午後4時。約束の時間ぴったりに田部靖彦君が、迎えにきてくれた。
「さあ、どうぞ」と助手席側にまわって、ドアを開いてくれる。ダークグレーのマーチである。その、ちょっと狭めなナビシートに納まりながら、問いかけた。
「あれ、B MWのX3はどうしたんだい?」
「ああ、X3ではなく、いま乗っているのは3シリーズのツーリング(正岡註:
セダンのみだった3シリーズのラインナップに加わった、ワゴンモデル)ですが、ソータ(正岡註:愛息の創汰クン=今春、無事に四国・今治にある船員養成の専門短大を卒業)が免許をとって乗り回し、あっちこっちをやっちゃって修理に出した代車です」
*田部クンのお宝が見事に孵化。おめでとうさん。
「そうか。それにしてもマーチとは懐かしい。憶えているかい? 筑波レース・ド・日本のマーチレース。ぼくはマッチ(近藤真彦君)のマーチを借りて1戦だけ走った。その時の3位がキミで、そのマーチのシリーズチャンピオンになった勢いで、次の年はEXAレースで富士フレッシュマンに、きみはデビューしたんだから」
「ご縁です‥‥ね」
遠い目をする田部君。あの頃は彼のヘッドも黒々としていて、その若武者ぶりは際立っていたのに‥‥‥。思い出したように早口で報告し出した。
*マッチのマーチ#12を試乗ドライブ。(1984年)
*本番はニスモのマシン(#23)に乗り替えたものの結果は15位だった
「あ、大井(貴之)さんはイベントをやっていて、撮影の時間には間に合わないみたいで。山本(亨)ちゃんは娘さんの卒業式が重なり、本田(俊也)君もちょっと体調不良でN Gです。だから、杉野(勝秀)ちゃんと3人組でお願いします」
折角の機会なのに、残念だな。6人が揃えばそれだけでニュースだし、久しぶりの賑やかな時間を期待していたのに。
田部君のドライブするマーチは、目白通りを都心に向かって東進する。
彼にとっても「勝手知ったる」ルートらしく、早稲田を過ぎたところでT字路を右折、柳町、四谷3丁目、信濃町とそれぞれのポイントをパスし、HONDAの本社ビルのある青山1丁目をグイグイと、真っ直ぐに抜けていく。右側に青山墓地。これで外苑西通りに流入したわけだ。一気に広尾方面に駆け下りる。
南青山方面から418号線が合流してきたところで、かつての霞町の交差点だ。
躊躇(ためら)いなく、高速道路真下の交差点を右折した田部君のマーチは、そのまま高速道路下の有料駐車場へ。どうやら田部君もスタジオ・カッシー西麻布を何度か使っているらしい。
マーチから降りると、目ざとく獲物を見つけたように駐車場の奥を、田部君は指差した。白いボディの横ッ腹に、チェッカーフラッグに見立てて赤いステッカーを貼り付けたようなデザインのスポーツセダンが駐車している。
*筑波での限界性能テスト(ドライバー;松田次生)で59秒361を叩き出した日産GT-R NISMO 2020モデル
うん!? どこかで見た記憶がある。横浜ナンバーの日産GT−R NISMO 2020年モデルじゃないか。もしかして、つい先日、筑波で1分切りをした話題の怪物かもしれない。
田部君も気付いていたらしく、「(タンボフレンド)撮影会にきた同業者ですね」といってから、ニヤリと‥‥‥。つまり日産の広報車、というわけか。だれが乗って来たのだろう?
駐車場を出ると、目の前が「スタジオ・カッシー西麻布」のあるマンションだった。そういえばタンボさんの招待告知の中に「パーキングから徒歩30秒」と明記してあった。
時計を見る。わがグループに割り当てられた時間まで、40分 近くの余裕がある。「お茶しますか?」わかっているね、さすが田部君。しかし、一歩踏み出した霞町界隈は、まだ眠ったままだった。適当にコーヒーを注文できるような店などありはしない。スターバックスくらい、あってもいいじゃないか。そういえば、昔からそうだった、と思い出す。
3月の夕暮を吹き抜ける風は冷え冷えとしていて、コートなしにはこたえる。
コーヒーを断念して、早めに「スタジオ・カッシー西麻布」に顔を出すことにして、「外苑西」の大通りを戻りかかって、ひょいと向かい側に視線を向けると、懐かしいガソリンスタンドが目に飛び込んだ。石坂浩二さんが浅丘ルリ子さんと広尾のマンションで暮らしていた時代に、よく使っていた。創刊時の『ベストカー』に《なぜフェラーリに惹かれるのか》と熱い想いを寄稿してもらって318を撮影に持ち出した時、いつもここを使っているんですよ、と立ち寄った遠い記憶。
*1978年当時、石坂浩二さんの愛車F318
そういえば、この大通りの広尾寄りに『ミケロッティ』のショールームがあって、その頃乗っていたBMW320につけるフォグランプを買いに行ったリ、サーキットキャップを調達した記憶が蘇ってきた。挙げ句の果てには、ガンさんをドライバーに鈴鹿のシビックレースに遠征するときめ、五木寛之さん、徳大寺有恒さんと『風の仲間』を結成、そのファッションスポンサーにミケロッティJAPANを指名したはずだが、どこかに確認できる写真があったかな。よっしゃあ。探してみせるぞ。
*五木レーシングチームを結成して鈴鹿CIVICワンメークレースに参戦。このミケロッティのキャップがお気に入りだった。

*チーフメカの小野昌朗さんとお揃いのブルゾンを。五本の木をあしらったデザインは林ミノルさんのものである。

*その頃のヒット作《四季 奈津子》にも協賛を。
気を取り直して、交差点まで戻り、いよいよ、タンボさんの待つスタジオへ。出迎えてくれたのは「ベストモータリング」の3代目編集長をつとめてくれた杉野勝秀君だった。その前身は『GT-Rマガジン』(交通タイムス社刊)の創刊編集長。
「ということは‥‥‥」
杉野君があの怪物でやって来たのか。
「いえ、いえ」
慌てた感じで田部君が割って入って、杉野君と談笑していた長身の紳士を紹介しようとする。
「こちら、ご存知でしょう? GT−Rのチーフ、田村(宏志)さんです」
*田村宏志さんのFBページより
あ、そうなんだ。腑に落ちた。早速、名刺の交換。日産商品企画部チーフ・プロダクト・スペシャリストの肩書が眩しい。が、こちらはこれから撮影が始まるので、あまり踏み込んだ話はできない。ただし、短い時間の間に、彼がハコスカに憧れて日産に入社しながら、思うところがあって、在籍2年で桜井真一郎さんの創ったオーテックに転籍、そして今、GT−Rを任される立場にある、とご本人から伺ったのは大収穫だ。
*インドでのワールドプレミアから
こちらの撮影が終わるまで、お待ちいただけると嬉しいのだが‥‥‥。
(以下、次回更新まで)
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還暦+白秋期の24歳 | 日記
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2020/04/20 18:51:11