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正岡貞雄のブログ一覧

2022年03月04日 イイね!

新人ライターに回帰した日

新人ライターに回帰した日〜《『雨の日には車をみがいて』と車たち》をよろしく〜

  2022年3月3日の午後4時ジャスト。恐る恐る、わが愛しきPCに予め設定しておいた《自分サイズが見つかる進化系マガジン 幻冬舎PLUS》をマウスの矢印でポンとプッシュした。と、紛れもなく新人ライターが担当編集者と10日間にわたってやりとりして仕上げた「ページ」が、晴れ晴れしく、画面一杯に拡がっているではないか。
前置きはここまで。ともかくこのページを開いて欲しい。題して『雨の日には車をみがいて』と車たち》。連載のトップバッターは「サーブ」。ご贔屓の虎軍団でいえば「近本光司」かな。ご一読の上、「みんカラ仲間」のよしみで、忌憚のない感想、ご意見をお寄せいただければ幸い。

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https://www.gentosha.jp/article/20501/ ⇐《『ドライブ・マイ・カー』とサーブ》はここをクリック

   お読み戴いたあと、じつはこの第1回の原稿を仕上げていく日々のことなど、エッセイ風に、お届けするつもり。なにしろ2022年は頑張るぞ、といいながら、2月はすっぽり、ご無沙汰してしまったお詫びとして。なお、第2回はVOLVO122Sのつもり。この項に登場するマドンナもひどく魅力的だから、期待して欲しい。



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何だかこうやって新しく始まった日々・・・ベストカーで連載してもらった五木寛之さんの「疾れ! 逆ハンぐれん隊」の作品で合間に挿入した《ITSUKI’S VOICE》は絶妙だったな。題して「新人ライターに回帰した日」。悪くないな。
Posted at 2022/03/04 01:26:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+玄冬期の26歳 | 日記
2022年01月19日 イイね!

『想い出玉手箱』から飛び出した「音羽の梁山泊」始末

『想い出玉手箱』から飛び出した「音羽の梁山泊」始末梁山泊——中国の伝奇小説《水滸伝》の舞台となった山東省の大沼沢を指すが、わが国では転じて「有志の巣窟を意味する代名詞のように使われる。

 ぴったり800ページ。B5判(182mm×257mm)だから、いわゆる週刊誌サイズで、厚さが350mmのボリューム。つまりベストカーを5冊も積み重ねて、上からグイと押しつけた高さと厚みを思い浮かべていただきたい。

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 1978年に生まれたベストカーが創刊30 年を記念して《クロニクル》を2008年7月に『別冊』として発刊した。定価、1200円。売り切れ御免!!と称して10万部を刷った(これは、確認済み)。なにしろ売れ行き業界1位を誇る「クルマ雑誌」。親会社の講談社販売部も鼻息が荒かった。ともかく表紙の売り文句通り「BCの歴史がぎっしりつまった保存版」として、いまや貴重な遺産となっている。

 わたしにも、【『ベストカーガイド』はこうして誕生した……創刊前夜】と題して4ページの内幕を書け、という注文があり、浮き浮きと仕上げた原稿と一緒に往時の貴重な写真も添えて、この企画の責任者であった宇井弘明君にお届けするべく、江戸川橋まで足を運んだ記憶がある。今回の稿を書くに当たってクロニクルの刷り部数を確認したお相手も、当然、編集責任者であった宇井ちゃんということになる。

 そんなボリュームの怪物保存版が本棚に収まるはずはなかった。どこに蔵(しま)ったのかな? 1Fにある専用のトランクルーム(ここ3年間のベストカーを保存)もチェックしてみたが、無駄だった。
「さて?」と仕事場にあてがわれている小部屋の、デスクトップ型PCモニターも置ける、硝子戸つきの書棚に気がついた。パソコンを動かし、引き戸を開けてみた。
「おお、あった!」右端の然るべき場所にちゃんと納めてあるではないか。近年、探し物に振り回される日々の、なんと多いことか。

 早速、國沢光宏君とやりとりした『レコード大賞』の会場からスター歌手たちを『紅白』の舞台・NHKホールまでの移動をバッチリ、スピードガンで『隠れ測定』したはずのページ探しにとりかかった。しかし、なんといっても「懐かし過ぎる名物企画満載の想い出玉手箱」である。ページをめくる手が、すぐに止まってしまう。が、ここはその誘惑には目を瞑(つむ)って、前進するしかない。

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*おお懐かしや、梁山泊の面々。徳さんやガンさんの声が聴えてきそう

 ☆    ☆    ☆    ☆

 《編集部総出で、いつも一生懸命作りました》
 これが巻頭特集のタイトルで、MID4/Ⅰと2年後に発表されたMID4/Ⅱを前にして、それぞれ日産技術陣と編集部員一同がズラリ記念撮影。

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 つづけてページをめくると今度は《ベストカーを支えてくれた協力者たち》が……そして、徳大寺有恒九変化。梁山泊の面々だ。そこから《今、明かされるスクープ秘話》が用意されていて、やっと到着したのが『人気企画 30年前からいろんなものを測っていた!! スピードガン測定ことはじめ』が待っていてくれたじゃないか。ところが紅白歌合戦のもう一つのステージ「東京サーキット」については、何も触れられていない。喜ぶのが速すぎた。

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 どうやら国沢メの勘違いだったらしい。う〜ん、抗議の電話でもしてやるか。腕組みしたところで、ふと目についたのが左ページの外側に【詳しくは238ページ】と但し書きがされている気配り編集。おお、そうであったのか。お陰で、一気に200ページほどをパスすることができた。

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 むむ! そこには【桜田門も協力! 紅白歌合戦への大移動!!】とあって、東京サーキット族は、この日、12月31日、このコース帝劇⇔NHKだけは解禁!!

 このタイトルの踊ったモノクロ4ページグラビアページにたどり着いた。ただし、レポーターは、かつて富士フレッシュマンを舞台にしたレース仲間だった、今は亡き秋山武史君だ。う〜ん、こいつはどこかで話が捩(よじ)れていないか!ま、それはそれとして、掲載フォトと【桜田門公認 帝国劇場➡NHKコースMAP】案内だけは紹介させていただくか。掲載した月号も明記されている。

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  ‘83年3月号。ということは’82年大晦日の取材だから、紅白の第33回にあたる。トリは都はるみ《歌唱:涙の連絡船》と森進一(蔭を慕いて》が務めた。
 ともかく、このままでは、いかにも消化不良だぞ。スピードガンによる《隠れ測定》を敢行したはずの、そのページはいったい、どこへいったのか。
 こんな時には、不思議と助けの矢が翔んで来てくれるはず。ことしの初詣も「大吉」のお神籤をいただいたばかりじゃないか。ここは一息、入れるとするか。

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*秋山ザウルス(武史)君を交えて筑波のメディア対抗(パルサーレースだったかな)に出場したこともあったっけ

 まるまる10ヶ月の空白からやっと復帰した《みんカラブログ》のお陰で、このところご無沙汰続きだった仲間からの「メッセージ」や「コメント」が次々と届きはじめた。やっぱり、ほっこり、嬉しいものです。
 最新の《紅白歌合戦とわがラブストーリー》をアップしたのは1月14日の午前1時38分だったが、その内容に寄せて「あっくんりょうパパ」さんから、午前7時56分に有り難いコメントが届いたのである。ご本人の了解はいただいていないが、頼みにした「神の矢」が早速に届いた状況説明上、引用させていただくのをお許しいただきたい。ちなみに「あっくんりょうパパ」さんと交信しだしたきっかけは、現在ではもう廃コースとなってしまった北海道倶知安のスピードパークについて、ベスモでガンさんのドラテクロケがあった、と懐かしんでくれたのが、始まりだったように記憶している。

——おはようございます。
北海道出身の大泉洋さんが司会を務めているので、北海道民としては「紅白」は外せませんでした。そしてその流れで見る「ゆく年くる年」は、もう、我が家の恒例になっています。
さて、国沢さんがスピードガンで紅白に出られる方々の車を測定した話、ベストカーYouTubeチャンネルで、大井さんと話している回があります。
検索バーで「昭和のベストカー編集部 事件簿」で検索してみてください。前編です。笑えました(笑)


 そうだ! おっしゃる通りだ。國沢vs.大井の「昭和のベストカー編集部 事件簿」は前後編とも、わたしは視聴済みだが、そのやりとりが面白すぎてどんな内容だったか、記憶が定かで亡くなっている。
 
 早速、Googleで検索してみたところ、間違いなく、紅白歌合戦を ターゲットにして、YouTubeで仕上げていた。もう講釈は要らない。なにはさておいで、《あっくんりょうパパ》のお奨め通りに、検索バーで、【昭和のベストカー編集部 事件簿 前編】を呼び出していただきたい。17分55秒物だが、12分あたりで、司会役の本郷編集局長に「これは素晴らしい企画ですね」とうまく乗せられた、國沢&大井のハチャメチャコンビのおしゃべりは、たしかに絶品。

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 さて、今回はここで小休止させていただく。その幕間のうちにぜひご視聴あれ。次回はいよいよ、わがラブストーリーに踏み込んでみたいのだが・・・。

 おっといけない。忘れ物が二つあった。迫力の800ページの最終ページもご覧いただこう。《音羽の不夜城》とも呼び慣わされていた梁山泊の様子が2シーン、収められていた。
 そしてわたしの寄稿した《創刊前夜》のページ。ああ遙かなり、1978年。

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Posted at 2022/01/19 01:33:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+玄冬期の26歳 | 日記
2022年01月14日 イイね!

想い出ボロボロ・紅白歌合戦とわがラブストーリー

想い出ボロボロ・紅白歌合戦とわがラブストーリー

〜2022年もよろしくおつき合いを〜



 元旦恒例の近くの鎮守の森・若宮八幡社への初詣。「家内安全 家運隆昌」の神札をいただいたあとにひいたお神籤は、5年連続の《大吉》であった。家人もやっと《大吉》を引き当てて、嬉しそうにお神籤棚に結びつけていた。
 
 オミクロン株の跳梁には要注意だが、まずもって平穏な年明けであった。


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その昔、下練馬村の鎮守様で、わたしのマンションからは2km足らずの道のりに過ぎないが、途中に古墳址公園があったり、関越自動車道の都心への流入ルートである目白通りや石神井川までが横切っていたり、アップダウンが3つほどある結構タフなコースである。だから今では脚の強い家人の方が先行してしまう。

「紅白、どうだった?」
参拝を終えた帰り道。社殿から往還に続く長い石段を下りながら、振り向きざまに家人が問う。そういえば、年越し蕎麦をいただいたあと、11時前にはさっさと寝てしまったのだから、もう最近の賑やかショーばかりが幅をきかす紅白歌合戦に興味を喪ったのは明らかだ。もっぱらテレサ・テン、山口百恵、島倉千代子ものをカラオケでやるタイプ。
 それでもわたしの「MISIA追っかけ」は知っていて、YouTubeのカラオケを使って《逢いたくて今》に挑戦していると、きまって「また、お経をあげているのね」と揶揄(からかい)に顔を覗かせてくれる。

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「司会の大泉洋が一生懸命に盛り上げていたけどね。また視聴率低下で、《紅白》のあり方を問われるだろうね。3年連続でトリに選ばれたミーシャだけは流石だったけど」
「ふ〜ん」
家人の気のない返事に、改めて72と回を重ねてきた「紅白歌合戦」について考えてみた。
 大晦日だけは、家族揃ってTVの前の食卓を囲み、年越し蕎麦をいただきながら「紅白」をみんなで見たあの平和な風習は、どこへ行ったのだろう。まあ、出場歌手やグループの名前も片仮名や横文字が多すぎて、昭和世代に育ったシニアにとっては「ヘタな学芸会」もどきのものに付き合うのも骨が折れる。
残念ながら、家人もその仲間に加わったらしい。

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 帰宅して、改めて《NHK紅白歌合戦》について『ウィキペディア』を参考に深掘りしてみることにした。

☆     ☆    ☆    ☆    ☆

 1945年。この国がやっと平和を取り戻したその年の大晦日に『紅白音楽試合』というラジオ番組が非公開で放送された。
 当初は『紅白音楽合戦』の番組名で放送する予定だったが、GHQ(太平洋戦争終結後の日本を占領管理するための連合国最高司令部)から「敗戦国がバトルとは何事だ」とクレームがつき、バトルから試合という意味のマッチに替え、勝敗の判定や審査員もなく、応援団も存在しなかった。加えて当時は、大晦日に終電車はなく、終電に間に合わない歌手はNHK東京会舘の音楽部の部屋の椅子で雑魚寝をしてもらったという。

 この事実上の第1回の放送は大晦日の22時20分〜24時00分(元日0時)での放送で「年越し番組」となり、午前0時からは『除夜の鐘』を放送し、これが『ゆく年くる年』の原型となった。

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 しかしこの後、この「冒険」は継承されることはなく、放送の約5年後の1951年、「大晦日の番組でなければいいだろう」ということで、正月番組として『第1回NHK紅白歌合戦』を放送した。今度は対抗戦形式を意識して、出場歌手名は公表されていたが、紅組キャプテンの渡辺はま子(歌唱:桑港のチャイナタウン)、白組キャプテンの藤山一郎(歌唱:長崎の鐘)がそれぞれ相手の出方を見ながら、誰に何を歌わせるかを決めるというものだった。

 黎明期の「生みの苦しみ」がだんだん判ってきた。第7回ごろまでは戦前・戦中派の歌手も常連として名を連ねていたが、回を重ねる毎にその名は消えていき、入れ替わるように第10回(1959年)では新世代デュオ歌手のザ・ピーナツ姉妹(歌唱:情熱の花)が、翌11回では橋幸夫(歌唱:潮来笠)、ロカビリーブームの第一人者であった平尾昌章(歌唱:ミヨちゃん)が、第12回では『上を向いて歩こう』のヒットにより坂本九がそれぞれ初出場、「世代交代」の色が年を追って強く反映されるようになる。

 ちなみに後に歌謡界の女王として君臨する美空ひばりの初出場は第5回(1954年/昭和29年)で『ひばりのマドロスさん』を歌唱、これで江利チエミ、雪村いづみの3人娘が顔を揃えた。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆
 
かつての仕事の上で『紅白』にまつわるいくつかのエピソードも思い出してきた。あれは『紅白』に対抗してスポーツ紙を含めた各新聞社が中心となって決定する『日本レコード大賞』(後援:TBSテレビ系列=第1回は1959年で大賞には「黒い花びら」の水原弘)が1969年から、それまでは12月30日の前日開催を、同日の19時から21時に開催・TV生中継されるようになり、歌手の『レコード大賞』(帝国劇場)から『紅白』(渋谷・NHKホール)へのクルマによる大移動が始まった。この模様がやがて大晦日を賑わすトピックニュースとして話題を呼んだものだ。それを、そのころ創刊して間もない『ベストカーガイド』(今のベストカー)が狙い撃ち取材をやってしまったはずだが、担当したのが、いまや自動車評論でしっかりおのれのテリトリーを築き上げた國沢光宏君だったはず。

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 早速、國沢君に連絡を取ってみた。留守電となっていた。連絡が欲しい、とメッセージすると、間を置かずわたしのiPhoneが着信を告げる……。早速、確認作業に入る。

「ベストカーで大晦日の紅白で、レコード大賞に出たトップ歌手達が、自分のクルマだったか、専用のハイヤーだったかで、帝国劇場からNHKの紅白会場までどんなタイムでぶっ飛ばして移動するのを取材したのは、君だったっけ? それとも大井貴之君だったっけ?」
「あ、は、は。それはぼくしかできません。詳しいことは『ベストカークロニクル』に載っていますよ。タイムを計るんじゃなくて《スピードガン隠れ測定》でやったはずです」
「そうだよね、パトカーのネズミ取りをやったくらいだもんね」

 さっそく「クロニクル」で確かめるから、と電話をきったものの、さて800ページのあの分厚い『想い出玉手箱』はどこにあったけ?
 
 その作業は、難航した。ということで、探索の時間を、少しばかり、頂戴させていただこうか。 
 タイトルで謳った《ラブストーリー》も次回までお預けとしたい。悪しからず。 


    お決まりの(以下、次回更新まで)
Posted at 2022/01/14 01:38:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の25歳 | 日記
2021年12月31日 イイね!

除夜の鐘の鳴る前に

除夜の鐘の鳴る前に〜「虎軍団77の勝ち星」からの贈り物〜

 とうとう2022年も、残すところ、大晦日の1日だけとなってしまい、結局、当「みんカラ」BLOGはわずか4回しかアップできないでいる。それも2月26日の《アフロヘアの女王2人に心奪われて》からぷっつり途絶えてしまったのだから、まるまる10ヶ月のご無沙汰。

 それでも有り難いことに、毎日の「PV欄」にはどんなに少ない日でも300を割ること無く、今日の大晦日にいたっては693の「みんカラフレンド」来訪の足跡が記録されている。アクセスのあったページは114項目にわたっている……。

 いつものことながら、それに励まされて、何回かは「よっしゃ、今日こそ」と、まるで駐車場で待ってくれている老友プログレに向かって、右手にKEYをひっかけてぐるぐる回しにしながら近づき、ドアを開け、「さて」と声をかけながらシートに腰を落とし、KEYを差し込み、エンジンに火を入れるべく右に回してやる……が、残念ながらわたしの老友からはなんの反応もない。

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 そんな状態が10ヶ月も続いたわけだ。それでも、せめて生きている気配だけは感じとっていただきたくて、140字日記の「何シテル」だけは折に触れ、虎軍団の闘いぶりをデイリースポーツ紙からピックアップしながら「収録」することを欠かさなかった。「いいね!」の有り難いご常連も10人を超える日が続く。

 そのあたりの空気、息遣いを、こちらの「みんカラ」が途絶えはじめたあたりから、ちょっと掬いあげてみようか。

☆    ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

2021/02/08
2021年版虎軍団デイリー報告がやっとスタート。沖縄・宜野湾キャンプに注目です。紅白戦。マウンドに復活一路の藤浪晋太郎。打席にはドラ1の佐藤輝明。この新人、軽々とバックスクリーンに打ち込む能力あり。勝負! 藤浪の真っ直ぐ球が時速156kmで唸る! その実況がデーリー一面で踊っている!

02/10
こんなにも躍動したデイリーの紙面を見るのは久しぶり。プロ1号「右手で一本! 衝撃デビュー!ドラ1怪物・佐藤輝」の己れの放った打球の行方を追う表情がトップ面、そして裏一面も佐藤輝明一色。たかが日ハムとの練習試合なのにこの喜びよう。大河ドラマの「麒麟がきた!」を本番でもお願いしたい!

02/22 16:45
去年の終盤から復活途上にあった藤浪の仕上がりが半端じゃない。運よくケーブルTVで広島との練習試合を見たが、受ける梅野が絶句するほどの伸びるストレートが構えたミットに寸分の狂いもなく飛び込んでくる。そしてウイニングショットのスプリットが異次元の軌道を描いて沈む。あとは心の復活次第。

02/23 10:33
朝のルーティン、駅前新聞スタンドまでのぶらり散策が日を追って楽しくなった。虎軍団のパワーUPぶりを伝えるデイリーの活気に足取りも弾む。それに「緊急事態」解除も目鼻がついてきた。そうすればドラテク伝道に励んでいる大井タコ君と逢って、彼なら出来るドラテク企画を相談する約束が果たせる!


02/28 19:19
「起きなさい」と呼ばれた気がして目が覚めた。慌ててベッドを離れて出窓を。まだ明けやらぬ西の空。満月がこちらを手招きしているではないか。残りの月か。明日から3月か。やり残しのことだらけ。よっしゃ、もう起きよう。まず林檎マークのPCをONに。ボオオ〜ンと返事が。Safariを開いた。

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03/15 18:26
透き通った朝の光に誘い出されて、いつもより早い時間にデイリースポーツ紙を買いに駅前へ。なんだかロータリーがいつもより白く華やいでいる。冬が明ける合図の花、辛夷(こぶし)の白い花が、風に揺らされて一斉に歓迎の挨拶を。花言葉は[友情、歓迎]か。何かいいことがありそうな予感。心が弾む。

03/15 18:45
【白い辛夷】の続き。デイリーの弾みに弾んだ紙面。一般紙の朝刊はお休みとあって新聞スタンドはスポーツ誌の、虎の新看板=佐藤輝明のド派手な扱い。嬉しいね。オープン戦とはいえ宿敵巨人を4号目の本塁打で一蹴。こいつは本物や。帰宅するとベスモ同窓会・萩のカリスマ教官から久々のメッセージが。

◆当時のFB「メッセンジャー」欄より
2021/03/15 8:32
局長おはようございます。 以前局長が紹介されたMISIAさんですが、偶然観ていた歌番組に出演があり、あまりの素晴らしさに心が揺さぶられました。 既にご覧になられておられたらかぶるかもしれませんが、YouTubeにアップされていたものがありましたので紹介させていただきます。 圧巻でした。
註:MISIA(さよならも言わないままで)

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 2021/03/15 9:32
ありがとうございます。嬉しい連絡です。じっくり、そのステージ、見ました、聴きました。ミーシャはこんなステージがどんぴしゃりです。彼女の頭上を翔び抜けたインパルス、あれは知覧を翔びたった特攻機。逢いたくていま。あの歌が生まれた核心をつたえてくれたようです。 今夜はそのことを書き上げるつもりです。

全ての人に訴える歌唱力とそれを支える映像の力。出演者と作り手の気持ち、これほどの素晴らしい作品は中々お目にかかれるものではありませんね。 これからどんなに時代が変わってもメディアのあるべき本来の姿、忘れないで欲しいと切に願います。
(あれは《音楽の日》とタイトルされたミーシャの東北大震災慰安セレモニーだった)

03/21 12:37
昨夜(3.20)、春分の日は風もなく穏やかな祭日で、子供連れの家族が楽しげに語らいながら駅前の辛夷や、咲き始めた桜を見上げながら改札口へ向かう姿が多かった。それが、明日は天気が崩れ、風も強くなる、と知らされて、慌ててもう一度満開のうちの夜の辛夷の姿を画像に収めておこうと、駅前へ。

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03/26 11:08
神宮で燕相手の開幕戦を迎える虎軍団。10年ぶりにOP戦首位に。そりゃ盛り上がるわ。前夜のナイター練習で今や注目の怪物新人・佐藤輝明が気持ちよく13発をスタンドへ。最後にはバックスクリーン弾で締めくくる。今夜が楽しみ、と言いたいところだがフジ系列の神宮戦はうちのCSはNO。残念!

03/26 18:51
なんとか虎の怪物ルーキーの公式戦お披露目プレーを見てみたい。ところが神宮が舞台とあってフジTV ONEとDAZNのどちらかに加入しなくては。で、他のスポーツも選べるDAZNを選択。これが正解でバッチリ観戦、2回無死1、3塁から佐藤が痛烈な左翼へのライナーで先取点。まずまずの出足。

03/27 13:07
幕開けにピントを合わせてデイリーから気の利いたプレゼント。【Tigers勝ち星カレンダ−2021年版】。勝った翌日の紙面に勝った❗️マークを掲載してあるのでそのマークを毎回切り取って勝ち星カレンダーに貼り付けよう、というのだ。もちろん全星を貼り終われば賞品あり。ぜひ完走したいな。

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03/31 12:24
140円据え置きで唯一頑張っていたデイリーが明日から150円にアップ。ご苦労さんでした。そのいわば記念すべき最終号のトップ面はやっぱり佐藤輝明。3打席目、ライナーで1、2塁間を破り右翼線に転がるのを見て2塁を狙った。矢野監督もあれはGO、それがウチの野球、と。次の倍返し、頼むよ。

04/01 12:45
150円に昇格させた初日くらい、賑やかで華々しいトップ面にしたかったろうな。鯉に連敗。それもそのはず先導役の核弾頭近本が、昨シーズン滑り出しそのままに、ボテボテのゴロばかり。で、超奮起を促している。同感なり。その成り行きがどうなるか逆に楽しみ。怪人佐藤だってこの壁を乗り越えれば!

04/02 15:59
お休みを2回で切り上げて4つ目の勝ち星を阪神カレンダーに貼り付けた。何を夢中になってこんなことをしているのか、と己れに問うと、何本も何本もバットをへしおられ空振りの三振を奪われ続け、それでも己れを信じて目一杯、パワフルなスイングを続ける男の姿が浮かんでくる。そして今度は竜と闘う。

04/06 12:14
デイリーTOP面もこの日に限っては、メジャーを舞台に超人的な【リアル二刀流】で話題をさらった大谷翔平で決まり!そう思いながら駅前新聞スタンドへ。が、やっぱり虎の御用紙は佐藤テルでなければ! 今夜(4/6)は聖地甲子園での初ゲーム。それも相手は宿敵巨人とあってはこれでなくては!

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☆     ☆     ☆     ☆    ☆

 つい先だって、デイリースポーツビジネス局からA4サイズ対応の「折り曲げ厳禁」封筒が届けられてきた。

「この度は『2021年12月31日 阪神タイガース勝ち星カレンダー』企画にご応募いただき、誠にありがとうございました。『勝ち星カレンダー達成記念タイガース選手写真』をお送りいたします。お送りいただいた勝ち星カレンダーをご返却させていただきます。今後とも、デイリースポーツをご愛顧のほど、よろしくお願いします。
※現在抽選中のため、当選者には商品の発送をもって発表にかえさせていただきます」


 この挨拶状に添えて、ドラ6で入団にしながらショートの正位置を確保し、近本を抜いて盗塁王になった背番号51、中野拓夢のカラー写真と、わたしが77枚の勝ち星を切り抜いて貼りつけて来た《Tigers勝ち星カレンダー》を送り返してきた 。おお、還ってきたか。もちろん、大口酒造の「黒伊佐錦」は欲しいが、はじめて挑戦して貼り続けた《宝物》が手元に還ってきたのが、無性に嬉しかった。
それにはこんなコメントを、わたしを書き込んでいたのだ。

——1946年からの猛虎贔屓。小学校4年から75年。この勝ち星カレンダーのお蔭で 、毎日、一喜一憂。勝ち星が77で止まったのが残念です。来年もこの企画、お願いします。
 
 この仕掛けが功を奏して、黒伊佐錦が届いて来ないかな。それはともかく、勝ち星カレンダー達成の記念写真だけは記録しておこうか。折から、北国から啓翁桜が木瓜(ぼけ)の花と一緒に届けられて、家人が千両の紅い実と一緒に飛び鉋(かんな)をあしらった小鹿田(おんた)の大徳利に活けていた。それと一緒に記念写真でも撮っておこうか。そうだ。年末になると五木寛之さんが贈ってくださる「ウインターローズ」も加えておこうか。

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 ともかく除夜の鐘の鳴る前に、なんとかご挨拶できてよかった。今夜の「紅白」のトリは今年もミーシャが「明日へ」で締めくくると聴いている。頸椎にメスを入れてからもうすぐ2年になる。それなりの元気を愉しみながら、また「明日へ」。
Posted at 2021/12/31 14:19:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の25歳 | 日記
2021年02月26日 イイね!

アフロヘアの《女王ふたり》に心奪われて

アフロヘアの《女王ふたり》に心奪われて 〜あな嬉しや。八十路半ばで

「なおみ&歌姫ミーシャ」の追っかけに〜

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「カモーン」ポイントをゲットしてなおみが吼える
 中国の観客の魂を揺さぶったMISIAの絶唱


 大坂なおみが憧れのレジェンド、セリーナを一蹴して、二度目の全豪オープンシングル決勝に臨んだとき、中居正広のT V番組で元プロテニスプレーヤーの沢松奈生子さんがリモート出演し「100%の確率で勝つ」と言い切って、話題を呼んだ。それでも「負けたらどうする?」と突っ込まれると、胸を張って「冬眠します!」と。そう言ってもらえるくらい、いまのなおみのテニスは堂々と光り輝いていた。それでいて、少女のような純な心映えは喪っていない。

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軽々となおみにあしらわれて傷心のセリーナはグランドスラム27回のレジェンド

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*決勝のラウンドでブレイディのリターンがバックラインを割って女王になった瞬間

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 約2億2800万円の優勝賞金をかち取った後の優勝インタビューの最後に、日本のファンにメッセージを、と請われると、「(日本語で)はい、こんにちは。みなさん、今日は頑張りました。なんか、ね、ええと‥‥(英語で)ご免なさい、緊張しています。(日本語で)ありがとうございました。(カメラに向かって)勝ったよ!(笑い)」と語りかけ、最後にサムズアップして見せた。なんともキュートななおみ。視聴率も20%に近かったという。

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*「勝ったよ」と日本語でこたえ、サムズアップする可愛さがまた大受け

 熱闘の一夜が明けて、睡眠2時間のなおみは恒例のプレスサービスのための優勝記念撮影会に臨んだ。実はこの瞬間をわたしは待っていた。なおみの素直な、少女のままの魅力に触れることができる「特別ショー」だからだ。
 
 2年前の初優勝の時はメルボルン郊外のビーチで行われた。その時のなおみはアフロヘアを海風になびかせ、まるでデズニーの映画『モアナと伝説の海』ヒロインのようだった。その時から、わたしはすっかりなおみに魅せられてしまったのを、こう記している。

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*2019年、初めて全豪オープンを制した翌朝の撮影会

 題して《ダブルアスリート』の華・大坂なおみが悩ましい》(クリックしてどうぞこちらへ)



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*2021年、クレーコート無敗のなおみ。アフロヘアのなおみはルイヴィトンがお似合い

 今回はコロナ禍のため遠出は避けて、市内にある王立植物園の庭が、そのステージとなった。そこにはエレガントなレディに変身した「女王様」がいた。
『日刊スポーツ』によれば、「2019年は、米国のブランド〈クシュニー〉のワンピースに身を包んだ。ことしはルイ・ヴィトンのブランド・アンバサダーに就任しているため、同社のワンピースを着こなした。赤とオレンジで同社のブランドロゴをイメージし、下は白い切り返し。同社の公式サイトによると「ゲーム・オン・マクロモノグラム・フラワー・ステートメント・ショート・ジャンプスーツ」という名称で販売価格は42万6800円だという。

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 なおみ女王はこの後、アメリカに戻り、3月のマイアミオープンに出場し、5月の全仏オープン、6月のウィンブルトンとグランドスラムタイトルに挑戦したあとは、東京五輪が待っている。ああ、追っかけ爺イは忙しいぞ。

 さてお次は、アフロヘアをターバンでまとめる歌姫のミーシャである。

2年続けて「アイノカタチ 」で紅白の大トリとして圧倒的な歌唱力を見せつけたミーシャ。あれからずっと、このアフロヘアの歌姫に嵌まりっぱなしで、You Tubeをサーフィンしながら「ミーシャの世界」を渉猟しまくった。

 そのお陰でミーシャという名の歌姫の築き上げたソウルと祈りの世界と、彼女はすでに日本という枠を乗り越え、インターナショナルな評価とファンを持つ存在であることを知った。その挙げ句、何かの拍子に、ひょいと「逢いたくていま」の歌い出しを、ハミングしてしまう。



*153cmの小柄ながら、5オクターブの音声域、ホイッスルボイスは圧巻。

 ともかく一度、この歌を聴いてやって欲しい。聴くたびに家人に見られないよう、こっそり滲む涙を拭いてしまう。ともかく、ミーシャが凄い。主題曲のテーマに取り組むため、ミーシャは鹿児島・知覧という特攻機の飛び立った古い基地の町を訪れ、死と向き合った飛行士たちの遺書や手紙に逢いにいったという。ともかくもっとミーシャを深掘りしたい、と悪い癖が働き出してしまった。

 ミーシャの本名は公表されていないが、「伊藤美咲」で1978年7月7日、長崎県大村市で生まれている。なるほど、九州地方では「美咲」なら幼い頃は「ミーシャン」と呼ばれていたに違いない。だから、歌手になってから、ミーシャか。可愛いよ。

 身長、153cm。そんな小柄でありながら、5オクターブの音声域をもち、ホイッスルボイスで歌いあげる圧倒的な声量の持ち主。未婚の42歳。父親が外科医、母親は小児科医。その両親が「地域医療」を志したこともあって、韓国に最も近い島、対馬の公立病院に赴任。ミーシャは小学校と中学校を、その対馬で過ごし、その頃から教会に通うかたわら、風の強いに海に向かって声を鍛える音楽志向の少女だったという。「あたしは歌手になってみせま〜す」長い髪を海風になぶらせながら、目を輝かせて海に誓う姿が目に浮かぶ。

 厳原(いずはら)中学の途中から福岡市博多区の吉塚中学校に転校、香住丘高校に進み、黒人教師のヴォイストレーニングをうける。地元の西南学院大学に入学。19歳。プロシンガーの道に。ここからはミーシャの活動をサポートするSony Musicの公式ブログからプロフィールを引用すると‥‥‥。

●M I S I A グローバルな知性を持つ、アジアを代表する歌手。1998年、デビュー曲「つつみ込むように‥‥‥」が大ヒット。グルーヴ感抜群の歌唱で、音楽シーンに衝撃を与える。
2000年にはバラード「Everything」がヒットして国民的歌手となり、2004年には女性アーチストとして初めて5大ドームツアーを敢行。アジアにも進出して大成功を収めた。以降、J-POPの枠にとらわれることなくチャレンジを続け、日本にクラブカルチャーを根付かせた。同時に、世界基準のサウンド・クオリティの両立を果たしている。(中略)
20周年を迎えた2018年は新曲「アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)が大ヒット記録、その実力が改めて評価され話題を呼んだ。
また社会貢献活動にも積極的で、特に子供の教育支援に尽力。音楽にこめるメッセージと、貢献活動が一致していることも特筆される。そのアーティスティックなライフスタイルは、あらゆる世代の男女に強い共感を呼んでいる。

 なるほど、である。やっぱりミーシャとなおみは相似点が多いな。ま、講釈はいいだろう。今回はここまでにして、ともかくここで、ミーシャの素晴らしいドキュメント映像が1時間20分の長尺でYouTubeに収められているので、この後の展開のためにも、ぜひご覧いただきたい。

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*中国湖南省長沙にあるバトルの舞台。

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*何もわざわざ中国の歌手バトルに出場しなくても、という声に対してミーシャがこたえる。
 2019年12月31日のN H K紅白歌合戦の大トリを務めたミーシャは、そのまま成田へ向かった。元旦の朝、中国の長沙へ旅立つためだった。『歌手SINGER当打年』という番組に、日本人としてはじめて出演することになったからである。この番組は、いわゆるプロの人気シンガー同士の勝ち抜き音楽バトルで、中国ではスーパー人気番組であるという。そんなところへなぜミーシャが? 


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*通訳同行で初めての「歌手バトル」の舞台へ

 それに応えてミーシャの参加する真意を語るシーンが「5分41秒」のポイントから始まる。

「(わたしは)あまり日本でもT Vに出ることはないです。でも(中国のみなさんと)親睦を深めるためにも、やはり歌ってみなさんに聴いてもらって、仲良く、日本と中国と、人と人、みんなが音楽を通して‥‥」
 そして45 分10秒から8分間のミーシャの絶唱が。そして登場する中国、台湾、シンガポールから選ばれた若々しいミュージック・アーチストたちの驚くほどレベルの高いステージ。魅力満載、ぜひ鑑賞してやってほしい。                              (以下、次回更新へ)

*1時間20分に仕上がっているバトルドキュメント。ミーシャの歌い上げる日本語の「逢いたくていま」に共演者も観衆もまず、唖然。そして涙を隠さない‥‥‥

Posted at 2021/02/26 01:55:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の25歳 | 日記
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何シテル?   08/21 12:43
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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