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正岡貞雄のブログ一覧

2014年06月29日 イイね!

愛しのプログレ、14年昔の晴れ姿

愛しのプログレ、14年昔の晴れ姿  引退間際のプログレ再生計画(その2)

 東京湾に浮かぶ大黒PAで、TOYOTA車を中心にしたオフ会をプロモートしていた「うづっきーセダン」さんの、15年も連れ添っているNC250のプログレから、なんとも不思議な「こだわり」のオーラを感じ取った。その想いが通じたのか、この週末に、お互いのプログレを乗り較べ、思いっきり「プログレについて語り合おう」という話がまとまった。

 そんな浮き浮きした気分でいるところへ、ベスモ同窓会若手メンバーの「2315」君が、わたしの「愛車紹介」に軽いジャブを送ってきた。大歓迎だ。ちょいとライトな筆致だが、なかなか鋭いところが気に入った。少し、要約しながら、引用させてもらおう。


*6月15日の大黒PA.。NC250タイプながら、まるで双子車のような「うづっきープログレ」と遭遇。記念撮影を。

「2315」君は幼少時からの育った環境のせいでTOYOTA車ファン。ソアラとかスープラ=最高のスポーツカーと信じて疑わなかった、という。そんなこともあって、池袋サンシャインに隣接するTOYOTAのオートサロン、アムラックス(2013年末で閉館)に通ってカタログを集めたという。 

「そのカタログ陣は今も変わらずあり、当時のほぼフルラインナップが家にあります……。まぁそれがアムラックスでベストモータリングなる普通車をサーキットに持ち込んでヨーイドンしてしまうビデオに出会ってしまってから、車の世界観が広がった気がします」

 そう前置きして、こう斬りこんできた。
「ここから本題。最近ずっと気になっていたこと。それは、局長(つまり、わたしのことか)の車紹介です! 

(TOYOTAプログレの)車名の頭についている《NC》とは、ニュー・コンパクトカーの略と記憶している――そうだっけ……?? NCV。つまり「ニューセンチュリーバリュー」ってのがあった気がするけど……。

そこで調べたら、カローラのキャッチフレーズでした。New Century Value 9代目(2000年~)ということは、私の答え合わせは間違い。じゃあ、何だっけ??
プログレだけに、wikipediaにも書いてない……。

ということで調べてみた。

正解は、NEO CATEGORY でした。

今、カタログを見ても気合の入った車である。だから記憶に残るのだろうけど。既に、レーダークルーズが搭載されていたり、サイドエアバックが装備されていたり……
今見ても、10年早かったんじゃないか?と思える車だと思います。




*愛しのプログレ、14年昔の晴れ姿。ダークグリーンマイカで仕立てられたボディーカラーが初々しい。

 もうちょっとデザインを工夫して、新世代エンジンでも積んだら、高齢化社会にぴったりだと思う。日本専用車両ってのが難しい時代かも知れませんが、こんな創り手の気合が感じられる車がたくさん出てきたら、日本車が売れるような気がします。
高価な外車がたくさん売れるんですから、値段の問題じゃないと思うんですが……。
    *     *     *     *
 なるほど、後段のプログレへの嬉しいエールはありがたく頂戴するとして、「NC=NEO CATEGORY」という指摘には虚をつかれた。ありがたいことに「2315」君はヘッドPHOTOに、根拠となったカタログの導入コピーの一部をアップすれば見れるように、添えてくれていた。

 早速、拡大して、読み取ってみる。濃緑のフロント・グリルのスポイラー部分をバックにして、こんな白文字のコピーが浮かび上がってくる。相当に練りこまれたプロの文章。せっかくの貴重な資料だから、全文掲載と行こうか。

――ふと見渡すと、日本には多くの高級車が存在しています。ゆとりあるサイズ、豪華な仕様、行き届いた装備。確かに性能も品質も世界に誇れるものを備えています。その数ある中から自分のライフスタイルに相応しい一台にめぐり会うことができたとしたら、それはこの上ないことかもしれません。ここに紹介する「プログレ」。“進歩”という意味を込めたこのクルマをとおいて、私たちの描いたひとつの理想ともいうべき姿をお目にかけたいと思います。独自の思想による斬新なパッケージ、新たな価値観を秘めたスタイル、先進のメカニズム……。その想いを“NEO CATEGORY”の頭文字としてグレード名にしっかりと刻みました。「プログレ」。今のところ、こんなコンセプト持った高級車はちょっと見当たらないのでは、と自負しています。

 何一つ、数字が出てこないところにこの時代の空気が感じられる。
そうだ。わたしにも蘇えってくる記憶があった。もう一つ、“NEW CONCEPT”という意味合いが込められていた、と。出典をあれこれと探してみる。そして、間違いなく確認できた。――拝啓 「プログレ」オーナー様 新コンセプト高級車「プログレ」をお届けします。こう題したチーフエンジニアからのメッセージを、わたしのプログレに添えられた「取扱書」の巻頭見開きページから見つけ出すことができたのである。



 ま、今となっては「NC」の「C」がカテゴリーだろうが、コンセプトだろうが、あるいはコンパクトなサイズながら高級感・品格にあふれ……といった狙いから創り出した情熱の結晶といったセールストークも、それぞれが補完し合っていて、実はどうでもよかった。それよりも気になることがあって、「2315」君に電話で問い合わせる。

「NC=NEO CATEGORY」の出典となったカタログに登場するプログレに見覚えがある。ひょっとしたら、わが愛しのプログレ、NC300 iRバージョンがモデルになっていたような気がする。至急、カタログのプログレの詳細がわからないだろうか、と。

「2315」君からすぐにレスポンスがあった。 

「先ほどのカタログの写真を送付します。プログレ前期型のカタログですが、2000年4月なのでもしかしたら、もう何種類かカタログが存在するのかもしれませんね。
アップの方は記載がありません。全体写真の方は、NC300 ウォールナットパッケージ レーダークルーズコントロールとプロジェクターフォグランプ装着車、ボディカラーはグリーンマイカメタリック とのことです」。

 添付された2葉の写真。

 それはまさしく、わがプログレの14年前の懐かしい晴れ姿であった。アルミホールのキャップがiRバージョンだけに与えられた特製ものであるのも、傍証のひとつであろう。


*2014年6月29日午後2時の「わがプログレ」。因みに前に停車しているのが「うづっきーぷろぐれ」。東京・豊洲にて。

  そのカタログにモデルとして登場したプログレは、このあと若干のメディア露出をすませてから、まっすぐ、2000(平成12)年10月、走行距離1827kmで、わたしのもとに嫁いできたいきさつは、もう時効だから、この際、明らかにしておいてもいいだろうが、長くなるので次回へ。

Posted at 2014/06/29 22:52:13 | コメント(9) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2014年06月21日 イイね!

引退間際のプログレ再生計画 

引退間際のプログレ再生計画  告白的《人生最後の1台》選び Part.1

 少年時代からずっと、ご贔屓を続けてきた阪神タイガースの楽しさに欠け過ぎる闘いぶりに愛想をつかしかけていることに仮託して、「プログレ」からも心が離れつつある、と告白した前回の「プロローグ」。さて、それから――である。

 13年間、10万キロ近くも連れ添ってきたわがプログレNC300 iRバージョンの、こんな晴れやかな笑顔は初めて見る。





 6月15日。梅雨の合間の日曜日。束の間の晴れ晴れしい陽光が、プログレご自慢の「ブラキッシュグリーンマイカ」で仕上げられたボディに降り注ぎ、普段はブラックにしか見えない肌から、深い緑色がまるでエメラルドの宝石さながらに輝き、浮かび上がってくる。

 その朝、クリスタルKeePer職人の手で1年半ぶりにコーティングされ、磨き上げられ、加えて、ウィークポイントとして不興を買ってしまったブレーキ関係の調整も済ませて、いつものGS基地で、わたしを待ってくれていたのだ。



 この日の午前10時、注目のサッカーW杯で日本代表チームがコートジボワールと対戦。ぜひともTV観戦したいところだったが、2年前の夏に、九州・筑後の小京都とうたわれる謳われる「《秋月》取材」の際に世話になった「みんカラフレンド」の「TAKU V35」さんが日本EVクラブの総会に出席するために上京されたとあって、そのときのお礼に、11時過ぎには宿泊先のホテルでピックアップし、東京プリンスHOTELの和食処『清水』で「お昼のランチ会談」を楽しむ予定を立てていた。

 GS基地でプログレのできあがりを一通りチェックし、支払いを済ませていると、サロンに陣取って、スマホのワンセグ画面でW杯の実況をみていたお客の一人が歓声を上げる。本田選手のシュートで、日本チームが先制したという。お、幸先きがいいぞ!

 約束の時間が迫っていた。練馬の奥から都心の芝公園まで、いくら日曜日だといっても40分で着くのは厳しい。

 プログレのブレーキの具合を確かめながら、目白通りから早稲田を抜け、外苑東通りと呼び慣わしている319号線を、四谷3丁目から青山1丁目の交差点へとひた走った。

 なんだかやたらとクルマの流れがよかった。ハッと気づいた。皆さん、日本vs.コートジボワール戦に釘付けなんだ、と。こちらもCarラジオを実況中継しているFM東京に周波を合わせ、試合の経過を気にしながら走っていた。そのせいか、化粧直しをしたプログレの調子のチェックに、わが神経は向かってなかった。

 実はここからが、空いてさえいれば、左周りのブラインドコーナーをターンして一気に下っていく、絶好の市街地テストルートである。ポンと走行モードを「Power」に入れてやる。インジケーターが青く光った。行こうか。プログレに語りかけた。

 右手に青山墓地を見ながら、一気に駆け下りかけた。しなやかだが、粘りのある足下からの反応。悪くないね。と、麻布十番に抜ける六本木トンネルの手前で、TAXIに前をふさがれ、プログレは信号に捕まった。



「お、やってるね」
 反対側の速度の出るトンネルからこちらへ合流して来るのを待ち構えて、「ネズミ捕り大作戦」が敢行されていた。みなさん、ご存じなのか、それともマナーがよろしいのか、1台としてお世話になっている様子はない。対向車にサインを送る必要もないな、と思った瞬間、聞きたくない実況アナウンサーの絶叫が耳に入った。

「あ、あ、あ。日本、1点を奪われました!」
 1対1。後半に入って直ぐに、日本は同点に追いつかれたらしい。そして、その直後、麻布十番の交差点を抜け、芝公園が見えてきたあたりで、今度は追加点を奪われるシーンを、Carラジオが伝えてきた。おいおい、どうしたの? 日本チームの不出来な展開に首をかしげたところで、TAKU V35さんの待つパークHOTELの前に、10分遅れで着いたのである。

 TAKU V35さんは若者たちに囲まれて、大分の私立大学で自動車工学の講師を務める大変なクルマ博士。いつも、クルマのメカニズムに関してなど、わからないことがあると、この人が一発回答で、大体のことは解き明かしてくれる。加えて、わたしが18年間、生まれ育った北九州・八幡の同じ町の出身でもある。プログレにピックアップし、直ぐそばの東京プリンスへ。ことしのはじめ、山口・萩の波田カリスマ教官と待ち合わせて以来じゃなかったかな。



 午後3時50分の便で、羽田から大分に向かうスケジュールだと訊いていた。例のミニ天丼つきの蕎麦御膳を平らげたところで、生け垣に囲まれた、このHOTE L自慢の駐車場へ。午後3時までの時間を利用して、プログレで横浜まで一走りしようではないか、と話がまとまっていた。TAKU V35さんはそのハンドルネームからもわかるように、ついこないだまでは、スカイラインのV35を愛好、いまは思うところあって、憧れていたBMW 325 iのMスポーツにチェンジしたという「FR派]であった。
 
「あれ! さっき隣のスペースに駐めてあった薄い水色のプログレはいなくなりましたね。珍しい光景で、並んだ時に写真を撮っておいてよかったですね」


 
 TAKU V35さんが、わがプログレのキーを受け取りながら、運転席側の空いたスペースに立つ。
なるほど、横浜ナンバーの水色の珍しいボディカラーをしたプログレの2.5ℓモデルと、並んだ光景は、珍しいだろう。それにもう1台並んで、白のメルセデスSC550も一緒に撮ったけれど、なんだかこのごろ、やたらとメルセデスのCクラスやSクラスが気になってならない。この23日からは、4日間のCLA試乗も予定しているほどで、わたしの「人生最後の1台」選びは、その方向へ引き寄せられているのではないかな。

 日比谷通りに出て、首都高速・芝公園ランプからひとまず、羽田・横浜方向をめざす。それからの「プログレ試乗記」は,自らの「みんカラBLOG」で「東京へ」とタイトルした第2日目に、丁寧に書き上げているので、ぜひ「東京へ」をワンクリックして、ご一読願いたい。



 羽田空港や房総半島へつながるアクアラインを左にみて、プログレはストレスなく横浜・大黒PAをめざした。そして、白く大振りなアーチを何回かくぐりながら、首都高速名物の一つである大黒パーキングに降り立った。で、そこでまた、新しいプログレSTORY が誕生したことを、TAKU V35が触れている。『うづっきーセダン』さんの愛車、24万キロを走破しているプログレ君との邂逅であった。(以下、次回更新につづく)


*双子に見える2台のプログレ。向かって右が「うづっきーセダン」号。2.500cc版で車高調整もの。しっかりメインテナンスされた「ご親戚」。
Posted at 2014/06/21 20:09:22 | コメント(9) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2014年06月13日 イイね!

告白的『人生最後の1台』選びのプロローグとして

告白的『人生最後の1台』選びのプロローグとして ~阪神タイガースとプログレの関係~


 雨の6月12日の朝、Newスカイライン350GT HVを受け取りに行く前に、以下の一文だけは書き上げておきたかった。わたしのクルマ選びの物差しが「地殻変動」しはじめた兆しを、「広島カープ」に惹きこまれたことにこと寄せて、告白したかったのである。その辺の気分は午前7時50分に140字日記として愛用している『何シテル?』で報告している。



 ――あの「ソウルレッド」に染め上げられた広島カープ応援団の爽やかな熱狂ぶりをTV中継で知ったのは、黄金週間の始まった4月29日からの3日間だった。

 甲子園の阪神vs.広島3連戦。第1戦、1-0で阪神。第2戦も8-3で阪神。阪神ファンの当方、気分よく阪神の闘いぶりに満足したか、というと、実はそうではなかった。勝っていようが負けていようが、溌剌と楽しそうにプレーしているカープの各選手に比べて、タイガースの選手、とくに若手プレーヤーの動き、表情の暗さ、鈍さが気になった。とにかく野球を楽しむ気配がまったく感じられない。







 5月1日の第3戦。3連勝狙いの阪神は、売り出し中の岩崎左腕を先発起用。それに対して広島も新人投手の中でもピカ1の大瀬良大地。ドラフト抽選で和田監督が取り逃がした大魚であった。ポカン、ポカンと大花火のような本塁打を打ち上げたのは広島の外人選手のふたり。6-1。9回裏にゴメスの一発が出て、やっと大瀬良から完封されるのを、免れたに過ぎなかった。

 ま、こんなゲームのいきさつはもうどうでもいい。勝とうが、負けようが、選手の一挙手一投足にひたむきに励ましの声援を送る広島カープ応援団が羨ましくなった。そう気がついた。一種の感動があった。それに比べて見慣れた阪神応援団の大規模過ぎて、いささか職業的なそれに、食傷していたのかもしれない。

 スクワット応援とよぶ、縦一列ごとに交互に立ったり座ったりして、自軍の攻撃イニング中にのみ、ひたすら声援し続ける赤い帽子と赤い半被。大学に入って初めて神宮球場での早慶戦応援に狩り出されたときの、はるかな記憶が蘇った。



 そうだ、一度、カープの応援団の中に入ってみようか。
 早速、東京周辺での日程を調べてみた。
 6月12、13日は西武ドームのセ・パ交流戦が直近だったが、この2日はすでにスカイライン350GTハイブリッドの試乗スケジュールが入っているからNO!
 
 6月27~29日が横浜スタジアムか。最近のDeNAは面白くなっているし、横浜中華街には西武・東急の連携直通電車が走って便利になっているから、一度はそれにも乗ってみるいい機会ではないか。
 
 いや、いや7月21~23日の神宮球場、これだ! そういえば、横浜のMAZDA研究所で広報車管理をマネージメントしている名物女史も、今度の神宮には行きますよ!と快活に宣言していた。カープの赤ヘルは「ソウルレッド」と同じプレミアム特別色と教えてくれたのも彼女である。果たして今から、チケットが予約できるのだろうか。「カープ女子」という流行語が生まれるくらい、いま、カープファンが沸騰しているらしい。気がつくのが遅すぎたかもしれない。

 さて、時計の針が10時30分を示した。慌てて、傘をさして西武池袋線富士見台駅へいそぐ。池袋駅で湘南行きに乗り換え、12時20分には横浜みらい地区の『日産グローバル本社』の受付に到着していた。が、その時間は昼休み、広報車の引き取りは午後1時まで待機しなければならなかった。
 
 ちょうどいい。1Fギャラリーに付属する「スターバックス」でカプチーノでも飲むとするか。と、ギャラリーではNewスカイライン200GT-tと350GTハイブリッドが並んで展示されてあった。これからジックリ比較検討したい2台。それを眺めながら、熱いカプチーノを飲む。悪くない時間である。





 ともかく、このごろ、ご贔屓の阪神タイガースのTV中継を観ていてまったく面白くないのが気に入らない。理由はいろいろあるだろうが、要するに彼らが野球を楽しんでいないからだ。それはわたしの心が「プログレ」から離れつつあるのと共通しているな、と気づいてしまったことを、正直に認めなければならないのだが、詳しくは次回の更新に譲りたい。

Posted at 2014/06/13 01:19:24 | コメント(8) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2014年06月09日 イイね!

阪神か広島か。ご贔屓球団に心変わりアリ!

阪神か広島か。ご贔屓球団に心変わりアリ! それもまた『萎んだ風船』再生への道なのか③

 6月6日の午前5時55分に、わがBLOG「消えた携帯スマホ・・・」の項を、やっとの想いでアップできた。とりかかったのが5日の午後11時に近かったから、結局、久々の「完全徹夜」をやってしまったわけだ。いっそなら、6時JUSTにあげていれば、6並びが達成できたものを、そこまでは・・・・・・。

しかし、この「すっきり感」はどうだ。どうしようもなかった便秘状態から解放された感じ。これでやっと、書きかけのまま放置してある「第3回ベスモ同窓会」前夜に大井貴之君たちが合流してから、中山サーキットでの「同窓会詳報」と「2次会」、そして翌日の海辺の「お墓参り」と「備前焼鑑賞」ぶらり歩きなどに、とりかかれる。
 
 それが終わってから、Hot-Versionの127号と、新着128号をひとつにして、見所・注文をまとめたいのだが、その前に、どうやら、自分で書いた当BLOGの「プロフィール」の「好きなもの・お気に入り」の項、特に書き出しの部分を書き換えなければならない時期に来たらしい。


*「阪神タイガース」の公式ホームページ。いやぁ~、楽しくできているのに驚いた。

――弱いときの阪神タイガース。昭和21年、猛虎と呼ばれたときからのご贔屓。年に1回、セ・パ交流戦で西武ライオンズと対戦する時に限って西武園へ。メガホン持参で思いっきり応援し、風船をふくらます。

 ところが、である。このところの阪神の闘いぶりに惹かれるものが、まったくない。「ダメ虎」と嗤われた時代でも、その負け方に一喜一憂し、時たまの勝利に「たまに勝つから、歓びの味が濃いんだよ」なんていいながら、ひたすら「六甲おろし」を、心の中で歌ってきた。が、いまの首脳陣の采配ぶりには、ずっと呆れている。それまでの「成功体験」だけに頼り、「流れ」とやらを後生大事に守ることに汲々としている。面白くもおかしくもない。「筑波バトル」さえやっていれば、何とか売れるさ・・・・・・ある時代のベスモが陥っていったあの情けない、同じ構造が、そこにあった。



  最近のセ・パ交流戦で、東北楽天イーグルスを、メッセンジャー投手が8回まで1安打で抑え、9回表の1死後に打者としての打順がまわってきた。完投・完封を狙わせるのなら、当然、あっさり三振してくるように指示するのが首脳陣の仕事のはずなのに、それを怠った。

 酬いはすぐにやってくる。投手をさりげなく四球で出塁させる楽天の作戦にはまって、とうとうメッセンジャー投手はそのまま塁上にたたされ、休む間もなく、9回裏のマウンドへ向かわされてしまう。

 阪神タイガースは苦もなく9回裏に逆転される。メッセンジャーが1点を献上したところで、満を持して救援した守護神の韓国人投手がサヨナラ3塁打を打たれたのである。その後遺症は、聖地甲子園に帰ってからものオリックス戦でエースの能見左腕が、終盤、球威を失い始めたときに、今度は故障上がりの福原右腕をあわてて起用、オリックスの大砲・左打者に逆転3ランを浴び、3対4で負けてしまう。脱力感から放心顔の能見をTVカメラがクローズUPする。あ、来年の能見は取得したばかりの国内FA権を行使してしまうに違いない。わたしは、そう感じ取った。

 そんな阪神タイガースだが、それでもスケジュールが合えば、例年同様、西武ドームに赴き、あの猛虎応援団の熱狂の中に入れてもらうつもりで、ビジネス手帳をひらいて日程をチェックしてみると、ああ、ダメだ! なんと6月14、15日となっているじゃないか。この週の後半は、新車の試乗と、飯嶋洋治さんに同行してもらって、第2回目の「秩父困民党事件を歩く」ための取材に当てている。加えて、15日は16日にかけて終日『ルマン24時間』の実況中継がある。ことしのタイガースとは縁がないのだ。

 ところで、このごろ、阪神から心がほかの球団に移りつつあるのを、正直に告白しておこう。


*広瀬外野手。野村監督と同じ、大分の佐伯鶴城高校の出身。若者球団のなかで、その渋さが光っている。 


*アテンザXD
 お相手は広島カープである。セ・パ交流戦に入ってからの「新しい恋人」はすっかり調子を落としたというか、それまでの生き生きとした若者のまっすぐなエネルギーを、パリーグのチームにはぐらかされ、勝てなくなっているが、それまでの闘いぶりには、惚れ惚れとさせられる若さが燃えたぎっていた。赤いヘルメットがTVのモニターに大写しにされるたびに、ああいい色をしている。あれは「アテンザ」や「アクセラ」のボディカラーとそっくり同じの「ソウルレッド・プレミアムメタリック」という特別色じゃないか。


*アクセラSPORT15

 それに「SKY ACTIV」ロゴがしっかりついているぞ、なんてはしゃぎながら、広島のゲームに惹き込まれ始めたのは、いつのころからだろうか。    
                                (この項、つづく)

 
Posted at 2014/06/09 00:08:02 | コメント(3) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2014年06月06日 イイね!

消えた「携帯スマホ」の「1%の奇跡」顛末

消えた「携帯スマホ」の「1%の奇跡」顛末 それが『萎んだ風船』を再生させる道なのか②

この6月の後半には「世界文化遺産」として登録される見通しとなり、にわかに脚光を浴びた「富岡製糸場」の視察を済ませ、その正門の真向かいにある「峠の釜飯」でなじみの深い「おぎのや」創業・(明治18年=1885)で早めの腹ごしらえをしたとき、釜飯をカメラに収めているわたしの姿を、同行のパートナー・飯嶋洋治さんが彼のデジタル・カメラに捉えていた。

「お、やっぱり。右の腰のベルトに携帯の入ったケースが映っている。だから、携帯をケースごと失くしたのは、このあとだね」


*富岡製糸場にて 飯嶋洋治さん 撮影協力 富岡市・富岡製糸場


*この時はまだ携帯はわが右腰に

 西上州から奥秩父へ続く山塊をかき分けるようにして南下し、それまでひたすらトレースしていた46号線が、いよいよ藤岡へ下る177号線と分岐し、神流(かんな)方面をめざして御荷鉾スーパー林道を横切るルートにさしかかったとき、右腰にあるはずの「iPhone5」が消えていたのに気づいた。そのときの衝撃は強烈だったが、とにかくこころを鎮めて
善後策を講じるしかなかった。

 一旦、分岐点にあった大山祇神社まで戻って、すがるような想いでまず、昼食を撮った「おぎのや」に、飯嶋さんの携帯電話をかりて「探索」をお願いした。つづけて午後2時の約束で秩父事件の秘蔵資料を見せてもらうことになっていた「石間交流学習館」にも、1時間だけ遅刻することを了解してもらう。


*富岡と「秩父事件」の舞台となった奥秩父との地理関係をとくとご覧あれ。(『ガイドブック 秩父事件』秩父事件研究顕彰協議会編・新日本出版社)



*富岡と甘楽経由で十石峠街道とを結ぶ46号線。快適でタフな林道コースであった


*その46号線でオアシスのようにポッカリ待ち受けていた「城下町・小幡」

 30分間だけ、時間の余裕ができた。改めて『おぎのや』に問い合わせてみたが、残念ながら見当たらないという。となると、どこで『携帯』を落としたのか。クルマから降りた地点を洗うしかない、と記憶を巻き戻してみる。

「おぎのや」を出て、46号をひたすら南下した途中に、かつて城下町として栄えて「小幡町」を通過するとき、その町の風雅な佇まいをカメラに収めるために、まずアクセラを往還の左端に寄せて、確かにクルマを降りている。しかし、そこは町中だ。落としていた場合、すでに拾得されている可能性が高い。








 次に、西上州山塊の山肌に、奥秩父の耕地集落とまったくよく似た景観で張り付いている秋畑部落を、アクセラから降りて、カメラを向けていた。そして九十九折れの峠道にさしかかる。各コーナーの頂点にそれぞれ「C25」といったような標識が用意されていて、それが「C3」となったところアクセラを停止して、改めて山道のコーナーを抜ける姿を撮りたくなり、そのときも、クルマを降りている。そこならば、分岐点に鎮座する「大山祇神社」から、さほどの距離ではない。ともかく、まず、その「C3」の標識のあるコーナーまで、下ってみることにした。クルマも人もほとんど往来しない。ひょっとしたら無事に・・・・・・。

 空振りだった。それでは、と耕地を撮った地点まで、さらに46号線を下ってみたが、やっぱり「携帯」の姿を見ることはなかった。時間がなくなった。探索を諦めるしかないのか。面倒なことになったぞ。いやな胸騒ぎがしてならない。

 さて、どうするか。飯嶋さんが提案する。彼もかつて「携帯」が行方不明になったとき、PCの「iCloud」の「iPhoneを探す」機能を使って、クルマのトランクに置き忘れていたのを「救出」したという。この際、東京に帰ってから、その救出作戦をやってみましょうか、と。一縷の望みを託して、飯嶋案に従うことにして、ともかく、あらためて秩父の「石間交流学習館」をめざすことにした。それからの1時間、奥秩父の山塊をかき分けて、山岳ドライブに専念するしかなかった。





 西秩父・吉田町石間の取材を終えて、東京・練馬の自宅に帰り着いたのは午後7時。ともかく、飯嶋さんがまっすぐに、わたしのPCに取り組んでくれた。
 「iCloud」から「iPhoneを探す」をクリックする。期待が高まる。

「あ、ダメだ!」 
 悲鳴をあげる飯嶋さん。「そのデバイスはどこにも見当たりません」という無残な宣告が画面に告知されている。どうやら、肝心のiPhoneを購入して「iCloud」に加入した際、
「iPhoneを探す」という項目があったのに「ON」にしてなかったらしい。

 頼みの綱がプツンと切れた。さてどうしよう。まず、警察署への紛失届、携帯電話会社への通話停止願、それにもましてiPhoneに登録してあるさまざまなデータ。まあ、今度のiPhoneは「パスコード」を入力しないと使用できないようになっているので、その点だけは安心していられるものの、ともかく「携帯」の存在がこんなにもわが暮らしと関わっていたとは!

 結局、この日はもう打つべきテはなくなってしまった。翌日、同じ時間に東京を出て、群馬県富岡市の警察署に紛失届を提出すことから取りかかるしかない。運がよければどなたかの手で、遺失物として届けられていることだってあるかもしれない。

 その夜、備え付けの電話で、2度ほど、わが携帯をコールしてみた。おお、鳴っている。どこかで生きてくれている! 希望の灯は消えていなかった。
 5月16日、午前8時。この日は家人につきあってもらって、アクセラでふたたび富岡に向かった。午前9時45分、富岡警察署着。遺失物受付の女性警官が優しく、丁寧に応対してくれる。が、残念ながら、どこからも、だれからも届出はないという答え。こちらの連絡先を登録して、虚しく警察署を後にした。ひとまず、峠の茶屋「おぎのや」に一縷の夢を託して、立ち寄ってみることにして、すでに見学者で賑わい始めている「富岡製糸場」正面に通じる道にはいった。





 両側に立ち並ぶ土産物屋やお菓子屋さん。「かりんとう饅頭 空っ風カリン」の幟が目について、家人が2袋を購入してくる。店の女性の応対が気持ちよかったので、2袋にした、と家人が笑う。それが、後刻、奇妙に役立つのだから、世の中、面白くできている。

「おぎのや」に立ち寄り、前日からお騒がせして、と詫びる。「あれからも、お店のお掃除をかねて調べてみたけど」と、何度も電話に出てくれた例の女性が答える。

 さて、どうしよう。こうなれば、前日の足取りを忠実にトレースしていくより方法はない。富岡の街から46号線にのってまず甘楽地区小幡町に行ってみようか。その前に、前夜、己の足取りをチェックするために、NIKONで撮り終わった写真をPCにダウンロードしたが、そのなかで記憶からこぼれ落ちていたカットがあるのに気がついていた。


*東京に帰って、改めて次の朝、豊岡を再訪すると決め、その日に撮影したカットをチェックした時、このショットに気づいた。ひょっとしたら、この時に! 予感があった。

 46号線にはいり、秩父方面に向かう最初の峠道を下ったあたりで、高架になっている上信越自動車道が目の前を横切り、その向こうに御荷鉾の山並みが広がる風景に惹かれ、アクセラを駐めていたのだ。おっ、そうだ、「おぎのや」を出てから、最初にクルマを降りたポイントじゃないか。まず、そこへ行ってみよう。
 
 今でこそ、クルマで快適に駆け抜けていく見晴らしのいい峠にさしかかった。かつては富岡から甘楽・小幡に向かう旅人は、この峠で渇を癒やし、茶を求めて一休みしたに違いない。左側に一軒家がぽつりと・・・・・・。それが多分、茶店だったに違いない。道端には花園が続き下っていく。写真を撮ったのはこのあたりだ。


*峠の一軒家。おそらく、かつては旅人の渇を癒した茶屋だったに違いない。


*確か、このアングルから向かいの山並みと、高速自動車道を狙ったはずだが……。 

 アクセラから降りて、まず昨日と同じ撮影ポイントに立ち、周辺のあちこちを「もしかして・・・」と探索していると、すぐ背後にある一軒家から出てきた老婦人が、なんとなく問いかけてくるような感じで、こちらを見つめている。
「ちょっと、お尋ねしますが・・・・・・」
こちらの問いかけを待っていたように、老婦人が歩み寄ってくれる。
「昨日、このあたりで携帯を落としたのではないかと探しているのですが」と言葉を続けると、「どんな色のものですか?」と問い返してくれるではないか。黒い革のケース入った黒の「iPhone」ですが・・・・・・。
「ちょっと待って」
 そう言い残して、老婦人が家の奥へ戻っていく。そして現れたときの右手には黒の革ケースが!
「今朝、花畑の掃除をしていたら、これが落ちていました。さっきも何度か鳴っていたけど、どうしてよいものか、わからないので、これから交番にでも届けに行こうかと思っていたんですよ。確かめてください」

 紛れもなく、わたしの「iPhone5」であった。電池の残量は48%。まだしばらくは使えそうだ。富岡警察署、「おぎのや」、そして飯嶋洋治さんに、無事、携帯が手元に戻ってきた報告ができる。深々と叩頭して、老婦人に礼をいいながら、先程、買ったばかりの「空っ風カリン」を一袋、手渡した。恥ずかしそうに受け取ってくれる老婦人。携帯が奇跡的に、こんなにスムースに戻ってきてくれたことに夢中になって、お名前を伺うのを失念してしまった。改めて、峠のお家に参上しよう。


*「1%の奇跡」で手元に還ってきたわがIPhone5。落下させた時の衝撃を防ぎ、確実に身体のそばでキープしておくために特別に購入した革製のケース。ところがスナップ付きのベルト通し、これの造りが甘く、下からiPhoneを押し上げると、スポッと簡単に脱落してしまうことが判明。ナビシートに座っていたときに携帯が外れており、そのまま撮影のために車から降りた際に、落としたものと思われる。それが花壇の傍であったため、落下音がしなかったのだろう。

 それにしても、何という運の良さだ。この日の朝からの動きで、ちょっとでも違う軌道をとっていれば、決してこのような「奇跡」にめぐり逢うことはできなかっただろう。まさに「1%の奇跡」であった。

 その日、帰宅してから「空っ風カリン」の袋を裂いて、かりんとう饅頭をいただいた。こし餡とカリッと揚げられた衣の食感。しばらく、病みつきになりそうだ。

 改めて、わがiPhone5の「履歴」の項を開いてみると、5月15日の13:26から19;17まで、なんと14回にわたって飯嶋洋治さんからの「不在着信」が記録されていた。後日への戒めとして、しばらくは削除しないでおくとしよう。     (この項、終わる)
Posted at 2014/06/06 05:55:49 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
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何シテル?   08/16 10:14
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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