それが『萎んだ風船』を再生させる道なのか②
この6月の後半には「世界文化遺産」として登録される見通しとなり、にわかに脚光を浴びた「富岡製糸場」の視察を済ませ、その正門の真向かいにある「峠の釜飯」でなじみの深い「おぎのや」創業・(明治18年=1885)で早めの腹ごしらえをしたとき、釜飯をカメラに収めているわたしの姿を、同行のパートナー・飯嶋洋治さんが彼のデジタル・カメラに捉えていた。
「お、やっぱり。右の腰のベルトに携帯の入ったケースが映っている。だから、携帯をケースごと失くしたのは、このあとだね」
*富岡製糸場にて 飯嶋洋治さん 撮影協力 富岡市・富岡製糸場
*この時はまだ携帯はわが右腰に!
西上州から奥秩父へ続く山塊をかき分けるようにして南下し、それまでひたすらトレースしていた46号線が、いよいよ藤岡へ下る177号線と分岐し、神流(かんな)方面をめざして御荷鉾スーパー林道を横切るルートにさしかかったとき、右腰にあるはずの「iPhone5」が消えていたのに気づいた。そのときの衝撃は強烈だったが、とにかくこころを鎮めて
善後策を講じるしかなかった。
一旦、分岐点にあった大山祇神社まで戻って、すがるような想いでまず、昼食を撮った「おぎのや」に、飯嶋さんの携帯電話をかりて「探索」をお願いした。つづけて午後2時の約束で秩父事件の秘蔵資料を見せてもらうことになっていた「石間交流学習館」にも、1時間だけ遅刻することを了解してもらう。
*富岡と「秩父事件」の舞台となった奥秩父との地理関係をとくとご覧あれ。(『ガイドブック 秩父事件』秩父事件研究顕彰協議会編・新日本出版社)
*富岡と甘楽経由で十石峠街道とを結ぶ46号線。快適でタフな林道コースであった
*その46号線でオアシスのようにポッカリ待ち受けていた「城下町・小幡」
30分間だけ、時間の余裕ができた。改めて『おぎのや』に問い合わせてみたが、残念ながら見当たらないという。となると、どこで『携帯』を落としたのか。クルマから降りた地点を洗うしかない、と記憶を巻き戻してみる。
「おぎのや」を出て、46号をひたすら南下した途中に、かつて城下町として栄えて「小幡町」を通過するとき、その町の風雅な佇まいをカメラに収めるために、まずアクセラを往還の左端に寄せて、確かにクルマを降りている。しかし、そこは町中だ。落としていた場合、すでに拾得されている可能性が高い。
次に、西上州山塊の山肌に、奥秩父の耕地集落とまったくよく似た景観で張り付いている秋畑部落を、アクセラから降りて、カメラを向けていた。そして九十九折れの峠道にさしかかる。各コーナーの頂点にそれぞれ「C25」といったような標識が用意されていて、それが「C3」となったところアクセラを停止して、改めて山道のコーナーを抜ける姿を撮りたくなり、そのときも、クルマを降りている。そこならば、分岐点に鎮座する「大山祇神社」から、さほどの距離ではない。ともかく、まず、その「C3」の標識のあるコーナーまで、下ってみることにした。クルマも人もほとんど往来しない。ひょっとしたら無事に・・・・・・。
空振りだった。それでは、と耕地を撮った地点まで、さらに46号線を下ってみたが、やっぱり「携帯」の姿を見ることはなかった。時間がなくなった。探索を諦めるしかないのか。面倒なことになったぞ。いやな胸騒ぎがしてならない。
さて、どうするか。飯嶋さんが提案する。彼もかつて「携帯」が行方不明になったとき、PCの「iCloud」の「iPhoneを探す」機能を使って、クルマのトランクに置き忘れていたのを「救出」したという。この際、東京に帰ってから、その救出作戦をやってみましょうか、と。一縷の望みを託して、飯嶋案に従うことにして、ともかく、あらためて秩父の「石間交流学習館」をめざすことにした。それからの1時間、奥秩父の山塊をかき分けて、山岳ドライブに専念するしかなかった。
西秩父・吉田町石間の取材を終えて、東京・練馬の自宅に帰り着いたのは午後7時。ともかく、飯嶋さんがまっすぐに、わたしのPCに取り組んでくれた。
「iCloud」から「iPhoneを探す」をクリックする。期待が高まる。
「あ、ダメだ!」
悲鳴をあげる飯嶋さん。「そのデバイスはどこにも見当たりません」という無残な宣告が画面に告知されている。どうやら、肝心のiPhoneを購入して「iCloud」に加入した際、
「iPhoneを探す」という項目があったのに「ON」にしてなかったらしい。
頼みの綱がプツンと切れた。さてどうしよう。まず、警察署への紛失届、携帯電話会社への通話停止願、それにもましてiPhoneに登録してあるさまざまなデータ。まあ、今度のiPhoneは「パスコード」を入力しないと使用できないようになっているので、その点だけは安心していられるものの、ともかく「携帯」の存在がこんなにもわが暮らしと関わっていたとは!
結局、この日はもう打つべきテはなくなってしまった。翌日、同じ時間に東京を出て、群馬県富岡市の警察署に紛失届を提出すことから取りかかるしかない。運がよければどなたかの手で、遺失物として届けられていることだってあるかもしれない。
その夜、備え付けの電話で、2度ほど、わが携帯をコールしてみた。おお、鳴っている。どこかで生きてくれている! 希望の灯は消えていなかった。
5月16日、午前8時。この日は家人につきあってもらって、アクセラでふたたび富岡に向かった。午前9時45分、富岡警察署着。遺失物受付の女性警官が優しく、丁寧に応対してくれる。が、残念ながら、どこからも、だれからも届出はないという答え。こちらの連絡先を登録して、虚しく警察署を後にした。ひとまず、峠の茶屋「おぎのや」に一縷の夢を託して、立ち寄ってみることにして、すでに見学者で賑わい始めている「富岡製糸場」正面に通じる道にはいった。
両側に立ち並ぶ土産物屋やお菓子屋さん。「かりんとう饅頭 空っ風カリン」の幟が目について、家人が2袋を購入してくる。店の女性の応対が気持ちよかったので、2袋にした、と家人が笑う。それが、後刻、奇妙に役立つのだから、世の中、面白くできている。
「おぎのや」に立ち寄り、前日からお騒がせして、と詫びる。「あれからも、お店のお掃除をかねて調べてみたけど」と、何度も電話に出てくれた例の女性が答える。
さて、どうしよう。こうなれば、前日の足取りを忠実にトレースしていくより方法はない。富岡の街から46号線にのってまず甘楽地区小幡町に行ってみようか。その前に、前夜、己の足取りをチェックするために、NIKONで撮り終わった写真をPCにダウンロードしたが、そのなかで記憶からこぼれ落ちていたカットがあるのに気がついていた。
*東京に帰って、改めて次の朝、豊岡を再訪すると決め、その日に撮影したカットをチェックした時、このショットに気づいた。ひょっとしたら、この時に! 予感があった。
46号線にはいり、秩父方面に向かう最初の峠道を下ったあたりで、高架になっている上信越自動車道が目の前を横切り、その向こうに御荷鉾の山並みが広がる風景に惹かれ、アクセラを駐めていたのだ。おっ、そうだ、「おぎのや」を出てから、最初にクルマを降りたポイントじゃないか。まず、そこへ行ってみよう。
今でこそ、クルマで快適に駆け抜けていく見晴らしのいい峠にさしかかった。かつては富岡から甘楽・小幡に向かう旅人は、この峠で渇を癒やし、茶を求めて一休みしたに違いない。左側に一軒家がぽつりと・・・・・・。それが多分、茶店だったに違いない。道端には花園が続き下っていく。写真を撮ったのはこのあたりだ。
*峠の一軒家。おそらく、かつては旅人の渇を癒した茶屋だったに違いない。
*確か、このアングルから向かいの山並みと、高速自動車道を狙ったはずだが……。
アクセラから降りて、まず昨日と同じ撮影ポイントに立ち、周辺のあちこちを「もしかして・・・」と探索していると、すぐ背後にある一軒家から出てきた老婦人が、なんとなく問いかけてくるような感じで、こちらを見つめている。
「ちょっと、お尋ねしますが・・・・・・」
こちらの問いかけを待っていたように、老婦人が歩み寄ってくれる。
「昨日、このあたりで携帯を落としたのではないかと探しているのですが」と言葉を続けると、「どんな色のものですか?」と問い返してくれるではないか。黒い革のケース入った黒の「iPhone」ですが・・・・・・。
「ちょっと待って」
そう言い残して、老婦人が家の奥へ戻っていく。そして現れたときの右手には黒の革ケースが!
「今朝、花畑の掃除をしていたら、これが落ちていました。さっきも何度か鳴っていたけど、どうしてよいものか、わからないので、これから交番にでも届けに行こうかと思っていたんですよ。確かめてください」
紛れもなく、わたしの「iPhone5」であった。電池の残量は48%。まだしばらくは使えそうだ。富岡警察署、「おぎのや」、そして飯嶋洋治さんに、無事、携帯が手元に戻ってきた報告ができる。深々と叩頭して、老婦人に礼をいいながら、先程、買ったばかりの「空っ風カリン」を一袋、手渡した。恥ずかしそうに受け取ってくれる老婦人。携帯が奇跡的に、こんなにスムースに戻ってきてくれたことに夢中になって、お名前を伺うのを失念してしまった。改めて、峠のお家に参上しよう。
*「1%の奇跡」で手元に還ってきたわがIPhone5。落下させた時の衝撃を防ぎ、確実に身体のそばでキープしておくために特別に購入した革製のケース。ところがスナップ付きのベルト通し、これの造りが甘く、下からiPhoneを押し上げると、スポッと簡単に脱落してしまうことが判明。ナビシートに座っていたときに携帯が外れており、そのまま撮影のために車から降りた際に、落としたものと思われる。それが花壇の傍であったため、落下音がしなかったのだろう。
それにしても、何という運の良さだ。この日の朝からの動きで、ちょっとでも違う軌道をとっていれば、決してこのような「奇跡」にめぐり逢うことはできなかっただろう。まさに「1%の奇跡」であった。
その日、帰宅してから「空っ風カリン」の袋を裂いて、かりんとう饅頭をいただいた。こし餡とカリッと揚げられた衣の食感。しばらく、病みつきになりそうだ。
改めて、わがiPhone5の「履歴」の項を開いてみると、5月15日の13:26から19;17まで、なんと14回にわたって飯嶋洋治さんからの「不在着信」が記録されていた。後日への戒めとして、しばらくは削除しないでおくとしよう。 (この項、終わる)