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正岡貞雄のブログ一覧

2017年04月30日 イイね!

必見実戦激走! 大井貴之、57歳。いまだ衰えず!

必見実戦激走! 大井貴之、57歳。いまだ衰えず!〜「ベストカー公式WEB」でどうぞお楽しみを!〜

 GWに入ってしまう前に、気になる調べごとを済ませておきたくて、講談社の資料センターへ。何となく周りがソワソワとしていて落ち着かないことおびただしい。

 地下階の資料センターで、すでに廃刊になってしまった女性週刊誌『ヤングレディ』のバックナンバーのなかから、石坂浩二君と最初に仕事をしたページを探し出そうとしていた。タイトルだけはちょっと工夫を凝らしたから、はっきり憶えている。
『キスしたからって愛せるかい!?』
 インタビューしたモノを彼の日記風にまとめた3ページ記事だから、表紙にも謳われていない。これまで何度か探索したが、なかなか捉えることができなかった。そのなかで当時保有していたフェアレディ311SRのくだりを確認したいのだが、さて?



 総合月刊誌『日本』から、まったく畑の異なる女性週刊誌に異動させられたのが1965年(S40)の暮。今度こそ見逃すまいと、最初に関わった12月13日号からチェックをはじめ(ちなみにその時の担当記事は《田代美代子はなぜ若い男性にもてる? その魅力の秘密を探る》であった)、ちょうど半年後の6月13日号でやっと探しものを「逮捕」できた。

 加山雄三をしのぐ知性派タレント……“貴公子”石坂浩二のすべて。そして先に紹介済みのタイトルにつづいて「もうすぐ24歳 ぼくの青春日記」とあって、石坂浩二の自筆サインが添えてある。そうか、こんな扱いのページだったのか。それも3ページではなく4ページ構成だった。この時のインタビューからつき合いがはじまり、「やすらぎの郷」の主演・石坂浩二を深い想いで見守るまでの半世紀。それを検証するための出発点が、ここにあったのか。

 該当ページのコピーもとり終わり、資料センターの担当職に礼をいってから、プログレで音羽通りを南下、「ベストカー」編集部に立ち寄ってみた。
 5Fの編集局のドアを開けてみて、静まり切った空気に、「おや、ここはすでに黄金休暇に入ったのか」と足がとまったが、目を凝らすと本郷仁編集長をはじめ、飯干俊作デスクまでもが、揃って椅子の背に寄りかかったまま、天井を向いて眠りの世界へ……。
 
「追い込みが一段落して、みんな死んでいます」 
 苦笑いを浮かべながら宇井弘明編集局長が迎えてくれた。来客用の長椅子に腰を下ろして向き合った。
「音羽の不夜城の伝統、衰えず、だね。つい昔の大井タコの姿を思いだすよ」
「確かに。その辺は変わりませんね。そのタコ君、今度、MAZDAがスタートさせた《グローバルMX-5CUP》でベストカーからの特別枠で走って貰いましたが、さすがの走りを見せてくれました。今発売中の号に参戦記を書いて貰い、《ベストカー公式WEB》でも動画で見られるようにしました」



 宇井局長から発売されたばかりの該当号を受け取った。
「どれどれ」
 目次を見ると、『まさにレースはドラマチック!!』とタイトルされて、210ページとある。ということは後半のカラーグラビアではないか。
『国産SUV性能カタログ』につづいて『モータースポーツ』のページがテンポよく揃えてあった。その殿(しんがり)が大井君の参戦記。MAZDAへのパブのコーナーを含めて4ページが奢られているじゃないか。

「TEXT/大井貴之 20歳の頃からベストカー編集部で丁稚奉公し、ダートラ、ラリー、レースなど走りは万能だった。ベストカーでは伝説の編集部員」



 いまさら筆者紹介は要らないだろうが、そこまで配慮してくれているということは……これから『REV SPEED』の付録DVD制作から離れた大井君をベストカーが多用していく、とわたしは勝手に予測してしまうのだが……。

 それにしては 大井君の書きっぷりは、相変わらず『天下泰平』。ま、そこが彼の持ち味なんだろうが。書き出しは、こうだった。

————元上司の宇井編集局長(昔はそんなに偉くなかった)から誘っていただき記念すべき開幕戦に出場できるというチャンスが巡ってきた2017年のワタシ。これはもう、最高の恩返しをしなければならない。っていうか、さすがは宇井編集局長。目のつけどころがすばらしい。なんでかって? ロードスターのワンメイクレースとなれば、ハッキリ言ってワタシ、無敵なんです。あ、根拠はありませんけどね。

 それでも、マシンの解説など、目配りはきっちりしている。そして予選アタックに臨んで、奇想天外な作戦を講じる。結局は輝かしいポールポジションの座を一端ゲットするものの、与えられたレース車両の最低重量に計算違いがあって、最下位転落の憂き目に遭う。

 そのあたりの様子は「ベストカー」本誌で読み取り願いたい。
 
————ここSUGOはコーナーが連続しているオーバーテイクが難しいサーキット。しかし、13台という出走台数の少なさ、そして45分の長丁場であることが救いだ。予選で36秒台をマークしたのはポールポジションの山野哲也選手と今村大輔選手。37秒台には吉田綜一郎選手、壷林貴也選手、吉本晶哉選手、村上博幸選手と続いている。7番手に沈んではいるものの、トップフォーミュラやGT500まで経験しているベテラン桧井保孝選手も侮れない存在だ。スタートから数周、トップ集団のペースが上がらない混戦になってくれれば充分にチャンスはある。作戦名、「HY」。ヘルシンキで開催されたフィギュアスケートでみごと大逆転優勝を遂げた羽生結弦の頭文字をいただいて勝つ!
 その模様は、予選・決勝の2部に分けて「ベストカーWEB」で映像を公開しているのでどうぞ「こちら」から。



●【ベストカー】日本初! グローバルMX-5カップに大井貴之が挑む〈〜大波乱の予選編〉


● 【ベストカー】日本初! グローバルMX-5カップに大井貴之が挑む〈決勝編〉


 かつて、黒沢元治さんをドライバーとして起用、「スーパーシビック」「シティブルドッグ」に賑やかに参戦した時代が、再現するような気分。それに加えて「ベスモ」で展開した「実戦バトル」に匹敵する車載カメラからのレポート。

 宇井局長も感心していた。
「彼はもう50歳代の後半のはず。それであれだけ走れるとは!」
 このBLOGの原稿を書きながら、大井君にiPhoneのメッセージを使って、年齢を問い合わせたところ、「57歳です。いま、イベントで鈴鹿にいます」との返事があった。まだまだ、これから脂の乗ってくる勢いがあるのも驚きだが、今度の参戦記の締めくくりで、こんなくだりがあって、噴き出してしまった。



————ここからが大変だった。ズルズルの路面でアウト・アウト・アウトのコーナリング。ひとつ間違えばコースオフとなるが、24周目にトップの山野選手を捉えた。しかし百戦錬磨の山野選手。何度か並びかけたものの、前に出ることはできなかった。ということで、チェッカー時点では0.128秒差に迫ったのだが、結果、大活躍はしたものの記録は山野哲也選手のポール to フィニッシュ。ん~、ここからが大変だった。ズルズルの路面でアウト・アウト・アウトのコーナリング。ひとつ間違えばコースオフとなるが、24周目にトップの山野選手を捉えた。しかし百戦錬磨の山野選手。何度か並びかけたものの、前に出ることはできなかった。ということで、チェッカー時点では0.128秒差に迫ったのだが、結果、大活躍はしたものの記録は山野哲也選手のポール to フィニッシュ。ん~、これがオレの人生なのか。



「これがオレの人生なのか?」の締めくくりに、むしろきみの温かい人柄が感じられる。そしてきみが書いているように、「刺激的な決勝レースは文字じゃ伝えられないので映像を公開しました。すっげー面白いから見てね!」にこたえて、さていまから、もう一度、映像を楽しむとするか。


 
『ベストカー公式WEB』はこちらからどうぞ
● 激走!MAZDAグローバルMX-5参戦記

Posted at 2017/04/30 02:36:32 | コメント(5) | トラックバック(1) | ちょっと一服 | 日記
2017年04月26日 イイね!

『川奈ホテル』という追憶のキーワード

『川奈ホテル』という追憶のキーワード〜ポルシェ914に乗せてくれた『あいつ』Part.2〜



 4月なって、早くも4回をかぞえる日曜の朝がやってきた。

 穏やかで風もない平和な午前中は、このところ、総走行距離111,111kmをマークしてからは、すっかり出番の少なくなったプログレの手洗い洗車にあてた。ついでにエンジンルームをのぞく。ウィンドウォッシャーの補充をしてやる。特段の不具合もない。ま、6月には9回目の車検が待ち構えているから、その時にしっかりと「健康診断」をお願いするとしよう。

 駐車場を縁取るツツジの赤とピンクの花たちが、もう少しで満開のときを迎えようとしていた。

 午後はインターネットのWi-Fi関連機器がもう古くなっていて、しきりに感度劣化を訴えてきているので、新しいハブ式ルータを調達しようと電器量販店のパソコン館へ、プログレを走らせた。

 30分後、NECの『Aterm Wi-Fi快適生活 お役立ちBOOK 』を貰って量販店を出る。販売店員に指摘された「指定通信スピードの枠」を確認する必要ができたからだった。その件は月曜日に契約しているJ-COMに問い合わせることにして、心はすでに午後2時から放映される「巨人×阪神」戦に移ってしまった。

 ところが、肝腎の地上波デジタルのチャンネル4では暢気な旅番組が流れている。調べてみると、放映開始は午後3時15分から、となっているではないか。それではやむを得ない。ケーブル放送のJ-COMに切り替えればやっているはずだから……。

 その前に、チャンネルをフジTVに寄り道してみた。

「フジサンケイレディスクラシック」最終戦の白熱した様子が映し出された。このところ、イ・ボミを筆頭に韓国勢に蹂躙されていた女子ゴルフ界も、魅力のある若手たちが基礎技術をしっかり体得し、力をつけてきたこともあって、かつての活況を取りもどしているらしい。この日も日本勢の5人が2ストローク差で終盤を競り合っている。



 舞台となっている静岡県・川奈ホテルゴルフコースは「世界のベストコース100」にも毎年ランクインしている名門で、プレイするには、基本的にはこのホテルに宿泊する必要がある。駿河湾に面し東に富士山が臨める18ホールが「富士コース」、東南側で伊豆大島と向き合い、ちょっと距離は短めだが、「グッバイホール」と呼ぶ海越えの断崖絶壁付きのショートコースの洗礼を受けるのが「大島コース」。打ち終わると吊り橋を渡ってグリーンへ向かうのだ。
 

*ティーショットしているのが当時31歳だったわたし。まだ正式にHDCPも取得してなかった時代。結局60歳で「8」に。



 トーナメントは「富士コース」の方が使われていた。TVが紹介してくれる
川奈ホテルゴルフコースには、いくつかの記憶がつながっている。プレイをしたのも十回を超えている。

 最初は1962年(S37=おお、55年前か)。「週刊現代」から総合月刊誌の「日本」に移籍してすぐのこと。編集長から「キミはゴルフをやるそうだから」とレジャー入門特集『GOLF』の担当を割りふられた。監修は作家でゴルフに関する著作も多かった水谷準さんにお願いしたところ、プレイと撮影は『川奈…』にしよう、その交渉は任せたまえ、ということで、こちらはモデルクラブから若いカップルのモデルを調達、一泊付きで川奈まで足を伸ばした。たしか伊東までは東京駅から列車を利用し、そこから地元のタクシーで川奈へ向かったように記憶している。
 




 それから10年後に再訪したときには、プロゴルファーの杉本英世さん(彼は川奈でキャディをやりながらプロを目指したことで有名)と国際事件記者として盛名をはせた大森実さんと、週刊現代連載企画『ビックスギの水平打法』をまとめ上げるために3日間の合宿をここで行った。この時の功徳だろうか、それからは時にはハーフ40を切ることもめずらしくなくなった。
 



*このビッグスギの企画が大当たり。この頃の週刊現代は100万部を突破していた。そしてこの「枕投げ」秘伝は目から鱗、と大評判だった。

 一つだけ、それからの「ベストカー」時代には、痛い目に遭った記憶がある。杉本英世さんの何かの記念コンペがあって、当時、講談社の服部敏幸社長代行が招待されたので、わたしも運転手を買って出て、ご一緒に参加できることになった。そこで徳大寺有恒さんから長期貸与されていたBMW633アルピナで川奈を往復することにした。
 快適とは言いがたいが、まずまずのテンポで東名高速を抜け、厚木ICから小田原にむかう自動車専用道路へ入った。油断があった。東名を走るのと同じ調子でアルピナ633のアクセルを踏んでいた。と、前方で旗を振る人影。15キロオーバーで、チケットを切られてしまった。以来、小田厚道路を利用するときには、細心の注意を払うようにしているが、後日、講談社役員室からお呼び出しがあった。

 恐る恐る出頭すると、服部社長代行の部屋に通された。
「おい、あのスーパーカーみたいな派手なクルマ、思っていたより乗り心地がよかった。ところで、これを取っておきたまえ。ご苦労さんだった」
 封筒にはスピード違反の罰則金と同じ金額が収められていた。
 さすが、わが大学の剣道部先輩。有り難く、頂戴したものだった。


 それらの「川奈ホテル追憶」の時間を、実は近ごろ、平日の午後0時30分からの20分間、決まって反芻しながら楽しんでいる。当BLOG前回の《ポルシェ914に乗せてくれた『あいつ』》で紹介した石坂浩二が主演する、シニア層をずばり狙った連続ドラマ『やすらぎの郷』の舞台、夢のような環境と品質の高い造りの老人ホームこそ、川奈ホテルがロケ先となっていた。だから、中島みゆきの歌声に導かれてはじまるオープニングシーンで、毎日、川奈に心が吸い寄せられてしまう……。

 ♪もう一度はじめから もしもあなたと 歩き出せるなら
  もう一度はじめから ただあなたに尽くしたい
      ————主題歌「慕情」 中島みゆき(作詞・作曲)

 このドラマが見事にヒットしているらしい。

「日刊ゲンダイ」によれば、4月3日からスタートしたテレビ朝日系の昼ドラマ「やすらぎの郷」が絶好調で、ライバル各局が慌てふためいているという。
 脚本は倉本聰(82歳)。彼の想いが濃密に練りこまれたこの作品は、かつてテレビの黄金時代を支えた俳優、作家、ミュージシャンら「テレビ人」と称する業界人だけが入居できる老人ホームが舞台の人間ドラマだ。出演者には石坂浩二をはじめ浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、草刈民代、五月みどり、常盤貴子、野際陽子、藤竜也、風吹ジュン、八千草薫ら豪華キャストが名を連ねている。

「4月3日から7日までの第1週の番組平均視聴率は7%。しかも、4日は日テレ系『ヒルナンデス!』、TBS系『ひるおび!』、フジ系『バイキング』を抑えて同枠のトップになった。第2週になっても勢いは止まらず、10日、12日も同枠のトップになっています。これはもう無視できない数字です」と、民放関係者コメントを紹介している。

 民放各局は、当初はせいぜい2〜3%の視聴率だろうと多寡をくくっていたのがこの高視聴率。まさかシニアを対象にした昼ドラマがここまで視聴者のハートを捉えてしまうとは! このまさかの結果に度肝を抜かれているらしい、と伝える。



 石坂浩二君、よかったね。明日からまた平日の5日間がまたやってくる。もう第16話まで来たんだよね。ひきつづき、楽しみに「やすらぎの郷」にチャンネルを合わせよう。

 それにしても、浅丘ルリ子、加賀まりことの「仰天の邂逅」をじっくり拝見させていただいたが、ふたりがそれぞれに、あなたに迫る演技は見事だった。昔の仲間との同窓会に、わたしまでが招待された気分で、浮き浮きしてしまう。そして、あなたに関わる「ヤングレディ時代」からの眠ったままの秘話の数々が、むくむくと頭をもたげて甦ってくる……。
 




 新しく手に入れた2シーター、ミドシップのポルシェ914になぜあの時、わたしが助手席に座っていたのか、をはじめ、クルマに関する石坂君との記憶も、もっと掘り下げてみたくなった。それはあの時代、プライドが売り物の総合雑誌「日本」から、「ギャングレディ」と異名をとっていた女性週刊誌に移動させられた編集者がどう生き抜いていったか。その仕事を検証することでもあった。



 どうやら、「フジサンケイクラシック」も結着がついて放映終了。阪神も2対1で巨人に勝った。
「さて…」
 と、腰を上げた瞬間に目に入ったものがある。TVモニターの奥の壁にかかっている「白馬」のパステル絵である。作者は……石坂浩二画伯である。




 


 白いフェラーリの化身がいなないている姿。なぜ、この作品がわたしの手元に秘蔵されているのか、それは次回に……。
Posted at 2017/04/26 18:59:27 | コメント(5) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
2017年04月12日 イイね!

ポルシェ914に乗せてくれた「あいつ」

ポルシェ914に乗せてくれた「あいつ」〜『やすらぎの郷』主演の石坂浩二が若々しく光っていたあの時代〜

 カレンダーが4月にめくられた途端に、困った習慣に取り憑かれてしまったようだ。

 テレビ朝日系が4月第1週から放映を始めた連続・帯ドラマ『やすらぎの郷』のせいで、昼食を摂ったあとの12時30分からの20分間は、TV桟敷に釘付けされる毎日である。TV創成期からその才能をもてはやされた主人公の脚本家・菊村栄を等身大で演じる石坂浩二。そのナイーブで深みのある役づくりに惹きつけられて、目が離せなくなってしまった。



 物語はまだ導入部から抜け出していない。認知症になった元女優の妻(風吹ジュンが演じている)の介護に疲れ果てていたとき、『やすらぎの郷 La Strada』という老人ホームから入居の誘いを受け、夫婦での移住を決意していたが、妻があっけなく他界してしまう。

 半年が経って……武蔵野の名残をとどめる善福寺池畔(杉並区)を、タバコを燻(くゆ)らせながら散策する菊村の背中にやどる寂寥感。ひとり息子の家族が同居してくれているものの、どこかで価値観がすれ違って、寒々しい日々がはじまっていた。そこへ再び『やすらぎの郷』から誘いを受けて、移り住むことにこころが動く。

 その最後の決断を、菊村が同じ時代を花形ディレクターとして共に力と心を通わせてきた“戦友”中山(近藤正臣)にだけは伝えるシーンで、その間のいきさつをこちらに理解させるシーンを用意する。ゆったりしたこのテンポが、標的であるシルバー層には快い安定感を与えてくれるに違いない。



 かつてテレビ界に功績のあった者だけが無償で入れる老人ホーム『やすらぎの郷』への入居――まるで夢のような話を中山に打ち明けた翌日、菊村は東京で最後の夜を迎える。しかし、息子はこれから仕事で出張、嫁も会合で外出するという。孫娘だけが家に残り、嫁が頼んだウナギの出前を断って夕飯を作ってくれるという。

 窓際でタバコをくゆらし、背を向けている菊村に、息子が声をかけた。
「じゃあ出かけるから。タバコはほどほどにしときなよ」
 菊村の感情が爆発する。
「一郎!(息子の名)タバコを喫うなっていうのはオレの健康を心配してのことかね。おれとタバコとの付き合いはお前との付き合いよりよっぽど長いんだ。おれがお前を育てられたのも、タバコが作品を書かせてくれたからだ。タバコが体に悪いことはわかっている。けどなあ……」
 菊村、いや石坂の唇が怒りでふるえている。
「当節、おれにとって体に一番悪いのは、そこいらじゅうに書かれた禁煙、あの文字だ。あの文字がおれにストレスを……」
「わかったよ。もういいません」
 そういって気まずい空気を、そのまま引きずって外出していく息子夫婦。

 再びタバコに火を点ける菊村。やがて意を決したように立ち上がると、一旦は嫁がほしがっているのを知り、譲るつもりであった亡き妻の紬の着物を庭に持ち出し、火を点けてしまう……。



 燃え上がる炎と漂う煙がひとつになって、そのなかに妻の面影が浮かび上がる。と、隣家から庭越しに声が飛んできた。

「菊村さァん。なにか燃やしていらっしゃいますか!? 庭で焚き火は禁じられていますよ。菊村さ〜ん」
 
 そこで画面がパーンする。
 海岸線を縫うように走る黒塗りの乗用車。菊村を迎えるために老人ホームからさいまわされたものだった。
 そして待ち受ける仰天のできごと。しばらく逢わなかった過去の友人たちがまるで夢のように菊村の目の前に現れる……浅丘ルリ子、加賀まりこ、有馬稲子、野際陽子、八千草薫。ミッキー・カーチス、藤竜也。





第3話はここまでで、最初の山場となる第4話が放映される4月6日の午後は、2週間ほど前から約束が入っているため、前もって録画をセットしておかねばならなかった。ともかく、この日の「仰天の正体」を見逃すわけにはいかない。

 4月6日午後0時。時間を見計らって、マンションの1Fに降り立った。新宿京王ホテルのティーラウンジで、ベストモータリングが出生魚さながら、日々伸び盛りだった時代に映像技術部に4年ばかり籍をおいていて、いまでは新進の映画監督・脚本家として注目されている田中壱征君と、午後1時に落ち合う約束だった。
 2016年、オムニバス映画『TOKYO LOSS』を国際映画祭に出品して話題になり、この4月下旬、N.Yで先行上映を予定しているという。その報告を兼ねて、22年ぶりに逢いたい、と嬉しい誘いであった。だらだら坂を抜け、駅に通じる道をいく足取りは、弾んでいた。




  
 駅前のロータリーは華やいでいた。満開近い二基の「染井吉野」に、同じ二基の「辛夷(こぶし)」が白い花を開いてみせる共演者となって、寄り添っている。と、その一画に「smoking-area」が用意されているのが目についた。喫煙者が3人ばかり、それぞれのポーズで、周囲に気兼ねしながらも、タバコをくゆらしている。この光景を、菊村ならどう受け取るだろうか、と気になった。恐らく彼なら、ここでは決してタバコを吸う気にならないだろうな、と。

 練馬駅で地下鉄大江戸線に乗り換えてからも、この日、放映される「やすらぎの郷」の展開がどうなるのか、気になって仕方がなかった。なにしろ今回から、石坂が22年前までは妻だった浅丘ルリ子と、芸能界デビューの時から、なにかと縁の深かった加賀まりことの「邂逅」シーンがはじまるのだ。



 実は……この3人が光り輝いていたあの時代、1965(S40)年から1972(S47)年までの8年間を、わたしは「ヤングレディ」という女性週刊誌に籍を置いて、親密な交遊をかさねていたのだ。その辺の事情は2011年の12月23日付の当BLOGですでに紹介ずみ。改めてここに再録しておくので、ぜひご一読ありたい。

愛が扉をたたく (こちらをクリック)
~「独占スクープ」のご褒美で再びヨーロッパへ~

わたしも当稿をアップするに当たって、久しぶりに読み返してみた。なるほど、石坂浩二君とは、同時代の空気をたっぷり吸いながら、親密な交遊を重ねていたのがよくわかる。






 そうだった。最初にカルマンギアの発展型として登場したばかりのポルシェ914の助手席に乗せてくれて、皇居のまわりのお濠端を何周も回ってくれたのを思い出した。
「たいへんなクルマ・フリークで、ベストカーが創刊されると、その記念イベントであった『愛車オークション』にも率先して参加、イエローの猛牛、ランボルギーニをもちこんでくれたり、ホィールデザイン賞の選考委員になってくれたり……」とも記述しているが、オークションに持ち込んでくれたのは、マセラッティ・メラクでなかったろうか。





 そんな回想にひたっているうちに、新宿都庁前に着いた。改札口を抜けて外に出ると、そこは超高層ビルの蝟集する一帯。ピッと甦る記憶があった。石坂君がランボルギーニか、マセラッティのどちらかのスーパーカーを持ち込んでくれた『オークション会場』がこのあたりで、かつては淀橋浄水場だったのを再開発が進行していた時代。高層ビルの谷間に大きな空き地があちこちに広がっていた。

 それからちょうど40年経って、ある時期までこの副都心のシンボル的存在だった京王プラザホテルの回転ドアをクルリと回して、ロビー階のコーヒーラウンジを目指した……。わたしの「還暦+21歳の青春」にまたひとつ、新しいテーマが加わったようである。            (この項、つづく)
Posted at 2017/04/12 03:21:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
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何シテル?   08/06 09:17
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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