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正岡貞雄のブログ一覧

2019年12月31日 イイね!

“『思い出BLOG』の宝石②”突然沸騰の意味を追う

“『思い出BLOG』の宝石②”突然沸騰の意味を追う〜8年半前の「あの頃」がまだ生きている歓びを伝えたい〜


 2019年も残された日があと5日になった12月26日の朝は、ルーティンの「みんカラBLOG」マイページのチェックからはじまった。
 
まず上段にセットされている「PVレポート」から。 
 クリックして眼を剥いた。前日(25日)の来訪者数を報せるピンクの横棒がピーンと伸びている。
「1638」
このところ、すっかり更新するエネルギーを失っている、その申し訳ない状態から見れば、4桁の数字は「え!? どうしたの? 何があったの?」と、驚いてしまう。
新しく更新した翌日、たとえば12月でいえば、3日の「887」は《「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係》である。テスラモデル3の登場は、結構イケる、ナマの題材のつもりだったから、それを2倍近くも超える理由は何だろう。正直、見当がつかなかった。

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 ま、そんなことより、いま手をつけはじめている「みんカラ BLOG」の続き、テスラで箱根のガンさん邸へ向かう原稿を早く仕上げた方がいいのではないか。こう、己れを叱ったものだ。そのせいもあって、「1638」ものカウント数を集めたテーマが何だったか、深く詮索しようともしなかった。

 ところがその翌日(つまり12月27日)の「PVレポート」をチェックしてみて、今度は息を嚥(の)んでしまった。また4桁の訪問者数がカウントされていて、そのトップが前日に続いて2011年07月08日掲載の《『思い出BLOG』の宝石② 中谷明彦君のこと》だった。



う〜ん。ちょっとわからない。「みんカラ」のSPECIAL BLOGを引き受けて直ぐのことだし、ベストモータリングが休刊する『ファイナルバトル』をFSWで催すというので、とりあえず田辺靖彦君に連れて行ってもらったのだが、そこへ中谷明彦、大井貴之の両君もせっかく駆けつけてくれたのに、その時のロケのあまりにも味気ない制作態度に疑問を持ってしまった。その帰りに中谷君とお茶を飲みながら、読者からに目線を喪失していたね、といった話をしたものだが、それを中谷君がかれのBLOGで《最後のロケを見に行ったけど、帰りに正岡さんが「こんなベスモなら無くなって当然。毎月見てくれていた読者に申し訳なかった」と言われたのが象徴的だったね。》と明らかにしたのが、妙に話題になってしまったのを覚えている。

 そんなことが、今になって話題になってしまったのかな。腑に落ちない。おまけに、わたしのi-phone専用のメール・アカウントに、これまで交流のない、記憶のないネームの方から「フォロー」を求めるメールがしきりと届きはじめているし、本拠の、「みんカラ」の方にも「イイね!」の来客が俄かに増加しており、そして嬉しいことにそのお客さんが、さらに同系列の新しいページに「イイね!」という意思を伝えてくれている。それが一気に5〜10項目も連鎖しているのだ。

 さて、どうしたものか。そこでこちらから調査に乗り出すことにした。「イイね!」の中から、こちらからメッセージを送って、今の状況を伝えた、なぜ「イイね!」と意思を伝えていただけたのか。問い合わせることにした。そして選んだのが12月26 日の朝に『思い出BLOG』で「イイね!」してくれ、それを機に直近の項目にまでアクセスしてくれた「ELAN」さんへ白羽の矢を立てる。こんな内容で「メッセージ」を送ることにした。

件名は「お伺いします」とし、以下のような本文を送らせていただいたのである。
     ☆  ☆ ☆

ELANさま

突然ですが、ちょっとお邪魔させてください。その昔、「ベストモータリング」を主宰していました正岡です。
実は12月27日(つまり、今日ですが)、わたしの『みんカラBLOG」を開き、PVレポート欄をチェックしましたところ、異変がありました。


いつもなら、最近ではせいぜい500〜800程度に落ち着いているアクセス数が、その日(つまり12月26日分)は一気に倍増し、1638をカウントしているのです。

そこでさらに1638をクリックしてみますとその詳細が出て来ます。418。『思い出BLOG』の宝石②中谷明彦君のこと・・・それに集中していました。その後、それに関連した項目が続き、特別に新しいテーマでもないし、おや? 何があったのかな、と首を捻っているところです。

そこで該当日に「イイね!」をチェックいただいた中からELANさんを選ばせていただき、どんな経過でわたしの「みんカラ」を選び、その「中谷君のこと」に直接アクセスいただけたのか、お伺いさせていただいたわけです。経歴を拝見しましたところ「北九州市」にお住まいのご様子。わたしも18歳まで北九州八幡東区にいましたし、その親近感から、ちょっとお願いしてみようかな、というわけでした。

勝手ながら、参考までに、中谷君ご指名の経緯を知りたくて、メッセージ欄を利用してお伺いさせていただきました。よろしくお願いします。

東京の歳末の空は、晴れていますが、風の鳴る音が聴こえます。良いお年をお迎えください。

     ☆    ☆ ☆

送信したのが午前11時27分。3時間が経って、「ELAN」さんから返信があった。

「ご指名ありがとうございます。
只今日帰り出張中のため、後ほど改めて返信差し上げたいと存じます。
                          エランより」

 そして、7時間30分後、「中谷さんの件」とタイトルして、メッセージが届いた。社会人としてのかなりの経験を積んだことが察せられる、配慮の効いたレスポンス。こうした交流、ベストモータリング同窓会と相通じる空気に嬉しくなる。
   
☆     ☆     ☆    

お待たせ致しました。

簡単に申し上げますと、多くのフォロワーを抱えている『みんカラ』ユーザーの「クラゴン」さんが正岡さまのブログ記事を下記で引用されたからです。

「モータージャーナリストのドライビング判定」

「モータージャーナリストのドライビング判定の続き」

彼はみんカラセレクトで、クルマ業界有名人ブログとして紹介されています。
「クルマ業界有名人ブログ」

 正岡さまもSpecialBlogとしてみんカラより紹介されているのと同じように、クラゴンさんも影響力をお持ちと存じます。
クラゴンさんはドラテク教室を開催されていますが、辛口レビューでも有名です。
その彼が正岡さんや中谷さんを尊敬しているという内容の記事でした。



私もベストモータリングのファンであり、黒沢元治さんや中谷明彦さんのファンです。
そういった人間にとって、正岡さまの記事は関心が高いですし、イイネされた方も多いのではないかと思われます。良い意味で、正岡さまの記事を読んだ人が多かったのではないでしょうか。

ちなみに、私も幼い頃に八幡東区の桃園に住んでいました。
亡き父が新日鉄八幡(いまは日本製鉄ですが)工場に勤務しており、その社宅で育ちました。(中略)

個人的にですが、数年前より走行会主催をしてきました。
峠や高速道路での危険運転を防ぎ、モータースポーツの裾野を広げることを目的としております。
今後もモータースポーツの発展と理解を広げるべく、活動して参りたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

           ☆   ☆   ☆

やっと、コトの核心に近づけたようだ。早速、教わったクラゴンさんのU R Lを開かせていただいた。おお、なんと好ましい、走り屋魂の熱い空気に満ちた「みんカラ」ページ。それにびっくり、「クラゴン」さんは「ベストモータリング同窓会」のメンバーじゃないか。それも相当に早い時期に入会いただいている。



 なるほど、そうだったのか。お会いしてないのが不思議なくらいだ。それにしてもフォロー数が249、フォロワー数にいたっては1864か。自らを「趣味はドライビング鍛錬、特技はドライビング指南クラゴン親方です」とはっきり言い切る背景も理解できた。

 その「クラゴン親方」が「ジャーナリストのドライビング判定」について所論を展開しいていて、その中で中谷君のことに、こう触れていた。

――ハッキリと言うと、スポーツ的な車種の性能を引き出すだけのスキルがない人がけっこういらっしゃるように見受けられます。
スポーツモデルをサーキットに持ち込んだら、そこで見るのは限界の性能と言ってもいいでしょう。

で、そのインプレをする人は、果たしてクルマの評価を正しくできるだけの腕があるのか。クルマの評価を正しくするなら、それだけのドライビングスキルがあるかどうか、という評価をされるのもまた必然です。
 
もう懐かしいけど、ベストモータリングは良し悪しがわかったじゃないですか。その結果として広報車チューンなんて事件もあったりしたけど、それはつまりキッチリと評価していたということでしょう。



尊敬する中谷さんは、「読者に正しく伝えられなくなった」という理由で、ベスモを降りたと記憶しています。と思ったら初代編集長の正岡さんのブログがありました。

そうそう。映像のイメージはともかく、中谷さんはマジで熱いクルマ好きですから。オレもドライビングに対する理論的な考え方は、中谷さんの影響を強く受けています。

ベスモがすごかったのもそうだけど、本当にすごいのは、あれだけのメンバーを束ねて毎月映像を出していた正岡さんだと思う。

クルマは進化して、伝える手段も進化して、伝える質が退化しているというのは、クラゴン部屋というクルマ好きが集まる現場にいる親方として、けっこう心配になるところです。

☆    ☆ ☆

ELANさんの誘導で、ともかく発火点まで辿り着くことができたが、その考察と引用が長くなった。





 ともかく「クラゴン」親方がいかにスポーツマインドに満ちた「カーガイ」であるかもわかった。己れのスキルを高めるためにニュルブルックリンクにまで遠征し、耐久レースに出ているのも、胸が締めつけられほど理解できた。
もう少し時間をかけて、「クラゴン」親方を中心に広がっているものを見極めてから、さらに筆を進めたい。

ああ、もう直ぐ除夜の鐘を撞く時間。皆さん、どうぞ佳いお年を。








Posted at 2019/12/31 23:07:24 | コメント(9) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年12月17日 イイね!

2020年次RJCカーオブザイヤー速報グラフィティ

2020年次RJCカーオブザイヤー速報グラフィティ〜12月16日、日産・三菱連合軍「K CAR」授賞までの私的記録〜

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*デイズ/eKワゴン&Kクロスでイヤーカーに選ばれた日産・三菱の連合軍


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*カーオブザイヤー インポート部門最優秀賞のBMW3シリーズ

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*テクノロジーイヤー最優秀賞の日産プロパイロット2.0(スカイライン ハイブリッド)

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*カーオブザイヤー特別賞は急速充電規格「CHAdeMO」が選ばれた

 2020年次のRJCカーオブザイヤーの第1次選考会は11月1日、いつもの青山大学隣接の「アイビーホール青学会館」ではなく、芝の「日本自動車会館」に変更されていた。地下鉄大江戸線「大門」駅から徒歩4分という案内だったが、方角が掴み難く、少々迷子になってしまった。それでも初めて芝大神宮に参詣できたから、「よし」としよう。

「どうぞ、今年次はセダン系に御加護がありますように」と、本気だったせいもあって、手を合わせ、1000円札を1枚、賽銭箱に納めさせていただいた。

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 S U Vも軽自動車も恐ろしく進化を遂げたのはいいが、きっと時代の波は変わってくるはずだ。やっぱりクルマの正道を貫くセダンに、いまこそ力点を置いて欲しい。

 さて、その願いは通じただろうか。開票が進むと、さすがにインポート部門ではBMWの3シリーズが、いわば予選トップという形ですんなり選ばれた。が、国産車部門となると、HONDAのインサイト、TOYOTAのレクサスUX、スープラ、そしてカローラ/カローラツーリングワゴンまでが6ベストの枠から弾き出されてしまった。日産のスカイラインは5位、 MAZDAのM3は6位というテイたらくであった。なんとも情けない。ま、スカイラインは、日産が「テクノロジー」 部門を狙っている空気があって、そちらに力点をおいた同僚会員が多かったようだ。細かい内容は別掲の写真から参照いただきたい。

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 開票終了後、真っ直ぐ、T O Y O T A広報の責任者に声をかける。
「11月12日の《ツインリンクもてぎ》でのテスト走行と投票会に行く際に、できればカローラをお借りできますか?」
 例年、この「もてぎ行き」に行く時に誰とどの車で行くか、に拘(こだわ)ってきた。走り心を燃え立たせるために35GT -Rを指名したり、去年は18年間連れ添ってくれたプログレとのラストランを楽しんだり、と。

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 しばらく間を置いてTOYOTA広報から返事があった。いま、カローラの広報車の台数が少なく、全部、スケジュールが埋まっています、と。この時期、恐らくそうだろうな。加えて、替わりにこれは?という提案も、残念ながらなかった。
 
 翌日、HONDA広報に電話を入れる。インサイトが残念ながら6ベストから外れ、ツインリンクで走れないのが残念だから、モテギとの往復になんとか借り出せないだろうか、と。
 HONDAのレスポンスは明快だった。インサイトはすでにスケジュールが取れないが、FITのセダン版「GRACE」はいかが?と。 HONDAセンシング付きでハイブリットだし、7段DTCの切れ味もぜひ試めして欲しいという。

 こちらに否応があるはずはない。モテギに行く日の午前10時に、ご指名の5ナンバー、コンパクトセダンをピックアップに伺うことを約束する。

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 11月11日午後2時5分前。約束の時間が近づいたので、わたしのマンションの駐車場に降りていくと、すでにRJC前会長の飯塚昭三さんが、駐車してあるブリリアントスポーティブルー・メタリックと呼ばれるグレイスのそばに立って、柔らかい笑顔でわたしを迎えてくれる。

 かつての富士フレッシュマン時代の盟友も、RJCの会長職から解放されてからというもの、どこにいくにもご一緒しようと約束ができていた。ホテルも同室と決まっていた。

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 飯塚さんにステアリングを預け、外環道から、常磐道へ。5時までにホテルに着けばいい。水戸I Cの手前、120kmほどを走ったところで、友部SAに立ち寄る。正面にスターバックス。ここまで頑張ってくれた飯塚さんに、カプチーノをご馳走しよう。そこで飯塚さんが今回の「特別賞」強く推したいという『急速充電規格=CHAdeMO』(チャデモ)について、一歩踏み込んだ説明を聴かせてもらうことにした。    

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(この私的記録、次回更新へ。しかし選考結果は速報性が求められるので、一挙にグラフィティとして紹介したい)




●RJCのホームページで《第29回=2020年次 RJCカーオブザイヤー最終報》がアップされたので、ぜひこちらへどうぞ。力の入った内容です。
Posted at 2019/12/17 22:28:45 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年12月15日 イイね!

『テスラ疾走』はガンさん邸訪問までお預けか!

『テスラ疾走』はガンさん邸訪問までお預けか!

〜はじめに《第2回ベスモ同窓会》ありき〜


 



 4ドアセダンのテスラ モデル3 は3タイプあって、CMOさんがオーダーして1年目にやっと手元に届いたのは、その最強バージョンの「パフォーマンス」だという。
 動力系は前後に二つのモーターを装置するAWDである。出力は明示されていないのはこれまでのテスラ同様だが、時速100kmに持っていくまでの加速は3.4秒と伝えられるから、これはとんでもない快速の持ち主だ。巷間、You Tubeで流れている動画には、モデル3がフェラーリを軽々とぶっちぎるシーンもあるくらいだ。

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 そんなコックピットにはステアリングと15インチの大モニターしかついていない、このシンプル極まりないE V車を、いきなり試乗ドライブできるほど、もうわたしは若くないし、I Tと関わる手続きの煩わしさに少々、うんざりしている。
ともかく約束のランチをとりながらCMOさんからテスラの説明をしてもらうことにした。

 CMOさんから鎌倉パスタは食べ過ぎちゃうから、できたら別のところを、とNOサインが伝えられた時から、サンライフ練馬の2Fにあるレストラン「月の風」に案内しようと、決めていた。
 近くの古くからの和菓子屋さんが経営する、イベリコ豚の網焼きが評判の明るいお店である。

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 ステアリングを握っているCMOさんにサンライフ練馬の脇をひと周りしてもらってから、最寄りのスーパーマケットの駐車場にテスラを導いた。

サンライフ練馬に向かいながらのCMOさんとの会話。
「黒澤さんや中谷君がきてくれて、第2回目のベスモ同窓会をやった時に初めて会ったんだっけ?」
「そうです。すべてがそこから始まったのです。2013年10月の20日まで覚えているほどです」
「そうだ、その時、CMOさんがみんカラにアップしたそのベスモ同窓会のレポート、文章もいいけど写真の撮り方、仕上がりの質、プロかと思った」
「ありがとうございます。その後のベスモ同窓会編の単行本《PORSCHE 偏愛グラフィティ》まで撮らせていただきました」
「そうでした。まあ、そんなご縁の始まりをなんとなく思い出して、その時の会場のレストランもいいかな、と」
「嬉しいです」

 因みに、CMOさんの「みんカラ」ページには、その触れ合いの発端となった第2回ベスモ同窓会の模様が、こう記録されている。その文章と写真は、いま読み返しても、生き生きと臨場感にあふれているのでぜひご一読あれ。
ベスモ同窓会 in TOKYO(こちらをクリックください)

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*6年前、4月に中山サーキットでの最1回集会のあと、今度は東京でとサンライフ練馬で第2回目が。ベストモータリング同窓会は第5回目まで会を重ねている。


 折からランチタイムということで『月の風』はすでに、いくつかのママ友グループが、美術館と向き合う南側の席は埋まっていたが、幸い東側の公園側のひと席に座る。
メニューを見て、やっぱりパスタ類はパスして、狙い通りのイベリコ豚網焼きでいくことで意見が一致。焼き上がるのに10分ほどかかるという。一息ついたところで、こちらから質問。

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「見た感じ、今度のテスラ、随分とコンパクトにまとめているけど、全幅は1850cm内に収まっているでしょう?」
「そうです。わかりますか? これで立体駐車場でも利用できます」
「インポーター各社のセールスも、それで随分、苦労しているから。いくら日本市場に合わせて車幅をその線にしてくれ、と強く本社に要請しても、なかなか訊いてもらえないと、嘆いているもの。ま、そこに気づいているVOLVOジャパンは本社を口説き落としてS60、V60はバッチリ1850できているもの。テスラがいかに日本市場を大事にしているか、その証拠だね」

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「その柔軟さは、彼らの車づくりのいろんなところで驚くほど発揮されています。今日はその辺を味わってくださいよ」
「自動運転技術のレベルは、まだ3(註:限定した地域=条件でシステムが全運転を担うが、継続が難しい場合は人が対応)に行ってないんだよね」
「運転支援ですから、レベル2(註:システムが前後・左右の両方を制御)。カメラはいっぱいついていますよ」
「なるほど。ほとんどの運転操作はあのでかいディスプレイで賄うのだね」
「ま、やってみてくださいよ。結構、これまでにない世界がありますよ」
「だろうね」

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 ちょうどそこへ焼き上がったイベリコ豚の網焼きが運ばれてきた。揚げられた、、ポテトと卵スープに白いご飯。手軽なランチ値段から言って、そんなに上質なイベリコ豚のものを期待していたわけではないが、程よく網焼きされ、脂のまわったその焦げ痕に縁取られたその肉は、うん?と思わず声を上げたほど、口の中で柔らかく、ふんわりと広がっていく。
「いいですね」
 短い言葉だが、CMOさんも料理の味に賛同する。

 気分の良いランチを平らげたところで、再びテスラ談義。ただ、こちらは少々、時間を気にしていた。

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「L I N Eで断っていたように、3時からマンションの子供たちを集めてXmasツリーの飾り付けをする約束があって、せっかくの機会を用意してもらったので関越自動車道を川越まで一走りできるつもりだったけど、今日はちょっと無理みたい。マフラーもついてないスポーツセダン。その滑らかな快足ぶり。今日はナビシートの試乗で十分です。この後、そのあたりを一回りして、運転は次の機会に譲ります」
「了解です」
快くCMOさんは首肯してくれる。

 そこで切り出した。12月末の箱根・黒澤邸の餅つき大会に一緒しないか、できればその時のテスラとじっくり語り合えたら嬉しいのだが、と。もちろんCMOさんに異論はなかった。ただ餅つき大会の日によっては他の約束とぶつかるかもしれない、と。

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*今年もお邪魔します! 杵をつくガンさん。受け手は翼君。

 わかった。今夜にもガンさんに日程を確かめてから連絡しましょう。それが叶えば、「テスラ疾走」に対応できる準備を、こちらも用意しなくては。
 
サンライフ練馬から駐車場へ向かう。黄金色に輝く銀杏並木を抜けるこちらの足取りも、かなり弾んでいたのではないか。
 翌日、早速、黒澤さんの携帯電話に、様子伺いのアプローチをする。アジアンルマンの結果(3位で走っていながら最終周にガス欠)を悔しがっていた。そして餅つきの日程はいつも通りの設定だという。お待ちしています、と言ってくれてガンさんの電話は切れた。

 その日の夕方、LINEで餅つき大会の日取りを連絡。と、残念、その日は先約がありますゆえ今回は参加できません、とガックリくる返信。仕方がないか、と諦めかけたところで、その2時間後、訂正、その日は都合つけます、調整中です、と嬉しいLINE。
 目を閉じて、つい先日逢ったばかりのテスラモデル3の白い肢体が、のびのびと東名高速から小田原厚木道路、そして箱根路を疾走するのを、すでにシミュレーションしはじめている。

 懲りない「還暦+白秋期の23歳」である。   (以下、次回更新へ)

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Posted at 2019/12/15 02:56:02 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年12月02日 イイね!

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係

「南天の朱い実」と「白いテスラモデル3」の関係〜プライベートB L O G『新・正岡ワールド』へもどうぞ〜

 毎度のことながら、ブログアップが滞っていて、今回もまた月刊誌ペースとなってしまった。(この稿にとりかかったのは11月30日)
もう11月も終わってしまうじゃないか。それでも毎日、7〜800の「みんカラフレンズ」が無駄足と分かっていても訪れてくれているのに、そんなことでいいのかい?

 そんな風に己れを叱りつけてから、リビングにあるT Vのリモコンを取り上げようとして、ヒョイと目が止まるものがある。朱(あか)い南天の実だ。ほっそりと頼りなげに付き添う葉っぱと一緒に、白い一合徳利に投げ込まれていて「おっ、いいね」と家人の心遣いに、ちょいと頭を下げながら問う。

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「この南天はどこのものを?」
「十三重の塔から」
「あ、そうだった。この徳利は美濃だったっけ?」
「砥部焼じゃなかったかしら」
「そうだ。梅山窯に寄った時のだな」
「窯の名前だけは、ちゃんと出てくるのね」

  砥石屑から生まれた四国・松山南郊の砥部焼。白磁とはちょっと風味が違う、そのザックリした温かみが気に入っている一合徳利に、つい先日、東京から1200kmほど離れた九州・佐伯(大分県南部)の十三重塔を訪れたときに、その草叢の中から南天の実を枝につけたまま、上手に持ち帰っていたのを、今朝は挿してくれているのだ。

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この日は昼前に来客があることは家人に知らせてあった。お土産には長野の林檎でいいかしら? うん、そうしてくれ。
 
 南天の実を無断でいただいてきた不思議な歴史的遺造物・十三重塔のある佐伯は、海と山と川がうまく調和している人口6万の古い城下町で、家人の生まれ故郷でもある。11月18日から3日間、既に物故してしまったご両親の墓参を兼ねて、短い里帰りをしてきたばかりだった。

 佐伯のことを説明すると長くなる。ともかく大分空港でタイムズレンタカーの日産ノート(1.2ℓ)をピックアップし、その日は佐伯市内の新しいホテルに一泊。次の朝、そのホテルが戦国時代の末期まで豊後南部を支配していた佐伯氏の居城、栂牟礼(とがむれ)城址のすぐ傍だとわかって、両親の眠るお墓に向かう道すがら、これまで何度か踏査している、山が一つすっぽり城址となっている麓の集落に立ち寄った。その入り口にある十三重塔のあたりからの眺望が、わたしのお気に入りだったのだ。

 改めてその日のスナップショットをチェックしてみると、なるほど朱い色が一塊、栂牟礼の山陵を背景にして、映っている。間違いない。それにしても家人は手折った南天の枝を、どうやって持ち帰ったのだろう。

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 この佐伯のことを説明すると長くなる、と断っているが、実はその辺の事情を詳しく、わたしの個人的な作品を収録してあるブログ『新・正岡ワールド』の中の『幻のルーツ探訪譚 風早記』(どうぞクリックを)にぜひ、お訪ねいただけると嬉しい。

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 その中の「第1部」の「速吸ノ瀬戸」につづく「豊後御手洗一族」の項で、室町時代のこの地方を支配していた佐伯氏の古城址探訪記(どうぞクリックを)を掲載している。

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*大分空港からの小さな旅のお供を務めてくれた日産NOTE
     ☆ ☆ ☆

 その九州・佐伯に旅立つ直前の11月14日、ベストモータリング同窓会幹事の「CMO」さんからLINE連絡が入った。そのやりとり。

「局長、11/20のタイカン発表会には行かれるのですか?」
「いや。ちょっと家人のお供で旅に出ています。帰りが19日の夜なので根性があれば、行くでしょう」
すかさず、返信があった。
「左様でしたか。お疲れ様です。わたしのクルマもようやく仕上がりましたので、落ち着きましたらお披露目の日程を調整させてください」
「ありがとう。30日の午後はいかが?」
「30日の午後、大丈夫です。よろしくお願いします」

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*デビューしたPORSCHEタイカン
 テスラか。愛しんでいたB M W のアクティブ・ハイブリッド3を手放したCMOさんが、宣教師さながらに強烈にテスラSを布教しているオーナーと一緒にわたしの前に現れたのは、3ヶ月ほど前だったろうか。関越自動車道を川越から三芳のS Aまでステアリングを握って試乗させてもらったが、これは麻薬のようなクルマだな、と直感した。そのステラSをワンランク、コンパクトにしたNewカーがCMOさんのもとに届けられ、その時の約束を几帳面に守ってくれたわけだ。

 11月29 日の朝、LINEがコールする。
「おはようございます。急に寒くなってきましたね。明日は何時ごろお伺いすれば? あと、テスラ モデル3は下が低くなって腹下を擦りそうですので、マンションの駐車場をお借りせずに近くのタイムズに停めようと思います」
「おはよう、です。午後3時から、マンションのクリスマスツリーの飾り付けを子供たちとやります。そのため、あまり時間はありません。鎌倉パスタを予定していますので。午前11時半にこちらに来れますか?」
「早めに伺いましょうか? あと鎌倉でなく別のお店でもいいですか? あそこだと炭水化物を摂りすぎてしまうもので……笑」
「了解です。こちらも同じです」

 30日の朝はこちらからLINEした。
「おはよう、です。クルマはマンションの前につけ、そのままサンライフ練馬へ行きます。そこでランチしましょう」
「承知いたしました。これから伺います」
 
 約束の時間の5分前、ソロソロ迎えに出ようと4階のエレベーターの前に立っていると、ガラス窓越しの眼下に、ちょうど純白のモデル3が滑るようにアプローチするのが見えた。マンションの正面にある御神木、ユリの木はすっかり葉を落としてしまっていて、すらりと伸びた枝越しに見えるステラの姿態。期待感が疼き始めた。

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 モデル3に近づくと、すでに運転席から降り立っていたCMOさんが助手席側のドアに手をかけて、さあどうぞ、という感じで開いてくれる。うん!? ドアにはヒンジらしいものもなく、ブラックの太いラインがあるだけで、その右端にあるボタンを押す。と、レバーが突き出るように現れ、ドアが大きく開かれたのである。
そして……シートに腰を沈めると、コックピットにあるのは、大ぶりなステアリングとiPadの化け物のようなディスプレーが一つ、真ん中にドンと据えられているだけだった。なに、これ!?この異次元な世界への招待に、いささかわたしの腰は引けてしまっていなかっただろうか。
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 モデル3は音もなく滑り出した。すぐにレストラン『月と風』のあるサンライフ練馬に差し掛かった。銀杏並木に差し掛かった。
「お!!」 
CMOさんと同時に息をのんだ。晩秋の陽光は斜めに射しこんで、銀杏並木が黄金色に燃え立っていた!
「(食事の)あとで、あの並木の下でモデル3の走りを撮りましょう」
頷いてくれるCMOさんは、プロと言ってもいいほどの撮影技術の持ち主であった。                 (以下、次回へ)

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Posted at 2019/12/02 23:09:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年10月26日 イイね!

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

ともかく『東京モーターショー』へ行ってみよう! 

〜まるまる「4ヶ月の空白」をお詫びするためにも〜 


 令和天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に次いで夜の「饗宴の儀」が無事はじまったのをT V中継で見届けたところで、まるで遠足にでも行く気分で、出掛ける準備をはじめた‥‥‥と書き出したことで、わたしの体調と、それに呼応する気力がかなり、回復したのがお分かりいただけるでしょう。

さて、まず愛用のカメラを納戸から取り出し、バッテリーをNIKONの専用チャージャーに嵌め込み、充電コンセントに差しこむ。つづけてMICRO SDアダプターがチャンと入っているかどうかを確かめた。ま、レンズは300mmを持っていくほどのことはないだろうから、標準だけの一本にしよう。
そうだ、東京モーターショーの会場めぐりは資料をゴッソリいただくので、手提げのバッグより小ぶりなリュックの方がいいだろう。そして大事なPRESSパス手続き用のカードの入った封筒を確認する‥‥‥。これでO Kかな。

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『第46回 東京モーターショー 2019』が一般公開される10月25日から11月4日までの日程で、東京ビッグサイトとお台場周辺エリアの複数会場で開催される。テーマは「OPEN FUTURE(クルマの未来を拓く)」とある。それに先立っての23日の『プレスデイ』と24日の『祝賀レセプション』だけは出席するのを、ワクワクしながら待ち受けていたのである。
 自動車メディアに長年関わってきた習性から、やっぱりこのお祭りと無縁ではいられない。想い起こしてみれば、わたしが講談社からの特命を受けて、創刊を志した『ベストカー』(1977年)も『ベストモータリング』(1987年)も、決まってその創刊発売日は「東京モーターショー」をターゲットに設定した。その頃は200万人のクルマファンが千葉の幕張メッセまで熱くなって押し掛けたものだったが‥‥‥。

 10月23日の朝の空は見事に晴れわたっていた。午前9時前にはわがマンションを後にした。臨海副都心へ向かって練馬から地下鉄大江戸線で汐留へ。そこからは「ゆりかもめ」で東京湾の景観を楽しみながらビッグサイトへ向かう肚つもりであった。
すでに午前10時。通勤時間から解放されているのか、大江戸線は「都庁前」からは座席に収まり、iPhoneを取り出すことができた。早速、face bookでベストモータリング同窓会の若手幹事の岩田和馬君(いまやWebマガジン=カーウオッチのスタッフ)が、3時間前の7:03にメッセージしているのを確認する。

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*この夏の「筑波メディア対抗4時間レース」で岩田和馬君と

「ビッグサイト、快晴! 今日は東京モーターショープレスデーです!」

 おお、早々とご苦労さん。そうか、現役は7時の受付開始時に行かないと、プレスルームに席が確保できないンだったな。往時を思い出す。で、早速、返信。

「ぼくもそちらに向かっています。よろしく」



 地下鉄大江戸線の汐留駅から「ゆりかもめ」に乗り換えるには、ビルの5階分を駆け登るタフな足を要求された。加えて迷路を抜けるような複雑なルート。もちろんエレベーターはあるものの、それがまた探すのも厄介だから、結局、衰えかけた脚に頑張ってもらうしかなかった。

 そのご褒美か、滑らかに走り出したモノレール「ゆりかもめ」からの東京湾に広がる眺望は、また一段と変貌していて、言葉を失うほどのものだった。竹芝、日の出、芝浦埠頭を過ぎると、お台場に繋がるレインボーブリッジに差しかかる。真向かいに豊洲から突き出した地帯にオリンピック選手村などの新しいビューポイントが‥‥‥。

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 慌ててリュックからNIKON D5200を取り出し、ピントを合わせるべくレンズを軽くひねってやる。おかしいな。ビューアーの捉えた景色が、どうも暗すぎないか。あっと気がついた。慌ててバッテリーがお収まっているはずの下側の蓋をプッシュしてみた。あ、ない! バッテリーを充電しようとして、そのままだったのだ。いまさら自分の迂闊さ、そそっかしさを責めてもはじまらない。即座にiPhoneのカメラにシフトチェンジするしかなかった。そんなこともあろうかと携帯バッテリーだけは忘れずに用意してあるから、会場に着いてからの撮影取材も、なんとかなるだろう

 10:45。東京ビッグサイト駅着。お馴染みの会場は目の前である。まずはプレス専用ルームのある会議棟6Fへ。素晴らしく長いエスカレーターで一気に2Fフロアーから登っていく。これでやっと「東京モーターショー」にたどり着いた気分になる。

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 登りは右のレーンで、視線はどうしても下りながら接近してくる左側に行ってしまう。そして顔見知りとすれ違うときには「やぁ、やぁ」と目で挨拶を交わす。こうやってモーターショーへ足を運ぶのも、日頃、ご無沙汰している知己と逢えるからで、今回も誰とどれだけ逢えるのか、それが大きな愉しみであったのを想い出す。

 にもかかわらず、この降(くだ)って来るエスカレートに向かって、だれ一人、挨拶を交わすこともなく、あっさり6Fに着いてしまった。初めてのことであった。
 6階フロワーは国内外のプレス、メディア関係者のワークスペースとして解放されていた。入口でプレスカードのQ Rコードをピッとやってもらった後、黒布地の大ぶりな、肩にかけられるトートバッグとモーターショー定番の『自動車ガイドブック』の交換券を受け取ることで、やっとプレス関係者の儀式をクリアした。

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 いや、忘れちゃいけないことが、まだ残っていた。ランチの箱入りサンドイッチをいただき、その後、珈琲をいただいたら、いよいよ今回の『東京モーターショー2019』をどう料理したものか、狙いを定める段取りだが、83歳の報告者も4月ぶりに取り組んだレポートである。ここらで一旦、小休止するのをお許しいただけるだろうか。

その代わり、この後、まず西棟から南棟を訪問した中身の予告がわりに、わたしの目を惹いた出展車の姿を紹介しておこう。では次回の更新を待たれよ。

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*西棟から入るとまず SDZDKIがこれで勝負してくる
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*NIssanのワールド・プレミアはこれ!
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*TOYOTAはいっさいブースにはNEW CARを展示してないが、これはいい!

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*え!? 大坂なおみとの2ショットとは? 次回はこのあたりからレポートを。
Posted at 2019/10/26 01:54:50 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
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「前日の4点リードを代打の本塁打攻勢で逆転負けした口惜しさと、朝11時からのパドレス戦に気を取られこの日は長嶋茂雄追悼デーで午後2時からの試合開始だったのを見逃した。折角の実況中継だったのに。ま、エースの村上が2安打のG完封、森下翔太のメモリアルアーチ先制。マジックは「24」に。」
何シテル?   08/17 07:44
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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