〜「マガジンX」と「カラオケ忘年会」~
ただいま、大晦日の午後6時半。ということは、あと5時間半で、新しい2015年を迎える。大急ぎで、わが「みんカラ仲間」「ベスモ同窓会」のみなさんに年末のご挨拶だけは済ませておきたい。
1年間、おつき合いいただいて、ありがとう。いったんは、メディアの修羅場から身をひいた男が「10年の空白を埋めたい」などとほざいて、あれこれと、日々の出来事や、New Carとの悪戦苦闘、あるいは「セピア色の記憶」などと格好をつけながらのむかし話……などなどを真っ直ぐに受け止めていただく至福の交流。あらためて、お礼を申させていただく次第。そして、こころを新しくして、2015年も変わらぬ交流をお願いしたい。
さて、この1年、3月にシンガポールに遊び、4月に岡山・中山サーキットでの「第3回 ベスモ同窓会」と、前半はまずまずの動きだったが、5月からは130年前の民衆蜂起暴動「秩父事件」にはまっての「秩父通い」に終始した。まだ取材は完結していないが、そろそろゴールは見えている。2015年の3月までには仕上げないと、4月の「岡山行き」がはばかれることになりかねない。
そうしたさ中に、37年来の盟友・徳大寺有恒こと、杉江博愛さんを喪う。で、11月26日発売のベストカー誌に『運命の人“杉江博愛”と黎明期のベストカー』を執筆し、わたしなりの追悼の想いを明らかにし、そのことを「みんカラ」でもお伝えした。と、間を置かずに「マガジンX」から、メッセージ欄を経由して、こんなアプローチがあった。
———以前、高橋徹選手のファミリアの件でメッセージを送らせて頂きました山崎龍です。じつはマガジンXの次号で、先日ご逝去された徳大寺有恒先生の追悼企画を考えています。そこでベストカーガイド創刊の際に徳大寺先生を起用されたころのお話など、インタビュー取材をお願いしたくご連絡させて頂きました。
確かに記憶にあった。2011年10月21日と22日の2回にわたって掲載した
「風に消された23歳・高橋徹の光と影」の反響の一つとして、故・高橋徹選手の愛車だったファミリアが千葉市内の中古車店から売りに出ているけど、どこかのクルマ・ミュージアムで引き取ってもらえないものか……という熱い調子のメッセージの送り主。そうか、彼は「マガジンX」のライターだったのか。
率直にいって、そのメディアは、このクルマ雑誌低迷の時代をしたたかに生き抜いているのには敬意を表するものの、どちらかというとスクープ中心のゲリラ戦を得意としている。それがなぜ「徳大寺追悼」のインタビュー取材なのか。さて、受けたものかどうか。そのわたしの躊躇いを山崎龍記者の率直なことばが、あっさり、融解してしまう。
———徳大寺先生とは小誌3月号でインタビュー取材をさせて頂きました。じつは直接お会いしてお話させて頂いたのはこのときが始めてだったのですが、長年の大ファンでしたので緊張気味だった私に、
「そんなに固くならないで良いですよ」
と、優しいお声をかけて頂けました。
インタビューの最後に、
「君たち(ほかのスタッフとも一緒でしたので)と話ができてよかった。今日はとても楽しかった。今度メシでも一緒に食おう!いつでも遊びにきなさい」
と、笑顔で仰って頂けたのが印象に残っています。
(残念ながらその機会は永遠に失われてしまいましたが……)
今、自分がこうしてクルマの原稿を書いているのは、間違いなく徳大寺先生のおかげです。徳大寺先生の文章に触れていなければ、おそらく今の自分はなかったと思います。
徳大寺先生のこれまでの偉業を振り返りつつ、先生を追悼するページにしたいと考えております。
———その時の有様が手にとるように、わたしには伝わってきた。すぐに返信する。
「ご連絡、ありがとうございます。喜んで、お受けいたします」と。
11月30日の午後、池袋のメトロポリタンHOTELのロビーで待ち合わせる。ベストカー黎明期のころの話が主題なら、と一応、創刊号を持参。写真は徳さんとガンさんとで富士のヘアピンで寛いでいるのを選んだ。徳さんのテンガロン・ハット姿が懐かしい。
その日から1ヵ月が経って、すっかり、その日の取材がどういう形でページになっているのか、失念していた。途中で、山崎記者からインタビューをまとめたワード原稿が送信されてきている。明らかな間違い、誤字だけは訂正しておいたが、年の暮れの雑事に追われて、発売日のことも、すっかり頭になかった。
12月27日(金)の午後4時。
念願のPORSCHEボクサーが納車されて浮き浮きしている「ベスモ同窓会」メンバーの「2315」君と、東京での同窓会会場だった「練馬サンライフ」前で待ち合わせる約束ができていた。随分前に、プログレをはじめ、1990年代のTOYOTA FRセダン群のカタログを借りっ放しなのがきになっていて、やっと仕事がオフとなった「2315」君とおしゃべりがしたくなっていた。
こちらは、折から手元にメルセデス・ベンツのGLAの4MATICがやってきている。右ハンドル、6速MTのボクサーとの乗り比べもいいなあ。胸を弾ませているところへわがiPhoneが着信を知らせる。「2315」君からだった。環八が混んでいて、今、環七方面へ迂回しているところ、遅刻する、という連絡だった。
実はこの後、同じ「ベスモ同窓会」の在京若手の「イワタカズマ」「エムシー34」の両君と忘年会を予定していた。冬の陽が落ちるのは早い。できれば明るいうちにボクサーのアクセルを、ちょいと踏んでやりたいのに。それが、残念ながら、怪しくなった。
4時半、ライトをつけた白のスポーツカーが、地を這うようにして近づいてきた。いくら押し殺してもその低音サウンドは、ポルシェそのものではないか。
時間がない。そのまま、2台で忘年会場のファミレスへ。
定刻前に現れたのは「イワタカズマ」君。開口一番、「局長、読みましたよ」と来た。
「ああ、ベストカーかい?」
「なに言っているんですか。マガジンXですよ」
あれ、もう発売されたのか。そういえばカー雑誌は26日発売が多かった。
「イワタカズマ」君の読後感を訊く暇もなく、「エムシー34」君の登場で、早速、忘年会がスタート。二人とも昭和最後の年か、平成生まれの「ベスモ育ち」とあって、あの企画はどの号で、誰それが何と言って、どんな走りをしたか、まるで「生き字引」状態で、とどまるところがない。それに対応する、「2315」君のちょっとシニカルで、専門的な反応も、聞いていて興味が尽きない。
その輪の中にあって、閃いて来るものがあった。いま、わたしが展開し始めた「ぽらりす」の電子書籍のうちで、それをテキスト本にして、音と動画をシンクロさせる方法はないものか、と。そうやって「ベスモ遺伝子」と共鳴させる。うん、何かがいま近づいてきつつあるぞ。
この日は、10年ぶりにカラオケを楽しむつもりにしていた。「2315」君は、このあと所用があるという。で、一旦、解散した後で、残り3人は近くの駅前書店に立ち寄った。「マガジンX」はあるだろうか、と。
「イワタカズマ」君が目敏くキャッチしてくれた。早速、購入。「エムシー34」君もつき合って、お買い上げである。ま、通読するのは後にするとして、パッと見た感じでは、黒地に文字白抜きは、喪章をつけているよな、そこだけはちょっと重々しい雰囲気になっていた。写真をたっぷり用意してあげたのが、どうやら役に立っているのに、ホッとする。

*どちらが誰か、は説明の要なし
さて、10年ぶりの「カラオケ」である。トップバッターは、当然、陽性の「イワタ」君。いきなり、アクション入でAKB48。場がくだける。「エムシー」君は山下達郎。なるほど、声質がぴったり合っている。で、わたし、韓国人歌手チョウ・ヨンピルの『想いで迷子』を選んだ。歌いながら、あ、徳さんは『旅の終わりに』が好きだったな、と思い出した。♪流れ流れて さすらう旅は きょうは函館 あしたは釧路。
新潟・間瀬サーキットのロケで岩室温泉にとまったときなど、徳さんの渋い低音がこの艶歌とうまくフィットしていたのを、ついつい、思い起こしてしまった。

*これ、谷村新司の『群青』に挑戦しているところ PHOTO by K.IWATA
30日の午後、郵便BOXに山崎記者からの郵便物が届けられていた。もちろん、「マガジンX」の2015年2月号であった。
午後11時になった。TVは紅白歌合戦を中継している。大晦日の風物詩として、やっぱりNHKのこれだが、随分昔の大晦日の夜は、徳さん夫妻と浅草の「麦とろ」で食事した後、雷門をそぞろ歩きをした。それを、通夜の夜、徳さん夫人が、しみじみと思い起こされて、改めてお礼を述べられたのも、いまは哀しい。
2014年はあと30分か。「マッサン」の主題歌。中島みゆきの歌声が聴こえる。
みなさん、ありがとう。そして、これからもよろしく!