マツダさんから行きます。
これまでFC、FDのRX-7は書いたのに肝心な初代を書いていなかったなと、というわけで・・・・。
【MAZDA SAVANNA RX-7 (SA22C)】
「マツダ サバンナRX-7(SA22C型)」です。
いわゆるSAの初代RX-7ですね。
1978年のデビュー
当時出た時はその低いボンネットやスタイル&リトラクタブルライトに話題沸騰、1975年からのスーパーカーブームもあり、こんなスタイルの国産車が出るとはと子供達の間でも話題になりました。
スペック
水冷直列2ローター、排気量573ccx2(1146cc)、最高出力130馬力です。
基本的には北米市場を席巻していたフェアレディZをターゲットに開発されました。そう、本来は北米への輸出メインでマツダは考えていたのです。
しかし、当時は昭和53年排気ガス規制などで日本国内のスポーツ系は軒並み牙を抜かれたり風当たりが強かった時代、そんな時代にマツダはあえて本格的なスポーツで国内でも勝負をかけました、しかもマツダの宝刀であるロータリーエンジンでです。
これが搭載された12Aロータリーエンジン。
馬力こそ130馬力ですが、乾燥重量は1050kgとかなり軽量、2ローターのコンパクトなエンジンを運転席側へ押し込みフロントミッドシップを実現、理想的な前後重量バランス(50.7:49.3)を達成しています。厳しい排気ガス規制に対応しつつNAでグロス値ですが130馬力ですから、当時としてはたいしたものです。
足回りはフロントはストラット式、リアはワットリンクを持つ4リンクリジッドと硬めの足ですが、当時としてはハイパワーなエンジンに応える足としては、これぐらい硬めな足が必要でした。
インテリア、セミバケ風のサイドサポートのしっかりしたシートを装備。
インパネ、4本スポークの直径380mmの小径ハンドル、センターにタコメーターが来るレーシーなメーター配置、タイトな空間がまたレーシーです。
トランスミッションは5速MTと3速AT、売れたのはほとんどが5MTだったそうですが。
リヤ回り、解放感に溢れたスタイル、リヤガラスの部分が上下に開閉するグラスハッチバックという当時の国産車初の試みでもありました。クーペスタイルながら後方視界の良さにも一役買っています。
そして、こんなスポーツが123~169万円と比較的に安価な価格でしたから、当時の若者でも頑張れば買えると予約殺到、発売から数年間は多数のバックオーダーを抱えたんだそうです。
勿論北米でもロータリーの性能とその安価さで歓迎されましたが、最早海外でのセブンへの悪口の代名詞・・・そう、「プアマンズ ポルシェ」(貧乏人のポルシェ)とも言われていましたけど。これは実はフェアレディZも言われていたそうですけどね。
日本国内でも、軽い速い低いそれは確かに間違いありませんでしたが、あえて言えば何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じがすると言う評価もありました。
まあ、なるべく安価な価格設定(北米で300ドル)もマツダの目指す所でしたが、それが裏目に出てしまった部分もあるようです。
これについては擁護をすると、この時代のそれまでの国産スポーツといえば直4や直6エンジン、元は高級なセダンやクーペが多かったわけで、つまり重厚長大なスポーツが主流だったので、ロータリーの軽く回るエンジンフィールや軽い車体がそう感じさせたのでは?こう思うのですが。
1980年11月にマイナーチェンジを実施
フロントエアダムバンパーの採用によりCd値が向上した他、エンジンとボディの軽量化が図られました(乾燥重量1020kgになりました)。
特にリヤ回りのデザインが大幅に変更されています。
更に1983年
ターボチャージャーを搭載、馬力が130馬力から一気に165馬力へジャンプアップ、それまで最高速は180km/hあたりだったのが、一気に221km/hへとアップしています(無論、リミッターの無い輸出仕様のお話)。
硬い足回りはそのままでのパワーアップですから結構じゃじゃ馬になったそうですが。
1985~6年まで約7年間と長めのモデルスパンで、FC3Sへバトンタッチをして生産を終了しました。
さて、レースシーンでは?
発売翌年である1979年のアメリカデイトナ24時間レースに参戦。初参戦にも関わらずGTUクラスで1位と2位を獲得する大活躍を見せました、北米のレースではそのまま65勝を上げたそうです。今も北米には熱狂的なロータリーファンが多いのですが、このデイトナなどでの大活躍がそれに繋がっているそうです。まあ、その改造は無茶をしまくっていますが(連結して6ローターエンジンとかを自作したり)w。
あと、北米仕様は一部13B(FCと同じエンジン)を搭載していました。
ル・マン(IMSA-GTOクラス)にも1979年から参戦「マツダ252i」と呼ばれるこのマシンのエンジンは国内仕様の12Aではなく、海外仕様の13Bをベースに開発されました。ただ結果は予選落ちと惨敗、馬力が低かったそうです。
1981年にはこの253でリベンジ、2台体制での出場で、馬力は252とさほど変わらずだったそうですが軽量化を実施、念願の本戦出場となりましたが残念ながらトラブルで2台ともリタイアとなりました。
1982年、この254でようやく念願の完走、まさに身を捩りながら走る車だったそうですが、ハンドリングは良好だったそうです。
ここでの悪戦苦闘が、後の787Bのル・マンでの栄光へと繋がりました。
そして、あまり知られていないのですが、実はWRCにも参戦していたんですよ。
当時のWRCのトップカテゴリであったグループBに参戦、しかしすぐに方針転換され「323 4WD」でのグループA参戦に切り替わってしまいました。
これが323 4WD、日本ではファミリアですね。グループBが事故多発で消滅してグループAになった1987年から活躍しています。
セブンの戦績は、日本車としては珍しくスプリントラリーで活躍しており、1985年のアクロポリスで3位、1986年のニュージランドでも6位と健闘しています。実質活躍したのはこの2年間だけでした。まあ、カテゴリー変更による方針転換だったので致し方無いのですが。
さて、中古市場ですが、昭和スポーツですから軒並み爆上がりですね。
最低ラインで初期型の230万円あたりから、走行の少ない後期ターボモデルであればASK(応談)となります。
まあ、セブンはどの形式も爆上がり中ですから、恐らく後期ターボで程度の良い車両は4~500万円は軽く越えるのかなと。
国産スポーツが排気ガス規制に低迷した時代、その革新的なスタイルと軽量なボディ、ほぼ50:50の前後重量比でハンドリングマシンとしても優良、それを比較的に安価な価格で販売し内外で大人気に、ただ、安っぽい部分もありプアマンズ ポルシェと揶揄されましたが、モータースポーツでも活躍し、一部のレースではそのポルシェを相手に戦い決して劣らないことを見せつけ、内外に現在まで続くロータリーフリーク達を生み出した原動力になった車、それがマツダ サバンナRX-7(初代SA22C型)です。
所有するなら?
個人的にはこういうスッキリスタイルが好みですね、勿論後期ターボモデルでこんな感じで、ナローなボディが一番似合うと思います。
エンジンはFCの13Bターボに載せ変えも可能だそうです、それをやる手もありますね。後はマフラー、足回りは良く動く物へ変更、冷却強化はロータリーチューンには必須科目ですから、ラジエーターの強化やオイルクーラー増設はしっかりと。
こういうボディキット装着による車幅拡大も嫌いではないのですが、やはりリヤウイングはこういうポルシェ風が一番似合いますね。
すっかり見なくなった初代SAセブン、久しぶりに見たい一台です。
本当にこの車が出た時は国産車でもここまで出来るのかと子供心に思ったものです。