1960年代後半のMatchboxで、5社目のトラックメーカーブランド・・
黄色い6輪クレーン車でした・・
荷台にあるクレーンと台車が回転します。
この写真では見えにくいですが、ラジエーターグリルの上に、DODGE と書かれています。
もう1台は車両牽引車・・
どう見てもアメリカっぽいデザインです。
アメリカ車なのに BP のカラーとロゴ・・
この写真では見えませんが、バンパーには英国風ナンバープレートが付いています。
1960年代当時、英国で売られていたようです。
クレーン車の実車の写真が見つかりました。
右ハンドルだけど英国っぽくない風景・・
この車はラジエーターグリルに DODGE のエンブレムがあります。
ラジエーターグリルと両脇のライトが、かなり立体的にボディーから出っ張っているかなり特徴的なデザイン。
なんだか、魚のフナや泥鰌(どじょう)の様にも見えます・・(^^;;
このDodge 500・・
ご推察の様に、実はアメリカ車ではありません。
英国車なのです。
前回の1960年代の英国GMCトラックのブログで説明しましたように、アメリカのGMは1925年にVauxhall、1929年にOPELを買収し、欧州市場に確実に根を下ろしました。
ライバルのFORDは、1911年に英国工場を、1925年にドイツ工場を立上げ、欧州メーカーに並んで欧州に固定マーケットを持っていました。
アメリカビック3の3番手、クライスラーは、1960年代に欧州進出を目指しました。
1953年にSimcaのシェアの15%、1963年に63%を獲得。
1963年にはスペインのトラック会社Barreiros社の35%の株を買収し、1969年に完全子会社化します。
1962年にBritish Leylandの買収に失敗すると、1964年に英国ルーツグループのシェアの30%を獲得します。そして1967年には残りの株も買収し100%子会社化しました。
英国の自動車メーカーRootes Groupは、Hillman、Humber、Singer、Sunbeam、Talbot、Commer、Karrierのブランドを擁する会社で、当時BMC(British Motor Company)に次ぐ英国第2のメーカーでした。
1970年にフランスのSimca社を買収すると、Chrysler Europeとして、英国、フランス、スペインChrysler社として名前を変更しました。
1960年代からにイギリス、フランス、スペインのメーカーのシェアを獲得し、各社と提携したクライスラーは、英国ルーツグループに作らせたトラックにDODGEと名付けました。
その一つがこのDODGE 500・・
1964年代に発売された、この特徴のあるデザインのトラック・・
実はカロッツェリア・ギアの作品なんです。
1964年と言えば、ジュジアーロがベルトーネのチーフデザイナーになった年。
ジュジアーロがギアに移籍してチーフデザイナーななったのは1967年ですから、このトラックとは重なっていませんね。
1960年代中頃に発売されたトラックで乗用車的な内装とドライビングレイアウト・・
当時としては先進のデザインだったのでしょうね。
Matchbox Truckで、1960年代後半にもう一つのDODGEの車だったのが、このDODGE D500・・
牽引車、Wrecker Truckdすが、当時幼児だった私でも、この車だけ妙にデザインがアメリカ車だったのを不思議に思ったことを覚えています。
ミニカーはBPのロゴが入っているので、当時この車はアメリカで作ったものを英国市場で売っていたのかも知れません。
実際に検索してみても、アメリカでの写真しか見つかりませんでした。
FORD、GM(Vauxhall、OPEL)に続いて欧州での基盤を作ろうとしたアメリカビッグ3のひとつ、クライスラー。
1960年代に、British Laylandの買収に失敗すると、60年代から70年代初めにかけてBarreiros、Simca、Hillman、Humber、Singer、Sunbeam、Talbot、Commer、Karrier、Matraのブランド全てを手に入れて、Chrysler、DODGEなどのブランドを欧州に浸透させようとしましたが、1978年、Chrysler Europe社を設立して僅か10年余りで倒産し、ヨーロッパから手を引いてしまいました。
1978年、倒産したChrysler Europeの乗用車部門はPSA(Peugeot Citroen)に買収され、Truck/Bus部門(スペインの旧Barreiros)は、Renaultのトラック部門に売却されました。
ブランド名としてのTalbot、SunbeamはPSA傘下で数年間生き残り、Peugeotのバッジエンジニアリングカーとして販売されました。
MatraはやがてPSAから別会社に売却され、Renault Espaceの開発と製造を任され、初代Espaceのヒットで息を吹き返し、初代Espaceがなくなって落ち込んだ頃に 同じRenaultのAvantimeの開発製造を任されましたが、Avantimeがヒットしなかったため、経営が傾いたMatra Automotiveは、2003年、Pininfarinaに買収されました。Pininfarinaも2009年、買収したMatra Engineeringを他社に売却し、実質的なMatra自動車部門の名前は活動を停止しました。Pininfarina自体も2000年代から経営がさらに悪化し、買収したMatraの活動は2003年に実質的に活動停止していたようです。
アメリカビッグ3の最後の進出者として1960年代に欧州市場を狙ったクライスラー・・
わずか10年余りで撤退しました・・
旧Chrysler Europeの工場は、Simcaが1937年にFord Franceから買収したParis郊外の工場は、PSA工場として、Renaultに売られたマドリッド郊外の旧Barrierosの工場もPSAの工場として、Rootsグループの研究開発センターだったコベントリーの開発センターは、今はインドのTATA傘下にあるジャガー・ランドローバーの本社になっています。
50年経った2020年の現在、2つの工場と1つの建物が生き残っていました。
つづく・・
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ミニカー | 日記
Posted at
2020/06/06 13:29:44