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にゃんこおっさんのブログ一覧

2015年10月10日 イイね!

回顧録改め、思い出話part2

回顧録改め、思い出話part2書棚を整理していたら懐かしい写真が出てきた。
あったあった\(^o^)/ 現存する唯一の写真
結婚して二年目くらいだったろうか?
妻の嫁入り道具だったコロナクーペ1700cc(なんか中途半端な数字)、何度か調整してもらったのだけれど、赤信号で停車するとエンジンが止まってしまい、その度にエンジンを目覚めさせなければならなかった。
回転が下がるとストン。修理もままならないような古い車だったので思い切って買い換えることにしたんだっけ。
薄給にもかかわらず、人生、初めて購入した車、しかも新車。清水の舞台から大ジャンプww
横浜は大倉山に住んでいたのに何故か練馬ナンバーww
勤務先のサッカー部の先輩が、浜田山の日産に知り合いがいるとかで、お安くしていただいたのだけれど、ローンと販売店と居住地の関係で横浜ナンバーにできなかったんだったかな?確か。

写真は山中湖畔。背景のもろこしが.......以来、通称、もろこしパルサー
CIBIEの大型フォグに替わってないから、購入して直ぐの写真だな。
CIBIEと言えば、この車での大きなトラブルが二度。
東名上りを法定プラスαで走行中にバー〜〜ん!と破裂したような大きな音が車内に響いた。
何か踏んだか? パンクか?とっさにルームミラーに目をやると黒い紐状の物体が後方に飛んでいった。
路面には何も見えなかったけど、何かを踏んで車体に当たったんだろうと判断した。
続いてふと計器に目をやると水温計の針が一気に上昇しMAXを示した。
目の前にバス停が見えたのでバス停の入り口に停車し、ボンネットを開けエンジンを切らずに非常電話からSOSの電話をかけた。
助けが来るまで30分ほどかかったと思うけれど、其の間、高速バスがクラクションで注意を促しながら何台も入ってきたっけ。
で、その度に三角停止板が倒れ、下に錘のついている重みで自立するタイプは高速では使えないことを学んだ(笑)
JAFの方に診てもらったところ「ファンベルトが無くなってます。新車のうちは弛んだりで切れることがたまにあるんですよ。合う奴が無いので応急的に代品つけておきますので早めに正規品と換えてくださいね」
あの破裂音はファンベルトが引きちぎられた時の音ということだった。
JAFに未加入だったので、その場で加入し未だに継続中。

長くなってしまったけど、もういっちょのトラブル。
ラリーに憧れを持っていた私、未熟者なためせめて格好だけでもと、CIBIEの大型フォグを付けていた。
梅雨のジメジメした霧雨の降る深夜、246は横浜インター近く、目黒の交差点での出来事。
赤信号になったため、減速したところ前方が一瞬真昼のように明るくなり、続いて暗闇がやってきた。
と同時にエンジンストップ。
セルモーターも回らない。
どうしたもろこしパルサー。頑張れもろこしパルサー(≧∇≦)
深夜の梅雨空にもかかわらず、後続車の方が押してくれ脇道に寄せてもらったものの、これからどうすりゃいいのさ......
当時は携帯電話などない時代、JAFに連絡しようにも公衆電話も見当たらず。
一縷の望みをかけ、一時間ほど待ってキーを回すと、な、なんとキュ、キュルル、キュル、ブーーンとエンジンが始動したではないですか。
バッテリーが戻ってきたんですね。よかったよかった\(^o^)/
とは言え、バッテリーは充分には回復していないはず。
エアコンは勿論停止、フォグも前照灯もoff、スモールだけで大倉山まで帰ったっけ。
霧雨なのに窓を開け、外灯だけを頼りにヒヤヒヤしながらなんとか帰宅。
後日、確認をしたらCIBIEのリレーが黒焦げに、一瞬真昼のように明るくなった時、ショートしたんだろうね。
そういえば、同じ付近でワイパーのモータが故障し雨降りなのにワイパーなしで走らざるを得ないこともあったっけ。怖かったなぁ〜。


まだまだ未熟だった時代だったけど、他は擦り傷二箇所くらいで済んだかな。 もろこし君。
Posted at 2015/10/10 21:51:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2015年07月25日 イイね!

想いで深い路

今日はとても暑かった、と言うより熱かったですねぇ。
名古屋にしては珍しく湿度が低かったのでまだ楽だったけれど、冷夏予想は何処に行ってしまったんでしょう。
明日は富士スピードウェイでイベントがあるそうですが、参加者の皆さん、くれぐれも熱中症には気を付けてお楽しみください。
標高がある分、下界よりは過ごし易いかも知れないけれど、体力の無いおっさんは覗きに行きたい気持ちを抑え自宅に篭ることにします(^^;;

ところで、車好きの皆さん、お気に入りの路と言いますか想いで深い路をお持ちのことと思います。
私は走り屋ではありませんが山路が大好きと前々回に告白(笑)しましたように、山路を楽しみにしています。
多くの路を承知しているわけではありませんが、幾つかの想いで深い路があります。
想いで深い理由はそれぞれですが、ぱっと思い付く路は
・R299(メルヘン街道) 茅野から佐久方面へ *若気の至りとは言え、二輪を煽る結果となりコーナーでエンストさせてしまいましたね。ごめんなさい。
・美ヶ原高原→武石峠→美鈴湖 *途中1.5車線、対向車が来たら往生するけれど。
・上高地乗鞍スーパー林道 *奈川温泉から乗鞍高原までの区間、落葉松の紅葉シーズンは最高でした。
・野麦街道 *野麦峠から木曾街道に向かって下りだったけれど紅葉最高。1.5車線
・権兵衛峠(旧街道) *新緑のトンネルを走っているようだった。
等々。今年は、秋口から初冬にかけてがとても楽しみ。小ぶりなルーテシアとRSのパワーが楽しませてくれることでしょう。

ところで二回目ww
地図が大好きって何処かで書いたけれど、これまで通ってきた路を塗り潰したい衝動にかられている私。
かつては高速道路のSAで頂戴するMAPを塗り潰していたけれど、何度目かの引越しで行方不明に...。
今の時代、デジタルで記録できればと思い幾つか探してみたけれど、道路をトレースし易く、かつ過去のルートを一つの地図に記録出来るシステムが見つかっていないのです。
やはり、アナログで紙地図に塗り込んで行くしか無いですかね。

Posted at 2015/07/25 23:20:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記
2015年06月25日 イイね!

回顧録

貧しい農家に生まれ育った私。
当時、実家には自動車なるものは無く、リヤカーと一輪車が田畑から収穫物を運ぶ手段だった。
田畑に向かう時は父の引くリアカーに乗り、帰りは重くなったリアカーを押し、そんな長閑な風景の似合う時代で育った幼少期(笑)
そんな実家だったけれど、先の進路が決まった高校三年の時間的余裕が山程生まれた頃、父から自動車免許を取るよう勧められた。
父はこれからの時代、自動車免許が必要不可欠と思ったのだろう。
家計も大変だろうという思いもあったと思うが、自動車には全く興味がなかったために自動車学校に申し込むことはなかった。
東京でコンピュータ関係を中心に学び、東京に本社のある企業に就職したのだけれど、その時点でもまだ自動車に興味を抱くことは無かった。
ところが、そのような気持ちが変化することに(^^;;
勤務先の部署は平均年齢が若いということもあり、部員の間でスポーツが盛んだった。
野球、バレーボール、スキー、それから仲間に入れてもらったサッカーとテニス。
200人ほどの部署だったこともあり、それぞれ結構な人数が集まった。
勤務先で部署対抗の大会をやったり、他企業に他流試合を申し込んだり(^ω^)
サッカーは神奈川にある自動車メーカーの同好会と対戦したり、絨毯のような芝生のグランドで某海運会社と対戦したり、今の時代と異なり多様な楽しみ方があったわけではないから、職場でまとまって行動することが多かったのだろう。
なにせ、ファミコンが出る前の時代だったからねえ(笑)
テニスはと言うと年二回合宿があった。春は山中湖は平野の民宿に泊まり、民宿のテニスコートを借り切って早朝からテニス三昧。
秋は会社の保養所や研修センターを利用し、軽井沢テニス合宿。コートは確か北軽井沢の三井の森?だったかな。
で、車に目覚めてしまったのはこのテニス合宿というわけ。
合宿場所への移動手段は車しかないわけで、新入社員の春に諸先輩の車に同乗させてもらったのだが、行きは2代目シルビア。空飛ぶ円盤のようなデザインだったけれど、とてもセクシーに思えた。
あの時、初めて高速道路に乗ったと記憶しているけど、いや〜速かった。(違反していたんだろうけど)
スピードにしびれてしまった。
帰りは117クーペ。こちらも早かったけど、優雅なスタイルに美しいと思った記憶がある。
続いて秋の合宿、スカイライン2000GTR、俗に言うハコスカで軽井沢に連れて行ってもらった。当時の関越は東松山までしか開通していなかったため、東松山からはひたすら下道を走りつづけ、碓氷バイパスを経由し軽井沢に入ったのだけれど、豪快に峠を越えていったハコスカ。
軽井沢の移動と帰りはブルバードSSS。
他にも往年の名車と言われる車が沢山あったなあ。
こんな車に同乗させられたのだから、車に惹かれていってしまうのは必然でしょう。
軽井沢合宿から戻り、直ぐに自動車学校の門をくぐりましたとさ(笑)
前述したけれど、当時は今ほど多様化した時代では無かったので、車を持つことが若者の憧れだったと思う。
車を買うために頑張って働いた方も多かったんじゃ無いだろうか。
ここ数年は、携帯電話代やゲーム代に何万使っても惜しく無いけれど、車のローンに1万、2万払うのは勿体無いと考える若者がかなり増えた
と世界を代表する自動車メーカの役員さんがぼやいていたっけ。
国内で売れないわけだねぇ。
確かに多様化の時代だし、自動車を持っていなくともどこにでも行けるし無くとも困らないということも言えるけど、魅力的な車、わくわくする車、ピリ辛の味付けの車が出てこないのが最大の理由なんじゃないだろうか。
国内で売れないのは。
各メーカ関係者やファンの方には怒られるだろうけど、
三十数年前、当時からトヨタ車の出来はよかったと思う。一方、ニッサンはどっか抜けているというかぎこちなさと言うか一級品じゃない印象だった。
でも、日産車の方が魅力があった。ずーーーーーっと日産を応援してきたけれど、それもここ七年ほどになろうか惹かれる車が出てこなくなり少しずつ引くようになってしまった。
かつての日産は、多少出来が悪くとも、個性的で、どうだ俺を乗りこなしてみろと訴えているようで心踊らされたものだ。
そんなニッサンも優等生ばかりでちっともワクワクさせられない。
そんな中、メガーヌRS、ルーテシア3RSと一昨年出会い、ワクワク感が蘇り
そのワクワク感がルーテシア4RSに姿を替えて我が家にやってきたのでした。

ちなみに、ルノーとの出逢いは、30年ほど前だろうか、モンテカルロラリーに出場した5ターボの勇姿を目にし、サウンドを耳にした時。
八ヶ岳公園(高原?)道路だったかな? 5ターボの姿を偶然目にし、感激のあまりUターンしてまで後をついて行った記憶が(笑)


p.s.
ふと思い出した。
亡き妻と知り合う前の出来事。
当時、妻はサニーのクーペに乗っていたそうだけれど、山中湖テニス帰りに246は山北のコーナーでスピンし側溝に片輪落としてしまい脱出できなかったとか。
スピンの原因は、私が車に興味を持つきっかけを作ってくれたシルビアに、無謀にもついていったことだとか。
幸いにも怪我もなく、軽量サニーは他の仲間が、よっこらしょと持ち上げたんだとか。
どんだけ軽い車だったんでしょうねえ(^ω^)
Posted at 2015/06/25 23:01:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 想い出話 | 日記

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「@FLAT4 さん、私もお父様と一緒の口😄」
何シテル?   06/16 16:48
にゃんこおっさんです。 購入した車のアクセサリーについて検索していてここのSNSに辿り着きました。 参考になる情報が盛り沢山ですので参加することにしまし...
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