ちょっと間が空きましたが、1980年代に私が憧れた車・・
今回は、
前回同様、自分が買うのではなく、親の車の買い替えの候補になってくれればいいなと思っていた車です・・
1983年発売の
いすゞ・アスカ・・
当時GMと資本関係があったいすゞがGMグローバルカーの中のJカー構想の一環として発売されました。
当時、トヨタ・マーク2、3兄弟が大ヒットし、日産ローレルがそれを追いかけ、マツダ・ルーチェもそこそこ売れていたセダン全盛の時代でした。
ベストセラーだったマーク2、チェイサー、クレスタのトヨタ3兄弟は、外装スタイルから内装まで、日本人独自の細やかさで繊細で豪華な車に仕上がっていました。
そしてもちろん日産ローレルやマツダルーチェも、トヨタの繊細な完璧さに追い付こうと頑張っていました。
そんな日本車が絶好調に向かって頑張っていた時代に、GMと提携してトラックメーカーの副業として、あっさりとした車を作っていたいすゞ。
シンプルな外観と内装が、モケット生地のボタンルースクッションシートの他の国産車と比べて、個人的にセンスがいいと感じたのです。
後期型になってFFジェミニ前期型と同じデザインになったフロントグリル。
こちらのほうがスッキリしてよりいいデザインに感じます。
すごくシンプルで明快なインパネとダッシュボード。
個人的には他の日本車の至れり尽くせりのハイテクインパネより、このようなデザインの方が好きでした。
ガソリンターボ車はグロス150馬力で結構スポーティーだったようです。
0-400m 5.5秒で1983年時点で世界最速車だったようです。
日本初の自動変速2ペダルマニュアル。NAVI-5も発売されました。
このNAVI-5、今のDCT、PDKのようなものでしょうか?
時代より30年近く早かったですね、、
ディーゼルターボでは、24時間日本最高速チャレンジを行い、トラックメーカーとしての技術と耐久性を証明しました。
専用の足回りチューニングをしているのでしょうが、200㎞hオーバーで24時間走破するには、それなりのシャシの基本が必要だったでしょう。
さすがOPELをグループに持つGMグループとのJカーです。
この頃のいすゞは、トラックメーカーの割に、乗用車にも結構本気でしたね。
バブル絶頂期にはF1向けのエンジンも試作したりしています。
ディーゼルターボ最高速挑戦車・・
シャレード・ディーゼルターボもそうでしたが、ディーゼルターボも時代より30年近く早すぎました。
モデルチェンジの少ないいすゞの乗用車・・
「長く乗れる」ことをアピールしていますが、実質的にいすゞの中型乗用車はこのアスカが最後になってしまいました。
(余談ですが、このカービング師の方、いまでも現役でご活躍されているようです^^)
この頃のいすゞ車のカタログ写真はシックですね(^^)
アスカターボは、1983年、英国RACラリーに初参加してクラス優勝しました・・
いすゞがGMと契約してアメリカや世界に乗用車を拡販しようとしていた時期でしたから、力が入っていますね。
アスカはオーストラリアにOEM出荷されました。
RACラリー、1990年の英国在住時に見に行きました。
North Yorkshireの山道を歩いてラリーコースに行くのが大変でした(^^)
すごくいい思い出です。
*ちなみに、RACとは、Royal Automobile Club、1897年に設立された日本のJAFのような団体(個人企業)です。英国にはAA(Automobile Association)という同じような団体(民営化して個人企業)があり、こちらの方が海外では有名かもしれません。2つのJAFのような団体があるなんてさすが自動車クラブ発祥国の一つです。AAもRACも一般の人にとっては、困った時の緊急対応やレッカーサービスが一番の加入目的です。
ブログ一覧 |
街角の名車たち | 日記
Posted at
2022/07/28 19:36:28