徳小寺氏のブログのコメントにふと書き込んだ「100マイルカー」という言葉。これはいったいどこから来て、なぜ今は使われないのか。ちょっと興味があったので調べてみた。
まず、「100マイルカー」という言葉をキャッチコピーとして用いた車は、1966年デビューのホンダS800(写真・ホンダのホームページより)である。なるほど、小型軽量のスポーツカーなら、「100マイル=160キロ/毎時」という言葉は、高性能ぶりをアピールするのにうってつけだったのだろう。でも、なんでマイル表示なのか。しかも、法定速度が100キロの日本では160キロの最高速などアピールしても意味ないのではないか。その時代の日米の自動車事情についてさらに調べてみた。
「マイル」という言葉から連想されるアメリカでは、「最高速度100マイル」ということはセールスポイントとなりえたのだろうか。アメリカでは長らく高速道路の最高速度が55マイルに規制されていた。この55マイル規制は1974年から実施されたものなので、S800のデビュー時にはもっと高い規制速度だったのだろう。正確な数字はわからないのだが、現在の規制速度である75マイル程度だったのではないか。そうすると、100マイルの最高速度というのは日本同様意味なさそうである。「100マイルカー」というのはアメリカ市場向けにはあまり意味のある言葉とは思えない。
では、日本ではどうか。実は、1960年代後半というのは、日本の自動車事情に大きな変化があった時期なのである。まず、最初の高速道路、東名高速が1968年に開通する。それ以前は、100キロ前後の速度で(合法的に)走行できる道は日本のどこにも無かったのである。そして、道路の舗装率は低く、山間部は急勾配の悪路であった。日本車は、このような悪路を走っても壊れないように、トラックのような頑丈なフレームを持ち、大きさのわりに重かった。そして、急勾配と車重に耐えるべくギヤ比は低く設定されていたから、100キロ以上の速度というのはまさに「異次元」の高速度だったようである。そのような中で「100マイル」といえば一般のドライバーにとっては非現実的な高速度であり、キャッチコピーとしては非常にインパクトがあったのだろう。
次に、1965年に自動車輸入が自由化されている。前述のような劣悪な道路環境に対応するために旧式な設計だった国産車だが、自動車輸入が制限されているために、国内市場でシェアを維持することができていた。しかし、自由化により性能面で優る輸入車が市場を席巻するおそれが出てきた。日本車は生まれ変わる必要があった。現に、歴史に残る名車といわれるような3代目ブルーバード(P510)やホンダN600、フェアレディS30といったエポックメイキングなモデルは1960年代後半のデビューである。輸入車に劣らない性能を示すものとして、「100マイルの最高速度」というのは非常にわかりやすいものだったのだろう。
では、なぜ「100マイルカー」という言葉はすぐに使われなくなったのか。これは、1974年の第一次石油ショックの影響が大きかったようである。「マイル」の本拠地アメリカでは55マイルの速度規制を導入、「スピードは悪」というイメージが広がった。最高速度を誇示するような車はもってのほか、というわけだ。また、自動車公害が深刻化して、1970年にマスキー法が成立、日本でも1978年にマスキー法と同基準の排出ガス規制が実施され、エンジン出力の低下により最高速度100マイル出せる車が極めて少なくなってしまった、ということらしい。
「100マイルカー」という言葉は自動車のスピードに対して単純に憧れや先進性を感じられた時代を象徴しているといえようか。
運転日報
天候:雨 後 曇り
走行距離:95キロ
走行条件:市街地・郊外一般道
積載:100㎏以上200㎏未満
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クルマ談義 | クルマ
Posted at
2006/09/08 23:12:23