その1の続き
国道を離れると交通量がぐっと減って、ほどよいRの連続する峠道を走るのはとても楽しい。路面が荒れていて砂もあるのであまり飛ばせないが、バイクで来て良かったと思える。途中で目の前に直径30センチくらいの落石が転がってきて驚いたが、近づいてみてもっと驚いた。落石と思ったのは水牛の糞だったのだ。道沿いの斜面に水牛がいて、その糞が斜面を転がり落ちてきたのである。もし乗り上げたら落石以上に悲惨なことになりそうだ。
峠を下ってチョザの町に入る。まだ11時半だがここで昼食にする。通りに面した食堂に入っていって「食事をしたい」と伝えると、ごく一般的な昼ご飯が出てきた。こういう食堂では英語が通じないし、メニューもないし、そもそも「いらっしゃいませ」みたいな応対もないし、店主の家族がテレビを見ながら食事やお茶している。フロアには犬や猫が歩き回り、どこに座っていいのか、営業しているのか、さっぱりわからない。だから適当にそこらの椅子に腰掛けて「何か」が出てくるのをひたすら待つ。ハエがぶんぶん飛び回っているから出てきた料理にはすかさずハエがたかる。そんな環境でも平気で食事できるようになったので私はまだ幸せなほうである。昼食は5万ドンだったがこれは明らかに高い。普通は2~3万ドンで観光地価格とみて間違いない。
ゆっくり食事をしてから、チョザからバベ湖へ向かう。バベ湖に沿って走る道は幅員が狭くボコボコで走りにくい。景色はいいのだが路面から目を離せないのでゆっくり見ることができない。ほどなく予約した宿に到着したのだが、チェックインの2時までまだ時間があったので湖の周囲をあちこち走ってみることにした。湖と川沿いに田んぼと民家が並び、農作業はほとんど機械化されておらず、動力源として水牛が使われている。鶏は放し飼いで集落内を走り回っている。農作業をしているのは若い女性が多く、集落は活気にあふれ、健康的な笑顔が眩しい。私はものすごく安らぎと癒しを感じてしまった。ここには近代化と高齢化で日本の農村が失った「良いもの」がそのまま残っている。
チェックイン時刻に合わせて宿に戻り、チェックインしようとしたところで問題発生。宿にいる人が英語を理解できない。予約票を見せても予約を確認できないらしく、「これはうちの予約じゃない」「隣の宿だ」などと言われ埒があかない。英語ができる予約担当のところに電話をして、その電話を宿のスタッフにかわり、あーでもないこーでもないと激論の後、ようやく部屋が用意された。どうもブッキングのミスのようだったが、結果として部屋があったのでよしとする。ようやく部屋に荷物を置いてテラスでお茶を飲んでいると西洋人のカップルがやってきて、チェックインしようとして英語が通じず私と同様トラブルになった。こちらも電話をスタッフに渡して延々とやりとりしていたが、ようやく部屋に通された。この宿の部屋は現地の住人の住居と同レベルの作りになっていて、壁は隙間だらけでエアコンもなく、ベッドもなくて床にマットレスが置いてあるだけである。これを見た西洋人の女性は拒絶反応を起こし、どこかに電話して「こんな宿だなんて聞いてないよ!あなたこういう宿だって知って予約したの?」などとクレームしていたが、結局この宿には泊まらず帰っていった。
夕方3時頃から日が暮れる6時前までずっとテラスで農村の風景を眺めて過ごした。眼下に広がる水田、ぽつりぽつりと見える農作業の女性、村の放牧場では水牛の子供が跳ね回っている。いつまでも見飽きない。そしてとても懐かしい風景なのだ。7時からはローカルの家庭料理で夕食、8時からシャワーを浴びて9時前には就寝。テレビもないし、室内の電灯も暗いので夜は寝るしかない感じである。ただし、wifiは完備していてネットに接続することはできる。
その3に続く
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Posted at
2015/05/02 16:19:25