2015年06月21日
気配り、根回し、段取り、ほうれんそう、申し送り、引継ぎ・・・
タイトルは、おそらくベトナム語の辞書にはないと思われる言葉である。ベトナムで何かプロジェクトを行おうとするとき、集合時間と集合場所しか通知されないことがよくある。こちらとしてはやることの内容や準備するものや事情変化(天気とか)の場合の対応など事前に情報を得ておきたい、当日不足するスキルや情報があれば事前に準備しておきたいと思ってしきりと問い合わせるのだが、「とにかく来てくれ」としか言われない。そして、当日指定の時間に行ってみると、プロジェクトの中身を知る人が来ていなかったりする。困って電話で問い合わせると「ごめ~ん、遅刻したから行くまで待ってて」と言われる。責任者が遅刻してもイベントは予定どおり始まるので、何をどうすればよいかわからない私は呆気にとられるしかない、という具合である。
これはたぶん日本人にとっては非常にストレスフルな状況だと思う。「何をするかはその日に説明するから」と言っていた当人が遅刻してくるのだから、何をするか全然わからないまま進行するイベントの中に放り出される羽目になる。「これって前のイベントのときはどういう進行だったの?」などと周りの人に聞くのだが、そもそも記録が残っていないか、残っているけど場所がわからないなどで誰も答えられない。そうこうするうちにグダグダのままイベントはどんどん進行していき、遅れてきた人から説明を受ける時間があるわけもなく、なんとなく時間が過ぎて終了、という結果になってしまう。終了後、グダグダに終わってしまったイベントの反省会があるわけでもなく、「え?こんなんでいいの?」と思っているうちに解散になる。几帳面で仕事熱心な人には我慢ならないだろう。
ところが、私はどうやらこの状況に慣れてしまったようだ。何度か経験するうちに、キチンと計画どおりじゃなくてもなんとなく終了すればOK、という価値観も気にならなくなったし、そもそも完成度とか顧客満足度の要求水準が低い社会なので、自分だけが高い水準の仕事を追い求めるのは無理がある。十分に時間をかけて準備して100パーセントの成果を出すよりもテキトーにやって50パーセントできれば十分、という考え方もまあ「アリ」だと思うようになったのだ。そうやって50パーセントの仕事しかできていなくても社会はとくに問題なく回っている、というのを目の当たりにしたのも大きい。適応力に優れる、といえるかもしれないし、元々いい加減だ、ということかもしれない。
本当はこういうのに慣れたら「日本人の仕事」としては失格なのかもしれないが、慣れないとストレスで人間が壊れそうなので仕方がない。慣れても結局はそれを許さない日本側との板挟みにあってストレスが溜まるのだが・・・。
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Posted at
2015/06/21 19:05:54
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