2015年08月31日
これも「断捨離」か・・・?
自家用車を持たない暮らしが10ヶ月になった。日本には一応Keiがあるのでハノイでは自家用車を持っていない、というのが正確なところである。自家用車のある暮らしが恋しくなるかと思いきや、まったく平気である。むしろ、ちょっと清々した感がある。どうしてそう感じるのだろうか。
実は、日本にいるときから、おそらく10年以上前から、「自動車にお金を使いたくない」「できれば車を持たずに暮らしたい」という思いが高まっていたのだ。若い頃、25年以上前は自動車は好奇心や興味の対象で、いわば高価なおもちゃのような面があったし、運転は技量の差が覿面に現れる、危険を伴うエクストリームスポーツのような面があった。所有して楽しく、運転して楽しめる趣味性の強い商品だったのである。
それが、ここ15年くらいですっかり様変わりした。エンジンやサスペンションの構造、操縦安定性やステアリング、ブレーキの操作性など、カタログでまったく触れられなくなった。替わりに登場したのはとにかく燃費、なんでも自動化、運転操作のバカチョン化である。趣味性のカケラもない、運転してもまったく楽しくない、だから燃費は控えめでいいですよ、みたいな車ばかりになってしまった。いや、実際はまだ趣味性の高い車種はあるのだけれど、2シーターだったりかなり高価だったりで、普通の生活者には高嶺の花になってしまった。
だから、「もう車にお金を使いたくない」「買わずに済むならそうしたい」と思うのだけれど、地方に住んでいると車のない生活は考えられない。いや、考えたくないのだ。雪の積もる地方で、買い物に行こうとして車がないとどうなるか。毎日の通勤をバスでしようとすると何時に家を出なければならないか。その不便さを考えると踏ん切りがつかない。どうしても買わなければならないのなら好きなMT車を買うことにしよう、ということでルノーやプジョーに乗っていたところである。
今はハノイに住んでいる。ハノイは都市なので自動車がなくても何不自由なく生活できる。自由に動けるということならバイクで十分である。バイクなら購入に20万も出せば十分だし、年間10万円自動車保険に払うことも、年間4万円税金に取られることも、1タンク1万円ガソリン代を払うこともない。自動車を維持することの重圧から解放された、その清々しさなのだろう。たとえば年収が今の10倍くらいになって、今のバイクと同じような感覚で趣味性の高い自動車が買えるようになればまた変わるかもしれないが、今のところ何の不満もないというのが実感である。
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Posted at
2015/08/31 23:18:42
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