2011年03月20日
震災の記録2011.3.11の続き
12日は出勤日だったので、いつもどおりの時間に起床した。夜中にひっきりなしに余震があったので眠ったのは4時ごろで、結局2時間ほどしか眠れなかった。停電しているが日が昇れば室内は明るく、普通に朝食をとることができた。
トゥインゴで職場に向かいながら街の様子を見てみる。停電のためほとんどの商店がシャッターを下ろしている。一部のコンビニエンスストアは電力なしで営業していて、店の前に人だかりができている。ガソリンスタンドはポンプが動かないので全て休業している。道沿いの民家や商店の外壁やブロック塀が崩れて歩道に散乱している。揺れによって倒壊した建物はみつからず、損害は軽微に見える。
職場に着いても電気と電話が止まっているので仕事にならない。職場は山間地にあり市街地まで30キロほど離れている。電話が使えないと通信・連絡方法は車で走るしかない。停電によりガソリンが補給できないことが問題となる。この時点で山形県酒田市は停電がなくガソリン補給が可能という情報があった。
夕方に勤務が終わって帰宅した。その日のうちにラジオを通して得た情報を分析して、停電、通信途絶、燃料不足、食糧不足が長期化することを予想した。避難するにせよ、自宅にとどまるにせよ、物資が不足している。そこで、停電がなかった酒田市に物資を補給しに行くことにした。夜11時頃に出発して国道48号線を山形に向かう。関山峠を越えて山形県に入ると信号が作動しており電気が復旧していた。天童市まで行ってコンビニに入りEMOBILEでネットに接続、情報収集をする。PHSもつながり家族に電話することができた。
13号線から47号線でそのまま酒田を目指す。
以下は日記ではないが、震災対策の基本的な考え方について記す
1、震災発生から3日間にすること
自分の身の安全を確保すること。自分の周辺にいる人の救護。病者、障がい者、幼年者等の保護。避難誘導・消火活動。
非常用食料や水の確保は3日分を目処にする。3日分なら避難するときに持ち運ぶことができるし、補充や交換の際に無駄にすることが少なくてすむ。
2、震災発生から3日後以降
状況にもよるが、被害のない場所に避難できる者は避難したほうがよい。今回のような大規模災害だと、広い範囲にわたって物資の不足と衛生状態の悪化が生じる。このような状況下で被災者の支援活動を有効に行えるのは装備が十分な組織(自衛隊や消防・一部企業)に限られる。一般の人が被災地に詰め掛けると物資の不足と衛生状態の悪化に拍車をかけてしまう。それに、余震や火災、交通事故等により支援しようとした人が支援を要する状態になってしまうこともある。
震災の記録2011.3.13に続く
Posted at 2011/03/20 22:46:26 | |
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